こころの文庫(つねじいさんのエッ!日記)

家族を愛してやまぬ平凡な「おじいちゃん」が味わう日々の幸せライフを綴ってみました。

イベント

2017年06月30日 00時40分25秒 | Weblog



7月に入ると、
イベントの参加を
見込んでいるものの
打ち合わせが待っています。
2日には、
例年参加させてもらっている
若者グループ主催の、
かさいサイサイ祭りで実施する
『お化け屋敷』の
第1回目の顔合わせです。
夏真っ盛りの8月に行われ、
とにかく暑い暑い!
高齢者代表(?)としては、
1年1年、体がきつくなっています。
しかし、
今のところ
なんとか行けそうな体調です。
7回連続参加、やりまっせ!
若い人たちとの顔合わせが楽しみです。
続く6日は、
かさいまちあそび2017に、
体験プログラムを持って
エントリーするつもりです。
まちライブラリで培った、
ハードとソフトを
最大限生かせたらと
思っています。
さて、どうなりますやら?
結果がどうあれ、
動けなくなるまで、
チャレンジチャレンジです。(笑)


堀江卓氏のマンガで、
最も好きな作品です。
『少年』という
子供漫画月刊誌で
連載されていたものです。
奇想天外な時代漫画に、
ハラハラドキドキ
手に汗を握ったものでした。
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ウナギ

2017年06月29日 09時37分03秒 | Weblog


またまたウナギの産地偽装が
ニュースになっていた。
こう暑くなれば、
ウナギのかば焼きの出番。
その出鼻をくじかれた格好の話題である。

それで思い出した。

弁当仕出し会社に勤めていた時、
土用の日を目標に、
春先から
いつもの仕事を終えると、
ウナギのカット作業にかかった。
一日に5~600切れ近くカットして、
ふたたび冷凍庫へ。、
冷凍のウナギは中国で加工された片身。
タレもついた調理済み製品。
作業を手早くやらないと、
解けだして手やまな板がべちゃべちゃになる。
といっても、
冷凍庫から出したばかりのウナギは、
まるで石みたいに硬い。
押し切りするしかない。
手にタコができてはつぶれる繰り返しだった。
当時、一緒に作業するのは、
日系ブラジル人と中国研修生の同僚たち。
ブラジルのアミーゴは、
とにかく腕力は抜きんでていた。
少々凍ったものでも、
顔色ひとつ変えず、スコスコ!
中国の若者たちは、
ある程度解凍するまでペチャクチャ!
そして、
わたしたち日本人は、
要領よく、
段取りや差配しながら、
カットしやすい状態を見極めたものだった。
三者三様で、
半年近くウナギのカットを続けた。

あのころ、
かば焼きの切り落としは、
作業員にはつまみ食いにもってこい。
あのたれは美味かったなあ。(笑)
中国産とわかっていても、
別に気にならなかったっけ。

そして土用の日、本番になると、
ウナギ弁当のノルマ分を
買わされる羽目になった。
10個も買うと、
結構な金額になったものだ。

かくいう私、
あまりウナギは好きじゃない。
まだアナゴのほうがいい。
だから買わされた弁当は、
妻や子供のほかに、
隣近所に配りまわったものだ。

あの悲喜こもごも思い出の詰まった
弁当製造会社も倒産して、
今はなくなってしまった。


平田弘史の
武士の生きざまを描いた
壮絶な物語。
なぜか引き込まれて読んでしまった
青春時代があったんだなあ。
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2017年06月28日 00時48分42秒 | Weblog

