こころの文庫(つねじいさんのエッ!日記)

家族を愛してやまぬ平凡な「おじいちゃん」が味わう日々の幸せライフを綴ってみました。

憂鬱な逃亡・完結編

2014年12月26日 00時03分48秒 | おれ流文芸
「この新聞、あいてまっか?」
 隣に座っていた中年の男が無遠慮に手を突き出して訊いた。判事も待たず、男はすかさず手をグイッと伸ばし新聞を鷲掴みしていた。祐介は伝票を掴むと立ち上がった。もう自分がいていい時間のエリアはとっくに過ぎていた。これ以上、長っ尻でおれる図々しさを持ち合わせていなかった。
「ありがとうございました。またどうぞ」定番のレジ係の言葉に送られて店の外へ出ると、祐介はなぜかホッとした。淀んだ空気から、漸く解放された思いがあった。エスカレーターを降り切った所で、階下のパチンコ屋の開店時間を待ちきれず、たむろした男や女が賑やかしく列を作っていた。
 祐介は自分のいる場所を探しあぐねた格好で結局姫路駅に戻った。駅のど真ん中に居場所を確保している、丸くて大きい時計が目に入った。チッチッと秒針は動き続けていた。仕事を休むと決めて得られた解放感に浸った、あの時間からまだ一時間も経っていないのを確かめて、祐介は思わずため息をついた。時間手奴は、なんて思い通りにならないヤツなんだ、と小憎らしかった。きのうの日曜日は家でゴロゴロして過ごしたが、その時間はアッと言う間に終わった。今朝は身勝手な手段で手に入れた休日だが、やはり同じように過ぎてしまいそうな予感があった。祐介はまた憂鬱な気分に襲われた。どこかに祐介が自由な時間を満喫出来る場所があるなどとは到底思えない。大体、休日に家を離れて遠出するなど、まるで無縁の祐介に、それは最初から無理な相談だった。祐介は財布の中身を調べた。給料を貰ってまだ二週間、そんなに減ってはいなかった。給料の半分は家に入れて、後の半分は小遣いである。それとて恋人もいないいない祐介に余り使い道はなかった。他人に生真面目と見られるように、祐介は遊びや買い物、グルメみたいなものとは皆目縁のない、寂しい若者だった。
 いきなり、京都へ行こうと思い付いた。唐突だったが、前に職場の同僚が得意気に喋っていた、太秦の映画村に行きたくなった。無駄に一日を送るぐらいなら、思い切って京都に行ってみよう。何かがあるかも知れない。祐介は初めて目的を持った。胸はドキドキと、期待と不安がないまぜになった鼓動を打った。
 窓口で京都までの往復切符を買った。駅員が訝るように覗いている気がして、祐介は身を固くしたが、それは祐介の思い過ごしでしかなかった。駅員はさも退屈そうに生欠伸を繰り返しながら切符を発行した。
 京都は祐介の期待を裏切った。別に京都に罪があったわけではなく、祐介自身がそう思い込む原因を抱えていたからである。太秦の映画村は、そう問題なく行き着いたのだが、バスに乗っても、映画村を歩いても、、どこに行こうと、やはり祐介は全くの一人ぼっちだった。それで面白いようだったら、元より人間は群れて社会を構成する必要などない証明になる。自由は人間の夢や願望であっても、所詮一人で生きていけない脆弱な本性が現実の人間だった。祐介は、そんな人間のひとりである。
 祐介は映画村をひと回りもしないうちに踵を返した。とにかく詰まらなかった。賑わいはそれ相応にあるだけに、祐介の孤独感は一層募るのだった。半年前に職場の慰安旅行でで京都を訪れた時は、それでも結構楽しかった記憶が残っている。ミヤコホテルで食事をした。幸せな気分でご馳走に箸を運ばせたのも憶えている。同じ京都なのに、一体何が違うのか?そうだ。あの時はみんんがいた。祐介の頭に次々と、職場の気心が知れた連中の顔が浮かんだ。あの若い事務員も、いつも祐介に笑いかけてくれた。職場をまとめる専務のどこか間延びして見える顔も浮かんだ。
 祐介はバスに急いだ。太秦を後にした。京都駅に辿り着くと、そのまま快速電車に乗り込んだ。
 京都にやって来る途中、京都へ近づくに伴い、白けた気分がいや増したものだったが、姫路へ帰る今はちょうど逆転した形で、不思議に鼻歌を口ずさみたい程、気分が高揚した。
 姫路駅に着くと、祐介はとたんに空腹を覚えて、地下街にある大衆中華料理店に飛び込んだ。よく利用する店だった。ホッとした。腹拵えが出来て人心地がつくと、祐介は店の油にまみれた汚らしい風情の時計を見上げた。職場の就業時間になっていた。
 嘘で手にした臨時の休日は、もう終わろうとしていた。長かったようで短かった、祐介の虚構の一日は、結局はかなく終わりを向かえ阿多のである。
 しかし、無駄ではなかったと、祐介は思う。いつまでとは定かではないが、憂鬱な月曜日の訪れは、ここ暫らくはなくなるだろう。それでも再び憂鬱な朝がやって来ようものなら、今日と同じ無為な休日を送ればよいではないか。祐介は、思わず苦笑した。(完結)
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憂鬱な逃亡・その2

