愛ある、人々
昨日は、母の一周忌だった。
葬儀に参列して下さった方々の記憶に重なるように
昨日も、
桜が散っていく、寒い雨の日だった。
病気がちだった母は、よく
”私のお葬式なんて、
きっとちょっとの人しか来てくれないわ。”
と言っていた。
母は、”愛の光”を持っている人だった。
優しい色をした、微細な愛の光。
その微細な愛の光に共鳴した人々は
母の死後、一年たったのにも関わらず、
その光をたよりに、
お昼、夕方、夜・・・と
遠く京都から、
軽井沢から、
多忙な方々が、400名も集まってくださった。
春の小花たちに囲まれて・・・
お昼の会は、
評論家の秋山ちえ子先生のお話でお開きとなった。
秋山ちえ子先生は、
今年で90歳になられる。
ラジオ番組”秋山ちえ子の談話室”を
毎日45年間も続けられたり
福祉事業に色々と携わっていられたり、
戦後の日本の女性の生き方を導いてこられた方だ。
先生と母は、やはり共鳴しあう部分があったようで
度々先生のラジオ番組でも
母の話が出たり、
折にふれ、病気がちな母に季節のお便りを
下さったりしていた。
他の一周忌がどのような形でしめくくられるかは
わからないが、
昨日の母の会は、和やかで優しい気持ちがいっぱいにひろがる、
そんな会となった。
そんな会のしめくくりに、
先生のお言葉が皆の心を温める。
母の好きだった花をいっぱい飾って。
先生は、まず、今日、会場に着いたら
母に会って、お話をしたのよ、と始める。
90歳になって、
2つの福祉活動の目標を持って毎日過ごしているけれど、
母と話をしているうちに
もうひとつ、目標が出来た、とおっしゃる。
年をとるとなかなか億劫になって
出かけることが少なくなるけれども、
これからは、毎月、月に1回は、
母と出会った公園に
散歩にくることにしました、と。
公園には色々な植物や花や、
発見することがもう、いっぱいあって
それを楽しく見つけながら、お散歩をして、
おなかがすいたら、
美味しいものを、少し、頂くのを楽しみにしようと思うの。
そんな目標を作ってくれた母に、
今日は、
心から、感謝の気持ちでいっぱいです・・・
先生の生き生きとした表情に、
会場から、思わず拍手が。
その前向きな姿勢、
感性の豊かさ、
そして、感謝を全身で表現なさる先生のまわりに
確かに、
愛の光が注がれているのが、私にはみえた。
ななちゃんから母へ・・・。ありがとう。
私は、想う。
お金も、物も、名声も、
肉体があるときには必要なものだけれど
肉体から離れたらそれらは
あまり価値のないものになっていく。
でも、”愛”は残る。
その人の注いだ”愛のすべて”は
ひとつも色あせることなく
いつまでも
その”愛”を感じ取った人々の心の中で
生き続ける。
輝き続ける。
昨日、母のために集まってきてくださった方々は、
純粋に、母の”愛の光”を心に感じていた方々。
その方々の心の中では、
母の愛が今でも、そしてこれからも、生き続けているのだ。
病気がちで、色々な思いをこの世に残しながら
肉体から離れた母だけれど、
昨日は自分がどれほど沢山の愛の光を
放っていたのかを知り、
驚いていたことだろう。
愛ある人のところには、
愛ある人が集まる。
それを、教わった
母の一周忌であった。
昨日は、母の一周忌だった。
葬儀に参列して下さった方々の記憶に重なるように
昨日も、
桜が散っていく、寒い雨の日だった。
病気がちだった母は、よく
”私のお葬式なんて、
きっとちょっとの人しか来てくれないわ。”
と言っていた。
母は、”愛の光”を持っている人だった。
優しい色をした、微細な愛の光。
その微細な愛の光に共鳴した人々は
母の死後、一年たったのにも関わらず、
その光をたよりに、
お昼、夕方、夜・・・と
遠く京都から、
軽井沢から、
多忙な方々が、400名も集まってくださった。
春の小花たちに囲まれて・・・
お昼の会は、
評論家の秋山ちえ子先生のお話でお開きとなった。
秋山ちえ子先生は、
今年で90歳になられる。
ラジオ番組”秋山ちえ子の談話室”を
毎日45年間も続けられたり
福祉事業に色々と携わっていられたり、
戦後の日本の女性の生き方を導いてこられた方だ。
先生と母は、やはり共鳴しあう部分があったようで
度々先生のラジオ番組でも
母の話が出たり、
折にふれ、病気がちな母に季節のお便りを
下さったりしていた。
他の一周忌がどのような形でしめくくられるかは
わからないが、
昨日の母の会は、和やかで優しい気持ちがいっぱいにひろがる、
そんな会となった。
そんな会のしめくくりに、
先生のお言葉が皆の心を温める。
母の好きだった花をいっぱい飾って。
先生は、まず、今日、会場に着いたら
母に会って、お話をしたのよ、と始める。
90歳になって、
2つの福祉活動の目標を持って毎日過ごしているけれど、
母と話をしているうちに
もうひとつ、目標が出来た、とおっしゃる。
年をとるとなかなか億劫になって
出かけることが少なくなるけれども、
これからは、毎月、月に1回は、
母と出会った公園に
散歩にくることにしました、と。
公園には色々な植物や花や、
発見することがもう、いっぱいあって
それを楽しく見つけながら、お散歩をして、
おなかがすいたら、
美味しいものを、少し、頂くのを楽しみにしようと思うの。
そんな目標を作ってくれた母に、
今日は、
心から、感謝の気持ちでいっぱいです・・・
先生の生き生きとした表情に、
会場から、思わず拍手が。
その前向きな姿勢、
感性の豊かさ、
そして、感謝を全身で表現なさる先生のまわりに
確かに、
愛の光が注がれているのが、私にはみえた。
ななちゃんから母へ・・・。ありがとう。
私は、想う。
お金も、物も、名声も、
肉体があるときには必要なものだけれど
肉体から離れたらそれらは
あまり価値のないものになっていく。
でも、”愛”は残る。
その人の注いだ”愛のすべて”は
ひとつも色あせることなく
いつまでも
その”愛”を感じ取った人々の心の中で
生き続ける。
輝き続ける。
昨日、母のために集まってきてくださった方々は、
純粋に、母の”愛の光”を心に感じていた方々。
その方々の心の中では、
母の愛が今でも、そしてこれからも、生き続けているのだ。
病気がちで、色々な思いをこの世に残しながら
肉体から離れた母だけれど、
昨日は自分がどれほど沢山の愛の光を
放っていたのかを知り、
驚いていたことだろう。
愛ある人のところには、
愛ある人が集まる。
それを、教わった
母の一周忌であった。