こころの文庫(つねじいさんのエッ!日記)

家族を愛してやまぬ平凡な「おじいちゃん」が味わう日々の幸せライフを綴ってみました。

誕生!家族っ子、すず実

2015年01月31日 00時08分23秒 | 文芸
誕生!家族っ子、すず実

きょうだいは多いほうがいい

まったく躊躇もせず悩みもせずに、本当に自然体で妊娠と出産に臨んだ4人目の赤ちゃんが、わが家の幸福の使者、すず実である。
「男の子が二人屋のに、女の子は奈津実1人じゃかわいそうでしょう。奈津実に妹をつくってやろうよ。きょうだいは多いほうが頼もしくていいじゃない」
「そうやな。そないしたろか」
 わたしの提案に夫はすぐに乗ってきた。いたって子煩悩なとことのある彼が、宝物の増えることに異存のあるはずがない。
 ただ夫は、もう48最。もし赤ちゃん誕生となれば、おじいちゃんと孫に見られてもしかたないだろう。そのへんのことでこだわりがあるかもしれないと危惧していたが、すべてにわたって楽観的な夫には無用な心配だった。
 5年前に2人きりのきょうだいだった1最違いの兄を亡くした夫。そして、ひとりっ子として育ったわたし。そんな二人にとって、賑やかしい兄弟姉妹の存在は夢でもあった。

それぞれの歓迎

わが家の子どもたち、中1の長女奈津実、小6の誠悟、小2の龍悟たちにも聞いてみた。
「もしも、妹か弟ができたら、いいかな?」
「ホント!ワーッ!うれしいな。あたしが可愛がってやるもん」
 と、手放しの喜びようを見せた奈津実。
「いいよ、ぼく」
 と、クールに構えて答えた誠悟。
 彼にとっては面映ゆい質問だったに違いない。そんな年ごろにさしかかった男の子である。でも、彼の心の中が喜びに埋められているのは、母親の私にわからないはずがない。
「うれしいな。ねえねえ、いつできんの?あした?あさって?」
 と、一番無邪気に騒いだのは龍悟だった。
 
家族の歓迎を受けて迎えた妊娠。そして出産に至るまでの、夫を先頭にした家族それぞれのやり方による私への思いやり行動は感激ものだった。
いい家族に囲まれた幸せをつくづく噛みしめる毎日は、おなかの赤ちゃんにもよく通じたに違いない。
そして迎えた出産だった!まるで初めてのお産を経験するようにひどく痛い思いをした。7年のブランクは、やはり相当に影響したようだ。でも、2男の龍悟を取り上げてもらった産婆さんは、今度も手際よく優しく私を誘導してくださった。おかげで無事に出産!

いま、すず実は4か月。まだ寝返りは打たないが、動くものを目で追いかけたり、呼び掛けると振り返ったりと、何ともいえない可愛いしぐさの連発である。

名付け親は私と奈津実

すず実の名前は、私と奈津実が名付け親になった。
奈津実は短大時代の恩師、誠悟は仲人さん、龍悟は夫が名付け親だから、今度は母親がしゃしゃりでた。
 思案に思案を重ねた末に、平仮名で『すず』と決めた。ところが、これに不満をもらしたのが、意外にも長女の奈津実だった。
「誠悟、龍悟って、男の子2人が『悟』の漢字がついて統一されているのに、なぜ私と赤ちゃんは別々なの?女の子だから?」
 と、いちゃもん(?)をつけた。
「やっぱり兄弟とか姉妹の名前は同じ漢字で締めくくるべきだ」
 と、強硬(?)に主張した。
 その言い分は至極ごもっとも。母親は一歩譲った。だから、赤ちゃんは『すず実』と命名された。
『すず実』は名実ともに、奈津実の妹になったのだ。

 すず実は家族の惜しみない愛情に包まれて順調に育っている。おねえちゃんとおにいちゃんらは学校から帰ると、何はさておいてもまず赤ちゃんに満面笑顔でご挨拶(?)だ。
「ただいま!すずちゃん。おにいちゃんだぞ」
「ダアダア」
「おにいちゃん帰ってきたで。すずちゃーん」
「ダアダア」
「ただいま、元気してたかな?すず実ちゃん、ハーイ!」
 これは奈津実おねえちゃんである。『すずちゃん』ではなく『すず実』にこだわっているのが何とも頬笑ましい。
「ダアダア、ダアー!」
 と、すず実もお姉ちゃんだけには特別な反応を見せているようだ。   (続く)
(バルーン大賞受賞作・平成9年4月)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