ふる里加西市に保存された戦争遺跡がある。
生まれ育ち今も生活の場である
ふる里に暮らして六十八年。
その存在を全く知らずにいた。
だだっ広い鶉野飛行場跡は、
明石の免許試験所へ
自動車免許を飛び入り受験のため、
みんなが車の運転練習場に使っていた。 
そんな身近に接していたその広場が、
あの戦争中、
戦闘機紫電や紫電改のテスト飛行に
使われていたことを知る由もなかった。
まして、
その紫電改が
練習飛行中に鉄道事故を誘引し
何人もの死傷者が出た
負の歴史など知る筈がない。
当時軍部も事故を隠していたとか。
戦争にまつわる暗雲は
田舎も例外なく覆っていたのだ。
昨年、
地元の高校PTAによる『ふるさと講座』の一環に
『鶉野飛行場戦争遺跡めぐりウォーキング』が企画された。
当時ウォーキングにはまっていたせいで、
戦争遺跡めぐりの認識することなく参加した。
ところが
ただのウォーキングではなかった。
歩いたコースは鶉野飛行場の周囲に点在する防空壕、
弾薬置き場、地下指揮所、対空砲銃座…と
戦争の歴史を如実に見せつける遺跡群だった。
目の前にすると、
今も漂う
迫りくる重圧感に驚かされた。
「みなさんは、
この鶉野飛行場から
九州の鹿屋特攻基地を経て戦地へ赴き
二度と戻ることはなかった特攻機の若き飛行機乗りが、
何人もいたことを
ご存じだったでしょうか?」

スタッフの問いかけに、
参加者の誰もが無言だった。
特攻という言葉自体
ピンと来ない。
最近映画やドラマでお目にかかった
絵空事でしか捉えていなかった。
それが、
こんな平和でのんびりした田園都市の一角に
存在する飛行場から多くの若者たちが
命を的にした戦果を求めて飛び立ったのだと言う。
ショックだった。
特攻機を操縦した
若い飛行兵たちが書き遺した遺書は
地下指揮所跡の煉瓦壁に貼られてあった。
父母や妻子ども、兄弟姉妹、
友人恋人にあてた別れの手紙。
十代から三十代前半の
飛行兵たちの悲壮な決意と、
肉親への尽きない愛情が吐露されている。
国のために
死を余儀なくされた彼らの心情は
いかばかりだったのだろうか。
とても推し量れない。
戦争はいつも
不条理極まる犠牲を強いるのが
当然なのだ。

私の叔父もビルマ戦線で戦死した。
お盆に墓参するたび、
その無念さを思い偲ぶ。
墓地の入り口に並んで建立された、
名誉(?)の戦死者を偲ぶ
慰霊墓碑の中に、
叔父の墓碑銘もある。
立派な石柱に
刻み込まれた叔父の名前と
戦死した戦地名、戦死の日時、
年齢が…二十三歳…
いくらなんでも若過ぎる。
いつもお参りしながら、
叔父の無念さに
胸を熱くする。
生きていれば
なにかを成し遂げられたはずである。
その無限の可能性は
有無をいわさず奪われた。
理不尽極まる戦争に
腹が立って仕方がない。
手を合わせながら
叔父に訊いてみる。
(将来何をしたかったの?
誰か好きな女の人いたの?)
でも、
墓に眠る叔父は何も答えてくれない。
特攻隊飛行士たちの遺書に
釘付けになりながら、
ハッと気づいた。
彼らは叔父以上の無念を強いられたのだ。
生きる意志を捨てさせられ、
敵を道連れにして死ぬことを命令された
片道飛行だったのだ。
生を微塵も考えてはならない、
ただただ死ぬことを目的にした
飛行命令の冷酷無比、
それが戦争の正体である。
叔父以上の過酷な懊悩の中
運命を避ける道は閉ざされ
行くしかなかった悲惨さ。
それが戦争なのだ。
平和な現代に生きる私たちは、
ともすれば
戦火に散った多くの犠牲者たちの無念さを忘れている。
あの戦争悲劇の上に
いま生かされていることを忘れてしまっては、
次の世代に平和をつなぐ役割を担えない。

前に
国会で安保法案が通過した。
野党は『戦争法案』と主張する。
ともあれ決まるまでの過程に
納得できかねるものはあるが、
決まった今は、
その運用を
注意深く見守る必要がある。
危険な方向に国が舵を取らぬように、
みんなの平和意識を
確固たるものにしなければならない。
それが平和を感受する
私たちに課せられた役目なのだ。

鶉野飛行場滑走路跡沿いに設けられた
平和祈念の碑苑を前に
頭を垂れながら、
思うことはひとつ。
先人の間違いを
二度と繰り返さない。
平和は
傍観者が手にすることは絶対ない。
微力でもひとりひとりが
平和への道筋を
迷うことなく突き進むことが必須なのだ。

