こころの文庫(つねじいさんのエッ!日記)

家族を愛してやまぬ平凡な「おじいちゃん」が味わう日々の幸せライフを綴ってみました。

おわび

2015年08月09日 00時09分54秒 | Weblog
検査入院で数日間、ブログを休みます。復帰したらよろしく願います
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選ぶ

2015年08月08日 19時16分24秒 | 文芸
 いつだって密室での談合で決まってしまう我が国の政治には不満を感じる。昨今のような不祥事の続発とそれに対応する政治家の「蛙の面に……!」といった姿を見せられるたびに腹だしい限りである。
 首相もご多聞に漏れず密室の談合で決まる。それも多数派閥の思うがままのようだ。そのうえ右翼や暴力団が首相選びに介在していたらしいとあっては、あいた口がふさがらない。
 政治は一体だれのためにあるのか。国民をないがしろにした今の政治の有りようが、非常識極まりない首相選びにつながっている。
 この悪弊を断つには首相公選制を実施するのが一番よいのではないか。
 ファン投票化するのではとの心配についても、米大統領選を見るかぎり、その恐れはまずなさそうだ。
 日本国民も首相に相応しい人物を必ず選びだすだろう。
(讀賣・1992・12・19掲載)
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スゲーぞ!モグール

2015年08月08日 13時28分54秒 | 文芸
 テレビに目が釘付けになった。
 フリースタイル・スキーモグール。もうsぴーどでジグザグに滑走し、空中で開脚、体を捻ったり、回転までやってのける。
 サーカス顔負けのアクションに身体が身震いした。凄い!
 冬季五輪で、こんなインパクトを受けるとは驚きだった。
 寒い、地味…わたしが待ち続けていた冬季五輪のイメージは、わたし自身スキーもスケートができないせいもあって、実にひどいものだった。
 冬季五輪テレビ中継を見るために自分でチャンネルを合わせたことはなかった。
 そんなアンチ冬季五輪派のわたしの目を、一瞬にして見開かせてくれたのが、モグールだった。
 1998年の冬。長野オリンピックはわたしにとっても記念すべきイベントになったのだ。
 しかもその競技で日本女性が冬季五輪史上初の金メダルを獲得したのだ。里谷多英選手。
 感動とインパクトを当ててくれた彼女の名前は、14年を経たいまでも、わたしの冬季五輪の代名詞として、記憶に深く刻み込まれている。
(2014・1・25原稿)
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コンタクトでイケメンに

2015年08月08日 11時30分21秒 | 文芸
小学6年生にメガネをかけて以来、半世紀以上の矯正キャリアを誇っている。自慢することじゃないよな。ちなみに最後には買った裸眼視力は、右0.02、左0.05…想像できるかな?裸眼じゃ数メートル前にいる人の顔が判別できないんだぞ!あ?これも自慢することじゃないか。
一時期コンタクトにチャレンジしたことがある。ハードレンズの時代だった。理由は、好きだった女の子に「あたしメガネの男の子、生理的に受付ないの」とまともに言われたこと。ショックだったよな。しばらく立ち直れ買ったけど、そこで一念発起した。青春だったんだ。若いってなんでも挑戦しちゃう時代だからなあ。しかしコンタクトを名に入れるって、いやもう大変だった。二週間もレンズの出し入れに通ったのをよく覚えている。手先が不器用だから人の2倍はかかったんjyないかな。そりゃあ指先にくっつけた小さいレンズを目に近づけて…そりゃあ怖かったなあ。裸眼で走り待ってるやつらが妬ましかった。なんとかコンタクトを入れられると、驚いたことに人生が変わった!モテモテ、わかるボクが持てたのだ。「ハンサムだもん」

「カッコいいもん」メガネの時は見向きもされ方賞賛の言葉。コンタクトの顔を鏡に映してみて、やっとわかった。(俺って、イケメンじゃないか!)

