ダムの下に広がる公園
木を見て森を見ずとは、物事の一部分や細部に気を取られて、全体を見失うこと。
安倍政権の発足。
見慣れた顔ぶれで、お友達内閣からは少しUターンをしたのかな。
女優さんが政界に進出をやって、華やかな演出 に華を添えることまあるけれど、今回はそれも無かった。
私なぞは、テレビを観て、テレビのニュースに踊らされて、本質を見失っているのかも知れないと思うことはしばしばある。
俳句は17文字の中に小さな宇宙を詠み込む。
私は深く鋭く考えるのが苦手な直情型の人間である。政治のことも、右か左で良し悪しを決めてしまう。
俳句を作る時と同じく、死ぬまでの推敲を抜かして安易に妥協をしているのである。
籠池 と 加計 と 昭恵 と 稲田朋美 と で生理的に 安倍政権に「負」のレッテルを貼ってしまった。
今もこの思いには違いない。いくら、内閣の顔ぶれを変更しても、
「雀 百まで 踊りを忘れず」
安倍の心根は変わるはずがないと思っている。
庶民の前に反省をしたふりをして、胸の奧では 舌 を出してへらへらとしているとしか思えない。
しかしながら、冷静に考えてみれば、安倍すなわち自民党の政治も悪かったとばかりは言えないのではないかとも思える。
「木を見て 森を見ず」
加計と籠池と、でしゃばりの傾城の女二人を除くとそこそこの政治をやったと 森全体として総括することも大切ではないかとも考えるのである。
(安倍に権力に忖度をする腰抜けの政治家官僚もあえあれと云えば哀れ)
世間の賢い市民は、世論調査で剣を振ることしか政権に対する意識を示すこたはできない。
賢い人達の今後の、調査結果に期待を寄せている。一に注目をしている。
🏆 足元でじゃれる猫ゐぬ夜の秋
🏆 ぽってりと真昼の凌霄かずらかな
🎐 沖縄の風呼ぶガラスのドアーベル