歩いて巡った『ふる里加西の戦争遺跡』は、
私に戦争の愚かしさと冷酷さとを
再確認させてくれた。
それは平和を考える
最高の動機となってくれたのである。
誰もが
戦争と平和を直視するに違いない
戦争遺跡の保存と公開は、
遺跡をもつ
わが故郷の責務だと確信する。


幼いころ、
太平洋戦争を題材にしたマンガが
目立った。
中でもゼロ戦と、
若き戦闘機乗りの
青春と闘いの日々が、
漫画のコマを占めていた。


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あたたかさ

2017年06月27日 09時58分06秒 | Weblog
「将来飲食店で独立するんやね。ならここで思い切り勉強したらいいじゃないか」
 調理師学校に紹介されたH商工会議所内のレストラン。面接相手は何のこだわりも見せない。自分の店を持つまでとハシゴ的な身勝手過ぎる求職者を「いいよ、いいよ」という感じで迎えてくれる。終始ニコニコと緊張感や余分な考えを包み込む。それがY専務だった。二十一歳の若者には父親同然に見えた。
 レストラン勤めは順調だった。調理師学校で学んだ調理技術は、職場の上司M調理主任のおおらかな指導のもと生かされた。優しい同僚たちにも恵まれて楽しく仕事をした。
「専務さん、仲人をお願いできますか?」
 就職して2年目。つきあっていた彼女と結婚を決め、Y専務のもとを二人で訪れた。
「ほうか。結婚するの。喜んで引き受けましょ」
 彼女と二人、感謝の頭を下げた。
 Y専務はすぐに動いた。結納で彼女の親元に出向き、結婚式場も早速押さえた。レストランと提携する結婚式場だった。
「これはというメニューを考えてやるよ。きみには一生に一度の晴れ舞台だからな」
 W主任も喜んだ。同僚らの好意的な冷やかしも心地よく嬉しかった。
「ありがとうございます!」
 何度も頭を下げながら、にやけた。
 それが3週間後、事態は一変した。
「結婚するの自信ない。…結婚できない…!」
「え?」
 寝耳に水だった。前日までは二人の未来をあんなに幸せいっぱい語っていたのに。
 彼女の心を取り戻すべく懸命に慰留したが、無駄だった。彼女の思いは決意に変わった。
「結婚はやめる!」
 初めてだった恋愛経験、その彼女との結婚しか考えられなくなっていた私には大ショックだった。しかし、もう彼女に取り付く島はなかった。
 何も考えられなくなり、職場を無届けで休み、アパートの自室にこもった。死にたいと思ったが、それを実行する勇気はない。知り合いの誰とも会いたくなかった。ただ布団を頭からかぶってモグラ状態で過ごした。
(…どうしたらいいんだろう?親には…専務さんは…主任さんは…)
 どの人にも申し訳ないが先に立つ。やっと落ち着いても、破談の後始末なんて、考えられるはずがない。職場の上司や同僚の顔を思い浮かべ、焦燥感に押しつぶされそうになるだけ。結局3日間、アパートは出られなかった。
 誰かがドアを叩いている。フラーッと玄関に移動した。でもドアのノブに手は出なかった。何度も何度もドアを叩いたあげく相手はようやく諦めた。「ホッ」と緊張が解けたとき、郵便受けに何かが差し込まれた。一枚のメモ書きだった。
 ドアの向こうに気配が消えたのを確かめると、やっとメモを手にした。
『みんな心配している。きょうの夕方、仕事終わりに専務と一緒に来るから、7時頃、家にいてくれよ M』
 3日間何も連絡せずに休むスタッフを心配した主任が、ワザワザ来てくれた。(忙しいのに…)また申し訳なくて堪らなかった。
時間を指定されてしまっては、もう居留守を使う訳にはいかない。Y専務とM主任、あの優しい上司と顔を合わせないわけにはいかない。
「オレ、外で待ってるからな」
 M主任の気配りで、私はY専務と二人きりにされた。罪悪感いっぱい、気まずい思いにいる私を慮った専務は先に口を開いた。
「お父さんに☎を貰った。向こうさんの家から連絡があったそうだ。えらく心配されていたよ」
 すべてを専務は知っている。それなのに、全く変わらない笑顔が目の前にあった。
「…ぼ、ぼく…」
「無理しなくていいから。ややこしい手続きは私がやっておくから。きみはこの週末まで休みをとるといい。落ち着いたら仕事に出なさい。みんな待ってるよ。きみがいないと寂しいんだってさ」
 ボロボロと涙が出た。
「ただ、どんなことがあっても、自分だけで持ち込むんじゃないよ。ご両親だって、僕も主任も、ちゃんと相談に乗れるんだから。せっかく出会えた相手だろ。大事にしなきゃ」
 何も言えない。止めどもなく流れ落ちる涙を頻りに拭った。
 週明けに職場へ。何とも言えない気恥ずかしさは、同僚たちがすぐ忘れさせてくれた。
「これからの君は、今回のことを生かして、強く成長しなきゃいけないよ。人任せの人生は何度も繰り返さない。いいね、約束だ」
 改めて詫びる私に向けたY専務の言葉は、私の胸に深く刻まれた。
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記憶の風景・夜空

2017年06月26日 08時59分42秒 | Weblog

子供のころ、
流れ星が怖かった。

「誰かが亡くなると、
魂は星になって流れるんだぞ」

そう教えてくれたのは、
子ども会の最上級生だった。
しかめっ面で、
おどろおどろしく買ったのは、
怖がらせる目的だったと思う。

「流れ星に願いをすると叶うよ」

そう教えてくれたのは、
担任の優しい美人の先生。
人の死とつなげて
怖がっていた流れ星が、
希望をもって
感じられるようになった。

当時の夜は
墨を流したような真っ暗闇。
光る月や星が
とても鮮やかに浮き上がった。
子供心が、
そこにより神秘的なものを
感じたのも当然だった。

公民館のそろばん教室の帰り道、
臆病な私を励まし導いてくれたのは、
満点の星空。
冷たい感じの月光と違い、
きらきらと
賑やかに
夜空に夢を描く星のほうが
心を打った。

最近、
見上げる夜空がやけにおとなしい。
夜のとばりが半減した
社会の影響だろう。


最初少年マガジンで掲載されていたのが、
少年サンデー連載に変更されたのを、
いまだに覚えている。
手塚治虫と編集者の間に、
何があったんだろうと、
別の興味を持ってしまった。
でもスケールの大きい少年漫画だった。
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すくわれた日の記憶

2017年06月25日 08時55分14秒 | Weblog

農家の次男坊に
生まれながら、
小さいころから
百姓仕事を手伝う機会が
あまりなかった。

兄が急逝して、
急遽田舎へUターン。
兄の代わりに田んぼを任されたが、
やることなすこと
初心者そのもの。
四苦八苦の連続だった。

稲づくりで
田んぼをトラクターで耕した。
ほぼ耕し終わって、
残る端っこに
トラクターを進めた時だった。
右側が下がりかけたと思うと、
ズブズブと
沈み込んでいくではないか。
泡食ってハンドルを急操作したが、
なんの効き目もなく、
ますます泥の中へ!
何とか止めたものの、
完全に斜めに傾き
身動きが取れない。
途方に暮れていると、
近所の老人が
救いの手を差し伸べてくれた。
駆動を切り替えバックして、
なんとか泥から解放され、ホッ!

「まだ慣れとらんからや。
大変やけど頑張りや。
困ったらなんでも声かけてや」

隠居はしていても
根っからの百姓だった
老人の優しい言葉に、
落ち込みかけていた私の
やる気は再び頭をもたげた。
あの日の老人は、
もうなくなって久しい。
そして
私の百姓ライフは
今は昔状態である。


山川惣治氏の絵物語、
いつもワクワクドキドキを
貰った愛読書。
少年ケニアもよかったが、
他の作品も、
心弾ませて読んだものである。
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つれづれに

2017年06月24日 11時06分29秒 | Weblog
今日はまちライブラリー。
そこで、
近くイベントを企画するために
仮説の舞台を作ることにしました。
プラスチックのコンテナーを土台に並べて、
要らなくなった息子のベッドから、
床板を拝借して、
天板にします。
何度も上に乗って、
強度を確かめた。
よほど激しく動かない限り大丈夫。
赤い布を敷き詰めて、
ハイ!一丁出来上がりです。
若いころは、
公民館や学校の行動など、
かなり大きな仮設舞台を拵えたものです。
若い仲間たちと、
ワイワイやりながらくみ上げました。
そして終わると、
缶ビールを開けて「カンパーイ!」
そんな時代もあったのです。
今はひとり。
しかもお年寄り。
限界を感じながらの作業でした。(苦笑)
でもささやかながら出来上がりました。
ひとり、
昨日の夜作っておいたプリンとブラックコーヒーで、
「カンパ……イ!」