2014年12月25日 01時22分29秒 | おれ流文芸
職場の誰かの家族に不幸があれば、会社からそれなりの弔慰金が出ることになっているが、伯父、甥なら対象にはならない。だから反射的に伯父を殺すはめになった。伯父が知ったら、頭から湯気を出して怒るだろう。殺されても死なないようなゴツイ伯父の顔が、祐介の頭に浮かんだ。
「それはどうも、ご愁傷さまです。はい、専務の方にはちゃんと連絡しときますので」
「よろしく頼んます」
ガチャッと受話器を引っ搔けると同時に、祐介の内部にみるみる解放感が広がった。さっきまでのどんよりした気怠さが嘘みたいにかき消えた。事実、嘘だったに違いなかった。
 祐介の足は自然と、いつもの駅前の喫茶店に向かった。グランド喫茶の肩書通り、店内はかなり広かった。いつもと一時間ぐらいの時差なのに、混み方も客層もガラリと変わっているのが、ちょっとした驚きだった。祐介の指定席は幸運にも空いていた。別の席でも一向に構わないのだが、不思議と落ち着けないのは、前に一度、掟破りのフリーの客に指定席を奪われた時に体験済みだった。祐介は新聞ラックから、朝刊三紙と、スポーツ紙一紙を取り上げてテーブルに着いた。今朝は、ゆっくり新聞が読める。いつもの十分間では、珈琲カップをせわしく口に運びながら、空いている片手でピッピッと性急にめくり、紙面に目を走らせるのが精一杯だった。せいぜい一紙の政治面から社会面、テレビ欄まで走り読みして満足する時間でしかなかった。
「今朝はゆっくりなんですね?」
 顔馴染みのウェートレスがおしぼりと水の入ったグラスをテーブルに置きながら声をかけた。顔馴染みだといっても、私的な会話を、そうしょっちゅうするわけではなかった。今朝のを含めれば、これまで三度ぐらいのものである。
「おはようございます」
 とオーダーを取りに来る彼女に軽く会釈して見せるだけのコミニュケーションが殆どだった。ちょっとふくよかな体型で、スマートには程遠い女の子だったが、祐介は彼女の醸し出す田舎っぽさに好感を持っていた。彼女の底のなさそうな笑顔が、祐介の胸をときめかしさえした。それでも、十分間の逢瀬(?)は、名公的な性格の祐介の持ち時間としては、余りに短かった。
「お休みなんですか?」
 最初の質問にドギマギしているうちに、彼女は更に訊いた。朝のピークタイムが終わった後だけに、ゆっくりした対応だった。
「ええ、まあ」
 祐介はやっと、それだけ答えた。
「いつものでいいですか?」
「はい、お願いします」
 せっかくのコミニュケーションを深めるチャンスがついえ去った。ウェイトレスは笑顔を残してさっさと立ち去った。よく突き出た尻が格好よくスカートに包まれて、右に左に揺れて遠ざかるのに、祐介はしばし見惚れた。珈琲とモーニングセットの皿を彼女が運んで来た時、祐介はスポーツ新聞の大相撲の記事に神経を奪われ、目の前にそれが置かれるまで迂闊にも気付かずにいた。
「ありがとう」
 祐介は消え入りそうな声で慌てて礼をいったが、既に役割を終えた彼女は、こちらに背中を向けていた。遠ざかる魅力的な彼女の尻は、もう祐介とは無関係にリズミカルな揺れをを見せているだけだった。祐介はゆっくりと珈琲を味わい、新聞の隅から隅まで目を通すつもりでいた。それは、毎朝時間に追われ続ける祐介のささやかな願望である。どう考えても時間が自分の自由になるなんて不可能だった。その時間が今はどうにでもしてくれと、祐介に身を任せて来ていた。じっくりと料理すればいいだけだった。祐介は十分もせぬうちに尻が落ち着かなくなった。思惑に反して、どんどん居心地が悪くなるばかりだった。珈琲をじっくりと口に含んで味わおうとしているのに、口に入った珈琲は喉へ直行してしまい、みるみる間に白い肉厚の珈琲カップの中身は底を見せた。珍しくモーニングセットのトーストを平らげるべく手をつけたが、それも時間稼ぎにはならなかった。ゆで玉子すら、あっさりと殻は剥けすぐに胃の腑へ収まってしまった。新聞は、いざ落ち着いて読もうとしても、そう簡単に習慣づいたことは改まらないもので、せっかちにピッピッとめくっているちに、もう興味のある記事はひとつもなくなった。新聞を抛り出すと、椅子の背に身体を押し付けて、落ち着かぬ視線を店内に遊ばせた。また客層が変わっていた。主婦らしい女たちの姿が目立っている。集金袋をテーブルに投げ出したブローカー然とした男が、シーシーと歯を穿っていた。風体の定まらぬ連中もあちこちに見える。階下にあるパチンコ屋の開店を待っているのだ。               (続く)

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憂鬱な逃亡・その1

2014年12月24日 00時06分59秒 | おれ流文芸
憂鬱な逃亡

 朝起きた時から、どうも気分はしゃんとしなかった。だいたい月曜日の朝は、いつもこんな具合に始まり、なかなか軌道に乗らない日が多い。朝は元々苦手だが、中でも日曜明けは特別に酷かった。それでも洗面に立って、トイレを済ませると、何とか出勤する気になった。朝食は昔から取らない習慣で、時間があれば駅前の喫茶店に入って珈琲を注文する。それに付いて来るモーニングすらあぐねてしまう程、朝は胃がなかなか目覚めないでいる。家から二十分かけて自転車、S駅から姫路駅まで四十分。駅前の喫茶店で十分ばかり過ごし、それから十五分歩いて職場に入る。ディーゼル機関車の引っ張る列車が遅れない限り、毎日判で押したような行動だった。
 S駅でギュウギュウ詰めの列車に押し込まれて、祐介の気分は一層滅入った。田舎育ちのせいでか、どうも人混みは苦手だった。姫路駅に降り立つと、祐介はたまらず駅頭のベンチに座り込んで頭を抱えた。頭が痛んで、気分は最悪だった。吐き気すら覚えた。やっと落ち着くと、祐介はぼんやりと人の流れを見た。通勤の人の波が狭い改札口に殺到している。改札の制服は手慣れたもので、器用に捌いていた。仕事とはいえ見事だった。祐介は目を閉じて、イヤイヤでもするように頭を振った。スーッと奈落の底へ落ち込む感じで目眩を憶えた。尻をベンチの上で、前の方にずらせた。グッタリと、まるで酔っ払いである。腕時計を確かめると、九時十五分前だった。もう動き出さなければ間違いなく遅刻してしまう。祐介はフラッと立ち上がった。まだ人並みの義務感は残っていそうだった。夢遊病者みたいな足取りで、祐介は東出口に回った。改札を出ると、見知った顔に出喰わしはしないかと、キョロキョロと辺りを見回した。駅員以外に人影は見当たらなかった。祐介はなぜかホッとしたものを感じたが、今度は足が前に踏み出せなくなった。早く出勤しなければとの焦りは募るのだが、それがうまく全身の筋肉に伝達しなかった。身体が妙に気怠かった。祐介はプレッシャーに逆らうのを止めて、近くの電話ボックスに入った。かれこれ三年も勤める職場だが、その電話番号はいまだに記憶できない。それで別に支障もなく勤まっているのが不思議だった。これまでに外から職場に電話を入れたのは二度しか憶えがなかった。その二度の電話も、この二、三ヶ月の間で最初のは、やはり今朝と同じ月曜日、憂鬱な気分で迎えた朝だった。 
 あの朝も駅に着いた早々、気怠さに襲われてベンチでひと休みしたが、遅刻は間違いなしとなって、慌てて電話ボックスに走り、せっつかれたように手帳の一ページ目に書かれた数字を辿ってプッシュボタンを押した。
「あの、ちょっと熱が高うて、済んませんけど、少し遅れてから、仕事出よ思て」
 大分逡巡した末に、職場の電話口に出た事務員に嘘を告げた。祐介は見えない相手に殊更ペコペコと頭を下げた。その日は一時間ばかり遅れて仕事に出た。いつもの駅前の喫茶店で無為に時間を過ごした挙げ句、職場に駆け足で向かった。二度目は、三週間前の、やはり月曜日だった。起き抜けから気分がすぐれずに、姫路駅まで何とか辿り着いたものの、どうしても職場へ出る気にならないまま、やはり前回に倣って電話ボックスに入った。
 今度は前の時よりは、かなりスムーズに職場へ電話が入れられた。相手は同じ事務員だったが、彼もこなれた調子で受けた。
「ちょっと足…捻挫しちゃって、病院に回ってから、仕事に出ます。
 捻挫なんて口から出任せだったが、何の罪悪感も感じず、えらくスラスラと口から出た。それで午前中は姫路城の城内公園のベンチでボヤーッと過ごし、結局、仕事に出たのはその日の昼過ぎになった。同僚が捻挫を心配して、声をかけてくれるのに、えらく焦って弁目にこれ務めたものだった。
三度目の正直ってやつなのかも知れなかった。祐介は手帳をめくる手が小刻みに震えているのに気がついた。何か大それたことをしでかす前に、こんな風に心の乱れが手足の末梢部位に反映したりするものだ。祐介は気後れする自分を鼓舞しながら電話をかけた。
「はい、清流倶楽部ですが」
職場はすぐにつながって、例の事務員の、苦々しい程事務的で明るい声が応じた。まだ二十歳になったばかりの事務員は、まさしく青春を謳歌していた。五時になると、同僚がいかに残業で追いまくられていようとも、些かの躊躇もせずに脱兎の如く職場を出る。以前、盛り場で見かけた彼は、身なりのいい美人と手を繋ぎあって歩いていた。他にもかなり発展している彼女がいるらしかった。
「あの、矢島です。今日休ませて貰いたいんですが。はあ、田舎の方で不幸がありまして。いえ、伯父なんですが」   (続く)
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海へいこうよ・完結

