こころの文庫(つねじいさんのエッ!日記)

家族を愛してやまぬ平凡な「おじいちゃん」が味わう日々の幸せライフを綴ってみました。

畑の恵みに感謝しながら

2023年06月30日 02時59分40秒 | 日記
雨が上がると、
また厳しい暑さに見舞われる。
それでも涼しい時間を見計らっての畑仕事。
草刈りにすこし手慣れた妻とのダブルスで、
隣の畑の草刈りを請けおった。
有機栽培に必要な雑草を頂くための作業だが、
これまで一人でやっていたのを、
パートナーとの連携になり、
作業の進み具合がウソみたいに早い。
それでもそれだけに掛かりきっているわけにはいかない。
草集めは後日に回して、
わが畑の収穫にかかる。
まだ不揃いの初成りものでも、
ズッキーニ、白茄子、カボチャ、いんげん、ピーマン、一般的な茄子、ニンジン、レタスなどバラエティに富んでホクホクものだ。
少し前に収穫した玉葱、ジャガイモ、キャベツなどもあり、
料理のレシピはかぎりなく広がる。
家庭の料理人としては腕の振るい甲斐があるというもの。
「あなたはそれしか取り柄ないんだから、頑張って」
妻の皮肉な軽口を笑い飛ばして、
まずは煮びたしにかかる。
暑い間は屋内でじっくり料理をするのがベストだ。
勿論、深夜の「おひとりさまクッキング」も止められない。
朝取り野菜を目の前に、
今更ながら、
田舎生活の幸福度の高さを実感するわたしだった。
そうそうホームベーカリで焼いた食パン、
してやったりのいい感じに焼きあがってくれた。(笑)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カミナリこわ~~い~!)

2023年06月29日 03時51分56秒 | 日記
きのう畑仕事を始めたのは午後。
菊の周囲に伸びた雑草を手でひく手作業、これが結構大変である。
菊を一緒に引っこ抜いたりなんてことも。
目が悪いとしょっちゅうやってしまう。
3日前に行った眼鏡スーパーで検眼を受けたら、
右は0.5だttが、左は測定不能と申し渡された。
眼科へ行くことを進められたが、
年相応に白内障が進んでいるのは分かっている。
50代の眼科受診で、
白内障の進行度は50数%と宣告されたものだった。
すぐに手術の必要はないが、いずれはという状態。
あれから20年以上、
もしかしたら90パーセントなんてことも有り得るかも。
眼鏡をかけだしたの小学5年生の時。
中学高校と黒縁に分厚いレンズで過ごす羽目に。
「メガネザル」なんて有り難くないあだ名も頂戴、
劣等感に苛まれたものだ。
社会人になると、
待ってましたとばかりにコンタクトを入れた。
当時はハードレンズしかない黎明期。
病院に何日も通いコンタクト装着の訓練を受けたのである。
「眼鏡の男性は嫌い」と女性からまともに言われたのがウソみたいに、
コンタクトの効用で、人生初の恋愛、そして次々とモテたのである。(笑い)奇跡の体験だったっけ。
それまで片思いはかなりあった(笑い)ものの、
両思いは、コンタクトさまさまと言えた。
おっと脱線してしまった。悪い癖である。
さて超近眼だと、どんな作業でも苦労する。
雑草引きも例外ではないのだ。
畑を遊び回っていた源ちゃんが、
何度となく傍に飛んでくる。
せっかくなら手伝ってくれよと思いながらも、
かわいい行動に手を休めては、相手をしてやる。
そんなこんなで作業時間は伸び伸びとなる。
そんな時、急に空が真っ暗になったかと思うと、
来た~~!「ゴロゴロ」
慌てて農小屋に飛び込んだ。
源ちゃんにも入れよと手招いたが、拒否(?)された。
ぴかっと光ったので、戸を閉めて籠る形に。
「ドシャ~!」落雷を思わせる大雷鳴に、
頭を抱えてしまった。
雷はずーっと昔から大嫌い……いやいやコワ~~イのだ。
混乱状態に陥る私は、
身体にぴたーッとくっ付いたものに気付いた。
黒い塊、源ちゃんだった。
閉じられた木戸じゃなく、
床下から潜り込んできたらしい。
私に体をくっつけてブルブル震えているではないか。
続く雷に、横殴りの雨が!
思わず私が源ちゃんを抱きしめていた。

