へなちょこの日々

プラナリア飼育記録から始まったブログ。

映画「ドライブ・マイ・カー」を見た

2022-08-25 21:42:27 | 映画・DVD
夏の最後の平日休みだからでかけようと思っていたけれど、どうにも外に行く気がせずアマゾンプライムで「ドライブ・マイ・カー」を見ることに。48時間以内見放題で400円ほど。
劇場に見に行こうと思った作品だけれど、3時間という上映時間に臆してやめていた。結果、家で見られてよかった。わたしは集中力が続かないので、頑張って3時間連続で映画を見なければいけない状況だと大変疲弊してしまう。家だと中断してトイレに行ったり、飲み物を取りに行ったりできるのがいい。

観た結果。とても良かった。
観る前に原作の「女のいない男たち」を再読したのだけれど、原作となった作品たちを上手につなぎ合わせていたし、原作では逃げていた(としか思えない)結末をきちんと落とし前つけていたところに好感が持てた。男が女にケア役を求める、という一方的な自己満足ではなく、家福とみさきの相互的な関係が描かれていたのが良かった。演劇のシーンは多言語上演という一風変わった演出が功を奏していた。なかでも韓国手話で演じるユナさんの存在が大きかった。彼女が演じるソーニャが、家福が演じるワーニャ叔父さんの背中から目前に手を持ってきて言葉を発する劇中最後のシーンが本当に良かった。多言語演劇のなかに手話を導入した演出が本当に良かったと思う。

原作(群)はどうにも「男から見たら、女性は理解できない神聖な存在」みたいに突き放した感じがしたけれど、映画はひとりひとりを等身大の人物として描いていた。女性を、主人公が幸せになるための道具としてではなく、主人公と同じ一人の人物として描いていたことに好感が持てた。

最後のシーンはいろいろ憶測があるが、みさきが新しい人生を歩んでいられるならそれでいいじゃない、と思える。サーブは家福から譲り受けたかもしれないし、みさきが家福のパートナーになったかもしれないけれど、どちらでもいい。家福の未来ではなく、みさきの未来を提示してエンドとしたところは若干ずるさを感じるが。

原作よりも数段映画の方が優れているし、見る価値があった。とはいえ、原作を読んでいないと理解できない人がいるのかもしれないなあ、とも。なかなか難しい。

久しぶりに「ねじまき鳥クロニクル」を読んで

2022-08-15 18:40:01 | 
8月の頭から、お盆中かけて3冊読了。わくわくして読み出し読み終わった第1部とは裏腹に、2部3部はなかなかつらい読書となった。
残念ながらもうオカダ・トオルと一緒に、わたしは心の井戸に潜っていくことはできなかった。もうこの本に救いを求めることはないだろうな、と。とはいえこれはオカダ・トオルの物語であって、わたしの物語ではない、それは初めからわかりきっていたことだ。若いころは何かちょっと嫌だった笠原メイが、今では好き。顔のない男は間宮中尉で井戸に沸いてきた温かな水は笠原メイの涙なのだろう。と、そんな種明かしすら空しい気もする。

気になったポイント①:最終的な解決法が暴力であったこと。無理やりに捻じ曲げられた(暴力的な)ものへの対抗が暴力だったというのはスカッとはするけれど間宮中尉の抱えていた戦争による人々の傷つきをないがしろにされた気がした。いやなにも、話し合いでどうこう…ということは期待していないけれど。
気になったポイント②:富裕層や権力を持つ側に見いだされたから問題が何とかなった、ということ。権力に対抗する力を得るための支えが金持ちだった、というのは①と似たような矛盾を感じる。
気になったポイント③:一貫してケア役としての女性ばかり出てくるということ。あとクミコを「僕のもの」と表現するくだりがあり、それはゾッとした。まあ時代のせいといえばそうなんでしょうが。あと女性が性的なことをすることで物語が動くのは(この作品に限ったことではないけれど)かつては「村上作品とはそういうもの」と思って納得していたけれど、今は嫌だと思う。
気になったポイント④:戦争中の日本軍の虐殺行為が動物に対してとスパイ容疑の脱走中国人に対してのところだけで、あとは日本人が虐殺される側だったところ。特に間宮中尉のシベリア抑留中の話に至っては、この話が開示されることに何の意味があるのかわからなかった(読みが浅いだけかもしれないが)。

