「この新聞、あいてまっか?」
隣に座っていた中年の男が無遠慮に手を突き出して訊いた。判事も待たず、男はすかさず手をグイッと伸ばし新聞を鷲掴みしていた。祐介は伝票を掴むと立ち上がった。もう自分がいていい時間のエリアはとっくに過ぎていた。これ以上、長っ尻でおれる図々しさを持ち合わせていなかった。
「ありがとうございました。またどうぞ」定番のレジ係の言葉に送られて店の外へ出ると、祐介はなぜかホッとした。淀んだ空気から、漸く解放された思いがあった。エスカレーターを降り切った所で、階下のパチンコ屋の開店時間を待ちきれず、たむろした男や女が賑やかしく列を作っていた。
祐介は自分のいる場所を探しあぐねた格好で結局姫路駅に戻った。駅のど真ん中に居場所を確保している、丸くて大きい時計が目に入った。チッチッと秒針は動き続けていた。仕事を休むと決めて得られた解放感に浸った、あの時間からまだ一時間も経っていないのを確かめて、祐介は思わずため息をついた。時間手奴は、なんて思い通りにならないヤツなんだ、と小憎らしかった。きのうの日曜日は家でゴロゴロして過ごしたが、その時間はアッと言う間に終わった。今朝は身勝手な手段で手に入れた休日だが、やはり同じように過ぎてしまいそうな予感があった。祐介はまた憂鬱な気分に襲われた。どこかに祐介が自由な時間を満喫出来る場所があるなどとは到底思えない。大体、休日に家を離れて遠出するなど、まるで無縁の祐介に、それは最初から無理な相談だった。祐介は財布の中身を調べた。給料を貰ってまだ二週間、そんなに減ってはいなかった。給料の半分は家に入れて、後の半分は小遣いである。それとて恋人もいないいない祐介に余り使い道はなかった。他人に生真面目と見られるように、祐介は遊びや買い物、グルメみたいなものとは皆目縁のない、寂しい若者だった。
いきなり、京都へ行こうと思い付いた。唐突だったが、前に職場の同僚が得意気に喋っていた、太秦の映画村に行きたくなった。無駄に一日を送るぐらいなら、思い切って京都に行ってみよう。何かがあるかも知れない。祐介は初めて目的を持った。胸はドキドキと、期待と不安がないまぜになった鼓動を打った。
窓口で京都までの往復切符を買った。駅員が訝るように覗いている気がして、祐介は身を固くしたが、それは祐介の思い過ごしでしかなかった。駅員はさも退屈そうに生欠伸を繰り返しながら切符を発行した。
京都は祐介の期待を裏切った。別に京都に罪があったわけではなく、祐介自身がそう思い込む原因を抱えていたからである。太秦の映画村は、そう問題なく行き着いたのだが、バスに乗っても、映画村を歩いても、、どこに行こうと、やはり祐介は全くの一人ぼっちだった。それで面白いようだったら、元より人間は群れて社会を構成する必要などない証明になる。自由は人間の夢や願望であっても、所詮一人で生きていけない脆弱な本性が現実の人間だった。祐介は、そんな人間のひとりである。
祐介は映画村をひと回りもしないうちに踵を返した。とにかく詰まらなかった。賑わいはそれ相応にあるだけに、祐介の孤独感は一層募るのだった。半年前に職場の慰安旅行でで京都を訪れた時は、それでも結構楽しかった記憶が残っている。ミヤコホテルで食事をした。幸せな気分でご馳走に箸を運ばせたのも憶えている。同じ京都なのに、一体何が違うのか?そうだ。あの時はみんんがいた。祐介の頭に次々と、職場の気心が知れた連中の顔が浮かんだ。あの若い事務員も、いつも祐介に笑いかけてくれた。職場をまとめる専務のどこか間延びして見える顔も浮かんだ。
祐介はバスに急いだ。太秦を後にした。京都駅に辿り着くと、そのまま快速電車に乗り込んだ。
京都にやって来る途中、京都へ近づくに伴い、白けた気分がいや増したものだったが、姫路へ帰る今はちょうど逆転した形で、不思議に鼻歌を口ずさみたい程、気分が高揚した。
姫路駅に着くと、祐介はとたんに空腹を覚えて、地下街にある大衆中華料理店に飛び込んだ。よく利用する店だった。ホッとした。腹拵えが出来て人心地がつくと、祐介は店の油にまみれた汚らしい風情の時計を見上げた。職場の就業時間になっていた。
嘘で手にした臨時の休日は、もう終わろうとしていた。長かったようで短かった、祐介の虚構の一日は、結局はかなく終わりを向かえ阿多のである。
しかし、無駄ではなかったと、祐介は思う。いつまでとは定かではないが、憂鬱な月曜日の訪れは、ここ暫らくはなくなるだろう。それでも再び憂鬱な朝がやって来ようものなら、今日と同じ無為な休日を送ればよいではないか。祐介は、思わず苦笑した。(完結)
