Happy-sanになろう!

Happy-sanな日々をご紹介するブログ。旅のお話もいっぱい♪

高千穂 ~天岩戸神社

2009年06月08日 | 神社めぐり
高千穂 天岩戸神社



福岡郊外宮若市や
熊本市内でのインタビューは大変有意義だった。
内容は11月 講談社から出版されるのでお楽しみに


ご先祖様ゆかりの人々を訪ねる旅も一段落。
私は以前から<神々の里 高千穂>を訪ねたいと思っていた。

そして、そこにある<天岩戸神社>に
曽祖父 梅屋庄吉が最初の映画興行で純利益を多額に寄付したという事実を知り
思い切って、今回は高千穂まで足をのばすことにした。


熊本空港でナガノ先生と合流、
高千穂への旅は”一人”ではなく、ナガノ先生との”二人旅”となった。


ここから先、非常に神秘的な世界となる。
そう、高千穂は想像以上に
<スピリチュアル>な<神聖>な場所であった。






天照皇大神(あまてらすおおみかみ)は御弟素盞嗚尊(すさのおのみこと)の
乱暴なふるまいを避けて、暫く天岩戸(あまのいわと)にお隠れになった。

この神社境内社殿の背後にある
断崖の中腹に御窟があり、そこに隠れられた。
この神社ではその御神域をご神体として祀っている。






社殿前にて。 
左上に大きな大きな楕円の<光>がお出迎え下さっているのが
写っている。




この後ろが<御神域>で、写真は撮れない。
また、ここから先は社務所にて申し出てご寄付をすると
きちんと御祓いをしてから、入ることが出来る。


・・・・・


天照皇大神がお隠れになった御窟、
そしてその一体は
何と表現出来ようか、まさに<神域>。

そこに特別な”何か”を感じずにはいられない。

澄みわたった空気、神々しい風景、
邪悪なものをひきよせることのない強い神聖さをも。

私は、涙がこみあげてきた。
なんだろう、これは。。。


よく、<パワースポット>なんていうけれど
ここは<神様のいらっしゃる場所>。
本当に。

伊勢神宮にも、出雲大社にも、榛名神社にも、熊野大社にも

すごい力を持ったありがたい神社にも存在しない、
特別な特別な、清らかで強いものを、感じる場所。

御神域で私は暫く動けなかった。







西本宮からしばらく<天安河原>まで
清い流れの散歩道を歩いていく。

精霊たちがいっぱいいるのを感じる。
私は今まで、<見る>ことは出来なかったが
この高千穂ではそれがほぼ、出来た。

ここでの<精霊>たちは
いつもの<たまゆら>よりも<光>を放っているので
より強く感じるのだ。







天安河原では、八百万の神々が集められ、岩戸開きの相談をされた。
そこには<仰慕窟 ぎょうぼがいわや>という大洞窟がある。




洞窟の中にも<たまゆら>さんはいっぱい。いっぱい。

またこの洞窟には<願いが叶う>という信仰があり
石を積み上げて祈願する慣習がある。

まわりには可愛らしく積んだ石がたっっっくさん、ある。
不思議なことに、この積み上げられた石たちは
台風の強い風にも倒されることはない、という。

早速、私も<願い>をこめて、石を積んだ。







鳥居のところにきれいな<たまゆら>。
足元には多くの人が<願い>をこめた、石たち。





東宮の社殿にもきれいな<たまゆら>出現。



準備のいいナガノ先生は
神社の<御神水>と<御土とり>をするために
ペットボトルや土をとるスコップやジップロックを持参。

社務所に聞くと、
川の反対側にある東本宮の大きな神の木の下に
御神水が湧き出ているという。

私たちは、他に誰もいない静まり返った東本宮へ。





この立派な木の根もとから
こんこんと御神水がわいている。


あの木の根元の土を頂きたい、とふと思った。
この写真のとおり、
根元には素晴らしい光があった。










御神水を頂く。きれいな<たまゆら>さんも一緒。



この神社の木々にも精霊が宿っていて
ほら、
強い光を放っている。





ナガノ先生と私は”
御神水と木の根元の御土を頂いた。 
”ありがとうございます。”と木々に御礼をいう。


帰り道、高千穂の美しい棚田で育ったお米を買い
そのお店で温かい<椎茸茶>をご馳走になる。



椎茸茶を飲むナガノ先生






息を飲むほど、驚くほどに<神聖>な天岩戸神社。

私の、ナンバー1神社。








神秘の高千穂の旅、まだまだ続きます



壱岐の宿 海里村上~その3 朝食編

2009年06月07日 | 旅館&Hotel
壱岐の宿 海里村上~その3 朝食編







壱岐2日目の朝もすっきりと晴れ
目の前の海も穏やか。


海里村上では夕食・朝食ともに
和食かイタリアンかを選ぶことが出きる。

今回私は朝食は<イタリアン>を選んだ。

またもしかしたら<雲丹>が出るかもしれない、
という和食への未練もあったのだが
普段私の生活では朝食は洋食であることと、
あんなに素晴らしい和食を出す旅館の洋食はどんなものか知りたい!という
好奇心もあった。






まずは、地元で採れる野菜をふんだんに使ったミネストローネスープ。
自家製のパンと
ミカンのジャム。
そして、
昨夜のデザートにも飲んだ<海里村上 特製青汁>。






蛸のオリーブオイルとバジル和えや
鱈のソテーなど

朝食とは思えない、わりとヘビーな一皿。

これらは”白ワイン”と食べたら美味しいだろうなぁ。
でも朝、低血圧で
胃がまだ半分寝ている状態の私にはちょっとオイルがきつかった。






地野菜のソテー。これは嬉しい。
カラフルで美しい野菜たち。

よく朝食に生野菜のサラダが出てくることがあるが
低血圧の私は朝から
バリバリと生野菜を食べるほど口が動かない。

こうして温野菜のソテーなら
柔らかいし、見た目も鮮やかで目が覚めて私向き。






卵料理は目玉焼き。

久しぶりの<断面ショー

すっごい黄身が濃いでしょ。

これも自給自足パラダイス、壱岐の卵。






最後にフルーツとヨーグルトが出てきた。
ちょっと濃い目のコーヒーと一緒に。



朝から壱岐の大地の恵みをたっぷりと頂き
穏やかな潮風を胸いっぱいに吸い込む。


なんてカラダにいいのだろう。



今日は芦辺港から博多に戻る。

フロントに

”芦辺港までタクシーお願いします。”とお願いしたら

”ちょうど、芦辺まで買い物に行きますので
 車に乗っていってください。”

ラッキー




玄関前で
昨夜のご馳走を作ってくださった
調理長のカキウチさんとタニガワさんとご一緒に記念撮影。



私は海里村上の皆様に温かく見送られ、
タニガワさんが運転する車で
しばし壱岐の島をドライブ。 そして芦辺の港まで送っていただく。


ジェットフォイルの出航時間まですこしあるので
港にあった地元のお店をのぞく。

<雲丹>が目に付く。


私の可愛い姪っ子ちゃんも<雲丹>が大好物。

姪っ子ちゃんと自分用に<雲丹>を購入、
私が東京に帰る頃に着くように、宅配便を手配してもらう。



こうして、私は静かな、壱岐の島を離れた。


きれいな海と
あわびと雲丹と赤い温泉。

ご先祖さまたちが眠る静かな山と
楽しい香椎の哲冶さん。

そして、
最上級の寛ぎを約束してくれる宿、海里村上。


私はこの島にまた
帰ってくるだろう。












壱岐の宿 海里村上~その2 夕食編

2009年06月06日 | 旅館&Hotel
壱岐の宿 海里村上~その2 夕食編







夕食は和食のお食事処、<和佳>にて。



海に面したカウンター席と後ろにはテーブル席。
西に向いた窓からは夕陽が海に沈んでいくのを
食前酒を飲みながら、見ることが出来る。





贅沢なことに、私は板長さんの目の前に座り
目の前で繰り広げられる
繊細な手さばきを堪能しながら、食事をすることに。。。


まずは前菜。



からすみ炙り・鯛酒盗・このわた
砂ずり醤油漬け・トマト蜜煮

お酒のつまみばかり満載のこの一皿で
軽くビール2杯はいけてしまふ。




おおぅ殻付き雲丹だよぅ。
しかも、殻の針がまだ動いている。
新鮮。しかもいっぱい

死ぬ前に何か一つだけ食べていい、と言われたら
私は<雲丹>。  大好物。 


海里村上の近くにある勝本漁港は
”イカ”が沢山あがるという。


”さっき、あがってきたばっかりだよ。”

と副調理長のタニガワさんが
墨を吹かないように布で覆いながら
まだ元気いっぱいの”あおりイカ”を
私に見せてくれる。





そしてそのまますぐにイカは
手早くタニガワさんの手でさばかれ
あっという間にお刺身に。





黒あわび・石鯛・横輪鮪・あおり烏賊

あおり烏賊は、壱岐でとれる地元の”塩”で頂く。


次は、鯨のさえずり炙り



鯨を食べるのなんて、久しぶり。
昔は壱岐の近くの海でも鯨漁は盛んだったそう。




どど~ん、とあわび丸ごと。

これを、しゃぶしゃぶにしてもよし、
焼いて、アンチョヴィソースで頂いてもよし。

とにかく、柔らかくて、美味しい!!!





いわしとさざえが熱々で登場。




そして焼料理として供されたのは

<壱岐牛ステーキ





私はあまりお肉は普段頂かないのだけれど
こういう美味しいのは別。

壱岐牛は、<松阪牛>の種牛ともなる。
つまり、最上級のお肉なのだ。

なんと表現したら良いのだろう。
お口の中で、溶けちゃうのですよ、ステーキが


ここのお料理は
とにかく、お酒と相性が良すぎて
もお、どんどんお酒も進んでしまふ。




梅酒のソーダ割りと
タニガワさんがつけた、という
壱岐でとれる赤い実でつくった果実酒。

もちろん、これらはビールの後に頂いた。

そして、次なるは



私は焼酎はあまり得意ではないのだけれど
これはほんのり甘さもあって
飲みやすい。 ロックで頂く。





”今日、いいトコブシが入ったんで
 ご飯炊いてみました。”とタニガワさん。

関西出身のタニガワさんらしい
京都の白味噌と地元の味噌を使った
壱岐の地鶏汁と一緒に頂く。




ここから、目の前には
調理長のカキウチさんがバトンタッチ。

〆にはやっぱりこれでしょう






雲丹の握り。 あおり烏賊の上にも”雲丹”




鮪も絶品。
大間の鮪が有名だが、
その次に高値で買い取られるのが壱岐の鮪だと言う。




デザートはどど~んとメロン2分の1個と
海里オリジナル青汁。



至福のとき。

今度は誰とここに来よう。

自給自足の出きる、ご馳走パラダイス、壱岐。


その島の、とっておきの宿。

海里村上の夕食の、ご紹介。

壱岐の宿 海里村上~その1 お部屋とお風呂

2009年06月06日 | 旅館&Hotel
壱岐の宿 海里村上~その1 お部屋とお風呂



この宿を訪れるためだけに
博多港から船に乗って壱岐を訪れる人も少なくないという。

私の目的は<雲丹>と<赤い温泉>だったが
この宿は想像と期待を遥かに超えた
最高級の宿であった。




ホテルのロビー ここで宿泊の手続きをする


普通、このレベルの宿では
<お一人様>は受けないけれど
海里村上は丁寧にお迎えしてくださり
そして、たぶん<お一人様>ならではの
贅沢を存分に味あわせてくれた。


まずは、案内された私の泊まったお部屋をご案内。

私が予約したのは<和洋室>。

普通、和洋室というと和室と襖をはさんで洋室があるのだが
海里村上は廊下を隔てている。
まるで、自分の家のようだ。



和室



洋室


何と一人でこの贅沢な2つの部屋を占領。
窓からはぽっかり浮かぶ小島と穏やかな海。




このながめをこんなにゆったりしたソファに
身をしずめながら、ぼんやり眺めることが出来る。

しかもチェックアウトは12:00!
ひたすらに寛げることをゲストに提供してくれる。






お部屋の洗面所もすっきり。
なんとアメニティはL’OCCITANE。









温泉好きの私はさっそく
温泉へ。

浴場に行こうと部屋から出る玄関でまた嬉しい心遣いが。




スリッパに名前が。

そう、皆さんも経験あると思うけれど
温泉はいいけれど、
自分が履いてきたスリッパを誰かに履かれてしまって
何となあく、気分を害したことがあるはず。

こうして名前付きなら
温泉あがりのきれいな足で履くスリッパも、
誰か、のではなく、自分のもの。


温泉は鉄分と海の側なので
塩分も含まれた 赤くて、芯から温まる湯。




内湯


内湯から露天へ・・・



露天風呂はプールみたいに広々。





このお湯は敷地内に源泉がひかれ
湯量も豊富だという。




源泉




湯上り。着替えの棚には
クーラーにひんやり冷やしたお水が。
何て素敵な心遣いだろう





湯上りにくつろげるように
リラクゼーションルームが設けられている。




この日はとても暖かく気持ちの良いお天気だったので
私はリラクゼーションルームのテラスで
寛ぐことにした。





この日は早朝の飛行機に乗るため
4:00AMに起きた私は、
ほんのりポカポカな湯上りの身体が
心地よい潮風にあたり、しばし、このデッキチェアでウトウト。。


夕食の時間、少し前に
もう一度、軽くお湯につかり

ビールが最高に美味しく感じるカラダに仕上げて、
お食事処へ向かった。


さあ、次は壱岐の美味しいもの、満載の夕食編。

きっと、貴方も壱岐へ行きたくなる、ハズ。



壱岐、島めぐり

2009年06月05日 | せずにはいられない・・旅の話
壱岐、島めぐり



低血圧の私が早朝6時30分発
羽田から博多行きの飛行機に乗る。

博多空港からタクシーに乗り、博多港へ。


朝早く、まだ人がまばらな博多港


今日、ここから壱岐へ渡る。

壱岐は私の母方の曾祖母(ひいおばあさま)のトクさんが生まれ
17歳まで育った場所。

いつか母と行きたいね、と話していた。



今回、11月に出版予定の本の内容に厚みを持たせるため
ゆかりの人々を訪ねる、
いわば<ご先祖 ルーツをたどる旅>を企画

そして、もちろん、すぐに実行

まずはトクさんの故郷。
私の大好物<雲丹>もシーズン。
そして、
鉄分の多い、赤い温泉のある、壱岐へ。







博多港から壱岐 郷ノ浦港までは
ジェットフォイルで約1時間。

ジェットフォイルなんて、すっごく早そうな名前なので
スピードが速い船だと思っていたが
普通のスピード。 つまり、のんびりとした、1時間の船旅。


港へ着いたのは午前11時過ぎ。

午後2時にご先祖様が同じ香椎本家の方と会う約束をしている。

それまで時間があるので、
タクシーに乗って、島巡りを楽しむことにする。



まず、私が壱岐で一番行きたかった場所。
筒城浜へむかう。 




ここは日本の渚100選に選ばれている
最も有名な浜である。





海水浴シーズンにはすごく賑わうらしいが
季節はずれの海岸に人はいない。

遠浅の美しい浜を本当はゆっくりと歩きたかったのだが

何しろ、一人で東京から女性が島観光をするなど
めったにないことらしく、
タクシーの運転手さんが、じぃぃぃぃっとこちらを見ているので
あまりお待たせしてもいけないかな、と
早々に車に戻る。


次に向かったのは<左京鼻>という
玄界灘に面して切り立つ
ダイナミックな海触崖へ。





このあたりには海女さんがいて
海に深く潜って
雲丹やあわびを獲るのだそうだ。

海女さん、がんばれっ


そして、左京鼻からほど近いところに

<はらほげ地蔵>さんたちが。





六地蔵さんとは、六道
地獄・飢餓・畜生・修羅・人間・天
において衆生を苦しみから救うとされている六種のお地蔵さん。

ここ一帯も海女が多い八幡浦の海中に祀られていて
腹部が丸くえぐられていることから
<はらほげ>という名前がついたそう。



お地蔵さんと一緒に。


道中、日本新道発祥の地とされる
月読神社に御参り。





京都の月読神社は487年壱岐の県主の先祖忍見宿弥(おしみのすくね)が
壱岐から分霊されたものであるという。
つまりここが最初。





苔むした階段。 境内はとても簡素。
でも、神社大好き人間の私にとって
最初の神社、というのはすっごく神秘的で魅かれてしまう。


壱岐は海に囲まれ、
田植えが終わったばかりの豊かな水田が広がり

穏やかな、のんびりとした島だ。

海岸線から遠く玄界灘に浮かぶ小さな島々が見える。





壱岐は昔からさほど景色は変わらないという。
ひいおばあさまのトクさんも
この風景を見ながら育ったのだ、と思うと

はじめてみた景色も何だか、懐かしく思えるのが、不思議だ。


壱岐の名所、といえばここ。





猿岩。

45mもある海触崖の玄武岩で
まるでお猿さんが遥か遠くを見つめているような形。



一応、親子でのショットを収める


猿岩をまわったくらいで
丁度、勝本町にある香椎本家へ行く時間となった。


ひいおばあさまのトクさんは
ここで生まれ、育ち、
17歳で長崎の梅屋家に養女に行った。




勝本町の港に面したところに
トクさんが生まれた場所があった。


母方の家の代々の特徴は
<動物好き>であること。

なんとトクさんの生まれた家の香椎本家でも
大きな犬が2匹。この遺伝子はちゃんと受け継がれている。

私が訪れた時、本家を継いでいらっしゃる哲冶さんは
犬とじゃれあっていた。


しばし、香椎哲冶さんに香椎家のことを伺う。

初対面なのにフランクでとっても楽しいおじさま。

”裏山に代々のお墓があるって本当ですか?”

と私が尋ねると


”道無き道を行くとあるよ。大丈夫かなあ。そんな格好で。”と哲冶さん。


家の裏には山があり、
香椎家の山である。

その山の中腹に、先祖代々のお墓があるという。

私は、哲冶さんの奥様の運動靴をお借りして
”道なき道”の山登りに挑戦。

ちょうど、和歌山の熊野古道もこんな感じだったな、と
思いながら山を登る。

すると・・・





立派な先祖代々のお墓が!

何と曾祖母であるトクさんのお父様、お母様
またそのお父様、お母様のお墓まできちんとある


もとは鉄砲奉行であったので
お墓には

<士族 香椎岩五郎>などと記されている。


いっぺんにずっとずっと先のご先祖様にもお会いできて
感動。

こうやって、私たちの命は続いてきたんだなぁ。。。



香椎哲冶さん、ご先祖さまとご一緒に。




トクさんの実家である香椎家を訪れて
ご先祖様にご挨拶出来た私はとっても心が穏やかになっていた。


そして、哲冶さんが
その日宿泊予定の<海里 村上>まで
白いオデッセイでドライブがてら送ってくださった。


さあ、今度はものすっごく素敵な壱岐の宿

<海里 村上>のご紹介。

乞う、ご期待






初レッスン♪

2009年06月02日 | 日中友好
初レッスン♪



九州の<ルーツをたどる>旅行から帰ってきた。

素晴らしい旅。
新しい出会い。 驚くほどのスピリチュアルな場所。

皆様に早くお伝えしたいと思いながら
1週間近く仕事場を離れていただけに
デスクの上、PCの中、たっっっくさん仕事や連絡事項が・・・


ブログアップ出来ていないのにも関わらず

アクセス数がここのところ
ぐ~んと

ちゃんと随時、九州のご報告もしていくので
楽しみにしていてくださいませ。。







昨日、6月1日から私は新しいチャレンジをはじめた。

なんと、

<中国語の初レッスン>


ココロの中では、
やらなくては、やらなくては、と思いながらも
今ひとつ<初めの一歩>が出ずに来ていた。


<ニイハオ><シェイシェイ><サイチェン>
の3語だけで
中国の要人の方々にお目にかかってきた私。

しかし、やはりもう少し、せめて挨拶くらいは
ちゃんと中国語でやりたい。。。


目標を、たてた。


・今年2009年 10月に多分、北京に行く。
その時には<挨拶>を出来るように、する。


・来年2010年 8月の上海万博出展までには
ちょっと街を一人で出歩いても大丈夫なように、する



・最終目標は2011年
多分この年は頻繁に中国を訪れることに、なる。
皆さんの前で何かお話する機会もあると、思う。
その時のスピーチの最初の部分だけでも
中国語で話せるように、する


という、3ステップを目標に。







お稽古事は久しぶりだ。

おととし、去年、とオーラソーマやパワーストーンの勉強をして以来。

オーラソーマも結構大変だった。
イギリスが母体だが
かなりしっかりとした制度のもとで、
時間数も限られていて、振り替えも出来ず、
頑張った記憶が、ある。


昨日、会社からひと駅の<ベルリッツ>に足をふみいれた。

う~ん、緊張する。

隣からは英会話が聞こえてくる。

ああ、英会話にすればよかった。
英会話なら楽しく通えるのになあ。

でも、今さら英会話のために
お金出さないなぁ。。。

などと、ココロの中で勝手に自分でおしゃべりを、する。


<ベルリッツ>は基本、
日本語を一切使わないという。

いったい、

<ニイハオ><シェイシェイ><サイチェン>
しか分からない私に
日本語無しで、レッスンが務まるのだろうか。。。







”漢字”という共通の表現方法があるおかげで
なんとか意味はわかるのがありがたかった。


レッスン後、偶然に

先日出会った<中国金融研究会>の皆様が
私の職場に遊びに来ているという電話がはいった。


彼らは本当に流暢な日本語を話す。


どれだけ、努力したんだろう。
どれだけ、頑張ったのだろう。


あらためて、他国の言葉を話す皆様に
敬意を表したくなった。


さあ、新しい私のチャレンジ。

<中国語レッスン>はじめよう。。。