こころの文庫(つねじいさんのエッ!日記)

家族を愛してやまぬ平凡な「おじいちゃん」が味わう日々の幸せライフを綴ってみました。

梅雨の過ごし方

2023年05月31日 11時16分44秒 | 日記
雨が降ったりやんだり、
行動が制約され、
すこし気怠い日々。
梅雨だから仕方ないなんて、
天性の怠け心復活に身を任せてしまう始末。
それでもラジオ体操は続いている(苦笑)
雨が上がったばかりの庭に出てみると、
雨に洗われた木々や草花が、
やけに新鮮である。
ふと目に留まったのはドクダミの花。
油断をするとすぐはびこるドクダミの白い花。
その中に発見したのは八重の白い花。
思い出した。
どかで頂いたものを植えたのを忘れていたが、
ちゃんと生きてくれていたのが嬉しくなった。

自宅の基礎部分をロフト風に仕上げてあるが、
梅雨には本格的に片付けてやろうと決めている。
半分くらいは進んだが、
これからが大変だ。
家の梁や柱などに伐り出し、
製材したままの大物が積み重ねてある。
長尺のせいもあり、
移動に一苦労するのは目に見えている。
こんな時に、息子がいてくれれば……なんて弱気も。
いやいや他力本願は私の生き方じゃない。
自分に言い聞かせて、積み重なった梁材に手を伸ばす私である。

梅雨時は、やはり料理で気分転換を図る機会が多くなる。
きのうは収穫したばかりの玉ねぎを、
目的別に加工調理して冷凍保存に。
新鮮なものをスライスしてサラダに、
いろんな食材を組み合わせていろんなフライを。
あめ色に炒めた玉ねぎでチーズをくるんで揚げたものが、
意外に美味しかった。

時間をあぐねた時の 「料理頼み」に励む(?)わたし。
キッチンの窓から、
再び降り出した雨を、しばし眺めてしまった。
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雨にも負けず~~♬

2023年05月30日 11時35分01秒 | 日記
夫のブログ(雨にも負けず……!)

おはようございます。

ロフトでのラジオ体操を済ませると、即座に片付け作業に入るという日々が続いている。
自宅の建設時に残った材料をつんだままの一角もあり、作業の進捗はままならない。
この機会に「断捨離」も一挙に進めようと思うから、猶更大変だ。しかし手を付けた以上やめるわけにはいかない。

ついに梅雨入り。
「畑ライブラリー」の野外イベントプログラムを、
天候不順時に代行すべく広場づくりも、
最初より規模の拡大を考えている。
とはいえ、加齢による限界値の低下は顕著で、
昔は軽々持ち上げられたものに四苦八苦する始末。
それでもやるっきゃない。
男のロマン、ばかだ、愚かだと思われようと、
これぞ私の生きる道~~♬なのである。(大笑)
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思いやり味をプラス

2023年05月29日 03時51分07秒 | 日記
夫のブログ(思いやりプラス味)

深夜3時、雨が降り、そしてやんだ。
眠れそうにない。
そこで定番のおひとりさまクッキングである。
まずはきのうの朝に収穫したソラマメ。
これまでに豆ごはん、揚げソラマメなど賞味している。
今日は焼きソラマメとシンプルな塩味仕上げ。
冷凍しておいた自家栽培の露地いちごはジャムに。
収穫の新玉、ニンジン、ブロッコリーなどでスープカレー。
他に二品、やはり自家栽培野菜を存分につかったもの。
肉や海鮮食材は値引き品を購入、冷凍保存していたものだ。
最後にホームベーカリーで食パンを仕掛けておいた。
明日からの雨模様予報に落ち込んでいたものがスーッと消えた。
料理はやはりいい。
食べて貰おうとする相手が頭にある。
その相手への思いやりや愛情が味の決め手でもあるのだ。

