老人雑記

生活の中で気づいた浮世の事

遊山箱、、、想い出

2022-10-24 10:38:53 | 日々是好日
   

ラジオ深夜便の後の朝の5時からの番組で、昨日は徳島のレポーターガ、遊山箱の話題を語っていた。

記憶の底から長い間消えていた遊山箱。

最近は 「ふるさと納税」の返品としても活躍をしているようだ。

パソコンで調べた遊山箱 。

 

             

今、求めるとすると上記のような遊山箱かな。

昔、昔おおよそ70年前。
小学校に入学したばかりの頃。
新しくできた友だちの家で、ままごとをしていた。
庭に敷いた筵に坐り、さてさてどんな話をしていたやら。

そこへ、荷を積んだ自転車が止まった。友だちの家族だったらしい。
止め方が悪かったのか?私に倒れかかってきた。
手が折れた。 

女の子だから、治療如何で、、、
傷が残っても困る。手が曲がったまま、変形をしてもと、大人達は心配をした。

近くの医院に行ったのかどうか?忘れているが。。。。

県庁所在地にある二時間くらいかかる、遠い医大に行くことになったらしい。
その頃は蒸気機関車が走っていた。
折れた手を首から吊り、一番上の姉に付き添われ、医大に何回か行った。
新調をされた、着物、被布、羽織で通った。

入学をしたばかりの小学校は休んだ。
遠足に行くクラスメートが我が家に寄ってくれたことなどを、ラジオを聴きながら想いだした。

     

遊山箱に、蓬餅を入れてお見舞いに来てくれたのが、手を折った家族の方。

現在と違って、素朴な子供用の重箱が生活に彩を添えてくれていたのだ。。

     🌸     お見舞いの遊山箱から蓬餅

後年、この句を詠んだ。

折った手は外目は綺麗に治った。
しかし中学校を卒業する年齢くらいまで、梅雨時や寒い日は折れた肘が痛んだ。
現在はそんな事は無い。


   

三月の雛節句の時、この写真のように、遊山箱が飾られていた。
我が家だけかと思っていたが、パソコンで調べているとこのような写真が。
当たり前と言えば当たり前の徳島の風習だったと、足腰の利かぬ年齢になって気付くとは。

遊山箱には、雛あられが一杯入っていた。
時には、巻きずしや、おいなりさんも。

母や兄、姉二人、ささやかな子供時代が、ラジオを聴きながら甦ってきた。

      🍂     染まりをるか桜紅葉の眉山

      🍂     南天紅葉こぼれる出る遊山箱    
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする