こころの文庫(つねじいさんのエッ!日記)

家族を愛してやまぬ平凡な「おじいちゃん」が味わう日々の幸せライフを綴ってみました。

歯のハナシ

2019年05月31日 00時39分01秒 | Weblog
「あれ?」
 違和感に気づき
舌で歯をまさぐった。
この感触は前に体験している。
(あっ)
 食べているものに
異物がいきなり紛れ込んだ。
慌てて流し台に移動し、
シンクに吐き出した。
思った通りだった。
咀嚼中の食べ物の中に、
それは顔を覗かせていた。
銀色が黒ずんでいる。
歯のかぶせ物だった。
「きょうはどうしましたか?」
 聞きなれた声を背後に思わず
「またお世話になります。
どうも年がら年中通ってますね」
 自虐的な台詞になっていた。
照れ笑いで誤魔化す自分がいやになる。
「よくお顔を拝見します」
 歯科医師は
如才なく返してくれた。
 銀冠が外れたわけではなく、
歯は折れていた。
数年前に
神経を抜いた歯だった。
「入歯を支えていた歯ですね。
抜かずに根本は残して、
入歯はそのまま使いましょうか」
 ホッとした。
入歯を作り直すと、
また高くつく。
そのまま使えるなら、
出費に悩む必要はなくなる。
先月別の入歯を補修したばかり、
悪い連鎖は断ち切りたいと、
いつも切実に思う。
 それでも
わが愛しき歯は
断末魔への道を
ひたすら突っ走っているのだ。
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奇跡の詩?

2019年05月30日 00時19分07秒 | Weblog
女ふたり男ふたり
「うまく産み分けたな」
しょっちゅう言われます
子供は天からの授かりもの
産み分ける能力は
母親にも男親にもありません
奇跡!
そうなんです  
娘が巣立つ春
三十数年に渡った 子育ては
終焉を迎えます
そして誰もいなくなる…
… 夫婦二人きりを覚悟しました
「ひとりぐらい家に残ってもいいよね」
奇跡は二度起こりました
「これって親孝行でしょ」
ほろりと来ました

奇跡よ 
ありがとう!
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サポーター

2019年05月29日 02時14分16秒 | Weblog
「おはようございます!」
 自分の声なのに、初めて聴くものだった。生活支援サポーター意識のなせる業である。
 軽い気持ちで受講した生活支援サポーター養成講座終了から三か月。初めて務めるサポーター任務で、緊張と高揚感に襲われていた。
「条件にあったサポート依頼なんですが、受けて頂けますか?」
 社協のサポートセンターからの連絡は、登録したことを忘れかかった頃だった。
「あ……っと。は、はい。大丈夫です」
 なんとも曖昧な返答になってしまった。
「登録されてますゴミ出し援助の、ご依頼なんですが、担当願えますか?」
 確かに登録書類の支援項目でゴミ出しにチェックを入れたが、改めて耳にすると、妙な気恥しさを覚える。普段何気なくこなすゴミ出しのサポートをすることにピンと来ない。
「では月曜日の朝、お約束した時間、現地で落ち合いますね。初日ですので、援助を依頼されたお宅へ、ご一緒させて頂きます」
 前夜、なかなか寝付けなかった。遠足を翌日に控えた幼稚園児の高揚感めいたものの仕業である。もちろん約束時間を意識しすぎる生真面目な性格の影響もある。支援サポーター初日への期待と不安は、募る一方だった。
支援サポーターが何たるかの自覚は、まだなかった。養成講座は眠気との勝負で、かなりお座なりだった。支援サポーターのあるべき姿など、いまだ掴めていない。しかし、引き受けた以上、もう逃げられないと覚悟した。
「よろしゅうお願いします。身の回りのこと、自分で何でもやってたんですよ。こないなことで人さんの世話になるのん、申し訳のうて」
 依頼女性の達者な口は、これまでの暮らしの堅実さを裏付けている。高齢になって、体が思いについていかなくなるのが、加齢の正体である。すっかり体力が落ちたのを実感するわが身をダブらせて、依頼者をみた。
「そんなん気にせんで下さい。お互い様です。私かて、すぐ追いつく年齢ですわ。そしたら誰かのサポートに縋らなあきません。そないなるまでは、元気があるったけ、お手伝いできたらと思てますねん」
 昨日まで思い付きもしなかった言葉が、すらすらと口を出る。しかも、胸の内に沸き上がる使命感は本物だった。目の前にした現実が、他人事でないと知ったからに他ならない。
「ほんまにあんじょうしてもろてからに。ごっつう助かってます。おおけにな」
「まだ体が動きよるんで、何でもやりますよ。遠慮せんと言うてください。ただし、出来んことは、こないな私でもやっぱり出来しませんわ。根が不器用やさかい、仕様がおまへん」
 ゴミ出しを終えた後かわす、つかの間の談笑は楽しい。サポーターを引き受けなければ、経験できない、癒される時間だった。
「ほな、これで失礼させて貰います」
「来週も必ず顔を見せてくださいよ」
 サポーター冥利に尽きる嬉しい言葉だった。
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衣替えの季節を迎えて