いまや私は家庭の料理番。
家庭料理にプロの料理は要らない。
思いやる相手が食べたいと思うものを推測して、
そこにある食材を見繕って作るだけだ。
思いやりさえあれば、
それに見合う美味しいものが出来上がる。
「美味しい!」と言わないでも、
顔に自然と現れる相手のちっちゃな笑みがすべてだ。
私に幸せ気分をくれる、
ちっちゃなちっちゃな笑顔が、
私が受け取るプレゼントだといえる。(ウン)
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梅雨入りを前に

2023年05月28日 10時21分27秒 | 日記
雨が降り続く前にと、
畑の周囲のたんぼは大賑わい。
営農びよる田植えである。
大型の田植え機は、
瞬く間に田んぼを緑の絨毯を敷き詰める。

機械化されていなかった子供の頃は、
家族や住人総動員だったなあ。
感慨にふけるシーンが最近多くなってしまった。(苦笑)

27日は「畑ライブラリー」の、
「畑DEつねじいさんの紙芝居」を実施。2度目である。
ラジオ体操を済ませると、
すぐに会場設営。(といってもごく簡易だが)
里山と田園を背景にした紙芝居パフォーマンスは、
スカーッとする。久しぶりの声出しは最高に気分がいい。
今回は地元の「ゆるぎ岩」を扱った「ふるさと紙芝居」だった。
背景に広がる里山の中腹に「ゆるぎ岩」はある。
6月の「畑町ぐるりんこウォーキング」のコースに取り上げている。
時間が合えばまたご参加くださいと、宣伝しときます。

参加の男性の、
「モルックってどんなもんじゃい?」の問い掛けで、
急遽「モルック体験会」を始めた。
これまでに計画した二度の「体験会」は雨で流れていたので、
実質「畑DEモルック体験会」のデビューシーンである。
ゲームは無理だったが、
老若男女公平に楽しめる「モルック」の魅力は、
少しだけながら体感していただけたようだ。
6月は、梅雨に入るので、
「もるっく」「紙芝居」は自宅ロフトひろばで実施予定だから、
雨に左右されることなく楽しめるだろう。(ウン)

畑の周辺の田んぼは、
いつの間にか田植えも住んでいる。
さあ梅雨がやってくるぞ。
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「ふるさと紙芝居」ライブラリーを

2023年05月27日 04時21分30秒 | 日記
27日(土)は「畑ライブラリー」のプログラム、
「つねじいさんのふるさと紙芝居」の第2弾。
前回の初紙芝居、
里山を背景に自然の中でのパフォーマンスは、
最高に気持ちよかった。
今回はどうなるかな?
ライブラリーは、
何が起こるか分からないのが愉しいのだ。
10時上演です。

その紙芝居の魅力を教えて頂いたのが、
私が飛び込んだ加古川のアマチュア劇団「くさび」のリーダー。
小学校の先生で、
公民館で「言葉の教室」講座を開催されていた先生だった。
芝居の基本稽古の一環に取り入れられていたのが「紙芝居」である。
町の公演に出向いての実地訓練、
観客の子供を相手に悪戦苦闘の連続。
そこで紙芝居の可能性と魅力を知ったのである。
その先生と10数年前にお会いした時の思い出を書いた原稿をアップしました。
  

 恩師

「ボクはサラダだけでいいよ。最近は食べないんだ。太り過ぎって医者の忠告があってね」

 先生はあっけらかんとした顔だった。どんなものでも実に美味い!といった顔で食べる先生が記憶にある。八十五歳。年齢にさすがの先生も勝てないようだ。ただ、相変わらず人を惹き込む笑顔は健在だ。

 三十数年ぶりの出会いだった。血色のいい顔と饒舌ぶりは全く変わらない。六十五歳、高齢者の仲間入りを余儀なくされた私の方がしょぼくれた老人である。

 恩師だった。小学校の教壇に立たれていたが、そこで教えられた児童だったのではない。アマチュア劇団の活動を通じて人生の何たるかを気付かせてくれた先生なのだ。

 加古川で始まり、姫路、加西と、四十年以上アマチュア演劇に携われたのは、芝居に取り組む先生の一風変わった姿勢が、薫陶を与えてくれたからだった。

 先ごろ急に思い立って、自分が生き抜いた六十五年間の足跡を展示した。舞台写真に、アマ劇団活動と並行した文筆の成果である。新聞や雑誌、書籍に掲載された作品を並べた。その過程で先生を懐かしく思い出した。

