へなちょこの日々

プラナリア飼育記録から始まったブログ。

流産について・9(手術後の体)

2009-08-25 10:15:00 | 流産について
手術の日に3日分の薬が出ました。
至急収縮剤と抗生剤。
手術後麻酔が切れてすぐは朦朧とした中、うなるような痛みがありましたが、
(たぶん正常では我慢できるくらいの痛みです)
座薬が効いてその日はそれきり痛くならず、
その後も軽い生理痛くらいの痛みしかありませんでした。

手術の2日後に母が帰るのでタクシーと電車で京都駅まで送りましたが、
自分では元気なつもりでも、帰りふらふらとしてとても疲れました。
あとでほかの人の体験談を読むと
「手術から3日くらいは絶対安静」らしいです。

手術後の注意としては、
・お風呂・性交渉は1週間禁止
・もらった薬を必ず飲む
というくらいでした。

金曜日朝に手術、次の月曜日に経過診察で「経過順調」と言われほっとしましたが、
その日のうちにすぐ膀胱炎のような症状が出ました。
次の日1日様子を見ても良くならないので水曜日に産婦人科で見てもらうと、
「細菌の感染症」と診断され、いつも膀胱炎のときに飲む薬が1週間出ました。
その日は尿検査だけで内診はありませんでした。
3日ほどで膀胱炎は治まりました。

その週は病院に2回行ったついでに外でランチを食べたり、役所に手続きに行ったりしましたが、それだけでへとへとに疲れました。
あとは家で本を読んだりして過ごしていました。
とにかく眠くて、寝てばかりいました。

翌週の月曜日(手術から10日後)にまた検診があり、
そこで膀胱炎も治っていて、子宮内の経過も順調という診断をもらえました。
特に症状が出なければ、もう診察には来なくていいという雌`えられました。
日常生活でも特に制限することはもうないそうで、ほっとしました。

出血は手術から2週間くらいありました。
最初5日くらいは生理のような感じでした。
私は普段の生理のとき、3日目くらいから夜の出血が止まるのですが、
今夏もそのような感じでした。
その後はだらだら、おりものに少し血が混じる感じです。

手術から2週間後に2泊3日の旅行に行きましたが、
車の旅行だったからか特にしんどい思いはなく、楽しむことができました。
温泉も入りました。

これを書いている今は手術から1ヶ月たちました。
手術から2週間たったころから卵巣がたまに張るような感じが続いています。
3週目ころから、おりものにたまに薄い血が混じることがあります。
少し様子を見ているところです。
(その後の経過は、また追記します。)

流産のこと・8(手術当日)

2009-08-04 22:39:00 | 流産について
7月24日。流産の診断から2日後です。

夕べから夫がレンタカーを借りてくれていたので、病院にはレンタカーで行きました。
実家の母親が朝5時に家を出て、こちらに向かっていると連絡が入ります。
自分の手術も少し心配でしたが、母親は足が悪いので、長い移動は大丈夫だろうかと母の心配ばかりしていました。(実家から私の住んでいる大阪まで6~7時間)

予定時間少し前に病院へ着くと、トイレに行くよう進められ、すぐに昨日の処置室に入りました。
最初に看護師さんが「麻酔が効きやすくなる」筋肉注射をしましたが、とても上手でちっとも痛くありませんでした。

麻酔と手術の手順を一通り説明してもらい、下着を取って、めがねをはずし、ブラもホックをはずして昨日の診察台に寝転ぶと、生理食塩水の点滴が始まりました。

先生を待っている間、看護師さんが「気分悪くないですか」「不安なことはありませんか」と聞いてくれました。
とても優しい看護師さんで、気分が落ち着きました。
15分くらいたって医師が手術着で入ってこられ、もう一度不安なことはないか聞かれました。
大丈夫と返事をすると、麻酔の注射が始まります。

説明では「20くらいまで一緒に数えます」といわれていましたが、ゆっくり10まで数えてもなんともありません。
本当に効くのかなあと不安になって14まで数えたところ、急に頭の両側からぐわっと押さえつけられるような感じになりました。
「あー、これが麻酔か、もっと気持ちよく眠るのかと思ってた」と思いながら15を数えたところで意識がなくなりました。

遠くで「ハイ、終わりましたよ」という声が聞こえ、
「えっ、もう終わったの?」とびっくり。
でもまだ意識は遠いです。
よく覚えていないのですが、隣の部屋のベッドまでやっとき行き、
「気分が悪くなったらここに吐いてください」と青い洗面器が枕元にあるなあ、と確認し、また意識が遠のきました。

次に意識が戻ってきたのは自分の声でした。
「痛い、痛い、痛い、寒い」とずっと繰り返しています。
確かに下腹部に痛みがあるのですが、普段ならぐっと我慢すればできるくらいの痛みです。
でも自分の考えていることとは関係なく、口が動きます。
横に夫が座っている気配がしました。
(こんなに痛い痛い言っていたら夫が心配するだろうな…)
と我慢しようと思っても止まりません。
自分の意識が二つに分かれているような感覚でした。
酷い二日酔いのときのように、横になっているのに頭がぐらぐらします。
でも吐くことはありませんでした。
目をつぶっているのに蛍光灯がやたらにまぶしく感じました。

痛いのもありますが、寒いのがとてもいやでした。
そのうち夫が手を握ってくれ、それでとても安心してまた少し眠りました。

あまりに私が痛い、寒いといっているので夫が看護師さんを呼んで冷房を切ってもらったり、痛み止めの座薬を入れてもらったりしました。
少し立つとだいぶ意識が戻ってきました。
手術開始の時間から1時間くらいたっていました。
夕べの9時から断水していたため、急にのどが渇いてお茶を一気に飲みました。

そのあとも1時間くらい横になって、母親が電車を降りて病院にタクシーで向かっているメールが入ったので、まだ少し足元はふらついていましたが、直接家のほうに向かってもらうことにして、会計を済ませて帰りました。
手術の代金は1万3千円。保険適用でした。

その日は母が来てくれたのと手術が終わったことで変にハイテンションでした。
お昼に夫が買ってきてくれた弁当を食べて少しすると、急にしんどくなって横になって寝ました。

午後トイレに行くと、すごい出血でびっくりしました。
タンャ唐ェ入っていましたが、「夕方抜いてください」といわれていたので、夕方までは抜かずにいました。

出血がひどかったのはそのときだけで、後は普通の生理のようになって行きました。

流産のこと・7(手術前日)

2009-08-04 22:13:00 | 流産について
7月23日。昼から手術前日処置をしに病院にいくことになっていました。
目が覚めると、のどがとても痛い。
昨日泣きすぎたためか、体の抵抗力が落ちたためか…。
微熱もあるようで、これで手術が延期になったらいやだなあ、と思っていました。

出血も、昨日に増して茶色いものがだらだら少しずつ出ている感じでした。

手術前処置自体も浮ゥったし、その浮ウで病院でパニックになってしまったらと思うと、そのことも浮ュ…でもなんとなくうつろな気持ちでした。

手術当日に、故郷から母親が来てくれることになり、そのための布団の手配とか交通手段を考えたりとか…そういうことも必然的に考えるようになっていたため、多少気がまぎれていました。

病院へ行くと、前処置の前に診察をしてくれました。
内診をして、もう一度赤ちゃんを確認。
心拍が確認されないこと、それから血液の流れがわかる画像も重ねて、
赤ちゃんの周りに血液が回っていないことも見せてくれました。
それを確認したことで、自分の中で覚悟がついたというか
「ああ、もうどうしようもないんだな。手術するしかないなら仕方ない」
と、変に肝が据わりました。

診察後、隣の処置室に移りました。
タイル張りの、寂しい部屋でした。
簡素な内診台・・・というか寝台に脚を乗せる器具をセットした台に寝転び、子宮口に細い棒(ラミナリアというらしい)を何本かつめます。
恐れていたほどには痛くはなかったですが、かんしで広げていることもあって入れる瞬間は「いたっ」と声が出ました。
我慢できないほどの痛みではなかったです。
排出が始まっていることで、すでに子宮口も広がりつつあったのかもしれません。

すぐ処置が終わり、待合室で待っているときは処置の違和感があり、タンャ唐マな方向に入れてしまったときのような痛みがありました。
少したってなじむと、「何か入ってるな」という感じはしましたが、痛みはなくなりました。
子宮自体は、生理痛のような痛みが続いています。

前処置が終わると、あれだけ浮ゥった手術自体も、浮ュなくなりました。
早く赤ちゃんを出してあげなければ、という思いに変わっていました。

その夜、隣で寝ている夫に
「すごく血のにおいがするけど大丈夫?」といわれてびっくりしてトイレに行きましたが、特に出血はしていませんでした。
(していたのでしょうがラミナリアが吸っていたのでしょう。)

痛くておなかをさすっているときに、
「明日にはもう、赤ちゃんはここにいないんだなあ」と思うとまた泣いてしまいました。

流産のこと・6(流産発覚後の気持ち)

2009-08-04 00:17:00 | 流産について
流産がわかった日、歩いて家に帰るとちょうどお昼でした。
家のドアを閉めると、声を上げて泣きました。
そのまま泣き続け、気がつくと夕方でした。

「事実を受け入れなければ」とインターネットで流産後の手術を調べました。
(病院からは詳しい内容は伝えられていなかったので。)
調べてみると、私のような妊娠初期の流産の処置手術は、人工妊娠中絶と同じ方法だということがわかりました。
・手術前日(病院によっては数時間前)に子宮口を広げる処置をする。
 (海草などでできたちいさな棒を入れ、それが水を吸って膨らむ)
・手術は全身麻酔。子宮の中身を外に出す。手術自体は10分ほどですむ。
・麻酔がとけて、歩けるようになったら帰れる。
病院によっても異なるようですが、大体はこのような方法です。
体験談のページもあり、それを読むと人にもよるようですが「気絶するほど痛い」「痛みのあまり過呼吸に」などの体験もあり、今度は手術が浮ュなってひとしきり泣きました。

夫が帰ってくる夜には泣き止んで、ぼんやりしていました。
もっと泣いているはず、取り乱しているはずと予想していた夫は落ち着いているように見える私を、非常に不安に思ったそうです。

翌日の手術前処置が浮「なあ、いやだなあ、と思いながら眠りました。
赤ちゃんはもう亡くなっているというのに、まだ妊娠中と同じようなおなかの張りがあるのが、むなしく思えました。

流産のこと・5(流産の発覚)

2009-08-03 23:52:00 | 流産について
7月22日。予定よりも5日遅れた、3回目の検診です。

出血があるものの、楽しみな気持ちが大きくて、これまでになくリラックスして内診台にあがりました。

内診の前、医師に「出血がありますね」と指摘され、「ナプキンにもつかないほどなのによくわかるなあ」とのんびり思っていました。
いままで痛かった内診(エコーを入れる?)もするっと入り、「ああ慣れてきたんだな」とそのときは思いましたが…。

エコーの画面に、トクトクと心拍を打つ赤ちゃんが映るもんだと思っていたのに、なんだか小さい袋が映るだけです。
「あれ?」と思っていると、
「赤ちゃんの袋、小さいです。前回から育っていませんね」と医師の言葉。
まさか・・・と体が硬直する中、
「残念ですが今回は、流産ということになります・・・」と言葉が続く。

(ええ?なにそれ?? 今日は予定日がわかって、赤ちゃんの心臓が見れるんじゃなかったの・・・)
内診台の上だというのに、涙がぼろぼろこぼれて止まりません。
やっとのことで台から降り、下着をはいて椅子に座りました。
こんなところで泣いてはいけないと思っても、勝手に嗚咽が漏れます。

申し訳なさそうにお医者さんが
・今回のような流産は受精の段階で決まっていることで、避けられることではなかった
・母体の過ごし方に関係があるわけではないので自分を責めないように
・5人の赤ちゃんのうち1人はこのような流産になる
・出血も、亡くなった赤ちゃんを排出しようとする子宮の働きで起きた
・1度流産したからといって次も流産というわけではない
・(初めての妊娠ということで)流産よりも、妊娠できる体であるということがわかったことが大切
・次の妊娠への為にも、近いうちに手術の処置をしなければならない
ということを説明してくれました。

その間も涙が止まりません。
その姿を見て医師が「落ち着いたら続きの処置をします…どこかひとりになれる部屋があればいいんだけど」と気を遣って看護師さんに聞いてくれましたが、あいにく部屋がいっぱいで待合室で待つことになりました。

涙が止まらないまま待合室に行くと、当然周りの人たちがぎょっとしていました。
それなのに涙を止められない自分がひどく惨めでした。
ようやく涙が止まってきた、涙がにじむ目で、ぼんやり待合室の、皆既日食の中継TVを眺めていると、再び名前を呼ばれて手術の為の血液検査と、手術の予約をしました。
なるべく早いほうがいいということで翌日に下準備、翌々日の朝手術となりました。

会計をして帰るときも泣き顔でした。
このままでは電車に乗ることもできず、鼻をすすりながら自宅まで30分歩いて帰りました。
日食のはずの、雲に半分隠れた太陽を見てみましたが、よくわかりませんでした・・・