名古屋の白ウサギ・1964年生

自称・宗教家・・宗教家とは職業ではなく「私の生き方」です。
職業・会社員、投資家  趣味・偽善事業

死に方に良い悪いなど無い

2016-04-21 | 宗教

「 あのひとは、よい死に方をした 」
というような言葉をよく耳にします。

その反対に、
「 あの人は、心掛けが悪いので、
良い死に方は出来ないだろう・・」

などというような意味の言葉もよく使われています。

私も、以前は
 ・・良い死に方・・ 悪い死に方・・
と云う目で、人の死を捉えていました。

しかしながら・・・いつしか、
そういう見方はしないようになっていました。

そのような観かたは、軽率であり、
本質から外れた考え方だと思っています。

死に方に良い悪いなど無い

病気で死んだとしても・・・
交通事故で死んだとしても・・・
天災で死んだとしても・・

それは、永遠不滅の生命の、
‘ 一幕 ‘ でしかない。

廻り舞台がグルリと回っただけ。


どんな死に方をしたとしても、
それはそれで、「 天命を全うした 」
と言える。

ただし・・・自殺だけは例外・・・

自殺して楽になったり、得をする事は絶対にない。
この事は、重大すぎることなので、
深くを語ることは出来ませんが

自殺して、楽になった人は、皆無に等しい。

・・例外として・・
精神を煩っていた人の自殺は、
霊的観点では、自殺ではなく、
精神の病という意味で
「 病死 」と言えることもある。

慈愛に満ちた、心優しい慈善家が、
悲惨な死に方をする事もある。

かと思えば・・・
利己的で、意地が悪く、ひとを困らせ続けて来たひとが、
苦しむことなく平穏に、死んで行くこともある。

人間の運命は、
多種多様な、要素が螺旋状に絡まって形成されている。

それは、細い糸を何本も使って
作られた縄のようなものである。

その、細い糸の一本だけを摘み、
「 この糸が原因だ!!! 」
と言ったところで、
本質を見ることはできない。

それ故、占いには限界がある。

「 あの人は心掛けが悪かったから、
良い死に方が、できなかったんだ 」

「 業が深いから、ああなったんだ・・」

などと抜かす‘ 信仰深い人? ‘ 
も世のなかには存在する。

こういう‘ 信仰深い偉い人 ‘ にこそ、
「 業が深い 」という言葉が、そのまま当てはまる。

そういう事を言う 「 自称・偉いヒト 」こそ、
「 ホントウに業が深い 」

コメント
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