さっそく招待状を送った。(もう年だから、来て貰えないかな?)と思ったが、自分の歩んだ道をぜひ見て貰いたかった。先生からすぐ連絡があった。

「ぜひ行かせて貰うよ。君の足跡を見逃せないだろう」記憶にある先生の声だった。案ずる必要はなかった。元気な姿が電話を通して見えた。最寄りの駅に降り立った先生は、しゃきっとした姿を保っていた。あの頃とまるっきり変わっていなかった。

「う~ん!このサラダ美味いなあ」

 レタスを頬張る先生の幸せをひとり占めした顔。なのに私も幸せを感じる。初めて顔を合わせた日がいま目の前に再現していた。

 先生と初めて顔を合わせたのは五十六年前の秋口だ。劇研『くさび』の稽古場は、加古川青年会館にあった。おずおずしながら会館に入った。生まれつきひどい内弁慶で、初対面がいつも一番の難関だった。ところが、先生は逡巡躊躇の間を与えなかった。

「君が齋藤くんか?よう来てくれたね。これから一緒にお芝居を作っていこう!」

 迎えた先生はにこにこと、恵比寿大黒顔負けの笑い顔だった。稽古場は閑散としていた。聞けば、公演のスケジュールが決まらないとメンバーは顔を見せないらしい。その間は先生一人が稽古場に通っている。

「どや、これ美味いぞ。ひとつ食べてごらん」

 先生はボタ餅を食っていた。餅を頬張る底抜けの笑顔に引き込まれた。一個頂戴して口に運んだ。「美味い!」「そうやろ。わし、甘いもんに目がないんや」笑顔は笑顔を呼ぶ。

「好きなもんはとことん好きなんがええ。芝居もボタ餅も仲間も、うん、わし好きなんや。

好きだから一人でも楽しめる。楽しむから仲間が集ってくる。そしたら、なんでも出来よるで」先生は目を糸にして餅をまた頬張った。

 結局、その日は先生以外に誰も現れなかった。冬並みの寒波が列島を襲っている影響もあったのかも知れない。誰だって寒い中を出歩きたくなくなる。

「ボーッとしててもしょうがないな。うん。ちょっとお芝居の基本をやってみようか」 

 先生は手元にあったガリ刷りのホッチキス止めを手渡した。基本練習の教材である。

「アイウエオ、アオ」に始まり。「せっしゃ、親方の……」の外郎売りの口上で終わった。

「きょうはこれぐらいにしとこうか。お疲れさん」

「ありがとうございました」

「初めてにしては上手いなあ、君は。次も僕はこの時間に必ずいるから」

 先生は終始にこやかな表情に終始した。

 先生以外のメンバーと初めて顔が合ったのは、三度目の稽古日だった。三人のメンバーを紹介された。

 公演が決まった。小山内薫の戯曲『息子』と真船豊作品『寒鴨』の二作品だった。未来社の薄っぺらな戯曲本が用意されていた。

「とっつぁん、まだ生きてるかい?」

『息子』の登場人物のひとり、捕り手の台詞を読まされた。相手役の息子は、初お目見えの郵便局員。彼は劇団のスターと言う。今で言うイケメンのひとりだった。

「うん、いいね。この配役でやりましょう」

 ひととおり読み終わると、先生はあっさりと即決した。

「先生…ボク、初めてだし、出来る自信…ありません…」

 戸惑い、恐る恐る小声で訴えた。

「大丈夫。齋藤くんは芝居をやりたいんやろ?それは芝居が好きってことや。そやろ?」」

「はい。それはそうやけど…」

「なら、それで充分や。やる気がなかったらどないもならんけど、君ぐらい生真面目で、やる気があれば、そら誰にも負けへん」

 それでも躊躇する私を、先生は遮った。

「好きなもんは、それを手にするために何とかしようと頑張る。芝居かて同じや。好きやったら、それを舞台にのせるために努力を惜しまんやろが」

「はい…」

「ボクが指導するから、それに懸命になってくれたら充分や。ここで芝居作るんは芝居が好きや言うんが資格や。他にはあらへん」

 先生の言葉は妙に納得できた。

 芝居作りは始まった。日を追うごとに顔ぶれがどんどん増える。美容師や、会社員、職人……年齢もバラバラの顔ぶれだった。本当に芝居をやるのかと疑問なメンバーもいたが、先生の言葉で思い込みは一蹴された。