2014年12月23日 00時33分38秒 | おれ流文芸
「ただいま!」
 お父さんが帰ってきました。はたらいてつかれているのに、いつも元気いっぱいです。
「どうしたんだ?みんな」
 その場のふんいきがおかしいのに気づいたお父さんは、だれにともなくたずねました。
 お母さんが、さっきの話をせつめいすると、お父さんはニヤリと笑いました。
「なーんだ、それでか。おい、リューゴ、お前は海がきらいなのか?」
「好きだよ、とても」
「ショーゴは?」
「大好き!」
「それじゃナツミは?」
「いきたい!」
「じゃ問題はないじゃないか。みんな、お母さんといっしょに海へいって楽しんできなさい」
 お父さんは、やっぱりニコニコして言いました。
「でも、お父さんがいかないと、つまらない」
「つまらないよ」
「つまらないもん」
 子どもたちは声をそろえて言いました。
 そこでお父さんは申しわけなさそうに言ったのです。
「お父さん、ほんと言うと、ぜんぜん泳げないんだ。だから海は大きらいなんだ」
 お父さんのいがいなことばに、みんなはキョトンとしてしまいました。
「そんなお父さんを、みんなはムリヤリ海へつれていくつもりかい。どうだ?リューゴ」
 お父さんにきかれてリューゴは考えこんでしまいました。
「みんなだって、きらいなところへムリヤリつれていかれても楽しくないだろ。だから、お父さんは海へいかないことにしたんだ。こんど山へいくときは、お父さんもいっしょにいくよ。山は大好きだから、そのときは、山のきらいなお母さんが、おるす番だ」
 お父さんは、子どもひとりひとりの顔を見ながら、とてもわかりやすく話してくれました。
「これでも、みんなは海へいかないで、お父さんの仕事をてつだうって言うのかい?」
「ウウン、海へいく」
 一番下のナツミが言いました。
「ぼくも海へいって泳ぐんだ」
 二番目のショーゴも元気に言いました。
「ぼくも海へいってさ、絵日記にかくんだ」
 さいごにリューゴが言いました。
 お父さんは、やっぱりヒコヒコして、一人一人に大きくうなずいてくれました。
「それじゃ、もう一度きくわよ。今度の日曜日、お母さんと海へ遊びにいきたい人―!」
「ハーイ!」
「ハイ!」
「ハーイ!」
 リューゴも、ショーゴも、ナツミも力いっぱい手をあげて返事をしました。
 お父さんとお母さんは、顔を見あって、とても楽しそうに笑いました。

「アレ?これ、お父さんでしょ」
 アルバムを見ていたリューゴが言いました。
 そばにいたお母さんが、ソーッとのぞくと、お父さんの写真がはってありました。それも海水パンツで砂はまに立っているのです。
「お父さん、泳げないのに、こんなカッコしてるよ。だれか悪い人が、お父さんのきらいな海へムルヤリつれていったんだね。かわいそうな、お父さん」
 お母さんはクスリと笑ってしまいました。だって、お父さんをムリヤリ(?)海へつれていったのは、お母さんだったからでした。
               (おわり) 
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海へいこうよ・その1