2019年05月26日 02時12分04秒 | Weblog
 中学時代、
衣替え時期は苦闘の日々だった。
通学カバンのほかに
手提げ袋を提げての通学。
朝が早いとひんやりしているので、
学校まで冬服を着用、
正門前で脱ぎ手提げ袋に詰めた。
 寒がりの私に
六月の衣替えは早すぎた。
梅雨時期と重なるせいもあり、
雨でも降れば
もう夏服だけでは過ごせなくなる。
授業中は夏服の下に
下着の重ね着をしたものだ。
「えらい着ぶくれしてるやないか」
 先生も心得たもので、
校則は校則とばかり、
冷やかし程度で対応してくれた。
ただ重ね着も、
やはり冬場と違い
暑くなってきたりする、
温度調節に脱いだり来たりと大変だった。
 社会人になると、
衣替えの時期など関係なくなった。
就職先がレストラン、
職場に入ると
丸一日コック服で過ごすのだ。
それでも寒さとの闘いから
逃れられなかった。
生の食材を扱う調理場は年がら年中
冷房で低温を保たれた。
凍えを我慢しながら、
衣替えに四苦八苦した昔がよかったと
心底思ったものである。
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息子の引っ越し

2019年05月25日 01時08分15秒 | Weblog
 大学卒業でアパートから一旦帰郷した息子。
就職が決まると職場の近くへ引っ越し、会社で転勤も二度三度と続き、息子は家具や家電を揃えるのを遂に止めた。名古屋から広島、次に東京と、家具は引っ越しの邪魔者にしかならないと悟ったのだ。
 この春の転勤で、家具を持たなくなった息子は身ひとつで引っ越した。「こんなに身軽で負担のない引っ越しができるなら、もっと早く家具や家電を手放しておけばよかった」清々した顔で報告してくれたのである。
 片田舎に居を構えるわが家の倉庫。山積みされた段ボール箱が埃をかぶっている。すべて息子の引っ越しで邪魔者扱いされた家具や家電が梱包されたままになっているのだ。当時は次の引っ越しに持っていくという話だったが、もう出番はないといっていい。
 その大きな荷物の引っ越しを、この春に思い切って行った。引っ越し先は粗大ごみ集積場である。伝えても息子は何も言わなかった。
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故人の名前に接し思わず