「みんな好きなんや、お芝居作りが。ここにいる仲間みんなが好きなんや。そんなみんなが力を合わせる。そらもう怖いものはあらへん。ええお芝居が出来るよ。さあ、本番の日に向けて思い切りみんなで楽しもうやないか」 

「はい!」

 みんなの顔がパッと輝いた。

 芝居作りは順調だった。なんと初めて取り組む私なのに、先生は『息子』の捕り手役の他に、『寒鴨』の猟師役を割り振った。

「二つの役なんて無理です。頭悪いからセリフ覚えられるかどうか…自信が……」

「大丈夫や。君は若いから、すぐ頭に入るよ」

 先生の邪気のない笑顔に、それ以上何も言えなかった。それどころか、なぜかやれるという気にさえなった。

 よーく考えれば、十数人もいて、配役を初体験の新米メンバーにダブルキャストだなんて、おかしな話だった。後で知ったことだが、表舞台にあがるよりも、裏方でいいからアマ劇団の活動に参加したいと望むメンバーが殆どだった。曲がりなりにも役者脂肪の私は、先生には貴重な存在だったのだろう。  

遂に迎えた舞台公演。先生はみんなの顔を見回して、やっぱり底抜けの笑顔で鼓舞した。

「さあ、みんな思い切り楽しもう」

 舞台はハチャメチャに終わった。『寒鴨』では台詞に詰まると、私は大袈裟な身振り手振りで誤魔化そうと懸命に動き回った。それでも観客に白けた雰囲気は生まれなかった。

「よかったよかった。齋藤君、どないや初舞台は?芝居ってええもんやろ。みんなもあない喜んでくれてるんやから」

 先生は実に嬉しそうだった。楽屋見舞いに差し入れられた栗饅頭を頬張り、私にもすすめながら、ひとりごちた。

「やる側も見る側も、あない目を輝かしているのん素晴らしいやろ。だから、僕は芝居が好きや。止められへんねん」

 何の惑いもない先生の言葉だった。私はハッと気付いた。

(これが先生の芝居なんや。舞台は楽しいないとあかんねん…楽しないと!)

 打ち上げで先生は底抜けに明るかった。誰彼となく、「君のおかげで舞台は成功したんや。ありがとう、ありがとう!」と連呼した。その姿は不思議に輝いて見えた。

 先生との芝居作りは八年に渡った。初舞台であれほどボロボロの醜態を見せた私は、いつしか劇団のメインキャストをつとめるまでになった。他グループに客演もこなした。

 先生の芝居はただ楽しいだけではなかった。社会問題をえぐる重厚な脚本を次々と書き上げ舞台に上げた。褒めるだけの演出にしか見えなかったが、先生の意図にこたえれるスタッフキャストは確かに育った。先生の芝居作りは、仲間への信頼感熟成が根底にあってのものだと、ようやく気付いた。

「芝居は、舞台は仲間さえおったら出来るんや。みんなが勝手に作ってくれよる。そないなったらもう出来ひんことはのうなるやろ」

 先生の飄々とした姿芝居に取り組むは、誰をも惹きつける何かがある。やはり先生は只者ではなかった。

「齋藤君、どこに行っても芝居はできるさかいな。君は芝居がホンマに大好きや。だからいつも懸命になれる。それが最大の武器や。それで上手くなれる。そんな君やから、ぜひ続けてほしい、お芝居を。君の存在が、新しい君をどんどん育てる。ボクの好きな芝居の担い手をね」

 転職で姫路に移るとき、先生は私にそれとなく使命を与えた。笑顔で、好物の甘いものを頬張りながら…。私もご相伴に預かった。

「先生。デザートに美味しいものを注文しましょうか?」

「うん。それはいいなあ。サラダけじゃ物足りん。少しくらいならいいよな。じゃあ僕はお汁粉がいい」

 先生は相好を崩した。甘いものに目がないのは年齢に変わりなく、やっぱり健在だった。

 お汁粉をとても美味そうに味わう先生の好々爺ぶりに、思わず幸せを感じた。


さあ明日は朝早くから畑に行かなければ。(ウン)
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30年前に書き残しておいたもの

2023年05月26日 02時08分26秒 | 日記
長男が転勤で福岡へ移ったと聞かされた。
子供たちとlineで結ばれた妻経由である。
いつもこんな風に子供たちの近況を知る。
まあ元気でやっているなら別に文句はないと、
自分にいい聞かせるのが常だが、
少し寂しいのは否めない。
よく聞くが、
息子と父親が酒を酌み交わすシーンなどは皆無でもある。
そんな父親になれないのは、
自分の責任なんだといつも考えてしまう。
B型父親にAB型息子じゃなあと笑って自分をごまかしたりもする。
しかし、私だって父親然とする時代はあったのだ。(笑)
そんな時代に書いた原稿を拾い出してみた。
益々思い出に縋って生きる老人になっていってるなあ。(大笑い)



ある日、夫婦喧嘩をした勢いにまかせて、「怒ってばかりで、勝手なことばかりしてるお父さんなんか、みんな嫌いよね!」

 と、子どもたちに同意を求めた私だった。

 すると、意外にも小3の長男ショーゴが、

「うー、ううん。お父さん好きだよ、僕。とっても恰好いいんだぞ、仕事してるお父さんって」

 と、口を尖らして抗議してきた。

 黙ってはいるけれど、小4のお姉ちゃんも4歳になるチビちゃんも、お兄ちゃんと同じ気持ちなのが顔色から読み取れた。

 私はそれ以上何も言えずに、頬笑むしかなかった。

 決して甲斐性のあるほうではなく、趣味に生きがいを見いだしているようなお父さんなのである。その日の機嫌によって、子どもたちへの対応がきつくなったりするようなお父さんなのである。それなのに子どもたちは、ここはという時に、ちゃんとお父さんの味方をする。それも、お父さんの存在を立派だと認めているのだった。何とも驚きだった。

 ショーゴが格好いいと言っているのは、アマ劇団の主宰者として、若い人たちを指導している時の一心不乱な姿のことだと分かっている。

 私が好きになったのも、そんなお父さんの姿からだった。そして、ひと回り以上の歳の差も何のその、結婚に漕ぎ着けさせたのも、そんなお父さんの損得抜きの男のロマンめいた魅力に打たれたからだった。

 そんな私と同じ見方を、息子のショーゴがしている。夫婦喧嘩の最中なのも忘れて、私はいつの間にか感動を覚えていた。

 子どもは親の背中を見て育つと言われるが、ショーゴは父親の姿に男の何たるかを見つけていたのかもしれなかった。

 3人の子どもたちは、しょっちゅうお父さんに叱られている。「靴を並べなさい!」「歯は磨いたか!」「テレビは、そんな近くで見るな!」「ご飯は残すな!」「野菜を食べろ!」とこと細かに、とにかくうるさいお父さんなのだ。

「あんまり小さいことでガミガミ言ってると、子どもが委縮して、親の顔色を窺うようなネクラな性格になっちゃうでしょ!」

「うるさいな。俺には俺の子どもたちへの接し方があるんだよ!」

 私の注意に耳を貸そうともしない。

 でも、私も子どもたちも、今ではそんなお父さんの心の中がよく分かっている。

 近眼で苦労した自分を振り返って、子どもたちには目を大事にしてほしい。虫歯も心配、農家の息子で育ったお父さんにとっては米も野菜も無駄にせずに食べてほしい……!小言のひとつ一つにお父さんの深い思いがあるのである。

「お父さん、僕らに近視になってほしくないんだ」

 やはりショーゴが、一番お父さんを理解していたようだった。やはり男同士である。

 子どもと普段あまり遊ばないお父さんも、その気になった時は、とことん子どもたちと遊ぶ。

 ショーゴとは将棋の名人戦(?)、ナツミとはセッセッセを不器用な手つきでやっている。末っ子のリューゴとはテレビアニメの真似っこで、組んずほぐれつドタバタやる。そこへショーゴやナツミもなだれ込んでもうメチャメチャだが、いかにも楽しそうに暴れる。

「俺は勝手な父親だから、無理に子どもたちに合わせるなんてできっこない。だから、子どもたちが俺に合わせるしかないんだ。こんな父親を持った子どもも可哀想だけどな」

「行く末が案じられるわよ。大丈夫?」

 ときどき、子どもたちの寝顔を見ながら、夫婦でそんな会話を交わす。チラッと見ると、いかにも申しわけなさそうな顔をしているお父さんの目が、とても優しく子どもたちに注がれていた。根は子ぼんのうなのである。

 最近、わが家は家庭菜園を持った。ちょうど家の裏手にあって、喜んだお父さんは、

「みんなに農薬の心配ない野菜を食わしてやるぞ。美味しいて、栄養タップリなやつをな」

 と、真剣に野菜づくりに取り組み始めた。

 しかし、この野菜づくり、子どもたちにはとんだ藪蛇となった。何かと言えば手伝いに駆り出されるのだから、ボヤッとしてられない。

「お父さん、小さい頃から野良仕事を手伝わされて大きくなったんだ。土くれにまみれて野菜づくりをよくやったぞ。そのお陰で今のお父さんがあるんだ。だからお前たちも、野菜づくりを通じて、お父さんみたいにいい性格になったらいいなあって、親心だ」

 と勝手なことをほざいて、草引きだ、水やりだとこき使っている。最初は嫌がっていた子どもらも、今ではすっかり諦め切ったのか、えらく神妙にお父さんを手伝うようになった。

「これな、キャベツだぞ。まだ若葉だけど、これから大事に世話してやったら、その分だけ大きく育つんだぞ」

 畑で子どもたちに大袈裟な説明をしているお父さんは、とても幸せそうだし、子どもたちも興味ありげに見上げて聞き入っている。

 何やかやとあるけれど、いい親子関係なのだろう。


いまや思い出が私の財産なのである。
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父の教えは、いま

2023年05月25日 14時22分57秒 | 日記
朝ラジオ体操で気分よく、
畑の作業に入った。
畑の周囲の防獣柵をてなおし、
そしてコンクリートで一角を塗り終えた。
孫の遊び場としての砂場作りである。
材料さえあれば、すぐに仕上げられる。
私はそれなりの手に技を持っている。
実は亡き父は板金加工の職人、
ブリキ屋さんといった方がいいかも。
もともと器用な父は、
専門以外にも建築土木なんでもござれだった。
鳥取の貧しい小作農家にい希育ったこともあり、
小さい頃から丁稚奉公に出された父は、
懲兵検査にも通らないほどの小柄な体だが、
負けん気は人一倍のものを身に着けていた。
だから見よう見まねながら懸命の努力で、
どんなこともこなしたものである。
そんな父だから子供に対しては厳しかった。
ブリキ屋の仕事にもしょっちゅう手伝いに駆り出された。
家を建てるときには、
木や丈の切り出しから、
製材、加工と手伝いに手伝わされた。
そしてしょっちゅう小言である。
「そんな気の入らん仕事は、世の中じゃ通用せんぞ!」
そもそも興味のない仕事、しかも子供、なのだ。
気の入るはずもないだろうと、
いつも舌打ちして反感を覚えていたのを思い出す。
それでも父の仕事の手伝いは、
父の引退まで続いた。

父に教えられたものが何だったのかを知ったのは、
自分でいろいろやらなければならなくなった時だった。
自分の家を建てたときには、
大工の仕事も、土木左官、そして屋根や樋掛けなど、
それなりにすべてやってのけられたのだ。
父の厳しい教えはちゃんと身についていたのだ。

コンクリートを塗り終えた時、
何か久々に父の顔を思い浮かべていた。

まだまだできることはあるぞ。
老骨に鞭打つ私。
いつしか老父の姿が重なった。(ウン)
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ウォーキング

2023年05月24日 11時47分45秒 | 日記
23日は「畑町ぐるりんこウォーキング」第2弾。
前日までの雨などの影響で、
第1回目の乳の井戸、堂山古墳巡りの盛況ぶりと打って変わり、
結局、私お得意のおひとりさまウォークになってしまった。(大笑)
とちゅう顔なじみのおひとりが加わり、
ヤジキタ珍道中となった。
しかも曇りがちのおかげで心地よいウォーキングに終始した。
片道1時間半のコース。少し物足りない距離だが、
じっくりと播磨風土記にまつわる、
歴史的な井戸を堪能することができた。
6月予定の次回は、
いよいよ畑町の名所「ゆるぎ岩」巡りのコースを組んでみた。
私にとっても久しぶりに歴史の道散策ともなる。
興味のある方ぜひご参加ください。
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ただ懸命だったあの日

2023年05月23日 01時15分58秒 | 日記
預かっていた孫娘を迎えにやって来た長女。
福祉介護士の仕事で、休日に仕事があるのもしょっちゅうで、
そのお手伝いにでもなればと孫を預かっているのだ。
もう40になるが、仕事と子育てに頑張っている。
赤ちゃんの時に大病を克服した彼女を思い出す。
私と妻の第1子で、
新婚間もない私たち夫婦は翻弄されたのである。
そんな未熟な夫婦を救ってくれたのは、
やっていた喫茶店の常連客。
飲食の会社を運営し息子も立派に育て上げた先輩女性だった……!

30数年前、妻の立場に立って書いた原稿は、
新婚間もない時期に葛藤した日々である。


 生後一年にもならない長女が高熱を発した。二十一歳の新米ママは、初めて授かった赤ん坊を抱きかかえオロオロするばかりだった。育児書を夫と一緒に開いた。十三も年上の夫を信頼していても、赤ん坊に関しては夫婦ともにお手上げ状態だった。

「赤ちゃんは少々の熱でも心配いらないって書いてあるぞ」

 夫はホッとしたように言った。しかし、目の前で高熱に顔を赤くする赤ん坊を見る限り、そんな気にならない。氷嚢に水枕、アイスノンで冷やし、一夜を眠れないまま明かした。

 翌朝、早速病院へ走った。

「風邪です。心配いりません」と医師は解熱用座薬を出してくれた。医師の診立てだからと安心したものの、高熱は続いた。

 子どもが心配で仕事を休むわけにはいかない。夫婦でやっている喫茶店を一人がぬけると大変だ。生活が懸かっていた。その日も、裏の休憩室に赤ん坊を寝かせカウンターの中で仕事をしていた。

「どうしたの?なにか心配ごと?」

 どこか落ちつかない様子だったのだろう。カウンターにいた常連の女性客が訊いた。喫茶店とレストランのオーナー、それも神戸で店を三店持っている女性だった。夫とはウマがあい毎日の来店だった。夫はママさんと呼んで喫茶店経営の相談をしていた。いつも店の自慢話と、私たちの店の短所を指摘した。善意のお節介なのに、若い私は彼女に反感を持った。小娘と貫録のあるママさんじゃ、もとより勝負にならないが、心の中で敵愾心を持ち続けていた。

 それでも、切羽つまっていた私は、娘の高熱に、どうしたらいいのか分からない旨を告げた。ママさんはすぐに反応した。

「それって、風邪じゃないわ。私の友達がやっている小児科病院にすぐ連れていってみて」

 ママさんも高校生になる子供を持つ母親だった。身体が弱かったので、大変な子育てだったらしい。その彼女の助言だった。

「これは川崎病だな。すぐ入院させないと」

 ママさんの友人医師は、風邪ではないと断定した。訊いたことのない病名だった。血液の病気だという。

「日赤は川崎病の先駆的医療を行っているから、大丈夫。すぐ紹介状を書くから」

 入院にオロオロするばかりだった。夫に電話をすると、駆け付けてくれたのはママさんだった。彼女の姿に驚く私に、厳しく言った。

「しっかりしなさい。この赤ちゃんを守れるのはあなたしかいないの。いまからちゃんとした母親になりなさい!手伝ってあげる。これでも母親やって来てるんだよ」

 ママさんの叱咤は不思議に私の狼狽えを解消した。ママさんの存在に安堵感を覚えた。

 日赤の受付でママさんは適格な助言をくれた。おかげでスムーズに診察まで至った。結果はやはり川崎病!即入院ということで、赤ん坊は病室に運ばれた。入院手続きを済ます間、ママさんは病室ベッドに横たわる赤ん坊にずっと付き添っていてくれた。

 点滴を受けて弱弱しく目を閉じた赤ん坊を見守る私に、ママさんは言った。さっきまでのきつい口調はなかった。優しかった。

「はい、お母さん、ご苦労さま。もうこれでひと安心やね。よかったよかった」

「はい。本当にありがとうございました。何にも分からなくて、わたし恥ずかしいです」

「みんな同じなんだから、気にしない。私も息子が初めて病気になった時は、あなた以上に混乱して、ジタバタしてただけ」

 意外なママさんの言葉だった。すべてにわたって完璧さを漂わせる彼女も、同じように初々しい新米ママを経験していた。

「うん。あなた、いい顔になってる。なんとか母親になりかけたってところかな」

 ママさんの言葉のひとつひとつが、私の緊張しきった身も心もリラックスさせてくれた。

 担当医師の回診が終わるまでママさんは傍にいてくれた。まるで私の母親だった。

 ようやく仕事を終えた夫が駆け付けたのは夜遅く、もう十一時近かった。

「大丈夫やったか?お前、えらかったんやてな」

「え?」

「ママさんが報告してくれたんや。あなたのお嫁さん、いい母親になるわよ。彼女がいれば大丈夫だから、おとうさんはちゃんと稼がなきゃダメよってハッパを掛けられたよ」

 夫の笑顔に救われる自分に気が付いた。そして、ママさんの、あの言葉が私をまた励ましてくれた。

「赤ちゃんを守れるのはあなたしかいないのよ。いまからちゃんとした母親になりなさい」

 この春、娘は結婚した。他に三人の子供を育て上げた。「おかあさん」「おかあさん」と子供たちに慕われる幸福な家庭を守って来られたのは、あの日、ママさんが私を母親に引っ張り上げてくれたおかげだと思っている。

4人の子供を巣立たせたいま、
何の公開もなく幸せな余生をおくっている私と妻なのである。


明日23日は「畑ライブラリー」のプログラムである、
「畑町DEぐるりんこウォーキング」で、
ホムチベの井戸を巡るウォーキングを楽しむ予定である。
雨は上がったように見えるが、さてどなりますか?
そして6月の「畑ライブラリー」のプログラムが出来上がった。
天候次第だった「畑ライブラリー」が、
中止にしないための代わりになる、
ロフト広場の整備も完了、やる気満々である。(ウン)

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ロフト風エリアの完成をみて

2023年05月22日 00時24分58秒 | 日記
夜遅く、屋内イベントエリアの整理にめどがついた。
4月・5月と、
「畑ライブラリー」のプログラムに組んでいた、
「体験モルックひろば」が雨で中止せざるを得なくなった時、
思いついたエリアだった。
雨や気温が高すぎたときに、
安心してプレーが楽しめる場所の確保である。
自宅の基礎は高床にして、
ロフトのイメージでアトリエと倉庫にしている。
底を片付けてイベントフロアにしようというわけだ。
夜遅いので、完成図を写真に収められないが、
明日から試運転(?)と行くつもりである。
まずは「ラジオ体操」、
暑くなるのを見越して、
9時始まりを7時に変えていたが、
元の9時に戻そうと思う。
明日は「畑DEラジオ体操」ならぬ「ロフトDEラジオ体操」である。
使い勝手はおいおい改良していくが、
まずはやってみるのである。(ウン)
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