2014年12月22日 00時02分27秒 | おれ流文芸
海へいこうよ

「次の日曜日に海へいこうか?」
 お母さんが、いきなりてい案しました。
 ちょうど晩ごはんの途中だったリューゴは、箸をごはんにつきさしたまま、お母さんの顔を見ました。あまりにビックリしたからです。
 だって、家は商売をしていたので、今まで一度も、みんなそろって遊びにいったことがありません。いつもお母さんは、
「みんながごはんを食べられるように、お仕事がんばらないとね。ごめんね、みんな」
 と済まなそうに、あやまってばかりでした。
 それが、海へいこうだなんて、一体どうしたんだろうと、リューゴは不思議に思ったのです。
 同じように晩ごはんを食べていた、弟のショーゴや妹のナツミも、信じられないと言った顔をしています。
「どうしたの?お母さん」
 リューゴは思いきってたずねました。
「どうもしやしないよ。なに変な顔してんの、海へいくのが、そんなにうれしくないのかい」
 お母さんはガッカリしたようでした。そりゃそうです。お母さんは、きっと子どもたちが、もっと喜ぶときたいしていたのです。
「そんなことないよ。うれしいさ。なア」
 リューゴは、あわてて言うと、弟たちにも呼びかけました。
「うん、うれしいな。海って広いんでしょ」
 ナツミが、はしゃいで言いました。
「泳いでもいいんでしょ。ぼく少しだけど泳げるようになったんだぞ」
 ショーゴも、うれしくてたまらないふうです。スイミングスクールに通って、やっと泳げるようになったからです。
 みんなが、とてもうれしがったので、お母さんも、やっとニコニコしました。
「お仕事のほう大丈夫なの?」
 さすがリューゴは、お兄ちゃんです。もう新一年生になって、しっかりしてきました。ちゃんと質問もできるようになったのです。
「うん。お父さんが一人でがんばってくれるんだって」
 お母さんが、そう言うと、とたんにみんなは元気がなくなりました。家族みんなでいけると思ったのに、やっぱりお父さんはいけないのです。お父さんは、るす番なのです。
「お父さんもいけばいいのに」
 お父さんが大好きでたまらないショーゴが、つまらなさそうに言いました。
「そうよ、お父さんだけ、なかまはずれにしたら、かわいそうだわ」
 ナツミも小さな口をとがらせました。
「一日ぐらい、お休みとっていけばいいのに。お父さんは、ぜったいいけないの?」
 リューゴは、お母さんにききました。
「お店は休めないからね。でも、せっかくお父さんが、みんなに夏休みを楽しんでもらいたいって思ってんのよ。みんなが海へいかないなんて言ったら、きっとお父さん悲しくなってしまうよ。それでもいいかい?」
「……ううーん……」
 お父さんが悲しむなんてイヤです。でも、やっぱりお父さんもいっしょにいってほしいのです。だから元気のないへんじになりました。
 お母さんも子どもたちのようすに、
「ウーン」
 と弱ってしまいました。   (つづく) 
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田舎・完結編

2014年12月21日 00時07分39秒 | おれ流文芸
「それがホンマかも知れんな、ハハハハ」
 その日の父は不思議と機嫌が良かった。未だかって淳二の前で見せた事のない饒舌ぶりだった。
「おい、ちょっと一緒に行くか?」
 立ち上がった父は、淳二の返事も待たずに外に出た。慌てて追いかけると、もう大分先を歩いている。背中がたくましく見えた。
 父はズンズンと山道を登った。六十を過ぎたとは思えない足取りだった、
「ちょっと一服するか」
 父が足を止めたのは、村の有数の観光資源『揺ぎ岩』である。大きな岩が細い根元だけで支えられ、押すと岩が揺れた。言い伝えでは、善人が押すと揺れるらしいが、悪い心を持った人がいくら力を持って押そうと、決して揺れないと言うのだ。
 淳二が子供の頃から、この岩はあった。いや正確に言えば何百年前からある訳だ。そして、淳二が押すといつも揺れた。単なる言い伝えではあったが、自分が善人と認められたようで、子供心に嬉しかった記憶がある。
 松の根っこが地表に現れているのに腰を下ろした父は、ポケットをモゾモゾ探っていたかと思うと、板チョコを取り出した。
 父とチョコレート、妙な取り合わせである。
「酒も煙草もやれんでのう。口が寂しい手ならんから、最近はこれを持ち歩いとる」
 弁解しながら父は板チョコを二つに折ると、淳二にほって寄こした。
「ここは懐かしいじゃろうが、お前も」
「ああ、中学を卒業して以来だ」
 子供時代は頻繁に足を運んだものだが、高校生になってからは、とんとご無沙汰だった。
「押してみろ、折角来たんじゃから」
「…ああ」
 なにを今更子供染みた事をと思ったが、『揺ぎ岩』を見ていると、無性に押したくなった。一歩足を前に進めた。手を上げ岩膚に触れてみた。ザラッとした感触が懐かしかった。
 思い切ってグイッと押した。だが、揺れない。ビクともしないのだ。揺れているかどうかは、岩の輪郭を樹影の中に見詰めていれば直ぐに判断出来た。今は確かに揺れていない。
「どうした?ちょっとも揺れんぞ」
 父がはしゃいだ声を出した。
 淳二は板チョコを全部口に頬張ると、両手に力を集中させて、もう一度押した。しかし、全く揺れる気配はなかった。
「わしにもやらせろ」
 父が代わって岩を押した。今度は揺れた。じっと見上げる淳二の眼は岩の動きをとらえていた。押すタイミングのせいかも知れない。
「ハハーン、東京の暮らしに染まり過ぎたんを見透かされたんやな、ハハハハ」
 父の何気ない言葉だが、ズキンと刺さった。
「なに、直ぐ元に戻れるさ」
 父は板チョコを齧った。
「どうだ、淳二、暫く淳朗を助けてみるか?あいつ一人じゃ山まで手が回らんからな」
 呟くように言った父は、やはりニッコリと淳二を見た。どうやら、その山に淳二を連れて行く途中らしい。淳二は無言で頷いていた。           (完結)

