名古屋の白ウサギ・1964年生・

自称、宗教家・宗教家は、職業ではなく「生き方」です。
職業・会社員

意味などない。

2019-06-17 | 宗教

・・写真・・・若かりし頃の白ウサギ・・仏教遺跡にて。

私は自称・宗教家・・・
ではありますが・・出家する積りはありません。
修験者になるつもりもありません。

そんな根性は私にはない

でも、一般人として、実業家として、
自称・宗教家として・・・

生涯、求道を続ける覚悟でいる


何のために 人に親切を施すか?・・・・・ 
意味など無い

困っている人を助けて何の意味があるのか? ・・ 
意味など無い

徳を積む事に何の意味があるのか? ・・・ 
意味など無い

社会に貢献する事に何の意味があるのか? ・・・ 
意味など無い

毎日、せっせと働く事に何の意味があるのか?・・・
意味など無い

全てに意味を求め、意味を追求する事に何の意義があろうか?

こういう風に考えると
私が、今まで歯がゆく思っていた
多くの矛盾や、理不尽で不条理な事例が

 ・・それもアリかな・・・・ 

と軽く受け流す事ができる。

無意味 を生き
無意味 から逃げず
見意味 を業ずる 

極限までこれに徹した時、、
その時はじめて・・その奥にある
有意義 が見えるのではないのだろうか。

無意味を徹底的に極めたとき
私にも、何かが見えるような気がする

よくよく考えてみると、
私が今まで接して来た多くの人間のなかで
尊敬できるひとは

無意味な事を真剣に、ガムシャラになって
行う事の出来る人間であった。

それは、能力などとは
はあまり関係ないように思える。

 神を信じる 信じない とも関係がない 

明確な 方向性・ 目標設定 を定め、
そのあとは、何も考えず、一見無意味とも思えることを
ただガムシャラに馬鹿になって 業ずる者は
その人に応じた分野や、世界で、必ず大成している。

精進する者の頭上には
神 を意識していなくても

神の光が燦然と輝く
コメント
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