根日女昇天・完結

2015年01月30日 01時04分54秒 | 文芸
 許麻は気配を抑えて根日女の寝顔をそっと窺った。やはり絶望感に襲われる。すべてがあまりにも遅かった。娘は都から来るであろう愛の使者の訪れを、待ち草臥れた果てに明日をも知れぬ病床にあった。
「オケノミコさまが、大王さまのお言葉を携えて参られた由、申されております。
「なんと、オケノミコさまが自ら参られておるのか……!」
 すると巷の噂通り、新しい大王に即位されたのは、弟皇子のワケだったのだ。知的で華奢な趣のあった兄のオケと違って、血気盛んな若い武人だったヲケは、後輩の極みにあった大和の秩序を再度取り戻そうと、勇ましく戦の先陣に立ち、多大な武勲を打ち立てたに違いない。物静かな気性のオケは、兄の立場からいけばおのれが際に就くべき大王の座を、無類の功労を重ねた弟に喜んで譲ったであろうことは想像に難くない。
 バタバタと足音が屋形内に響いた。
「これ、そなたは、根日女のそばに!」
 許麻は侍女を根日女の寝所へやらせると、縁先から土間に急いで下りた。たとえ何者であろうと、いま寝所で寝入る哀れ見苦しい姿を、他人の目に曝させるなど断じて出来ない。
 足音の主は、やはり予想通りオケノミコだった。根日女があれほど待ち焦がれた相手だというのに、いまその貴公子を前にして許麻は強い戸惑いを禁じ得なかった。
「大和の都に出立したあの日、固く誓った通り、そなたの娘、われら兄弟の愛する根日女を、こうして迎えに参ったのだ!」
「……オケノミコさま……」
「根日女はどこだ?どこにおるのじゃ、根日女は!
 オケが感極まって大声で呼ばわった。気品がいや増した顔付きが、許麻に迫る。
「お待ちくださいませ、オケノミコさま……」
「いや、もう待てん。根日女はどこだ?」
「!……」
 その時だった。
「あーっ!根日女様―!」
 侍女の驚愕の叫び声に、許麻は娘根日女の目覚めを知った。根日女がオケノミコの声を忘れようはずがない。オケの声は根日女に届いたのだ!
「根日女?根日女は、そこにあるのか!」
 オケノミコは歓喜の表情を見せて、激しく許麻を押しのけかけた。許麻はオケをとどまらせるのに力を込めた。
「お待ちを!しばしお待ちを、オケノミコさま…しばし!」
「?」
 きっぱりと制する許麻の迫力の前にオケの動きは止まった。
「あっ!根日女様!ああーっ!根日女様―!お屋形様、根日女様が、根日目さまが……!」 
 侍女の悲鳴と絶叫に、許麻は悟った。根日女の生命の炎が燃え尽きたことを。根日女は、オケの声を聴き、ようやく神の御手にその魂を委ねたのだ。
 娘、根日女はオケの来訪を知り、愛をひたすら信じて生きた、果てのない耐え忍んだ日々が、決して根日女を裏切らなかったことを知ったのだ。その刹那、根日女はようやく運命から解放されて、あの母のもとに旅立ったのだ。許麻を、賀茂の民人を、オケをヲケを、そして賀茂の大地を、根日女が生涯愛し続け来たすべてから解放されて、母のもとに旅立ったのだ。
「根日女は……?」
 訝しげに問うオケノミコを遮るために仁王立ちする父、許麻の目からボロボロと大粒の涙が零れ落ちた。    (完結)
(おーる文芸誌・独楽1995年3月掲載)
 



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

根日女昇天・その3

2015年01月28日 00時04分04秒 | 文芸
「ならば、わしらと一緒に大和へ参ろう、根日女。わしも兄者もそなたが身近にいさえしてくれれば、これまで同様、時の流れにわれらが愛の行方を任せられる」
「いずれ、そなたがわれら兄弟のどちらを選ぶことになっても、決して泣きも恨みもせぬ。愛が憎悪に変わるのは、その愛が浅いからなのだ。わたしもヲケも、その深さは深海のごとしじゃ」
 兄弟皇子は競い合うように根日女に懇願した。ウソ偽りが一切混じらぬ心情を吐露する二人の姿は、根日女の胸を熱く揺り動かした。
 根日女は兄弟皇子のまっすぐな熱情に、ふいに身を委ねる気にとらわれた。いつしか、わが身が兄弟皇子のの方へ傾いでいくのを自覚した。根日女は運命にすべてを委ねようの思いを募らせ、目を閉じた。
(!)
 その刹那、根日女の本能は、もうひとつの気を感じとった。もの心がついたときにはすでに身の近くにあり、惜しみなく注がれる愛の気が根日女をジーッと見つめていた。根日女は耐えられず、それでもゆっくりと、その気を確かめるために目を上げた。
 根日女の視界に、父許麻がいた。その岩相は懊悩と虚脱感に支配されて蒼白だった。まるで痴呆のように顔中の筋肉を弛緩させて立ち尽くしていた。わが身のすべてを投じた愛の終焉を目の前にした父親の愚かな未練と喪失感が、彼の総身を市街していた。
「おとうさま……?」
 根日女は一瞬にして正気を取り戻した。愛の勘定のうねりに身を委ねようとしたおのれに気付き、強い恥じらいを覚えた。
 根日女は背筋をピーンと張った。賀茂の国の希望と夢を担った王女の顔になった。根日女は賀茂の国を照らす太陽そのものの存在なのである。
「オケさま、ヲケさま。根日女はやはり皇子様らのお望みに応えられませぬ。賀茂の国を去って大和の地には参ることができませぬ。おふた方をお慕いする根日女の心に偽りなどありはしませぬが、わたしにはその前に守らなければならぬ大切なものが、限りなくあるのです。それを見捨てるなど、どうしてわたしにできましようぞ。この地にとどまるのがわたしにさだめられたものなです!どうぞお許しくださいませ」
 根日女は深々と頭を下げた。もはや何物にも妥協を許すまいとする強固な意志が、その姿から溢れていた。
「わかった。ならば根日女よ、われらと約束してほしい。大和の都を平定し平穏を取り戻せれば、われら兄弟のどちらかが大和の大王になるだろう。その暁には、そなたが守ろうとする大切なものを、われらが守ってやれる力を手にする。そうなれば、そなたに、もうなんら異存はなくなろう。その日を胸に刻み、われらは都に戻る。根日女よ、必ずそなたを迎えにくる。約束は断じて違えぬ。その日を待っていてくれ。いいな」
 固く誓って、オケとヲケの兄弟皇子は大和を目指して急ぎ旅立った。
 心ここにあらずと見送る根日女だった。
 許麻は娘の思慕を翻意させたものが、おのれの存在や賀茂の国の愛する民人らに向けた慈愛のゆえと気づいている。
「根日女よ。そなたはこれでよいのか?これで……!」
 父が何度も暗黙の裡に兄弟皇子とともに大和へいけと促しているのに気づく根日女だった。だからこそ、根日女はこの地を離れられないのだ。わが身を愛してくれる多くの民人を、父を見捨てられないのである。
 根日女は父許麻に優しく透き通った頬笑みを与え、天女のごとく静かにかぶりを振った。
   