2019年05月23日 02時01分42秒 | Weblog
前略 
懐かしい名前を紙面で拝見しました。三枝勲さん、さいとうたかおの劇画『影狩り』の愛読者同士でした。主人公三人組の逞しい生き方を熱く語り合ったのを思い出します。
 実は加西で文芸同人誌を作らないかとお誘いを受けたのがきっかけで交流させていただきました。王子のМくんも仲間に入り、商店街入り口にあった喫茶店で、文化不毛と揶揄されがちだったふるさと加西に生きる若者がどう行動するべきかを、生真面目に考えさせられた貴重な時間を送りました。
 確か『カルラ』という同人誌名だったと記憶に残っていますが、結果的には、あと一歩で計画はご破算になりました。その理由は、よく思い出せませんが、文化不毛の垣根を壊せなかったのは確かでした。(苦笑)
 その後、市外に働き口を見つけた私は、趣味道楽も市外一辺倒となり、ふるさと加西への思いはいつしか薄れてしまったのです。加古川、姫路とアマチュア演劇に没頭し、脚本や散文を書いては自己満足に浸る青春の日々でした。その創作意欲も、よくよく考えれば、勲さんとの交流で育まれたものだったのです。
 ふるさと加西への思いが再び頭をもたげたのは、定年退職がきっかけでした。自分の時間が持てたことで、『カルラ』仲間をおもいだしました。「ふるさと加西に文芸の焔(ほむら)を起こそうやないか」勲さんの言葉も……!
 以来、エッセーや小説などを書き続けています。その過程で、ふるさと加西で何かをやってみたいという欲求に駆られ、市のイベントに飛び込んでみました。場違いな青年グループの『お化け屋敷』が最初でした。自分の子や孫年齢の若者たちに交じった老一点、いやはや思い起こせば恥ずかしい限りです。それでも、もう五年以上続けています。
 この間はうずらの戦争遺跡ツアーのボランティアガイドへ参加。実は、それまで戦争遺跡のふるさと加西に現存していることすら知らなかったのですから、何をかいわんやという顛末です。
 さらにまちライブラリーにも参加。加古川の書店勤務時に買い求めた書籍1500冊を蔵書にしたミニ図書館で、本を通じた地域交流をと奮闘中です。片田舎から飛び出し、この五月にイオンモール加西北条で出前まちライブラリーのイベント『絵本ワンダーランド』をやります。絵本や昔話などの楽しみ方をいろいろ模索して子供たちと楽しみを共有したいと思ったのです。
 文芸の方では昨年は神戸新聞文芸年間賞を頂きました。
 勲さんらと語らった『カルラ』の世界を実現する一歩を踏みしめたのです。ただ、いかんせん私はもう高齢者。これ以上の飛翔は望めません。ふるさと加西の文芸文化の底上げを図れる後継者の排出を願うばかりです。
 いやあ、懐かしい『三枝勲』の名前を見つけて、すっかり若返りしころの情熱に浸ってしまいました。おかげで少し疲れを感じるおじいちゃんになtってしまったことを思い知らされました。(はぁ~、しんど。苦笑)
 三枝編集長、これからもグリーンポストで熱い思いを吐き出し続けてください。期待しています。では失礼いたします。
早々

四月十三日
              一読者より
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あの味

2019年05月22日 00時19分23秒 | Weblog
「腹ペコペコやー!なんか食うもんないん?」
 小学校から帰ると、いつもそう訴えた。
 貧しい時代で、
子供のおやつといえば
サツマイモをふかしたものが代表的だった。
ただし子供が空腹を訴えても、
すぐふかしイモが用意できるわけはなかった。
そんな時、
「これでも食べとき」と、
母が手早く用意してくれたのは、オニギリ。
これが実に美味かったのだ!
かまどで炊きあげたご飯の残りだが、
これがタダモノじゃなかった。
お釜の底に焦げ付いたご飯を
こそげたものを握ってあった。
おこげに母の効かせた塩味は、
これまた絶妙だった。
あれは腹を空かせた我が子を思う母の愛情が、
隠し味になっていたのだろう。
最近炊飯器が壊れて、
フライパンでご飯を炊き始めた。
炊く時間を延ばせば、おこげができる。
それでオニギリを作ってみたが、
何度握っても、
記憶に残るオニギリの味は再現しなかった。
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イベントを振り返る②

2019年05月20日 11時34分05秒 | Weblog
ようやく体の疲れも取れました。

写真も数枚手に入れました。
じっくり見直すと、
年齢の割には
えらく頑張っている自分の姿を見直しました。

次に控えているイベント、
『ワイワイらくがき大会』の準備にかかりました。
言い出しっぺだけに手を抜くわけにはいきません。
落書きをするためのボード作りを始めました。
スーパーから集めたダンボる箱を利用しての作業です。
ちびっこが夢中になってボードを
らくがきで埋める光景を想像しながら、
試行錯誤します。
まだまだ時間はあります。
ベストのものを用意したいものです。
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イベントを振り返る①

2019年05月17日 01時48分32秒 | Weblog
イベントの報告をしたかったが、
写真がなかなか手に入らなくて、後回しになってしまいました。
やっと一枚手に入ったので、
遅まきながらの報告です。
演目は紙芝居パフォーマンス「おむすびころりん」

紙芝居をやりながら、舞台でパフォーマンストいう構成で、
結構受けました。
ただ、年齢をとった分、
スタミナがどうもといった感じ。
それでも何とか息切れはしなくて済みました。(笑)
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やっとこさ

2019年05月14日 00時32分05秒 | Weblog
やっと普通の時間を取り戻しました。
最大のイベント『絵本ワンダーランド』が
無事終了したのです。
他もろもろの忙しさが重なって、
ブログから離れざるを得なかったのです。


しかし、やっと時間を取り戻せそうです。
家の周りの田んぼに水が張られ、
帰るがゲロゲロ喧しい深夜、
久々のブログに向かい合っています。
これから徐々に復活と行きたいなあ!
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