でも、今の日本の政治(とその政治に対する人々の態度)の現状を見ると、綿谷ノボルが政治家として君臨してしまった世の中のようだと感じる。執筆当初はまだ、政治家のやってしまったあかんことが「汚職」として断罪されていた。それに比べて今はどうだ。我々は現実の綿谷ノボル(という一人の人間でないところが、現実はさらにややこしい)を引きずり下ろせるのか。

(読書メーターに記録した感想・コメントから転載)

酒びたりの2日間

2022-08-12 14:31:51 | 日記
家にいても鬱屈がたまる一方なので、また近場の大浴場のある安いホテルを予約した。
8/10、夫が帰宅し昼ご飯を食べさせたのち、3:20のバスで出発。
まっすぐホテルに向かい、部屋で涼んだのちに早速大浴場へ。
脱衣所の作りがへんで、ロッカーと洗面台と風呂場への出入り口が一つ所にかたまっているので、少ししか人がいなくてもとても混みあっていてお互いを邪魔に感じてしまう。
風呂の湯は温泉ではなく、真ん中に備長炭が据えられている。思ったよりも湯舟が広い。
ハッピーアワー17時から20時まで、ラウンジでクラフトビールなどが飲み放題になる。
きっちり17時に入り、最後まで居座った。いちばん人が多い時で全体の1/3くらい席が埋まる程度。我々のようにあさましく粘って大量に飲んでいる人はほかにいなかった。
その後散歩に出てセブンイレブンで食料を買い、部屋へ戻る。が、その記憶がない。1時ごろ、夫が2階まで行って温めて来てくれた焼きおにぎりを食べているときに意識がはっきりしてきた。冷蔵庫を開けると、缶ビールなどに混じってふにゃふにゃに溶けたマンゴーのアイスバーがあった(翌朝コップにうつして飲んだ)。

記憶がなくなるまで飲んだにもかかわらず、翌朝はすっきり起きた。
朝ぶろを堪能してチェックアウト。嵐山に行くことに。地下鉄の駅まで歩いていると、汗だくになる。途中でアイスの実を買って食べる。
嵐電に乗るのは初。外には江ノ電の絵が、中の座席はカラフルでかわいい絵がたくさん描いてあった。一律220円という料金も安い。
嵐山駅に着くと、鬼滅の刃の看板などがごちゃごちゃしている。お店も京都に関係ないものやリラックマなどで、全盛期の軽井沢や清里なんかを髣髴とする。しょうもない店に長蛇の列ができているのをしょうもない気分で眺める。
駅の売店でビール祭りをやっていたので、フローズン一番搾りを飲む。普通のビールの上にシャーベット状の泡を載せてくれるが、味は普通のビールの方がおいしく感じた。ただ、こっちの方がぬるまるのが遅いかもしれない。

竹林の道を歩くと、何台も人力車が抜かしていく。この暑いのに、人力車を引いて中腰で進んでいくのは本当にしんどいだろうなあ。1時間お客を載せたとして、いくらくらいもらえるんだろうか。たくさんもらって欲しい。夫とそんな話をすると「前に見たテレビでは、料金の半分は人力車のレンタル代として支払うらしい」と言っていた。歩合制や個人事業主のような雇用体系なのだろうか。
化野念仏寺まで歩いていこうとするも、途中でどっちに向かっても「私有地立ち入り禁止」となってしまい、断念。ぐるっと回って蓮の池を眺め、駅前に戻る。
渡月橋を見てから帰ろうと思い、橋へ。橋と川と山と空が本当にきれいだった。澄んだ水の中に、泳ぐ魚の姿が見えた。
暑い中をただぐるぐる歩いただけだが、楽しかった。

橋の近くのバス停にやってきたバスに乗る。ぐるっと時間をかけて、京阪の四条駅まで。観光客と地元の人が半々くらいの割合で乗っていた。車窓から京都の町が見えるのが楽しい。絶対に入ることのないであろう町中華のメニューなどを見て、味を想像する。途中、松葉づえをついている人が乗ってきて、一人用の座席に座っていた人が席を譲っていた。この人にいいことがありますように。

京阪の駅にあるsizuyaでカルネを2種類買い、中書島へ。京都の帰りは必ず「鳥せい」に寄ってしまう。祝日だし、混んでいるのを覚悟したが空いていた。
暑い中歩いたのであまり食欲もなかったが、鳥ラーメンを食べだすと一気に食欲がわいてきた。夫は「皮のバラ焼き」というおつまみが非常に好きで、2回注文していた。ビール2杯と生原酒を4杯ほど飲んだろうか。2時間が経過して、退出となる。その辺から記憶がまた途絶える。帰りに公設市場で買い物をして、袋に入りきらなかったねぎをはだかで夫が持ってくれた後ろ姿だけがなぜか焼き付いている。夜中の1時に目が覚めて冷蔵庫を開けると、いろいろとものが増えていた。