雨が収まるまでの十数分間、
私と源ちゃんは、
一つの塊になってブルブル震えを共有したのだった。(大笑)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

畑は花も元気だ

2023年06月28日 09時30分07秒 | 日記
おはようございます。
ラジオ体操に畑へでかけようとすると、
源ちゃんがなきだしたので、
玄関先へ入れてやり(原則的に屋外で飼っています)
はしゃぐ彼に「ここで、,待て」
すると頭の中にインプットされるのか、
次の指示を出すまで、
そこを動こうとはしないのです。
今までに飼った愛犬とは丸っきり違います。
忠実に待ってくれる彼の姿には感激することも。

畑に行くと、
あちこちに花が咲きだしています。
ダリア、コスモス……白い花、橙色の花……。
夏野菜の成長も目を離せませんが、
花たちも「わたしたちだって!」と主張し始めたのです。
そのそばに植えた7本のブルーベリーも、
鈴なりの実をつけています。
昨年はジャムにしたほどの豊作でしたが、
今年も期待できそうです。(笑顔)

憩える時間はほんの少し、
さあ、草刈り草刈りだ。(ホゲッ。笑)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

コワ~イ話に恵比寿顔?

2023年06月27日 11時14分55秒 | 日記
「じいちゃん、コワクない」「へらへらしてるよ」言いたい放題の孫たち。
この夏に企画中の「コワ~イお話」のシュミレーションをやっていたのだが、この外野席はコワイ、コワ~~イ。
お人よし、八方美人、優柔不断……なのが私。
人生でけんかは2度しか記憶にないほど、
腹は立てても「グ~~」と我慢できるわたしだった。
だから何をするにも、
木の優しさがネックになる。
まして可愛い孫を前にしたら、
自然と顔がだらしなく崩れてしまう。
ともあれ、
コワイ顔の練習を重ねるしかなさそうだ。(笑)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ライ麦畑はいま

2023年06月26日 03時09分45秒 | 日記
「あれは何やの?」「すぐ目に飛び込んでくるわ」「気になるねんけど」
わが畑は農道と行動に挟まれ、
とにかく見通しがいい。
行きかう人に夫婦で散歩、そして犬を散歩させる人など。
結構多い。
顔なじみになる人も、
特に小学生をはじめ通学する姿も、
鉄柵で囲まれた畑の中を、黒い犬が脱兎のごとく走り回る。
甲斐犬源ちゃんである。
「げんちゃ~ん」なんて、
親しく声を掛けてくれる子供たちも目立つようになった。
源ちゃん、かなり人気者になった。
そんな中で訊ねられるのは、
畑のあちこちに育つ丈の高い植物。
2メートル近く伸びて、
風の直撃を受けても、
すぐ天に向かって立ち直ってみせる。
この植物、「ライムギ」である。
周囲の田んぼは、小麦や裸麦、大麦などが一般的で、、
既に刈り終えている。
そんな時期に枯れ色のライムギの立派な姿は、
誰もの興味を惹きつけてしまうようだ。
ムギといっても粉にするわけじゃなく、
緑肥として使うためにそれが植えている。
いまや「ライムギ」は人気者である。
炎天下に日陰を作り、
暑さに弱い甲斐犬源ちゃんも、
その陰らに入ってジーッとしている姿は、
一幅の絵である。
J.D.サリンジャーの名作本「ライ麦畑でつかまえて」は、
若い頃読みふけったロングセラー作品である。
しかし今に至るまで、
現物を知らずにいた「ライ麦」
それが手のふれるところに育っているのが驚きだ。
風になびく爽やかさを横目に、
私と妻、そして源ちゃんの、
熱中症寸前の畑仕事は続けられていくのだった。(苦笑)

畑DEライブラリーの7月プログラムが出来上がった。
ぜひご参加ください。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

やっと父や母が……!

2023年06月25日 02時28分40秒 | 日記
夕食に用意したものは、
ズッキーニ、茄子、ニンジン、キャベツなど畑の恩恵物。
ニンジン、ブナシメジ、油揚げと有機米で炊き上げた釜めし風炊き込み。フライパンで15分、いい香りが出来具合が上々だと教えてくれる。
野菜はオリーブオイルで炒めた塩の薄味。新鮮な野菜に余分な工夫は要らない。
肉も魚もない食卓だが、
不思議なほどうまい。
私も妻もお替りをしてしまった。

炎天下の畑作業はきつい。
源ちゃんもマリーゴールドの根元に寝そべったり、
作業小屋の床下に潜り込んで、
「はーはーはー」と息が荒い。
ルーツが甲斐犬、暑さは苦手中の苦手らしい。
最近何かというと、
土の上に尻を下ろして、
クサの始末や苗の植え付けなどしてしまう。
晩年の父や母が、
衰えた足腰になっても、
這いつくばって野菜作りに励んでいた姿を思い出す。
それを踏襲し始めた感じ。
それが妙に嬉しい。
水を抜くための排水溝を掘るのも、
何度もお尻ペッタン。
それでも作業は続く。
野菜を育てるために必要な環境整備、
暑さも何のそのと頑張れるのが人間そのものだ。(ウン)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

脱皮した妻の実力

2023年06月24日 02時33分01秒 | 日記
ぎごちなかった動きがいつの間にかサマになっていた。
もう大丈夫、一人前の草刈り女子である。
加西にある県立農業大学の有機農業研修に参加中の妻、
畑に必要な草を刈る当番があるということで、
仮払い機の操作をマスターしたいというので、
きのう特訓開始。
少しオーバーかなと思うフル装備で挑む妻。
すぐに慣れたのか、
次々と雑草を刈り続けた。
その草を集めて回りながら、
妻の野菜作りが本気モードなのを実感するわたし。

帰宅した妻は手が痛い、足が痛いとのたまう。
普段使わない筋肉を駆使した結果である。
私などち日遅れで襲う症状は、
年が若い分だけ早いようだ。

頑張り屋の妻の姿に舌を巻くのは、
初めて出会った40年以上前からである。
私が旗揚げしたアマチュア劇団「姫路ドラマ劇場わかさぎ」の、
参加申し込みの面接者第1号の高校生が彼女。
高校演劇部の部長だとかで、
無類の演劇好き、すぐに「わかさぎ」の中心を担った。
そして私の右腕に。
間近に見る彼女の奮闘ぶりはすごかった。
3年後に人生のパートナーに。
その後の私の紆余曲折の人生を支えてくれたのである。

きょうは30年前に彼女の立場に立って書き上げた原稿をアップする。

『周囲の好意』
「もう限界だな、店を閉めよう」
 夫の沈痛な言葉に頷くしかなかった私です。
 夫がこの店を始めて一年後に私と結婚、以来八年間夫婦が手を携えて切り盛りして来た愛着の深い店を閉めてしまう話では明るくなれるはずもありません。
 夫の体調不安、店の経営不振、三人目の赤ん坊誕生……と正に身動きの取れない状態にありました。これ以上店を続けることは、何か大きな犠牲を強いられるところまで来ていたのです。一年以上も続いた夫婦の話し合い。その結果が夫の言葉に集約されていました。
「またいつか頑張ればいいわよ。私たち若いんだから、ねっ」
 夫を元気付けながら目が潤んで来た私です。
 後片付けに一か月ぐらいかかり、私たち家族は失意のまま夫の実家を頼りました。三人の子どもを抱え、収入源を失った私たちに他の道は許されなかったのです。蓄えだってそうある訳ではなく、、実家の世話になるのが一番の方法でした。
 実家の納屋を何とか住めるようにして貰い、住むところだけはやっと確保できたので、今度は生活費の目処を立てなければいけません。
 まだ体調の回復していない夫は、実家の家業を手伝いながら、子育てをやって貰うことにして、私は保母として働くことにしました。
「済まんなあ、男の俺が、こんなザマで……」
 夫は私の前に頭を下げました。自信いっぱいに生きて来た夫に、今回のことは相当こたえたようです。夫の目は涙で光っていました。
 でも私は夫を信頼しきっていたのです。こんなことで落ち込んだままになってしまう夫ではないと確信を持っていました。
 「八年間、家族のために身を粉にして働いて来たんだから、神様が休めるようにしてくれたと思えば気が楽よ。しばらくは私が交代して頑張るから、早く体調を取り戻してね」
 夫は私の言葉に素直に頷きました。
 結婚する直前まで保母をやっていた私ですが、八年ぶりの現場復帰とあって、仕事のリズムを取り戻すまで、大変な苦労!朝六時半には家を出て夜九時過ぎに帰り着くという毎日も、相当身にこたえ、クタクタになる始末です。
「無理するなよ。身体こわしたら元も子もないからな。しんどかったら休んだらええ。収入が減ったかて、家族の心さえしっかりしとったら持ちこたえられるんや!」
 夫は私の足をさすってくれながら励ましてくれました。
「当たり前のことや。嫁はん働いとったら、亭主がその分カバーせな、夫婦やあらへん」
 それまでやったことのない家事と育児にてんてこまいしながらも弱音を見せまいとする夫の姿に、私はどれだけ励まされたことでしょう」
 先行きを考えると暗く落ち込みがちの私を明るくさせてくれたのは子どもたちです。すでに物事が分かりかけた長女と長男は、私の悪戦苦闘ぶりを見て、彼らなりの方法で手助けをしてくれました。それに「あれが欲しい!」「これが欲しい!」と困らせることなんか全くありません。親の苦境を目の前に、自然と我慢を覚えてくれたに違いありません。
「ごめんね、もう少し我慢してちょうだい。一生懸命頑張って、君たちの欲しいものを買えるようになるからね」私は子どもの顔を見るたびに、胸の中でそう繰り返していました。
 子どもたちには、父親が他のお父さんみたいに働けない理由も、ちゃんと話して聞かせました。
「お父さんは、今まで大変なお仕事してたんだから、少し休んで貰うんだよね」
 長男は進んで夫の手助けをするようになり、長女は洗濯物の片付けや赤ん坊の面倒を見るのが、自分の仕事なんだと思ってくれたので、夫の家事、育児の負担も少し軽くなったのです。それも、みんないい子を授かったおかげです。
「俺たちには勿体ない子どもたちだよ。あいつらのためにも頑張らなきゃな」
「うん!みんな揃ってれば頑張れるよ」
 私たち夫婦は決意を新たにしたのです。
 また夫の両親や兄弟のみんなに、手を差しのべて貰い、実家の畑で取れる野菜や米をよく頂きました。食べ盛りの子どもたちを抱えているので大助かりです。
「うちの息子の甲斐性がないで、嫁さんに迷惑ばっかりかけてしもうて申し訳あらへんが」
 顔をあわすたびに夫の両親は頭を下げられますが、夫婦が共に手を取り合って来た八年間の結果は、どちらの責任と極めつけられるものではありません。あえて言うなら夫婦ともに責任を負うべきものなのですから。
 この四月でようやく一年過ぎました。相変わらず貧乏な経済状態のままですが、長女が新一年生に、長男は幼稚園にと順調に育ちました。夫も再び体調を取り戻し、自分に合った仕事探しを始めました。わが家にも着実に春がやって来てくれている感じが強くします。
 私自身も臨時保母の契約が四月で切れ、(さて、どうしようかな?)と思いかけた矢先に、精薄児施設の保母の話が来ました。実はその仕事は若い頃からの夢だったのです。夫の励ましも受け、その仕事を引き受けることに決めました。
 私の夢とともに、わが家はもう一度浮上しようとしているのです。
(1991年2月)