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田舎その3

2014年12月20日 00時06分41秒 | おれ流文芸
「ああ、まだ決めてない」
「頼りないこっちゃのう」
 懐かしい父の口癖が出た。
「…俺、百姓できるかな?」
「アホ、お前に百姓ができるかいな」
 父は笑っていた。いつ以来の笑いだろうか。
「もう、こっちで落ち着くんやろな」
「うん、ここが一番ええ」
 本音だった。孤独でしかなかった東京生活を考えれば、正に天国だった。
「だったら就職したらええがな」
「いい働き口あるかな?」
 淳二は他人事のように軽く言った。
「ゆっくり探したらええ」
 父との会話は、それで終わった。
 淳二は三年ぶりの自分の部屋でグッスリと熟睡した。夢のカケラも見なかった。眼が覚めた時は、既に昼過ぎだった。余程、東京での生活の疲れが溜まっていたに違いなかった。
 十日ばかりゴロゴロして暮らした。誰が文句を言うでもなく悠々自適だった。
 食事は時間になると母が準備してくれた。そんなご馳走ではないが、母の手作りは美味かった。ちゃんと息子の嗜好を心得た配膳だった。
「どうじゃ、ここを受けてみんか?」
 頃を見計らったように父が言い出した。
「ちゃんと市長に頼んどいたから大丈夫や」
 父はさも嬉しげに言った。
 父が持って来た話は、市の臨時職員採用である。幸運なら正規の職員に引き上げられる可能性があるらしい。
「これが申し込み書や。明日が受け付け機嫌やで、今日中に書き込んで出したらええ」
 すっかりその気になっている父を前に、淳二は素直に頷いた。
 十日後に面接があった。集団面接と言うので、六人ばかり並ばされて質問された。強張った顔付きで居並ぶ五人と隣り合わせでも、淳二はいたって平静に構えていた。
「公務員を志望する動機は何ですかな?」
 白髪のいかめしい顔の男が無表情で訊いた。
「市民に奉仕する立派な仕事で、誇りを持って働くつもりであります!」
 国鉄清算事業団から来たと言う男が、えらく四角張って答えるのに思わずニヤッとした。どうにも可笑しくて堪らなかった。
 他の四人も似たり寄ったりの答え方をした。
(…ああ、面接はあんな風に答えるようになっているのか。しかし、俺出来るかな?)
 そんな事を思っているうちに、淳二の番が来た。まあいいやって気持ちで答える事にした。
「田舎でやり直すには一番適当な仕事だと考えました。やれるかどうかは分かりませんが…」
 いかめしい顔の男も、居並ぶ五人も少し妙な反応を見せたのが気配で感じられた。
(どうもお呼びでないようだな…)
 淳二は、もうどうでもいいような気持ちになった。不採用になれば父も母も気落ちするに違いないが、自分の肌が合わない仕事はご免だった。どうせ長続きする筈がない。
 ますます気楽になった淳二は、後の質問も思った通りの事を言った。軽口を叩きもした。
 結果はやはり不採用だった。
「わしの力も足らんかったのう」
 淳二から通知を見せられた父は、悪戯をして見付けられた子供みたいな表情になった。
「本人の力が一番足らんかったんじゃ」
 淳二は悪びれずに言った。
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田舎・その2