無自覚に人を傷つけているということ

2022-08-10 11:43:09 | ノンジャンル
ゆうべはサイゼリヤに食事をしに行ったが、食べ物も飲み物もいつもよりもおいしく感じられず早々に帰った。
おそらく人手不足と(ぬるい食べ物があった)、暑さのせいだ。ワインがなかなか喉を通らなかった。

これまで生きてきた中で出会い、そして決別した人のことを少し思う。
自分ではその時々で「こう動くしかない」という選択をとっているつもりでも、相手にとったらものすごく失礼に当たることをしでかしているのかもしれない。
わたしのことを絶対に許せないと思っている人も片手では足りないくらいいても不思議ではない。
若いころよりはだいぶましな人間に近づいてきたと思っていたが、そんなことはないのだろう。
でももう自分の中の価値観が変わってしまって、この人とはつきあえないと思ったらその思いを我慢しても人間関係を継続できるほど器用ではない(それが免罪符にならないとはわかっている。そういう生き方しかできないという話)。
自分が納得するようにと考えて生きていることが、結果相手を振り回しているというところ、母親に似ているなあと思う。
それを謝ったとしてもただの自己満足にしかならないだろうから、先方はわたしには愛想をつかして離れて行ってもらうしかない。

恐怖の胃カメラ

2022-08-05 16:54:14 | 日記
1年でいちばん恐れている日が来た。健康診断である。健康診断そのものは怖くないのだけど、とにかく胃カメラが恐怖。
胃カメラは胃腸科で数回やっているが、その時は鎮静剤を使っているので大した苦痛はない。
去年から受けている職場近くの病院は鎮静剤バージョンがない。鼻から入れるのをしたのだけれど、カメラが胃にある間ずっとえづいていて死にそうだった。今年も地獄の15分間に耐えなければならない日が来た。

水以外は絶食、薬もNGなのに間違えて6:30ごろ抗うつ剤とステロイドを飲んでしまう。まあ3時間もあれば消化されて大丈夫だろう。一応検査前の問診でそのことを伝える。
胃カメラ最後かと思っていたが、身長体重測定の後「次は胃カメラ」と言われてギャーとなるが、たまたま京阪電車が踏切故障のため遅れていて、そのせいで先生が到着していないということで後回しになる。
待ち時間もなくサクサク進み、いよいよ胃カメラ。
まず胃の発泡を消すドロっとした薬をコップいっぱい飲み、両方の鼻に鼻腔を広げる薬と2回の麻酔、計3回をシリンジのような物で注入。3回目の注入後、そのまま検査室へ。

メガネをはずし、左下で横向きになって寝る。腕に血圧計、指にパルスオキシメーターを装着すると「では入れますね」。
鼻からうどんより太い内視鏡(見た感じ伊勢うどんくらいの太さに見える)、「そんなの入るわけないやん!」と思うけれどするすると入っていく不思議。喉を通過する時はオエっとなり、その後も何度かゲボーゥと空気が出てきて気持ち悪いが、去年よりは全然マシ。胃まで到達したら、画面を見る余裕もあった。朝飲んだ薬が溶けかけてて、粉状になってへばりついてるのを水で吹き飛ばしたりしてて笑いそうになる。

はい終わりでーす、と5分も経たないくらいでスルスルと内視鏡が引き上げられ「もう終わり?」とびっくり。苦痛も時間も去年の1/3くらいだった。うまい先生に当たったのだろうか。「荷物を持って待合へ」と言われるけど、よだれや涙を拭いたり、鼻を噛むティッシュが欲しかった。仕方ないので握りしめてた手ぬぐいで全部拭く。

最後に内科の先生の問診。どうも普通の診察の合間にしているようで恐縮(健康診断専門医院ではなく、普通に患者さんが来てる病院)。不整脈気味と指摘されるが後は大丈夫そう。不整脈だと言われてもどうすることもできないし。せいぜい血圧高くしないように頑張ろう。

帰ってしばらくは食欲もなく、布団でひっくり返る。おならがぶうぶう出る。鼻の奥、喉との境目が風邪を引く前の時のようにスカスカする。2時間ほどたって、食欲が湧いたのでごはんの上に目玉焼きとウインナ炒め、茄子ときゅうりの浅漬けをのっけたプレートを作って食べた。