 許麻が部屋に入ると、年のいった次女が、いつもと変わらぬ淡々とした仕種で頭を下げて退出した。根日女が二歳になった頃からきょうまで根日女の傍で律儀に仕えつづける老女だった。
「…こ、これは…おとうさま……」
 根日女はおのがままならぬわずらいの身体をしきりに起こそうとする。
「そのまま。そのままでよい、根日女よ」
 許麻は慌て狼狽えて膝を落とすと、根日女の背にそーっと手を当て、静かに元の姿勢に寝かせた。
「……申し訳ありませぬ…おとうさま……」
 消え入るような声だった。許麻は点を仰いだ。昔はあのように麗しくて愛らしい天女の声をかくありやといったものだったのに。許麻は父親として切ない思いをまたしても噛み締めながら、目をそらせて何度も、何度も頷いた。
「きょうは気持ちのいい日だ。うーん。春が、もうそこまでやってきておる」
 許麻は差しさわりのない話題を選んで喋ることになれてしまった。根日女が病床に伏してから、それだけ長い時が過ぎた証拠だった。
「春になれば、そなたの病も、またよくなろう」
 気休めの言葉に過ぎぬのは、父である許麻が一番よく判っていた。根日女の命は決して春まで持ちはしないだろう。 (続く)
(おーる文芸誌・独楽1995年3月掲載)
 



