名古屋の白ウサギ・1964年生

自称・宗教家・・宗教家とは職業ではなく「私の生き方」です。
職業・会社員、投資家  趣味・偽善事業

ギリギリの線で試してくる。

2016-02-15 | 宗教

概して、優しい人間は「弱い」
優しい人間ほど、自虐意識、という
マイナス要因を内在し、それによる弊害も多い。。

強い人間は横暴になりやすい。
努力してきた人間、負けてはならぬと闘争心を持った人間、
強い責任感と、危機感を持った人間。

そういう人ほど、思いやりや優しさに欠ける。
「優しさ」には裏側があるし、
「強さ」にも裏側がある。

優しい事は良い事。
強い事も良い事。
それは、人それぞれのもって生まれた天性。

でも、「優しい」「強い」「 良い 」「 悪い 」という、
表面をみて一喜一憂しては、
それだけで今生が終わってしまう。

優しさの奥に、強さの奥にある、
「本質」を見ようとはせず、猛進するは、
月を追いかけて走る子供の如し。

走っても、走っても・・・捕まえる事はできない。

現実問題、奇麗事だけで済まされない。

憎悪、不信、疑念、落胆、怒り、失望、
その他さまざまな苦しみが襲い掛かる。

苦悩、不安、迷い・・・

天の節理は、自分が
潰れてしまうほどのギリギリの線で試してくる。

魂は硬い強固な塊である。

それを磨くにためにダイアモンドのような、
硬い強固な物質(現象)がぶつかって来る。

その課題は、人によって違う、
「課題」とは、千差万別なのだ、

ある人は、不美人であるが故、
多くの迫害を受け辛い思いをした。
この苦しみは、本人にしか分からない。

かと思えば、ある人は、
美人であるが故に嫉妬を買い、多くの迫害を受けた。

この苦しみも本人わからない。

金持ちと、貧乏、もこれと同様。

金持ちには金持ちの苦しみがあり、
貧乏には貧乏の苦しみがある。

いままでこういう相反する課題を抱えた人を多く見てきた。

ひとはそれぞれ、異なった「課題」があるということだ。

ある貧しいひとは・・・
金持ちになりたい・・・・と願った。

その願いが叶って金持ちになった・・・
その結果、最終的に、この人は不安や苦しみから解放され、
極楽浄土の生活を送る事ができたか?

残念ながら・・・苦悩や不安がなくなることはなかった・・・

こんな分かりきった答えが分からない人が多くいる。

人間の本質、家族の本質、
夫婦の本質、親子の本質、一族の本質、
この部分に意識を集中していないと、
打ち砕かれてしまう。

ならば、「本質」とはなにか?

人間の本質は‘ 神 ‘ であり、
神そのものである。

人間は神の分霊であり、仏の分身。
全ての人間が、偉大であり、神聖である。

これを知り、これを自覚することこそが、
「 悟 」ではなかろうか?
コメント
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