隣に座っていた中年の男が無遠慮に手を突き出して訊いた。判事も待たず、男はすかさず手をグイッと伸ばし新聞を鷲掴みしていた。祐介は伝票を掴むと立ち上がった。もう自分がいていい時間のエリアはとっくに過ぎていた。これ以上、長っ尻でおれる図々しさを持ち合わせていなかった。
「ありがとうございました。またどうぞ」定番のレジ係の言葉に送られて店の外へ出ると、祐介はなぜかホッとした。淀んだ空気から、漸く解放された思いがあった。エスカレーターを降り切った所で、階下のパチンコ屋の開店時間を待ちきれず、たむろした男や女が賑やかしく列を作っていた。
祐介は自分のいる場所を探しあぐねた格好で結局姫路駅に戻った。駅のど真ん中に居場所を確保している、丸くて大きい時計が目に入った。チッチッと秒針は動き続けていた。仕事を休むと決めて得られた解放感に浸った、あの時間からまだ一時間も経っていないのを確かめて、祐介は思わずため息をついた。時間手奴は、なんて思い通りにならないヤツなんだ、と小憎らしかった。きのうの日曜日は家でゴロゴロして過ごしたが、その時間はアッと言う間に終わった。今朝は身勝手な手段で手に入れた休日だが、やはり同じように過ぎてしまいそうな予感があった。祐介はまた憂鬱な気分に襲われた。どこかに祐介が自由な時間を満喫出来る場所があるなどとは到底思えない。大体、休日に家を離れて遠出するなど、まるで無縁の祐介に、それは最初から無理な相談だった。祐介は財布の中身を調べた。給料を貰ってまだ二週間、そんなに減ってはいなかった。給料の半分は家に入れて、後の半分は小遣いである。それとて恋人もいないいない祐介に余り使い道はなかった。他人に生真面目と見られるように、祐介は遊びや買い物、グルメみたいなものとは皆目縁のない、寂しい若者だった。
いきなり、京都へ行こうと思い付いた。唐突だったが、前に職場の同僚が得意気に喋っていた、太秦の映画村に行きたくなった。無駄に一日を送るぐらいなら、思い切って京都に行ってみよう。何かがあるかも知れない。祐介は初めて目的を持った。胸はドキドキと、期待と不安がないまぜになった鼓動を打った。
窓口で京都までの往復切符を買った。駅員が訝るように覗いている気がして、祐介は身を固くしたが、それは祐介の思い過ごしでしかなかった。駅員はさも退屈そうに生欠伸を繰り返しながら切符を発行した。
京都は祐介の期待を裏切った。別に京都に罪があったわけではなく、祐介自身がそう思い込む原因を抱えていたからである。太秦の映画村は、そう問題なく行き着いたのだが、バスに乗っても、映画村を歩いても、、どこに行こうと、やはり祐介は全くの一人ぼっちだった。それで面白いようだったら、元より人間は群れて社会を構成する必要などない証明になる。自由は人間の夢や願望であっても、所詮一人で生きていけない脆弱な本性が現実の人間だった。祐介は、そんな人間のひとりである。
祐介は映画村をひと回りもしないうちに踵を返した。とにかく詰まらなかった。賑わいはそれ相応にあるだけに、祐介の孤独感は一層募るのだった。半年前に職場の慰安旅行でで京都を訪れた時は、それでも結構楽しかった記憶が残っている。ミヤコホテルで食事をした。幸せな気分でご馳走に箸を運ばせたのも憶えている。同じ京都なのに、一体何が違うのか?そうだ。あの時はみんんがいた。祐介の頭に次々と、職場の気心が知れた連中の顔が浮かんだ。あの若い事務員も、いつも祐介に笑いかけてくれた。職場をまとめる専務のどこか間延びして見える顔も浮かんだ。
祐介はバスに急いだ。太秦を後にした。京都駅に辿り着くと、そのまま快速電車に乗り込んだ。
京都にやって来る途中、京都へ近づくに伴い、白けた気分がいや増したものだったが、姫路へ帰る今はちょうど逆転した形で、不思議に鼻歌を口ずさみたい程、気分が高揚した。
姫路駅に着くと、祐介はとたんに空腹を覚えて、地下街にある大衆中華料理店に飛び込んだ。よく利用する店だった。ホッとした。腹拵えが出来て人心地がつくと、祐介は店の油にまみれた汚らしい風情の時計を見上げた。職場の就業時間になっていた。
嘘で手にした臨時の休日は、もう終わろうとしていた。長かったようで短かった、祐介の虚構の一日は、結局はかなく終わりを向かえ阿多のである。
しかし、無駄ではなかったと、祐介は思う。いつまでとは定かではないが、憂鬱な月曜日の訪れは、ここ暫らくはなくなるだろう。それでも再び憂鬱な朝がやって来ようものなら、今日と同じ無為な休日を送ればよいではないか。祐介は、思わず苦笑した。(完結)