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

根日女昇天・その2

2015年01月27日 00時22分55秒 | 文芸
その月日を根日女は兄弟皇子のどちらとも選べぬままに過ごしてきた。心根が優しいゆえに根日女は、わが身に熱い思いを寄せてくれる彼ら皇子らの心を傷つけることなぞ考えられなかったのである。
 オケとヲケの兄弟皇子は、先の大王の執拗な追跡の手を逃れるために、苦難の道を共に助け合い励まし合い生きて来ている。艱難辛苦を共有するなかで培われた兄弟愛と強く育った信頼と絆は並みなことでは崩れぬ強固なものとなっていた。たとえ根日女であっても容易には踏み込めぬ何かが二人にはあった。
 先の大王の崩御は、大和朝廷の勢力図絵を一挙に塗りかえた。大王には跡を継ぐ子がなかった。そこで担ぎ出されたのが、大王と腹違いになる妹、オシヌミノイラツメだった。暗殺された前の大王と同腹の兄妹ではあったが、女だからと、一族殺戮の危機から辛うじて逃れていた。そのイラツメが大王なきあとの大和の権力の中枢に奉られたのである。
 幸か不幸かイラツメはオケ、ヲケの父である暗殺の憂き目にあった前の大王とは同腹の兄妹だった。イラツメは兄の忘れ形見の兄弟皇子が播磨の地に隠遁していることを知った。彼女は迷うことなく播磨に勅書を送ると、兄弟皇子を次の大王に据えるべく兄弟皇子を都に迎えようと考えた。イラツメに命じられた使者は、賀茂の里に隣り合わせる志染の里に直ちに向かった。兄弟皇子は志染の長のもとに身を潜めていたのである。
 使者を迎え、大和の国の実情を知らされた兄弟皇子はイラツメの期待に応えるべく決意を固めた。しかし、根日女との決着しようがない愛を、時が流れにまかせて自然の解決を委ねていた兄弟皇子は、躊躇せざるを得なかった。されど、つまるところ彼らが大和の都に戻ることは、暗殺された父王の無念を晴らすための第一歩だった。追っ手の影に怯えながらひたすら耐えしのんできた。兄弟皇子が抱き続けた夢を実現する環境は都にしかないのである。結局、兄弟皇子は都に戻る道しか選択肢はなかった。
「われらが国づくりに励む姿を、根日女、そなたに傍で見守ってほしい。そなたは、大和の妃に、大和の国母となるために、われらとともに都にのぼると運命づけられておるのだ。われらと出会ったは、まさしく神のお導きだったに間違いあるまい。さだめに準じて、われらとともに都に参られよ」
 都へ出立する前日。別れの宴席で、したらか呑み過ぎた祝い酒の酔いに任せて、兄皇子のオケは、その知的な風貌に似つかわしくない、未練をあらわに露骨に過ぎる熱情を持ってしつこく根日女に迫った。兄と違い野性的な風貌の弟皇子のヲケも、血の気の多さを丸出しで、根日女に翻意を訴えた。
「そなたなしでは、もはやわしの明日はないも同じ。わしは、根日女という女人が好きじゃ!そなたが好きじゃ、そなたが欲しい!都に参ってわしの子を産んでくれい!」
「……」
「ヲケ、見苦しいぞ。心を抑えよ、人前じゃ。われらが根日女に恥をかかせてはならぬぞ」
「なにをいうておる。ならば、兄者は、兄者は根日女を欲しいとは思わぬか?なんと根日女への思いは、口先に過ぎなかったか!」
「そうではない。根日女を想う心はお前には負けぬ。しかし、いかほどに女人への思いが強かろうと、それに甘んじたあまりに野蛮な振る舞いは許されないのだ。わしらは男じゃ、わしらは大和の血を継ぐ気高き皇子なのだ」
「馬鹿な。男が女人を好きになったら、是が非でもその心をわしが独り占めにしたいのは道理だろうが。いかに競う相手が敬愛すべき兄者じゃとて、恋敵にはわしは遠慮せぬぞ。いいか!わしの根日女への思慕は何人にも劣りはせぬ!」
「ヲケよ。この兄が根日女を想う心根が、そなたに負けると思うておるか。愚かだぞ、ヲケよ。男が女人を愛する心に優劣などあろうはずがないではないか!」
「ならば、ここで決着を図ればよい。兄者よ、いかに!」
 酒の勢いを借りているだけではない。根日女との別れを眼前に生じた激しい動揺が、これまで抑制をかけていた兄と弟のタガを外させ、ここぞとばかり心情を赤裸々にぶつけ合うのだった。
 根日女はわれを忘れて二人の間に割って入った。
「お待ちください!わたしごときのために、ご兄弟が醜い争いをなされてはなりませぬぞ」           (続く)
(おーる文芸誌・独楽1995年3月掲載)
 