だいぶ新しいマンガです。
といっても、
もう古臭いマンガですね。
あの頃は、
プライベートな自分が、
恋も愛も無縁な、
むなしく寂しい生活を
送っていた時期です。
主人公たちの恋愛にジェラシーを、
抱きましたよ。(バカみたいでした。大笑い)
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親の欲目?

2017年06月24日 01時17分14秒 | Weblog
中学のとき
長男はバレーボール部。
人気の部だけに、
父兄の熱の入れようは
すごかった。

練習試合や大会を迎えると、
保護者は原則的に
試合会場へ
駆けつけなければならなかった。

「親御さんの熱意が
生徒の持つ力を引き出すんです」
熱心な顧問である先生の力説に
誰も異論を挟めなかった。
生徒以上に
親の熱意が問われた。
保護者会会長の子供は
当然のごとく
キャプテンに選ばれていた。

そんな中、
わが夫婦は
喫茶店をふたりで切り盛りしており、
保護者会を
優先させるわけにはいかない。
それに部活動は
生徒が頑張れば
充分という考え方から、
無理はしなかった。

それが影響したのか、
長男は最後まで
試合に出る機会は得られなかった。
試合の見学に出向いたとき、
試合前に練習する息子の技量が
劣っているとは
見えなかったのだが……?

部活動は学びの一環として、
生徒に公平な
機会が与えられるとの期待は、
見事裏切られた。
部活動は
義務教育の範疇では
なかったらしい。

赤塚不二夫の
レギュラーキャラクターのひとり
チビ太を主役に据えたマンガ。
手にしたおでんが、懐かしい。
ハチャメチャ漫画の
第1人者だったなあ。
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つれづれに

2017年06月23日 10時43分42秒 | Weblog

朝疲れた顔で出かけた娘。
少し心配である。
きのうから地元の
特別支援学校で教育研修に入っている。
6時までびっしりのプログラム、
しかも初めてのことばかりで、
かなり神経をすり減らしたのは
想像に難くない。
何もできない父親は、
美味いものを作って、
帰宅を待っていてやるしかない。

朝の定番となった、
庭のそぞろ歩き。(そんなに大きくないのですが。笑)
勢いを増した緑の中に、
きょうも心を和ませてくれる花々が
顔を覗かせてくれています。


堀江卓氏、
個性ある絵と、
息もつかせぬ展開で、
子供の心をわしづかみにした
漫画の作者。
時代物から現代ものまで、
幅広く描かれていましたね。
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みどり

2017年06月23日 02時27分31秒 | Weblog

三方を山に囲まれた
田舎住まい。
何年か前までは、
窓や戸を開け放すと
涼しい風が入り、
暑い夏も
自然のクーラーで過ごせていた。

ところがこの数年、
事情は激変。
暑さも
尋常じゃなくなった気がするし、
年齢も老人ランクで、
クーラーいれなきゃって考えたとき、

「なんか緑のカーテンが
効果あるらしいよ」

娘がネットで見つけて
教えてくれた。
ならやってみるかと、
見よう見まねで
ゴーヤを育てた。
いい感じに
厚手の緑のカーテンとなったのはいいが、
困ったのは次々と育ち
ぶら下がるゴーヤの実。
我が家の誰もが
ゴーヤを食した経験がない。
つまりは食わず嫌いだった。
捨てるのは勿体ないし、
もいでも使い道がない。
収穫に躊躇していると、
緑の実が
黄色く熟れていく。
結局、
熟しすぎてずるずるに!

懲りた今夏は
ゴーヤから朝顔に変え。
プランターを並べて植えた。
効果のほどは
未知数だが、
蔓を這わす支柱と網張りの手間は
ゴーヤと同じ。
効果も
同じであってほしい。


少女漫画も、
お目目のキラキラはみられたものの、
なかなかしっかりした
ストーリー構成で
読み応えがあった。
水野英子女史の
作品も、
心の琴線に触れるものだった。
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