 矯正中の諸君、決してあきらめないで、人生を。(すこしオーバーかな)じっくり鏡を見てみよう。もしかしたら、あなたもイケメンかもしれないのだ。確率は十分あると思うよ。ただし責任には取りません。ファイト!
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ジロッと一瞥される

2015年08月08日 02時52分10秒 | 文芸
 先日、店に3ヶ月ぐらいの赤ん坊を小わきに抱えるようにして入って来た母親。注文をすると、手早く子供を長椅子に寝かせてトイレへ急いだ。
(あぶないなあ…)と思いながらも注文の飲み物を作っていると、突然悲鳴に似た泣き声が上がった。案の定、寝返りを打ったのか、床に転げ落ちたのだ。
 わたしも3児の親。反射的に飛んで行って赤ん坊を抱き上げる。
 しかし泣き止まない。ますます激しくなる泣き声はトイレにも届いているはずだが、母親は一向に出て来る気配がない。
 やっとこさ泣き止んだ赤ん坊を抱いたまま、ホッと」胸を撫で下ろしていると、やっと母親がトイレから姿を現わせた。どうやら化粧を直していたらしい。
「椅子から落ちたらしくて…」と説明しながら赤ん坊を手わすと、ジロッと一瞥された。
 無表情で赤ん坊を受け取ると、ひと言もなく席につく。
 また赤ん坊を横に寝かせ、運ばれた珈琲をゆっくりと味わう母親。おもむろに煙草を取り出すとプカプカやり始めた。
 信じられない思いで悟られぬように眺めた。
 最近はこのタイプの母親が目立って増えている。子どもへの愛情はどこかに置き忘れたように見える。
 確か動物園で育ち、親になりきれぬ動物の話をよく耳にするが、人間も例外でないということなのだろう。
 考えるだけゾーッとするのは、未だ良心が残っている証しである。その人間らしさは永遠であって欲しいと願う。
(姫路べんりちょう昭和63年10月掲載)
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老いて初仕事

2015年08月08日 01時25分09秒 | 文芸
 勤めていた会社はを60歳で定年退職。次はこれまでと全く違う仕事を経験したくて、嘱託で再雇用の話を断った。
 ハローワークで失業保険の給付を受けながら、始めた職探し。ただ60歳で未体験の職種に絞っているから大変この上ない。
 連日ハローワークに通って求人情報に目を凝らした。驚くほどの職を求める人の数。パソコンで情報検索するにも列に並んで数時間も待つ。求人データーの検索を終えるまで半日以上もかかるのは珍しくなかった。
 仕事が見つかったのは、実に3か月後だった。地元のスーパーのパートだった。
 初体験のスーパーの仕事。覚えることは多かった。若い頃と違って器用に対処できない。年下の上司に呆れられるほどもミスを繰り返しながらの一進一退。
 それでも人生初めて自分がやりたいと思って選んだ仕事である。3ヶ月もかかって手に入れた仕事なのだ。辞める選択肢は念頭にない。2歩下がって3歩すすむで頑張った。
 慣れると順調に仕事も弾む。同僚にも受け入れられると、毎日の仕事が楽しくなった。
 自分がやりたかった、好きな仕事。一度でも体験できる幸せを噛みしめている。
(2014・5・18原稿) 

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グチグチ

2015年08月08日 00時02分43秒 | 文芸
 とにかくクジ運の悪さは、天下一品(?)だ。64年生きて来たが、懸賞、宝くじ…抽選を伴うものは当たったためしがない。
 社会人1年生から病み付きになった宝くじも、40数年で末当の100円から300円が当たったのみ。いや当たったは語弊がある。連番で10枚購入すれば必ず1枚は末等なのだ。くじ運もへったくれもあったものじゃない。
 一度だけ妻に買いに行って貰ったことがある。なんと!10枚で1万円が2枚当たった!ビギナーズラック?いやいや、妻には、わたしに訪れてくれたことのないくじ運が備わっているのだ。
 しゃくだが次も購入を頼んだ。
「くじなんか、もう止めとき」
 あっさり妻は拒否。後は何度頼んでも駄目!
 欲のないAB型女房と、とことん欲深なB型亭主。こりゃやっぱりうまく行かないよな。
 しかし、勿体ない。未練たらしく、妻に直接言えない愚痴をグチグチとつぶやくだけ。
 その後も、妻の協力を得られなくても、宝くじは買い続けている。当たり番号発表の長官を開くまでの、どきどきしっぱなしの日々。
 何の取り柄もないわたしが黄金色の夢を見られるのは、宝くじ以外には考えられない。それに、もしかしたら…!
(2014・5・14原稿)

