名古屋の白ウサギ・1964年生

自称・宗教家・・宗教家とは職業ではなく「私の生き方」です。
職業・会社員、投資家  趣味・偽善事業

本質を言葉にすると、肯定と否定が見えて来る。

2016-02-10 | 宗教
街を歩いていて、意味深い張り紙を見つけた。

誰も見ていません。良心、痛みます。
  
「 誰が見ているかは問題ではない。
自分の行は、自分の良心が知っている。 」

この原則こそが、個人レベルでの 『 善・悪 』
の基準であると感じる。

  
事の深層を語ろうとする時、
「 肯定 」と 「 否定 」との両面が存在します。

先の言葉を 「 肯定 」で語るなら。
誰も見ていません。良心が喜んでいます。
  

自分の良心の声のみを恐れ、それに従う生き方こそが、
「否定」も、「肯定」も超えた、
「 自分にとっての真実 」
この「 自分にとっての真実 」こそが、
自分にとっての 「 最善 」を意味するのではないでしょうか?

「 偉い人 」とは、
ホントウに偉い人と、
「 呆れてしまう偉い人 」との2通りがある。

「 呆れてしまう偉い人 」は、
モットもらしい言葉を何の恥じらいもなく
連呼し、それをバリアににて、
「 自分は高い境地にいる 」
などといった、訳の分からない事を思い込んでいる。

「呆れてしまうエライ人」とは、

‘ ワクチンに対する抗体を持ってしまった
インフルエンザウイルス‘

のようなものであると思える。
コメント
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