2014年12月19日 00時04分47秒 | おれ流文芸
淳二の帰郷祝いの形で、家族揃って鋤焼きの卓を囲んでいた。何かと言えば鋤焼きを囲むのが、昔からの習慣だった。
 酒とビールも出て、淳二と淳朗の兄弟だけが呑んだ。父は最近胃潰瘍と診断され、酒を含む刺激物を断っている。
 根っから酒好きで晩酌を欠かした事のない父の姿しか知らない淳二は、いかにも不思議そうな顔をした。しかし、父は取り合わず、黙々と鋤焼きに箸を運んだ。
「ああ、遊ぶには持って来いの所だけどな」
 そう、遊ぶにはあんないい街はない。だが、田舎人が、特に関西人が暮らすには不向きだ。淳二は遠い所を見詰めた。
「ほなら、お前にはピッタリやった訳や」
 皮肉でもない口調で淳朗は言った。少し呂律が狂いかけている。
「だけど、遊ぶには金が要るんだからな」
「仕送りじゃ足りんかったんか?」
「あれはアパート代と飯代でパーさ」
「東京は物が高いさかいな」
「ああ」
 淳二が入った会社は一年もたたないうちに倒産した。それもただの倒産ではない。計画倒産と言うやつである。粉飾経理の揚句、突然に経営陣の姿が消えた。
 淳二がいつも通りに出社した時、既に会社は債権者で一杯になっていた。淳二を目敏く見付けた債権者の一人が詰め寄って来た所を、這う這うの体で逃げ出した淳二である。
 結局、給料も貰えなかった淳二に、広い東京で縋る相手は誰一人いなかった。
「ええ女の子でも見付けたんかい?」
「駄目や。全く相手にされんかったわ」
 口惜しいが、三年間の東京生活では全然女性と付き合う機会に恵まれなかった。一度は好みの女の子に声を掛けてみたが、結局軽くあしらわれてしまった。以来、怖くなった。
「窪田浩美って覚えとるか?」
「え?」
「お前の同級生やがな、覚えてないんか」
「い、いや知ってる。あの子がなんや?」
 窪田浩美は頭が良くて、いつも級長をやっていた。実は淳二が心ときめかせた相手である。その浩美を忘れる筈がなかった。確か、東京の名門S女子大に合格している。
「可哀想に、あの子死んだんや」
 信じられない言葉だった。
「それも東京のラブホテルでらしいんや」
 淳朗の眼が、瞬間淫らに光った。
「ほんまに何しに東京へ行ったんやら」
 いきなり母がボソッと言った。
 淳二はドキッとした。母の言葉が、まるで自分にむけられているように思えた。
「田舎もんが東京なんど行っても、ロクな目に遭わんわい」
 母の言葉に誘発されたみたいに、父がまるで怒っているように言った。
 仕舞い風呂にゆったりと身を沈めると、やっと自分の家に帰った気がした。東京で通った銭湯の騒々しさに、全く落ち着けなかった苦い光景がフッと浮かんで消えた。
 足と手を思い切り伸ばした。体がフワーッと湯に浮いた。実に爽快な気分である。
 焚き口に人の気配がした。
「どうや、湯加減は?ぬるうないか?」
 父の声だった。心なしか年を随分食った感じがする。もう六十を越している。
「うん、大丈夫や。熱いぐらいかな」
「お前は熱い湯が嫌いやったのう」
「まあね」
 父の言葉が跡切れた。それでも立ち去る気配はなかった。焚き口に座り込んだのか。
「…どないするんや?こっちで」
 一分ほど沈黙が続いて、やっと話し出した父。          (つづく)
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どうして?(ミセス通信掲載文)

2014年12月18日 06時34分18秒 | おれ流文芸
「ちゃんと留守番しといてね」「お父さん、お昼は自分で作って食べるのよ」「帰りは遅くなるから、お風呂沸かしといて」
 妻と二人の娘がてんでに言いたい放題だ。そのくせお出かけは邪魔者扱いでお呼びがかからない。どうしてこうなったんだ?
 本来我が家の子供は男二人女二人とバランスが取れていた。息子二人は大学時代、必ず盆正月や村の秋祭りには家に帰って来た。おかげで息子任せで秋祭りに出なくて済んでいた。それが卒業して就職すると状況は一変する。最初こそ祭りや盆正月には顔を見せていた息子たちは、いつしか戻らなくなった。
 勤務先が遠方になったせいもあるが、もう息子を頼れない私は秋祭りも出戻りの身に。
そして我が家は男一人きりの女人天下だ。どんどん私の肩身は狭くなる。なんと父親の立場は脆いのかを身を持って思い知らされた。
 しかし、いくらなんでもこれはないよな。神様、俺ってなんか悪い事しましたか?
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田舎その1

