こころの文庫(つねじいさんのエッ!日記)

家族を愛してやまぬ平凡な「おじいちゃん」が味わう日々の幸せライフを綴ってみました。

寒空のもと

2017年10月31日 03時23分12秒 | Weblog
庭に新しい花の仲間が
顔を見せている。
菊に皇帝ダリア、
椿の花……
(何とか名前が言えました。
ただし、細かい名前はご勘弁ください)
他にも紫の花とかなんとか……
(こちらの名前はちんぷんかんぷん。笑)
とにもかくにも、
この間の台風に痛められながらも、
頑張って咲いてくれています。
なにか力を貰った気になります。
負けていられません。
頑張るっきゃないですね。


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長生き

2017年10月30日 00時51分58秒 | Weblog
「もうあかん。
俺、もう死んでまう!」

「もう聞き飽きたよ、
そのセリフ。
大体死ぬ死ぬっていう人が
素直に死んだの
聞いたことないわ」

 風邪で高熱にうなされる
わたしの弱音に、
妻はいつも
容赦のない皮肉をくれる。
確かに、
何かにつけて
「死ぬ死ぬ」を連呼するのは
反省するが、
もしものことだってある。

「あんたもう七十やろ.
生き過ぎやないの」

「あほ言わんとけ。
俺のおやじ、
去年百歳になったんやど。
まだグランドゴルフに通ってるぐらい
ピンピンしとるのに、
息子が先に逝ったら、
世間様に
笑われてしまうがな」

「呆れた、
少しも死ぬつもりあらへん」

 待ってましたとばかり
また妻の皮肉。

(おやじの百歳を超えたる!)と
ひそかな思い、
妻にはどうやらお見通しらしい。
こうなれば開き直って
「死ぬ死ぬ、死んでまう」を
連呼してやる。
それで亭主が長生きすれば、
妻がどんな顔をするか
楽しみである。
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講習会

2017年10月29日 01時49分50秒 | Weblog
健康ウオーキング教室に参加した。
各地のウオーキングに
参加し始めて
三年目だが、
これまで一度も
歩き方や必要なストレッチなど
学ぶ機会がなく、
自我流。
専門の運動指導員による講習なので
参加を申し込んだ。 無料だが当日の参加者は十四名。
高齢者仲間だと一目瞭然で、
男性は三名だけ。
怯んだが、
学ぶのに遠慮は無用と
思い直した。 講習はウオーキングの基礎知識と
実地の二本立て。
生活習慣病、老化、肥満などの防止や
ストレス解消に効果があると学び、
歩くフォームのチェックと
歩き方をコーチされた。 実地歩行は、
みんな懸命。
すれ違いざまに声をかけあったりと、
楽しい練習だった。 終わると会場から自宅まで、
覚えたてのフォームと
腕ふりで歩いた。
これまでと違い体も心も軽やか。
早くも効果が出ている。 健康事業に力が入る
市に住む幸運を生かし、
高齢者仲間と
いい意味の競い合いをして、
寝たきりにならない老後を
手に入れようと思う。
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あの日♡愛犬

2017年10月28日 01時54分10秒 | Weblog
小学校から電話が。
なんと二年生の息子が
下校途中で
野良犬に噛まれたという。
飛んでいくと、
息子は保健室で
手当てを受けていた。
お尻をがぶりと
やられたらしい。

「もしものことがありますから、
病院へ連れて行って
やってください」
保険の先生の心配は
狂犬病。
相手は野良犬である。

 病院で「大丈夫」の
お墨付きを貰い
帰宅すると、
愛犬のタロが
駆け寄ってきた。
野良犬に追われ
尻をかまれた直後だけに
息子はたじろいだが、
タロは委細構わずだ。
家族で息子が一番
可愛がっているから
無理はない。

 ペロペロと
顔をなめられた息子は
「バカ!」と
手を振り上げた。
顔には
必死さが溢れていた。
タロは
ご主人様の異変に気付いたのか、
尻尾を下げて座り込んだ。
「キューン」
悲しげな鳴き声と、
戸惑った顔が
印象的だった。

 結局、
息子との仲が
もとに戻るまで数日、
タロのしょぼんとした姿があった。
犬と人間の絆を
感じさせてくれる
光景だった。
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メタボ対策?

2017年10月27日 02時53分34秒 | Weblog
メタボ予備軍です!」

 衝撃的な宣告だった。
保健師の指導を受けて
食事対策と
体重腹囲管理を始めた。
それでも不安は尽きず、
自分でもなにかしなくてはと
焦りに焦ったとき、
妻がヒントをくれた。

「フラフープは
ポッコリおなかに
効果があるらしいよ」

 妻が仕入れてきた
情報を丸呑みし、
フラフープを通販で
早速取り寄せた。

 子供のときフラフープは
大の苦手だった。
一回も回転せず
ストーン!と
落ち続けた挙句、
結局諦めたのを思い出す。
(あれは子供だったからや。
いま俺は大人、簡単)と
フラフープをみくびっていた。

「あれ?」

 フラフープを
腰で回そうとするが、
子供の時と同じで
手も足も出ない。
ポッコリおなかに
刺激を与えることなく
無様に落ちた。

 いまフラフープは
物置の片隅に。
ポッコリおなかは
相変わらず
ポッコリのままである。

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健康イベント

2017年10月26日 01時49分26秒 | Weblog
24日は
加西風土記の里ウォーク第6回目。
宇仁の里「花畑街道」散策コース7キロに参加。
約二時間の行程でラクラク気分だったが、
奥山寺の石段登りでヒーハーヒーハー。
膝がガクガクになりました。
スタートは八王子神社。
大きな境内を持つ、
由緒ある神社でした。
加西に住みながら、
奥山寺も
八王子神社も知らなかったのです。
花音痴にふるさと音痴とは、
もう笑って誤魔化すしかない。

この日の見ものだった
コスモス畑は、
先日の台風一過で、
見るも無残な状態。
幸か不幸か歩きに専念できました。

ゴールすると、
車を飛ばしました。
昼食に用意しておいた
握り飯を頬張りながら
カーチェイス(?)。

市民会館で行われる
いきいき体操応援隊講習会
2回目に間に合いました。
椅子に座った状態でする体操。
寝たきり防止や老化に
効果があるといいます。
それをマスターすると、
各地区のグループが実施する
いきいき体操会の、
サポートをすることになります。
ボランティアということです。
簡単な体操ですが、
固くなった頭では、
覚えるのが大変。
脳トレなぞ、
もうついていけない!
必死で誤魔化すのに努めました。(笑)

結局、
その日の万歩計の表示は、
23068でした。
フー、お疲れさま。
自分を慰労するジブンに苦笑です。
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あの日あのとき・

2017年10月25日 07時00分33秒 | Weblog
「MBSです。
角淳一のトーク番組で
『禁煙喫茶店』の話題を取り上げたいんですが」

 いきなり喫茶店を訪れた男性の申し出に
あっけにとられた。
角淳一の深夜番組は
仕事終わりによく見ていた。
その人気番組から声がかかるなんて……
夢見心地で取材を受けた。

 MBSのスタジオで、
上岡龍太郎や桂文珍ら
そうそうたるメンバーと
対峙する席に着いた。
雲の上の存在だった相手の
質問や意見に上気しながらも
なんとか受け答えた。

 すぐA放送から出演依頼が来た。
桂春潮と上沼恵美子の『夫婦善哉』という
ラジオ番組だった。
これは妻と一緒に出演した。
酔狂な夫を持った
妻の苦労話を聞く趣旨だった。

「見たよテレビ。
ノックさんと話してたやん。
うらやましいわ」
「上沼恵美子さん、
やっぱりきついひとやなあ」
「春潮さん、
やっぱり痩せてはるん?」

 しばらく
知人友人から羨ましがられ、
質問攻めにあい、
うれしい悲鳴を上げ続けた。

 祭りの賑わいも
ほんのつかの間だった。
また刺激のない
普通の生活が戻った。
ただ『禁煙喫茶店』で苦闘する現実は
ちゃんとあった。

 しばらくは『禁煙喫茶店』の物珍しさや
賛同する新規のお客さんで賑わったが、
それも長くは続かなかった。 

「なんやたばこ吸えへんのか。
喫茶店は
たばこを一服するとこやで」

 常連のお客さんは
皮肉を口にして、
ぷっつりと足は遠のいた。
考えてみれば、
店内はたばこの煙が
常に満ちていた。
男性も女性も
たばこをプカプカやっていた。
それを一方的に
駄目だといいだした喫茶店である。
見限られて当然だった。
毎日の売り上げは
目に見えて減った。

「もうあかんなあ」

 食事メニューの充実など
テコ入れは何度もやったが、
客足は戻らなかった。
喫茶店をやる気力さえ
失いつつあった。

「またたばこが吸える店にしたら
元の木阿弥や。
どうしようか?」

「もう思いきったらええやんか。
赤ちゃんのために
精一杯頑張ったんやし、
後悔せーへんやろ。
お店閉めよ」

 その言葉を待っていた気がする。

「わかった。
収入のええ仕事見つけるか」

「うん!」

 決断は簡単だった。
先の見通しも立たない現状を
前にしながらも、
不思議と気持ちは明るくなった。
さっきまでの暗鬱なものは
どこかへ掻き消えていた。

「残念です。
禁煙喫茶店は
時期が早かった
いうことですね」

 A新聞の記者だった。
閉店の連絡をすると、
急いでやってきて
取材を始めたのだ。

「そいでも
一年頑張りましたわ」

「奮闘努力の
甲斐もなく~♪ですね」

 記者も明るかった。

「家族のために
まだまだ頑張らなきゃって
覚悟してますねん。
子供三人、
なんぼあっても足りませんわ」

「そうやね。頑張ってください」

 なぜか笑ってしまった。
記者もつられて笑った。

「またどこかで
禁煙喫茶店を再開しはったら
すぐ連絡ください。
バッチリ書かせてもらいます」

 記者の言葉がうれしかった。
「もちろんです!
そのときはよろしくお願いします」

 深々と頭を下げた。

 朝刊の地域欄に
『禁煙喫茶店惜しまれながら閉店』と
紙面の半分ぐらいを占めた
記事が掲載されていた。
記者の律義さが有り難かった。

 アルバムの最後のページにある
切り抜きの記事は
古い色合いに染まっていた。
(おわり)




 
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あの日あのとき・

2017年10月24日 01時27分13秒 | Weblog
記者が期待した答えでは
なかったろうが、
禁煙喫茶店に踏み切る動機は
他にはなかった。
授かった三人目の赤ちゃんは
生まれて早々額にできものをつくった。
日を追って広がり
痘痕そのものの症状を呈した。

「アトピーですね」

 医師の診察は
私たちの生活を変えた。

 ママパパ店の喫茶店を
夫婦二人で切り盛りしていた。
自分の店を持って独立するには、
子育てを済ませているのが
理想だと学んでいたが、
こればかりは
そう計画通りに運ばない。
縁に薄かったわたしは、
店のオーナーになって、
ようやく
伴侶を手にしたのである。

 独立一年目で結婚、
長女を授かった。
店をやるのに
てんてこ舞いの最中だった。
翌年に長男が誕生した。
皮肉にもパパママ店が
パパ店になってしまった。
長女が生後数か月で
難病を発して
長期の入院を余儀なくされて、
まさに綱渡りの喫茶店経営だった。

 長女の育児は
実家の母に助けてもらったが、
長男が誕生すると、
子連れ狼となった。
喫茶店の仕事をこなしながら、
赤ん坊の世話をした。
棚に寝かしつけて、
私と妻は
一心不乱に働いた。

 その場しのぎ的な
育児と仕事で
苦闘する生活も慣れると、
それが普通になった。

 喫茶店も軌道に乗り、
子供たちも小学生になった
七年目に
授かったのが次男だった。
やはり店に連れてきて、
ベビーカーや棚に
寝かせながらの仕事になった。
一度体験しているし、
常連さんの理解もあって
苦にもならなかった。
そこに『アトピー』告知という
難題が持ち上がった。
思案の末に生まれた苦衷の策が
『禁煙喫茶店』だった。

「いいお話です。
しっかりと
記事で紹介させてもらいます」

『禁煙喫茶店』に至る
ドタバタの顛末に
何度も頷きながら、
記者はメモを重ねた。

「おい。これ見てみいや。
すごいことになってるで」

 思わず妻を呼んでいた。
飛んできた妻は
私が開く夕刊を
さっそく覗き込んだ。
そして言葉を飲み込んだ。

 全国紙、
それも天下のA新聞の夕刊だった。
なんと一面の半分を占めて
『禁煙喫茶店』の記事が
掲載されていた。
私と妻は顔を見合ったまま、
凍り付いてしまった。

 翌々日から激励の手紙やはがきが
多く配達された。
「頑張ってください。
ご家族のために英断を下された
お父様に感激しました」
「たばこの害は
みんなの意識で改善していきましょう」
「紫煙のない喫茶店で
ゆっくりコーヒーを味わいたいと
長年夢見てきました。
それを実現されたマスターに感謝します。
エールを送らせていただきます」
たばこの白い煙に
嫌悪感を持たれる人の多さに驚いた。

「えらいこっちゃ。
性根据えて頑張らなあかんわ」

「もしかしたら
成功するかもしれないね」

「ああ!」

ことは
それで終わらなかった。
(続く)
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台風

2017年10月23日 09時11分31秒 | Weblog
夜中じゅう、
ゴーゴービュービュー、
そしてバキバキガーンガターン!
気が気じゃなく、何度も玄関から、
恐る恐る覗いてみました。
大きな植木鉢が倒れて散々な光景。
慎重に外へ出て、
ばたばたっと植木鉢を
家のなかへしまい込みました。
根こそぎやられているのもありましたが、
なんとか無事です。
もう
パソコンどころじゃない、
前夜から未明まで。
何十年ぶりかのひどい台風でした。
朝カラーっと晴れた外へ出て、
被害(?)の確認です。
おおー!
皇帝ダリアが真ん中からポキリ状態。
これは、他も!
はらはらしながら裏手の畑側へ回ると、
お隣の緑の木が(名前わからず。苦笑)
根ごと
引きずり倒されているではありませんか!

しかし、奇跡的に我が家の被害は軽微。
ホッと胸をなでおろしました。
猪よけのブリキ柵が数枚
なくなってはいましたが……。(シューン)
それでも人間は
いつも災害を乗り越えてきているのです。
大壇上に構えて、
がんばらなきゃー!
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あの日あのとき

2017年10月23日 01時13分31秒 | Weblog
最近
身の回りを整理し始めた。
断捨離というわけである。
子供たち三人が巣立ち、
田舎特有の大きな家に
夫婦と末娘だけの
暮らしに入ってから、
余計なものが多すぎるのが
気になった。
後生大事に取りおいておくのに、
どんな意味があるのかと
猜疑的になり、
モノを片付けるようになった。

 かなりの量を捨てた。

「えらい!
やっと片付ける気になったんだ。
おいてたって
何の役にも立たないものばかりなんだから、
どんどん捨てちゃおうよ」

 妻はがぜん張り切った。
現実的な性格だけに、
必要なもの
不必要なものとの区別を
つけるのに容赦はない。

「そやけど、
これはまだ使えるやないか……?」

「なんに使うのよ。
コーヒーカップやお皿、
うちは三人家族なの」

三十代のころ
喫茶店をやっていた。
十年目で閉めたが、
什器備品は
(いつか使うかもしれない)との思いで、
丁寧に梱包して
段ボールに詰めてあった。
二十年以上たった段ボールは
劣化してボロボロ状態で、
保管箱の体を
もはやなしていない。
恐る恐る中身を確かめてみると、
どれもこれも
懐かしいものばかりで、
破損も汚れも生じていなかった。
銀器の輝きが
時の流れを逆流させる。

未練な気持ちを
心中深く押し込めて
手当たり次第に始末し始めたが、
やはりそれぞれに
思いが強く捨てるに忍びなく、
作業は遅々として
進まなかった。

段ボールのいくつかが
やけに軽かった。
袋に入ったストローや
オリジナルデザインのマッチや箸袋などが、
新品状態で詰められていた。
なんと手書きしたメニュー板や
店内のテーブルに置いた落書きノートも
几帳面に残していた。
(さてどうしたものか?)と
躊躇するのを見かねた妻が
呆れ顔でいった。

「こんなもんこそ使い道ないでしょ。
さっさと捨てなきゃ、
ちっとも片付かないわよ」

「……?」

 何も言い返せなかった。
古くなった消耗品のストックに
使い道などあるはずはない。
懐かしい記憶は刻まれているが。
確かに第三者には
なんの価値もないガラクタに過ぎない。

 戸棚の中にアルバムが
無造作につまれていた。
当時使い勝手がよかった
フエルアルバムというやつで、
表紙はシミに似た汚れが見られた。
一番手近にあったアルバムを開いた。
片付けの手を止めて見入った。
写真に混じって
貼られた新聞記事に
目が留まった。

 A新聞の夕刊だった。
カウンターで
コーヒーをサイフォンでたてる写真が掲載され
『播磨に禁煙喫茶店』の見出しが読めた。

「いい試みですね。
うちも応援しますよ」

 開店日に姿を見せた
A新聞の記者は好意的だった。

「まだ都会でも珍しい禁煙喫茶店を、
地方都市で実現しようというのは
すごいですね」

 嫌煙権が社会で問題提起され始めて
まだ日は浅い。
タバコが吸えない喫茶店は
格好の話題だったに違いない。

「家族のために
やむなくやるんです」

 (続き)
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