老人雑記

生活の中で気づいた浮世の事

満濃公園吟行 (D)

2015-09-16 15:31:21 | 俳句


公園の中に、さぬきの家がある。
古い竃があったり、昔使用していた、農機具を展示していて、子供達の学習材料となっている。
垣根が、小さな小屋をかこんでいて、柿が成っている。
山羊を飼ったり、兎小屋もある。
おおきな栗の木があり、暇な人が栗のとげとげした毬を数えたら、4500本から5000本あったと言う。

     「又来なされ」と青い柿栗見て言はる
     山里の風美味き秋の一日かな
     山羊の目の優しとあひて里の秋
     秋の野に呼べど兎のしらぬふり

まことに、忘れないうちに句に仕上げようと思う名だが感動は、いまだ続いているのにオソマツな句だな。
          


自然観察園の辺り猪が来るらしく、猪垣が張り巡らされている。
猪の鼻が触れる辺りに電流が流れている。それに触れた途端、猪は驚く。すぐに逃げるのか?
あきらめずうろうろするのか?猪と人間の戦場だ。

     夜目の利く猪のことふと思ふ



花梨の木の近くにある木。
下の方がツルツルとしている。猪が体をこの木にこすり、虫が付いた痒い体を搔いているのだそうだ。沼田場の一種なのだろう。

      恍惚の猪の顔見ゆ沼田場かな
      昨夜荒らす猪の沼田場と見て通る
      猪が尻掻きたる跡の木の艶ぞ
      猪垣や杣家が使ふ釣瓶井戸
      
      あるがまま生き山里の秋を守る
      赤米の束一握り門に干す
      掌ぱつと開けば秋の茱萸



印象の薄れぬあいだに、句をまとめようと思うが、  又 あした。
    オソマツの吟行記だ。     

      


      
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする