はせがわクリニック奮闘記

糖質制限、湿潤療法で奮闘中です。
パーキンソン病にはグルタチオン点滴を
癌には高濃度ビタミンC点滴も施行中です。

悪魔のような提案

2013年12月02日 | ゴルフ
昨日は一ヶ月半振りにラウンドしてきました。
城南カントリークラブで、同伴者はT君と、以前にアップした医者仲間で、4月4日生まれのHです。
結果は私が102打の33パット、Hが100打、T君はボロボロの大叩きでした。
T君の何がボロボロだったかと言えば、ドライバーとバンカーショットです。
それぞれで10打以上のスコアを失ったと思われます。
Hが100を打つのも珍しいことでした。
飛ばないけれども、手堅いゴルフで、寄せとパットの名手ですので、私は彼が100を打つのを目撃した記憶さえありません。
私はと言えば、前半のインこそ、新ドライバーがボロボロで55を叩いたのですが、後半はドライバーを捨ててスプーンを使用し
47にまとめました。
見せ場は後半のアウト4番ショートホールでしょうか。
ピンまで145ヤードでしたが、私の8番アイアンでのショットはピンの右2mにつきました。
ボール1個分のフックラインを読み切ってのナイスバーディーでした。

さて、そもそも私が38歳でゴルフを始めたのは、Hの勧めに因るところが大きかったのです。
始めてはみたものの、ろくに練習もせずにコースに出ては140台を叩き、戦意喪失で、数ヶ月もクラブに触らないということを
繰り返していました。
それでもスコアは何とか120台までは到達しましたが、そこで低迷してしまいました。
そんな年の正月明けですが、二人で飲んでいる時に、Hと私は、ある約束を交わしました。
それは、その年のゴールデンウィークが終わるまでに110の壁を切れたならば、Hが1万円を差し出すという物でした。
もちろん、切れなかった場合には、私が1万円を支払わねばなりません。
そこから私の猛練習が始まりました。
1月15日にラウンドして以来、一日も欠かすこと無く、練習場に行くかラウンドするという日々を4月の末まで続けたのです。
粉雪が舞う中、貸切状態の練習場でひたすらウェッジを打ち続けた夜もありました。
ネットが下ろされていたせいで、ウェッジ以外のクラブ使用が禁止になっていたからです。

さて、GWまで1週間となったタイミングで、Hと飲みに出ました。
その頃の私のスコアといえば、120を切ったり、越えたりの繰り返しで、115も切れてはおりませんでした。
そこで、その晩Hは新しい提案を私に突きつけてきました。
”長谷川さん、もう2週間しか残ってないので、110を切るのは、もう無理ですよ。だから今夜払ってください。”
私は言い返しました。
”馬鹿な。まだ数回ラウンドするのだから、十分チャンスはある。”
するとHは悪魔のような提案を持ち出したのです。
”今夜払うのならば、8000円にまけますよ。”
悪魔にそそのかされた私は、その夜8000円を払ってしまいました。
思い出すたびに自己嫌悪にかられる哀しい記憶です。
悪魔に魂を売り渡したようにも思えるからです。

で、実際にGW終了までに110を切ることはできませんでした。
しかし、5月の末に突然105がでました。
そして6月には、いきなり96という好スコアで100を切ったのです。

そのことで学習したことは、練習の成果が現れるには数ヶ月のタイムラグを要するということです。
つまり、目先の勝負に対して努力するよりも、数ヶ月先を目指して練習するべきだということでした。
しかし、最近の自分を振り返ってみれば、ずっと、何年も努力は続けているのです。
もしかしたら、哀しいことに、年寄りは数年?のタイムラグを覚悟せねばならないのかもしれません。