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サツマイモ

2015年08月07日 20時37分51秒 | 文芸
秋はサツマイモが美味い。それも天麩羅が。スィートポテトや焼きイモは飽きるが、天麩羅はいくらでも行ける。
 揚げたてを頬張ると、じわーんと来る。揚がる端から口に放り込んでしまう。揚げ終わった頃には、もう満腹だ。
 子どもの頃、秋口からのおやつはふかしイモか天麩羅と決まっていた。他におやつはないから、毎日塩をふった芋を食った。
 それなりに美味かった記憶もあるが、何日も何日も芋ばかり。
 反動か、大人になったら、サツマイモの料理をあえて食べたいと思わなくなった。事実その味を忘れてしま金ないほど、サツマイモを口にしていない。
 ある日、職場の先輩に連れて行かれたのは、割烹のお店。他の料理も総じて旨かったが、驚いたのは天麩羅に揚げられたサツマイモの味。
 同じ膳の松茸の味がかすむほどの味わいだった。実に美味かった!
 あれ以来、秋になったら、サツマイモを買っては天麩羅にする。残れば家族のおやつがわりだ。
 あんなにうんざりして敬遠していたサツマイモに、再び目が亡くなった自分が、何ともおかしくて堪らなかった。
(2014・11・18原稿)

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息子の帰郷

2015年08月07日 18時29分33秒 | 文芸
「年末から正月にかけて忙しいんで、帰れそうにないわ」 
息子のメールが妻の携帯に入った。
わたしの失望は大きい。1年に1回ぐらいは、せめて正月には息子の顔を見たいのが父親の切なる思いだ。
それほど待ち望む息子の帰郷が駄目に。寂しく侘しくなるのは当然だろう。
正月は妻と娘2人に囲まれて祝った。元々息子に恵まれていなかったら諦めもつくが、そうじゃない。男親には息子が傍にいてくれるだけで、嬉しさは格別なのだ。
だけど、よく考えてみれば、わたしも若い頃同じようなものだった。
仕事が調理人、盆も正月もない。いつも帰郷は二の次三の次にしてしまった。
居酒屋チェーン店長の息子も同じ条件下にあるのだ。帰郷できないのが当たり前である。
因果応報。待つ立場になって、あの頃わたしの父や母が寂しく侘しい盆・正月を送ったであろうことは容易に想像がつく。
だからこそ遠くで働く息子に、どんな機会でもみつけて、高齢者の仲間入りも間近いちちのご機嫌伺いに、元気な顔を見せてほしいと願っている。
(2014・1・12原稿)

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カウントダウンにはいって

2015年08月07日 15時03分25秒 | 文芸
 娘は高校2年生。これまで、のんびりとマイペースの高校生活を満喫していた。ところが新しい年を迎えると焦り始めた。
 大学受験まで余すところ1年。カウントダウンを打ち始めたのを自覚したからだ。
 娘の将来が決まる大学への挑戦が始まる。資料の検討も大変だ。学部、偏差値、距離、学費……山ほどある条件の比較。いま学ぶ音楽科を更に生かすのかどうか、悩みは尽きない様子だ。親も参加してケンケンガクガクの様相を呈している。
 はたして娘が選ぶ将来は?大学生活は…!怖さと期待が入り混じる。
 ただ大学生活は娘にとって大きな影響を与える筈だ。成功も失敗も関係なく、社会で自立するための能力を身に着けられるはずだ。
 音楽か?教育か?めったやたらに頭を悩ませる娘に助言したい。
 最終的に自分が選んだ大学は、4年間決して後悔しないでほしいと。君の若さなら人生なんどでもやり直せるのだから。
 思い切り楽しくチャレンジし続ける大学生活であってほしいと願うばかりだ。
(2014・118原稿)
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