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

根日女昇天

2015年01月26日 00時33分07秒 | 文芸
播磨風土記3000年記念歴史小説
根日女昇天

 屋形の縁より眺めると、かなり大きい墳墓が築かれつつあるのが一目瞭然だった。
 墳墓を取り囲むように池が掘られている。賀茂の国の民人が総出で工事に取り組んでいる光景は壮観そのものだった。墳墓はもうすぐ、この辺りの河原を埋め尽くすなんとも見事な玉石で飾られることになっている。
(あれに葬られるのは、わしが先か、それとも……?)
 許朝(こま)は、雪のように白くなった髭に覆われた顔をさすりながら、目を宙に泳がせた。
 この播磨の一隅に位置する賀茂の国を支配する豪族の長、許麻はかなりな高齢だった。許麻と同じ頃に生を受けた国の民人らの大半は、既に神のお召しで昇天してしまっている。総ては逆らいようのない神の御意志である。おのれがここまで生き長らえてきたのも、神がそう望まれたに他ならぬと、許麻は考えている。
 肥沃な土地と温暖な気候に恵まれた賀茂の地で、民人はらの暮らしはかなり裕福で平穏だった。豊かな自然の恩恵を受けた賀茂の国力は、他国から羨望視されるほどだった。
 長の許麻が時代を見通す力と統率力を兼ね備えていたからだったが、当の本人は、賀茂の国の守り神と崇められた妻カナヒメや、その後を継いだ娘がいたればこそと思っていた。
 その妻は二十年も前に神に召された。そして、最愛の娘、根日女(ねひめ)は、いま寿命が尽きようとするほどの病臥に伏せっている。生死の峠を、もう幾度彷徨い続けてきただろうか。近頃はただ単に生き長らえているとしかいえなかった。
(大和の都は平定されたと聞いた。それでいて、余りにもあまりにも遅い。遅すぎるではないか。大和と賀茂の道程は、さほど遠いとも思えぬに……?)
 大和朝廷の大王がみまかい、その後継を争った族内抗争が勃発した。広がった戦火に多大なる血が流され崩壊寸前にまで至った都は、あの類いまれなる能力に秀でた兄弟皇子の奔走で、ついに平安を勝ち得たのだ。許麻がよく知るオケとヲケの兄弟皇子の待望はかなった。
 許麻が統治する賀茂の国は彼らの戦いに全面的な支援体制を敷いた。大和朝廷の平定は、地方の有力な豪族である許麻と、その一族の強力な支えがあったればこそ成し遂げられたんである。
(あの日、根日女は、あの貴きお方あの懇願に応じるべきであった。さすれば、あれは…根日女は今ごろおなごの幸せを手にしておったのだ。それを……!)
 許麻は複雑な思いに揺れながら静かに振り返った。その視線の先に、許麻が愛してやまぬ娘、根日女が病に伏す部屋があった。兄弟皇子に求愛されたあの頃の根日女からは想像もつかぬ、衰えを隠せぬまま、ただ死ぬる火を待つだけの、絶望的な、あまりにも悲惨な姿が眼前に浮かぶ。
 尋常の美しさではなかった。紙が与え給うた神秘に包まれたこの世の女人とは思えぬ存在だった。女は愛されることで本能が働き、より美しく変身するという。それが、一人の愛ではなく、二人の見目麗しい貴公子が同時に求愛したのである。大和の都の母にと望まれたのだ。根日女が女神の如く光り輝いて見えたのも、けだし無理からぬ話だった。
 根日女の幸福の極みは、ほんのつかの間に過ぎなかった。求愛した二人の貴公子は、実に仲がいい兄弟であり、彼らは暗殺された先の大和
の大王の忘れ形見だった。さだめは兄弟皇子を、追われた都に再び導いた。彼らは大和の国の民人のための戦に身を投じるために帰国しなければならなかった。根日女を連れ帰って、大王の妃にむかえる意思を通そうとした皇子らの望みは、はかなくも潰えた。
 根日女は賀茂の民人らに賀茂の太陽とも崇められる存在だった。その太陽を永遠に沈めるなど根日女は考えるだけでも耐えられなかった。愛に応えるべきか?賀茂の国に希望と夢を与え続けるべきか?二者択一を迫られる根日女の懊悩は想像を絶するものだった。根日女が出した答えは、賀茂の国の選択だった。
 オケヲケの皇子らの父を暗殺し、支配者の座に着き、わが世の春を謳歌していたいまの大王が崩御したのは、兄弟皇子がね日女に愛を披歴した日から半年を経た時だった。彼らが都に迎えられる悲願の時がやって来た!         (続く)
(おーる文芸誌・独楽1995年3月掲載)
 



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

みずみずしい野菜は誰のおかげ

2015年01月25日 00時22分56秒 | 文芸
みずみずしい野菜は誰のおかげ?

 わが家の家庭菜園は、この春、妻が「自家野菜で家計を補うのよ!」とえらく張り切って始めた。
 が、いつの間にやら、妻はその役割を放棄し、畑を耕し野菜を育てるのは、私の役目になってしまったのだ。
 そんな時に限って、酷暑渇水という大変な夏が来るから、オレはついていない、畑の土はカラカラで、野菜を枯らさないためには、川から水を汲んでこなければならないときた。それもひと往復では焼け石に水という厳しい状況である。
 某テレビ局の『大草原の小さな家』を思い出して、
「オイ、異常事態なんだから、手を貸してくれ。家族みんなで協力したら、水運びだってラクに終わるんだからよう」
 とわたしがいうと、
「そうね、子どもたちにも手伝わせましょう。わたしも家事を済ませたら行くわね~~」
 と女房。とりあえずその言葉を信じたわたしと子どもたちは、炎天下の中、汗ダクダクで水運びをした。が、女房がやってきたのは、狙いすましたように、水汲みがちょうど終わったタイミング。で、いかにも残念そうに、
「あら、もう済んでるじゃないの。これじゃわたしの出番あらへんね。みんな、えらいえらい!」
 といいやがった!もう口あんぐり。開いた口がふさがらないとはこのことだ!本当にエラかったよ、オレたちは! 
 以来、夏の間じゅう、「家事が…」「せんたくが…」だのと連発して、水汲みを逃れた女房。さらに憎たらしいことに、残暑厳しい八月の終わりに、こういったのだ。
「今年は、夏野菜に不自由しなかったわね。家庭菜園をを始めたわたしのおかげだと思って、みんな感謝しなさいよっ!
 この女房のひと言を聞いて、ブッ倒れてしまったのは、わたしと子どもたち。ホント、いい根性してるじゃねえか、おぬし!
(週刊ポスト平成六年十月掲載)

おんなたちへ!

 なんとも恐ろしいテーマを与えられたものであるが、年々だらしなくなる男どもを尻目に過激な勢力拡大をはかる女、そんなおっそろしい領域に触れてみるのも、また一興といってよかろう。
 といっても小生の女性遍歴?、自慢じゃないが片手で数えるにはおこがましいほどの乏しさである。それも割合好みが偏り過ぎるきらいがあって、血液型はBかAB。自由な気風でいて男を立ててくれる矛盾いっぱいのタイプがほとんど。つまり小生にとっては実に都合のいい女たちだった。もちろんフラれた相手もいるが、それはそれで充分いい思い出として残っている。そんな近視眼的な小生の軽口、さて一体どうなるものやら。
 小生、二年前までは喫茶店のマスター。それ以上に長いキャリアを誇る道楽とも言えるアマ劇団活動の中で、第三者的にはけっこう多彩な女たちを垣間見てきているが、いまだにこれはと瞠目した女にお目にかかったことはない。帯に長し……云々なのは、別に理想が高いせいだけではあるまい。
『女の時代』を背負って輝いている女性とは時々出会うが、そんな彼女は大体可愛さが足りないときている。男を男とも思わぬ態度にはむかっ腹さえ立つ。可愛さを押し出している女性は全く逆で『女の時代』とは無縁の、なぜか保守的にこだわるタイプ。
これまた戸惑わざるを得ない。
 血液型なら前者がO、後者がAって感じかな。これは小生の持論に過ぎないので、あしからず。
『女の時代』ってのも、どうも納得しがたい。あれはマスコミの先走りにすぎず、ミスコン・風俗産業の衰え知らずの社会を見るかぎり、『浮かれるな女たち!』といいたくもなる。
 生理的な面を考慮しても、しょせん男とおんなそれぞれの役割が違うのも当然と言える。それを無視してすべてを均等にしようとするから無理が生じる。無理は絶望を生む。結婚しない。産まない。家事はしない……もう勝手にしろ!ってんだ。ついでにセックスも放棄しちまえ。それよりも、環境破壊、戦争……いま世界に渦巻く破滅現象に、しっかりと目を向けるべきだ。
 これらをくい止める抑止力に、女性の力は必要不可欠の存在である。貪欲な男たちの野望を暴走を、女性のみが持ち得る、無限の大きくて深い母性で包み込んでしまう。これこそ『女の時代』における女性たちの真の役割ではないだろうか?女なくして地球の未来は考えられないのである。
 支離滅裂で申し訳ないが、実は胸がスーッとする小生。いくらどのような文句を並べたてようとも、しょせん女好きな男の甘えが根底にあるのは明白である。
(女の雑誌・あっぷテンポ平成3年春掲載)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

クローン羊ならぬクローン人間?

2015年01月24日 00時06分09秒 | 文芸
クローン羊ならぬクローン人間?

 八十歳を過ぎてから大病を患った義母。その介護と仕事を、やはりご老体なのに懸命にこなしている義父。夫の生家はすぐ近くなのに、なかなか手助けができずにいる自分がじれったいというか情けないというか……。
 わが家は高校生二人、中学生一人、保育園に通う末娘を抱え、経済的にも時間的にもまったくゆとりのない日々です。夕方から翌朝にかけて働く夫。昼から夕方までパートで働くわたし。空いた時間に夫婦交代で家事、育児をこなすしかないのです。
 少ない睡眠時間を確保しようとすれば、二十年近く続けてきた夫婦の共通の趣味すらあきらめないといけない現状では、どうしようもないのです。もちろん、裏の畑の世話もなかなかはかどりません。
 そんなわたしがいまいちばん欲しいものは、もう一人のわたしと夫。夫の両親とわたしの親のそばでそれぞれ親孝行ができる性能があるなら、ロボットでもクローン人間でも……!ああ、夢のまた夢なんでしょうね。   (平成十三年五月掲載)

お盆のお墓参りで
戦死者の墓に、もう二度と愚かな
戦争は繰り返すまいと誓う

 夫の実家では毎年お盆になると、親兄弟の家族みんなが集まってお墓参りをするのが習わしとなっている。まず墓地の入り口に並んだりっぱな石塔、続いて土饅頭がたくさん競ってある本家の歯か。最後に家の近くにある先祖の石碑群にお参りするのだからたいへんところで、いちばん最初の石塔の銘を呼んでびっくり!英霊を祭る石塔だった。徴兵されて戦地に赴き戦死した村の若者たちだ。いずれも二十代、三十代のあまりにも早すぎる死である。
 いくらりっぱな墓石を建てられても、戦争で散って行った彼らの無念はいかばかりだろうか。
 翌年のお盆から、わたしは戦死者の石塔に手を合わせるたびに、二度と戦争を起こさないようにわたしたちは努力しています。そんあわたしたちをぜひ見守っていてくださいと、胸のうちで語りかけるようになった。
 まだ小さく幼いわが子たちは、そんなわたしをキョトンと見詰めている。この子たちに戦争を体験させまいと、お盆を迎えるたびに固く心に念じている。
(パンプキン平成三年八月掲載)

においの見張り番?