わが家の野菜畑を育て守っているのは、今や彼女と言っていい。
シニア後期のわたしは、もはやオブザーバーでしかなくなってしまったなあ。(ウン)
それもこれも人生、いや~いいもんだ~~!(笑)
そうそう、
「ねひめ広場運営会議」主催の盛夏むけ催しのチラシ案がメールに入った。
「コワ~イコワ~イお話会」である。
詳細は詰めていないが、夏を涼しく楽しく送りたいなあの想い切実なのだ。(笑)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シニアは止まらない

2023年06月23日 02時10分00秒 | 日記
雨が少し残り、
きのうも畑仕事は出来なかった。
ただ排水のためのポリ管を、
畔に何か所か通した。
スコップとクワも泥だらけ、
さほど強くない雨に濡れてしまった。
帰宅後、風呂に浸かりホッと一息ついた。
半日ほど見られなかったスマホを覗くと、
メールが入っていた。
「ねひめ広場運営会議」の担当者からだ。
企画に上げていた、
「ねひめ広場DEハロウィンパーティ」のチラシ案。
日程も10月14日に内定、ゴーサインが出たのである。
また頭を捻る日が続く。
どうすれば参加者が楽しんでくれるか?
20代でアマ劇団に参加して以来、
守り続けている私がイベントに求めるテーマである。
この土曜日には、
畑DEふるさと紙芝居」を実施する。
まずはそれを無事に終えなければ。
自然と緊張感を覚える。
年齢を忘れる瞬間だった。

ちょっと若返ったかなあ?(無駄な抵抗だよな。笑)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

本はわが人生

2023年06月22日 12時48分04秒 | 日記
雨が降ったりやんだり。
しかたがない。
自宅2階にあるミニ図書館の本の整理に。2000冊近くなる書籍。
本にまつわる記憶が蘇る。