2014年12月17日 00時14分48秒 | おれ流文芸
田舎

 三年ぶりの田舎だった。
 乗合バスから降り立った淳二は、ゆっくりと首を回して辺りを見た。何も変わってはいなかった。三年前そのままだった。
 バス停の前にある煙草屋も相変わらずくすぼけた雰囲気のままだ。お喋りで有名なおシカばあさんが、ガラス戸を開けて顔を覗かせた。ちっとも変ってはいなかった。
「おばさん、セブンスターちょうだい」
 おシカばあさんは、暫らく眉根を寄せてむつかしい顔をしていたが、やっと合点がいったらしく、歯の欠けた口元をニヤッと歪めた。
「丸尾の淳ちゃんじゃないん?」
「ああ、そうだよ」
 覚えていて貰えたのが嬉しかった。面映ゆくもあり、頬がチョッピリ赤くなった。
「東京へ行ったんじゃなかったんかい?」
「帰って来たんだ、今日」
 くどくど説明するのは嫌だった。今度の帰郷は決していい意味じゃなかったから尚更である。挫折による帰郷と言っていいだろう。
 淳二は煙草を受け取ると、まだ話し足らなそうなおシカばあさんに軽く会釈して離れた。
 バス停のある県道から山の方へ十五分程歩けば、懐かしの我が家である。自然と足の運びが早まった。黒いアスファルトを荒っぽく敷いただけの狭い道は、くねくねと曲がって家の前まで続いている。道を間違えようがなかった。
 平日の昼間とあって全く人影はなかった。もちろん農閑期に入ったせいもあるのだろうが、淳二には好都合だった。
 家は戸締りがしてあった。多分、みんな揃って買物にでも出掛けたに違いない。母親の性格の影響でじっと家に落ち着いているのが苦手な家族だった。なにがしか暇が出来ると、買物を名目に直ぐ車で出掛ける習慣だ。
 別に帰郷の連絡を入れてた訳でもないが、閉じられた玄関口で寂しさを覚えた。
 とにかく待つしかなかった。別に帰郷したからと言って、急いで逢いたいと人間がいる訳でもない。淳二は玄関口へ無造作に置かれてあるビールの空きケースに尻を下ろした。
 家族が戻ったのは、予想以上に遅かった。もう日暮れかけていた。買物の量と種類から見て、隣町のスーパーまで遠出したのだろう。
 最初に淳二を見つけたのは、兄の淳朗だった。淳二とは年子である。淳二と違い、家業である農業後継者としてスンナリ納まっている。無口だが心優しい兄だった。
「帰っとんたんか?淳二」
 恰度、手持ちの推理小説に気を奪われていた淳二は、誰に声を掛けられたのか、直ぐに判断がつかなかった。戸惑いがちに顔を上げると、懐かしい兄の顔が笑っていた。驚いたふうな両親と兄嫁の顔もあった。
 慌てて立ち上がると、急に気恥ずかしくなった。親や兄弟に気を使う淳二ではないが、兄嫁は他人だった。しかも、兄嫁の礼子は淳二の同級生でもあったから尚更である。
「お前、いきなり帰って来て、何かあったんか?」
 苦労性の父が額にシワを寄せて訊いた。
「仕事はどうしたんだ?」
 母が妙に甲高い声で言った。
「辞めた、結局…。あわなかったんだ、俺に」
 問答は、それで終わった。
 昔気質の父や母には、自由人を気取って好き勝手に生きる淳二を理解できる筈もなかった。高校に入った時から、父や母は淳二に当たらず触らずとなった。小説や評論集を読み耽る理屈っぽい息子と、尋常高等小学校を出ただけで、後はひたすら米屋野菜を作り生きて来た親達との接点は、探すだけ無駄だった。
 淳二は高校卒業と同時に東京へ出た。特にこれと言って目的を持ってはいなかった。ただ、田舎にはない機会があると思えたのだ。
 入学金さえ払えば誰でも入れる、三流劇団の養成所に籍を置いた。授業の演劇理論とか実技には全く興味が湧かず、セッセとアルバイトに精を出した。
 田舎からの仕送りで生活は充分できたが、東京の魅惑的な夜をエンジョイする金が、いくらでも必要だったからである。
 二年目に淳二は小さな会社に入った。養成所で知り合った友人の父親が経営する会社である。どんな形にしろ落ち着かなくてはと、殊勝な心掛けになった淳二が、遊び仲間の友人に頼み込んだのである。
「東京は良かったか?」
 淳朗が人の好い顔を赤く染めて訊いた。
(つづく)
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