 わが家のにおいの見張り番は夫です。というのも、夫はもともとレストランのコックで、食材が腐っていたりしているのを調理して出したら、もうおおごとです。
 それにガス漏れなんかも命にかかわってきますので、知らず知らずのうちに鼻が敏感になったというのです。
 もうコックをやめてだいぶたちますが、今はその鼻が家族を食中毒やガス漏れの危険から守ってくれていて、感謝感激です。
 ただ困るのは、あの『おなら』。我慢したら体に悪いし……?家族の前だったら音が出ないように慎重にやるんですが、これが夫にはすぐにわかってしまい、
「おい、だれかやったな。あ、おまえや。わしの鼻はだませんで」
 と指をさされ、子どもらの前で恥をかかせられたなんてのはしょっちゅうなのです。
 まあ、おならより命のほうがだいじなんだから、文句なんか言えませんけどねぇ。
(平成五年十二月掲載)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

口は出すけど手は出さない

2015年01月23日 01時05分05秒 | 文芸
口は出すけど手は出さない

「きょうの休み、おとうさんの畑仕事手伝うてくれや」
「えーっ、ぼく、遊ぶ約束してんのに」
「あかんのか?」
「う……ええけど」
 4年生の息子、誠悟はしぶしぶといった様子でうなずいた。
「かまへんよ、遊びにいったらええから。約束してんでしょ」
 そばで聞いていた妻がよけいな口を出してきた。
「おまえ、だれと約束してるんや?」
「……」
「ユースケくんと違うの」
 またまた口出しの妻にムカッときた。
「どないなんや、誠悟」
「だれとも約束してないわ」
(ほらみてみいや)と言わんばかりに胸を張って妻を見た。妻はそれでも負けていない。
「おとうさんがガミガミ言うから、なんも言えへんのやんか。気にせんでええから、遊んできなさい。子どもは、よう遊んだらええんや。遊ぶんが仕事なんやから。おとうさんは子どものこと、ちっともわかってくれへんのやからね」
 ついに、わたしの腹の虫が爆発した。
「やかましい!おまえにわしの考え方がわかるかい。おまえとわしは、子どもの教育に対する考え方は違うんや。それをいっしょくたにすな!」
 こうなると、妻も黙ってはいない。妻は保母で、児童教育のなんたるかを勉強してきているから、こういう問題には一家言をもつ。
「いまの子どもは昔と違うの。学校で毎日遅うまで勉強、勉強で追いまくられてるんやから、休みの時ぐらいは思うとおりにさせたらなあかんのや。それをも見守ってやるのが親の務めなんやからね」
「アホ!わしの子どもの時分はなあ、親を手伝うて、いろんな知識を身につけたもんや。親といっしょに汗流しとるうちに、自然と親子のきずなが育っていくんやど」
 もう平行線をたどるしかない。わたしと妻は十三の年齢の開きがある。育ってきた時代背景が違うから、どうしても意見がかみ合わないことが多くなる。だから、結婚して以来、しょっちゅう口げんかをしている。
 でも、子どもの教育うんぬんで言い合うのは、そのときが初めてだった。自由に、おおらかに育ってくれればいい、との考えで一致していたからである。
「勝手にせんかい!もう、どいつもこいつも」
 わたしは逆上ぎみに捨てぜりふを残して、その場を立った。中身のない感情に任せた言い合いに妻の目が潤みはじめたのを、目ざとくわたしは認めたのだ。それ以上いけば収拾のつかない夫婦げんかになるのは、これまでの経験上、わかりきっていた。
 腹だちが癒やせないままに、わたしは畑で備中鍬をふるって、土を掘り起こした。
「くそったれ!くそったれ!」
 と、腹の中で繰り返した。
 ふと人の気配に気づいて振り返ったわたしは、そこに息子の姿を認めた。長靴を履いて手伝う用意をしていた。
「おまえ、遊びにいかへんのか?」
「ええのんや。遊びにはいつでもいけるもん」
 そうニコニコしながら言うと、息子は「はい」と手のものをわたしに突き出した。アイスキャンディーだった。
「おかあさんが、おとうさんに持っていってあげてってさ。きっとのどが渇いて大変だからって言ってたよ」
 そういえば、さっきの口げんかのせいもあって、のどはカラカラだった。さすが妻は好敵手だ。わたしと違ってかなりゆとりがある。あの目の潤みは目くらましだったに相違ない。癪だが、のどの渇きには勝てなかった。
 息子と並んであぜの上に座りこみ、アイスキャンディーをなめた。渇いたのどには冷たくて極上の味だった。
「ごめんね、おとうさん」
 いきなり息子が言った。見やると、照れくさそうな息子の顔があった。
「なんや?」
「ぼく、おとうさんとおかあさん、けんかさせてしもうたもん」
「アホ。おまえら子どもは、そんなん気にせんでええんや」
 そう、あれはわたしと妻の、生活のマンネリ化へカツを入れる行事みたいなものなのだ。でも、口は出すが手を出さないのが鉄則なのだ。
(家の光平成七年三月読者体験記入選作)


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

愛のキューピッドは送られた絵本

2015年01月22日 03時24分32秒 | 文芸
愛のキューピッドは送られた絵本!?