何年か前の原稿をアップ。

『本なくしては成り立たないわが人生』

 本と二人三脚で歩んできたといっても過言ではない人生。今も本は手放せない宝物である。その始まりを忘れることはない。物心ついた時、手近にあった雑誌に興味を持ったのが始まりだった。
「大人の本を読んで面白い?」「うん」l 母を呆れさせた私は、親が購読していた雑誌に夢中だった。当時の田舎で子供の本を買う家は皆無に近かった。もちろん、大人もわざわざ本を買ったりしないが、農家に配達される「家の光」という雑誌は特別だった。
 就学前なのに、大人の雑誌に夢中になる子供。実は人見知りが激しく遊ぶ友達などいなかったせいかも知れない。漢字どころかひらがなもよく分かっていなかったのに、雑誌を開くと不思議にのめり込んだ。勘で読んでいたのだろうか。それでも「家の光」は着実に活字好きな子供を育んでくれた。
 小学校に入っても、内向的な性格はさらに酷くなった。家族の前でも緊張して声が出せなくなるほどの重傷で、同級生や先生とふれあった思い出は全くない。休み時間などは机にうっ伏したまま過ごすことが多かった。
 トイレに向かう廊下の途中で引き戸が開いたままになっている部屋があった。これまで通りかかった時に開いていることはなかった。プレートに『図書室』とあった。
「?」
 視界に入ったのはズラリと並んだ本だった。思わず覗き込んだ。並んだ書架に詰まった本に驚いた。家の光じゃない背表紙の本ばかりだった。ふらふらと図書室へ吸い込まれた。入ったすぐの書架にあった本は『十五少年漂流記』。思わず手を伸ばしていた。少年と漂流の文字にすごく興味を惹かれたのである。
 何人かの子供たちが本を読む机の端に座り本を開いた。すぐにお話のとりこになった。
 以来図書室は私の居場所になる。「Sはどこにいるんや?」と旧友が先生に聞かれると反射的に「図書室」と答えるほど本の虫になった。本は私を無視したり、邪魔者扱いしなかった。それどころか新しい夢のような世界へ次々と誘ってくれた。
 中学高校と進んでも心地よい居場所は図書室だった。そのせいで日本文学と世界文学の代表的なものは読破しきったと思う。その影響か、あまりよくない成績の中で国語はずば抜けた。相乗効果で本を一層好きになった。
 社会に出て就職したのは書店。少しでも本に囲まれた職場をと望んだからだった。ただし給料の半分近くを書籍購入に充てる始末で、本当に仕事かどうだったのか、今でもわからない。五年務めた後、別の仕事に代わって、なんとかまともに収入を得るようになった。といっても本の購入はやめられなかった。
 定年退職して生まれた自由な時間。ふと気付いたのは物置で無造作に積まれた本の山。引っ張り出したのは三島由紀夫の「天人五衰」だった。「豊饒の海」四部作の最後の巻で、作者の絶筆となった作品、自決事件の日、書店は本の発注にてんてこ舞いしたのを覚えている。売れるとわかる本を確保するのは大変な仕事だった。なんとか平積みできる冊数が納品されると、迷わず買い求めた一冊である。思い入れのあり過ぎる本に、時間を忘れて読みふけった。そして気づいた、こんなすごい本を所蔵している自分に。名だたる大作家の本が乱雑に山積みされている。もう一度読み直してみよう!そしてみんなにも読んで貰うんだ。昭和の名著をと前に逸る思いに囚われた。
 加西市が進めていたまちライブラリー事業に参加を決め、山に囲まれたど田舎の自宅に、書店勤めの折に買い溜めた本千五百冊余りを所蔵の施設ミニ図書館を開設した。子供が巣立った子供部屋に手作りの書架を持ち込み、丁寧に本を並べた。昭和の輝きを放つ本が生き返った部屋は壮観そのもの。
 週に数人訪れればいい、ど田舎のまちライブラリーは四年目に突入した。読み直した本の魅力はなに一つとして褪せていなかった。感動も十分に与えてくれた。
 本の魅力を再認識、母校である小学校の図書室へ寄贈を始めた。絵本や紙芝居を地域の子供たちに楽しんでもらうイベントも企画している。本で私は生き返ったのだ。
 最近、本と私の密接な絆に思いを馳せることが多くなった。人生の締めくくりが近づいた証拠なのかも知れないが、素直に感慨を深めている。
 独りぼっちの子供を救ってくれた本。青年期から壮年期に至るまで繰り返した挫折と絶望を救ってくれた本。妻との出会いも、そして四人の子供を育て上げ巣立たせるのにも力を貸してくれた本。老いをかみしめる今、寂しさ虚しさを癒してくれる本。いくら思い返してみても、私は本と人三脚で人生を突っ走ってきたのである。
 五木寛之の青春の門を読みだした。再び本と丁々発止の関係が生まれる。

また雨が降り出した。
本を読み続けたくても、
もう無理な私の目。
きのう眼鏡屋に行って調べて貰ったら、
左の視力は失明しているのも同然らしい。
(そうだろうな)
もう達観している。
あとすこし、
右の目に頑張って貰おうっと。(ウン)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

暑さに負けず前向け前~~!

2023年06月21日 01時17分13秒 | 日記
私が関わる下半期のイベントの進行がスタートし始めた。
自宅と畑を使ったマイイベントとは別に、
加西の地域交流センターの「ねひめ広場運営会議」が主催する催しの企画参加している。
そのねひめ広場の企画を進めることになったのだ。
恒例になった「ふるさと川柳大募集」は5回目。
そして3度目の「ねひめ広場DEクッキング」は魚料理を考えている。
魚のさばき方などをプログラムに組んでいる。
他にハロウィン等々、
私がマスターするスキルを全開、
愉しい結果を導きたいと思っている。
思いとは別に年齢が加瀬になりかかるいま、
昔以上の努力が必要になる。
さあやるっきゃないぞ~~!(ウン)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする