終了予定は十一時だが、三十分前には担当範囲を大体刈り終える。また尻をおろす。
「○○はんとこ、嫁はん出て行ったそやな」
「へえ。あない仲よかったんにけ?」
噂に挙がったのは、同年輩の男。市役所に勤務し、部長まで上りつめている。定年退職した後も外郭団体に迎えられたと聞く。嫁さんは看護師である。
夫婦二人で村の中のウォーキングにいそしんでいる姿を、よく拝見した。それが三か月ほど前から、男一人で歩いている。
「女遊びがバレたんよ。そら、そないなったら、もうしまいじゃ。嫁はん気ィー強いでの」
「そら、えらいこっちゃがな」
相槌を打って、相手に機嫌よく喋らせる。それが田舎で暮らすための処世術だ。情報もスムーズに手に入る。
「もう終わってもうたらええです」
さっきの役員だった。いつの間にか軽トラを脇に停めている。気づかなかった。
「他は段取りよう終わったんかい。遅れとるとこあるんやったら、手伝いに行くよって」
口は重宝だ。自分の担当部署を済ませてげんなりしているから、その気は毛頭ない。本音と建て前を使い分ければ、田舎でつつがなく生き抜ける。
「ほなら、帰ろか。昼から溝浚えやでのう」
「しんどいこっちゃ」
「続けざまはきついわ」
愚痴りながら帰途に着いた。
他の地区は道普請と溝普請を分けて、二週間がかりでやる。わが地区は一日でやっつける。ゴールデンウィークさ中に、二日も村の行事に休日をとられるのはかなわない。「いっぺんにまとめてやらんかい」と決めたのは僕らの世代。多数決だった。若かったから、目先のことだけ考えていた。
ところが年を取ると、一日ぶっ通しの作業はきつくなった。つらい!しんどい!朝八時から十一時過ぎまで道普請(草刈りが主)で、昼一時から四時まで溝普請(草刈りと溝さらえの作業)である。溝浚えはかなり大変だ。
「猪の奴、ミミズあさって、地面を掘り返すさかい、溝が土で埋まってしもとるわ」
「かなんのう。溝ん中の土上げるん、ちょっとやそっとで済むはずあらへんがい」
誰もが憤懣やるかたなしだ。口々に猪を責める。その場にいないやつは悪者にされる。
現況が散々なのに、頼りにしたい若者が少ない。彼らは都会に出て帰らない。わが村は高齢化社会を先行している。限界集落への道も他人事でなくなる恐れは充分だ。
一時過ぎ。えらくいい天気になった。ちょっと暑いくらいだ。これが一番こたえる。半日の作業を終え、もうクタクタなのに、午後の作業は否応なしだ。それに暑さが加わる。考えるだけでやる気は失せてしまう。
「ボチボチ行ったろか。溝浚えがおっつかなんだら、助っ人よこしてくれるわいな」
相棒は開き直っている。
ボチボチ行くどころか、出来れば、そこらに寝転がってしまいたい。
やはり現実に応じた変更は絶対必要だ。
ただ誰かが言い出しっぺにならないと、事は始まらない。田舎の人間は何やかや言っても保守的だ。一度決まったものをひっくり返すのは並大抵じゃない。結局長いものに巻かれろとなってしまうのがオチなのだ。
「腰痛いわ。ちょっとひと休みしはらへん?」
相棒が早くも音を上げている。まだ四十半ば、私より二十は若い。なのにだらしない。
「そないしょーか。ほんまに足腰がもたへん。誰も年には勝てんねんやから」
「うちの息子、就職決まりましてん……」
あえて聞きたくもない身内話が始まる。このまま時間が過ぎれば御の字だが、そうはいかない。まだきつい作業が「早くせーよ!」と目の前でほくそ笑んでいる。
顔を手でゴシゴシと撫でこすった。……ああ…しんど~!。日差しがやけに強い。