「誕生日おめでとう。私が一番好きな絵本、プレゼントします」
 はにかみながらも、おしゃれなリボンのかけられた絵本の包みを差し出す彼女。保母1年生の彼女にとって、絵本は身近なもののひとつなんでしょう。
 付き合い始めて半年、ひとまわり以上の年齢差もあってなかなか進展しない間柄に、悩みジレンマが一段と深まったころのことでした。
 部屋に戻り、仕事の疲れでボヤッとしながら一人、そっと包みを解きました。
 やや大判の絵本、どこか墨絵を想わせる雰囲気の表紙です。黒いウサギが白いウサギにの頭に小さい黄色の花を飾っている絵。ウサギのまん丸い目、なんともいえない可愛さに惹き込まれます。書名ははズバリ!
『しろいうさぎとくろいうさぎ』
 単純明快なお話で、あまりにもスーッと読めてしまう。最初は物足りませんでした。でも二回目になると、ものすごくしあわせな気分になります。三回目にはなにかちょっぴり悲しくなりました。
 このくろいウサギの姿は当時のわたしそのものではありませんか。話し下手で引っ込み思案。相手に思いが募れば募るほど、思いきった意思表示にちゅうちょしてしまうのです。
 でも、絵本がわたしを励ましてくれています。
 うさぎたちのまん丸な赤い目。しあわせになるって本当は大変なんだよ。待ってたって向こうからやってこない。さあ、思い切って自分の心に素直になろう!行動しょう、いますぐに!と呼びかけてくれます。
 くろいウサギがやっと幸福を手にしたように、心の中をいっぱいにしている熱い思いを素直な言葉にして相手に届けるだけでいいのです。
 4回目を読み終えると、胸はジーンと熱く、もうたまらない気持ちになっていました……!
 それからどうしたのかって?
 もちろん彼女にプロポーズ!彼女は待っていてくれたのです、それを。そして結婚へ!
 現在は二人の子どもたちに恵まれ、家族そろってすこぶる元気でハッピーな生活です。優柔不断なわたしに業を煮やした彼女が、「見習いなさい!」と声なき声を秘めた絵本プレゼントは大成功したのです。
 いまでは子どもたちが、あの運命の絵本『しろいうさぎとくろいうさぎ』を読めよめとせがむ年齢になりました。それを傍らでにこやかに眺めている妻。その眼が、あのしろいウサギの愛くるしい、まん丸で すき通った目に見えてくるのは、私の思い過ごしなのでしょうか?
(昭和62年11月ギフトブック掲載文)
 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オナラは永遠に直らない

2015年01月21日 00時02分42秒 | 文芸
オナラは永遠に直らない

小学校6年生の時、授業の真っ最中で、シーンと静まり返っているのに、私のお尻から、それもとてつもなく大きいのが、
「ブァーッ!」
クラス中の視線がいっぺんに私の方に向けられたのも仕方ありません。もちろん、先生も唖然とした表情で、こちらを窺いました。
「へへへッ」
 万事休してしまった私。完全に開き直って、笑ってごまかしたのです。
 以来、私は不名誉な有名人に。先生の間でも、すっかり話題の主となり、廊下や教室で顔を合わせると、どの先生もニヤリと笑い、
「やるな、お主!お手柔らかに頼むぞ」
 と、からかわれたものでした。これ、きっと父親に似てしまったのだと思うけれど、出物はれ物ところ嫌わずで、いくら我慢してみても、無駄な努力に終ってしまいます。
(こんなんで人並みに結婚できるかな……?)
 と、やはり人並みに悩んでしまった私が、ついに獲得した愛する夫は、なんとオナラを人前で絶対にしないという人。皮肉じゃないけれど、世の中ってうまくできてるんだなと感心したぐらいです。
 つき合い始めた頃は、私も必死で生理的現象をコントロールしようとしたけれど、結局一週間もしないうちに、化けの皮がはがれてしまいました。思わず「プーッ!」とやってしまって、ハッと彼を見ると、
「出物はれ物ところ嫌わずだもん。気にしない、気にしない。僕もトイレで思い切り出すから」
 と、とことん優しく言ってくれるのです。
(女が人前で、なんてはしたない。もう、この人に嫌われても無理ないわ)
 と、すっかり諦めかけていた私だったのに、意外な彼の反応に大感激してしまいました。
(もう、この人しかいない。私を理解し、幸福に導いてくれる相手は……!)
 正解でした。結局、彼と結婚した私は、幸せいっぱいの現在に至っているのです。
 ところが、オナラに関しての彼の態度は、結婚生活に入ると、とたんに一転したのです。
「人前で女がオナラするなよ。俺が恥ずかしいだろう!」
「オナラなんてのは、自分の意志で止められるもんだ。性根が座ってないから出ちゃうのさ」
 てな調子で皮肉のオンパレード。でも、出るものはどんな苦労をしても止めようがないから、私は彼の皮肉に敢然と立ち向かうしかありません。
「オナラは健康な証拠なんだからね。オナラしないあなたが不健康なのよ!それでも止めたきゃ、あなたの愛の力で止めて見せなさいよ!」
 あれから八年。授かった子どもが大きくなり、どうも母親に似たのかブーブーやり始めると、オナラ否定論の彼は完全に孤立化で、ついに白旗を掲げたのです。
 それでもグチグチと言い続けています。
「できるだけ人前だけは避けてくれよな」
 言われなくても、私の本心は愛する夫を悲しませたくないのです。でも、いくら出すまいと我慢しても、自然現象は人の力が及ばないところにあります。……こればかりはどうしようも……?
(小説すばる1990年9月掲載文)




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする