こころの文庫(つねじいさんのエッ!日記)

家族を愛してやまぬ平凡な「おじいちゃん」が味わう日々の幸せライフを綴ってみました。

あと二日での誓い

2018年12月31日 01時16分30秒 | Weblog
年も押し詰まったいま、
ぼーっとしていると、
ポストに郵便物が。

開封すると、

七十になった私の余生を生き抜く
夢を与えてくれるものだった。
B出版社からお年玉出版キャンペーンのお知らせ。
応募作の中から一点、無料で出版するという趣旨。
実はB社にはあるところまで出版の話を
費用は二百万で煮詰めていた。

それが体調不良でダウン!
入院・手術などに見舞われておじゃんになってしまった。
二百万を自分の夢である出版に使う余裕がなくなってしまったのだ。
末娘の大学の学費と、家計……それに治療に要する費用で、
夢は脆くも潰えてしまったのだった。
B社の担当者にも、
ねん出するお金が無くなったから、
出版の企画など案内はお断りすると申し出ていたのだ。

その担当者が私の事情をおぼえていてく、
それで無料出版キャンペーンに応募してみませんかと連絡をくれたらしい。


もう一度夢を見ることにした。
所詮叶わないから夢である。
しかし余生を生きぬく意味で、
夢や目的を持たなければ無駄に年齢を重ねるだけに終わってしまう。
だから夢を見るのだ!
二月まで200枚を目標に原稿を書くと誓った。
一日5枚から10枚の原稿用紙を埋める作業である。
結果はどうでもいい。
しかし面白い!
最中に命が尽きるかもしれないが、
やるっきゃない!
天文学的な数字を目指して突っ走るぞ!
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昔々のお話

2018年12月30日 10時05分59秒 | Weblog
 商工会議所内のレストランに勤めていた。会議所の忘年会は大がかりで、各課の代表が舞台でかくし芸を披露しあい、もう大騒ぎ。
 レストランの代表に、アマチュア劇団に参加していた私に白羽の矢が立った。一人じゃ面白くないと思ったので、いつも調理場で冗談を言い合うチーフに声をかけた。でっぷり太った体形で、痩せて背の高い私と並べば、それだけで受けると思ったからだった。
 ところが、チーフは大乗り気。台本を書いてきて、何やかやと注文オンパレード。即興の宴会芸でお茶を濁そうとの思惑が、まったくのアテ外れ。仕事終りの練習を、一週間みっちりやらされ、こんなはずじゃなかった!
 忘年会で出番を迎えるまでに飲みすぎ、もう酩酊状態で舞台に。懸命なチーフとメロメロ漫才をやってしまい、あの練習は無意味に。
 ところが案に相違して、これが大うけ。拍手喝采で、まるでスター扱い。そのスターには、忘年会が終わった宴会場の後片付けが、しっかりと待っていた。
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年の瀬を過ごす

2018年12月29日 01時01分31秒 | Weblog
雪がちらつく一日。
今日は出かける予定もなく、
ノホホーンと過ごしてしまった。
仕事納めの日に面会を求めても無理だから、
その分英気を養うことにした。
といっても、
午後は正月の準備が待っている。
近くの山でウラジロを摘まんできた。
一通り伝統的風習を実行しようと思うと大変。
玄関の飾りは明日に回しておいて、
あとはおせちの仕込みの仕上げにかかる。
冷凍しておいたハンペンを使っての伊達巻きを焼き上げ、
厚焼き玉子も。
卵料理は娘も孫も好物だから欠かせない。
巻物やかまぼこ類は盛り合わせ直前にカットする。

夕食の用意もしなくてはと、
アジフライとチキンカツを揚げてみた。
値引きされていたアジを買って開いたものを、
自家製のパン粉でフライ用に仕込んで冷凍しておいたものだ。
キャベツの千切りも、
フードプロセッサーは万能だ。

それ以上は無理せず、
ビデオ鑑賞。
リアルタイムのテレビは最近全く見なくなった。
同じ顔ぶれが行ったり来たりで、
面白味も新鮮味も皆無だから、仕方がない。
DVDに録画しておいたものをセット。
CMをカットして編集していた昔の作品だ。
『ごくせん卒業編』
リラックスしてみるのに最適の作品だ。
破天荒なストーリーに、涙も流せるストーリーは、
何度見ても飽きない。
しかし、ジャニーズの顔がゾロゾロには閉口するが、
そこは目をつぶってゴロゴロ鑑賞。
いつの間にか眠りに入ってしまっていた。
年だなあ~!(自嘲)
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今年の「アッ!」

2018年12月28日 01時31分03秒 | Weblog
「ほんまに有難う。助かってます」
 丁寧な言葉に恐縮してしまう。まだ慣れない。社協の支援サポーターに登録、最初のサポートボランティアなのだ。歩行が覚束なくなった高齢女性が、サポートの依頼者だった。
「ほかに困ってることがあったら、何でも言うてください。できることやったら、ちゃんとお手伝いさせて貰いますから」
 援助活動はゴミ出し。週一回、市の収集日に集積場まで運ぶ。容易いことだが、依頼女性にはそうではない、玄関口まで出てくるのにさえ、思うようにならない状況だった。
「本当にすみません。こんなことまで、お厄介になって。ちょっと前までは、身の回りのことは、何でもやってのけてたんですよ」
「気にしないでください。こんな私も、すぐSさんに追いつきます。そうなったら誰かの手を借りんとやってけません。お互い様です」
 そんな冗談を交し合えるまで、女性の苦境を理解していなかった私。今ではわがことのように思えるのが、自分でも不思議である。
 大病なく暮らしてきて、もうすぐ七十。どんなことでも自分の力でやりこなせるのが普通な人生しか知らないと、いつのまにか些細なことをやるのにさえ、体が思うようにならない人の苦しみが分からなくなる。そんな私が、身近なことに四苦八苦する人のサポーター体験で、ようやくサポートの必要性を理解できるようになったのだ。まさに奇跡である。
 定年退職で時間の余裕が生まれても、人のために何かやろうなどとは、これっぽっちも思わなかった。自分のために、いかに楽しい時間を送れるか考えるだけだった。それを疑問に思わず、実に気楽な日々を過ごしていた。
「お父さん倒れた!って、連絡きてる」
 朝早くに入った電話。慌てて駆けつけると、寝台の下で手足を痙攣させる父の姿を目の当たりにした。九十五という高齢とはいえ、昨日までグランドゴルフを楽しんでいた父である。まるで夢をみているようだった。
「脳梗塞です。今の状態なら手術はしないで、薬で様子を見ることにしましょう」
 医師の言葉は緊急性がなくて、安堵した。
 右半身は不随になり、入院してリハビリに入った父。家族の呼びかけに反応できる意識は、まだ健在だった。
「!」
 一瞬、言葉を失った。ボロボロと涙を流す父。車いすで散歩に連れ出した時である。散歩といっても病院の外は無理なので、院内の廊下で数分過ごすのだ。廊下の端で、窓越しに外を眺めていた時のできごとだった。
「おじいちゃん。ええ天気やろ」
 家族が、そう声をかけた時だった。
「あれ?おじいちゃん泣きだした。どうしよう?どうしたん?おじいちゃん」
 父の涙に気づいた妻は大慌てした。動かせない体をワナワナ震わせていると錯覚させられる大粒の涙を、父はボロボロこぼした。
「ウッウッウッ!」
 何かを言おうとする父。言葉にならなくても、すぐ悟った。悔しいのだ。あの日まで何の支障もなく行動でき、楽しめていたグランドゴルフ!それが全て手の届かぬものになってしまったことが、悔しくて堪らないのだ!
 三日後、脳梗塞は再発した。これで父はもう悔し涙を流せなくなってしまった。ベッドで横になる父の反応は、日増しに疎くなっていった。いまは療養病院でリハビリ生活を送っているが、再起は望むべくもない。
「俺、支援サポーター講座を受けるわ」
「急に何よ。自分の時間を精一杯楽しむぞ!っていってたやんか」
「親父の姿見てたら、なんか俺、人のためにならなきゃって、思ってしまったんや。やりたいことがあっても、思うようにならない体になった悔しさの手助けを、体が元気な俺がやるべきなんじゃないかって」
 妻は口を閉じた。なんとも能天気な生活を送っていた夫の決意、『ほんまもん』だと感じたらしかった。
 支援サポーターに飛び込む動機になった父の容体は、今もあまり変わっていない。ただ家族に愛される父は、面会も見舞いもひっきりなしだ。体が不自由になっても、父は幸せである。
 しかし、一人孤独な暮らしを余儀なくされた高齢者、その上に体の不自由が加わったら……?それは私の未来図に思える。
 やらないで助けて貰おうなどとは、おこがましい限りではないか。なんとも打算的な思惑で始めたサポーターボランティアだったが、
サポーター活動の積み重ねは、着実にそんな利己的な考えを変えさせてくれた。お互いさまが通用し、助け合いが普通の社会になってくれるよう、切実に思うようになった。
「済まんねえ。ほんまに助かります。有難う」「気にしないで、次は私の番やから」
 サポーターへの感謝に、ひょうきんな顔で応じる私。もっと変わらなきゃ!肝に銘じた。
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昔あった、あんなこと

2018年12月27日 01時04分48秒 | Weblog
「お帰り。よう帰ってきたのう」
 感極まる震え声で、母は出迎えてくれた。
 町でやっていた喫茶店を廃業、切羽詰まった末の妻と子供を伴う帰郷だった。実家の納屋を改装して落ち着いても、惨めな気分から抜けだせなかった。
 訪ねてきたのは地元青年会議所メンバーのSさん。思い当たることがなかった。訝る私を察して、用向きを事細かく話してくれた。
「ふるさと活性化に、力を借りたいんや」
 実は町暮らしのころ、仕事と並行してアマチュア劇団の活動に没頭していた。
「あなたの舞台を観ました。あない感動したのは久しぶりやったなあ。パンフレットに加西市出身とあったんで、同郷の人がこんな素晴らしい活動をされていると嬉しくなってもて。会議所の仲間に報告したら『町おこしでお芝居をつくって貰おう!』となったんです」
 熱い話しぶりに、圧倒された。
「加西市に伝わる伝説の美女、根日女を主人公にした物語、芝居にできへんやろか?」
「根日女?
 初耳だった。
「知りはらへんかったんやな。地元出身の方でもそうやから、知名度はないんやね。でもふるさとを代表するヒロインなんでっせ」
 伝説の美女を主役に据えた芝居を作ってほしいという依頼。ふるさとに出戻った負い目から抜けられない私は、得意な芝居が役立つならと、二つ返事で引き受けた。
 いくら得意でも、まったく知らなずにいた伝説の美女、根日女を芝居にするのは並大抵なことではない。図書館で文献資料を漁った。
 播磨風土記に、その記述はあった。根日女の熱く気高い恋愛ストーリーを拾い出した。大和朝廷の大王となるヲケとオケ兄弟皇子と交わした、純情一途な愛が蘇る古代ロマン!
「わがふるさとに、こんな愛と感動の美女伝説があったんやな。もう感激ですわ」
「そやろ。そのロマンに満たされた夢世界を市内外の人たちに知って貰いたいんや。こんな純粋で崇高な愛の物語を、ふるさとの先祖が演じたことを。若い人に、愛とは何だろうかと考えるきっかけになれば、もう最高です」
 熱く語るSさん。ふるさとへの愛を、痛いほど感じた。これはやるしかない!
 オーディションに集まった市民から選抜した三十名による芝居作りは始まった。いや芝居作りというより、ふるさと回帰だった。
 集めた文献資料を基に根日女を語りあうのが第一歩だった。ふるさとへの思い、播磨風土記に記された歴史の重みを、参加者同士が確認しあった。満を持してのスタートだった。
 ふるさとへの思いを高める練習の日々。そして裏方も、市民の力を結集させた。装置や小道具、衣装や音響照明と知恵を出し合った。
 ついに迎えた公演。千人を超える観客を前に、市民の手で実現した歴史ロマンの再現は、想定以上の感動を呼び、会場はどよめいた。
「もう感動したわ!ふるさとにあった素晴らしい歴史絵巻が舞台で再現されたんや。ふるさとを顧みなかった自分が悔しいわ。これからもふるさと起こし、力を貸して貰います!」
 Sさんの顔は、くしゃくしゃだった。
「私こそ、忘れかけてたふるさとを取り戻せたんや。出戻り冥利っちゅういうんかな。ありがとうをいわせて貰います」
 そうだった。遠くにいると、ふるさとへの思いは日々の暮らしに埋没、記憶から徐々に消えてしまう。それを取り戻した満足感に、思い切り浸った。
 出戻り劣等感は、ようやく消えた。ふるさとを見直す試みに加わり成功させたからだった。ふるさとを一挙に自分の手につかめたのである。豊かな自然、人情…すべてが、輝いて見えた。ここで生きていく自信がふつふつと湧き上がってくる。この調子で仕事を手にするのだ!
(もっと僕が住んでいるとこ知らなあかんな)
 生まれ育ったふるさとのことを、あまりにも知らなさ過ぎた。それが普通だったのだ。ふるさとを愛するなんて、これっぽっちも思わなかったのが嘘みたいである。だからこそ、いま無性に知りたくなった。
(いまからでも遅くあらへん。ふるさとを観な祖いてみるんや。ふるさとを端から端まで知ったる。そいで思い切り触れてみるんや!)
 Sさんに誘われて、青年鍵所が催す『ふると丸ごと散歩!』がうたい文句の市民ウォーキングに参加して市内各地を巡り始めた。次々に新たなふるさとを発見することになった。誇れるわがふるさとは、こんな身近にあったんだ!発見の度に胸が弾んだ。
 わが家は辺鄙な山裾にある。夜中に家の周囲を猪や鹿が徘徊する超田舎なのだ。しかし、豊かな自然と人情はいまだ健在している。そこへ戻ってきて、住んでいる自分の幸運に感謝してもし足りない。
「ほなら、あっちゃを散歩してくるわ」
 きょうも、ふるさとへ飛び込んでいく。
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旧交

2018年12月26日 01時07分01秒 | Weblog
久々の連絡を取りました、
一つは我が恩師。
向こうからの通信でした。
受賞の記事を見て、
その場で連絡を入れてくださったのです。
もう九十歳。
驚くほどの矍鑠ぶり。
来年はフランスへ一人旅されるとか。
亡き奥さんの油絵が外国で評判なのです。
今回はルーブルなど所蔵の話があるそうです。(スゴイ!)
もっとすごいのはこうれの先生の行動力。
昨年もひとりデンマークをぶらり旅されたのですから、
いつも驚かされてばかりです。
来年はお会いしたいものです。

もう一つは、
こちらから連絡を入れました。
加古川で芝居仲間だった人です。
来年のイベントに協力をお願いしました。
ちょうどイモの収穫中だったとか。
お互いにいい老後を送れているようです。
出来る限りのバックアップをしてもらえそうです。(ホッ)
年を取れば、
旧知の人が頼りになります。
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イブ

2018年12月25日 00時43分21秒 | Weblog
クリスマスイブ。
新聞の中に
私が受け取るプレゼントがありました。
年間賞の発表記事です。
顔写真付きのコメントも。
何度も見直しました。
夢か幻かという心境だったんですね。
それでも祝福のメールが三通入りました。
とにもかくにも、
これで今年最後を飾る喜びも、
呆気なく終わりを告げました。
でも、書くことしか楽しめない因果で、
今夜もモニター画面と
睨めっこです。
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若かった、あの日のこと

2018年12月24日 00時25分51秒 | Weblog
「お帰り。よう帰ってきたのう」
 感極まる震え声で、母は出迎えてくれた。
 町でやっていた喫茶店を廃業、切羽詰まった末の妻と子供を伴う帰郷だった。実家の納屋を改装して落ち着いても、惨めな気分から抜けだせなかった。
 訪ねてきたのは地元青年会議所メンバーのSさん。思い当たることがなかった。訝る私を察して、用向きを事細かく話してくれた。
「ふるさと活性化に、力を借りたいんや」
 実は町暮らしのころ、仕事と並行してアマチュア劇団の活動に没頭していた。
「あなたの舞台を観ました。あない感動したのは久しぶりやったなあ。パンフレットに加西市出身とあったんで、同郷の人がこんな素晴らしい活動をされていると嬉しくなってもて。会議所の仲間に報告したら『町おこしでお芝居をつくって貰おう!』となったんです」
 熱い話しぶりに、圧倒された。
「加西市に伝わる伝説の美女、根日女を主人公にした物語、芝居にできへんやろか?」
「根日女?
 初耳だった。
「知りはらへんかったんやな。地元出身の方でもそうやから、知名度はないんやね。でもふるさとを代表するヒロインなんでっせ」
 伝説の美女を主役に据えた芝居を作ってほしいという依頼。ふるさとに出戻った負い目から抜けられない私は、得意な芝居が役立つならと、二つ返事で引き受けた。
 いくら得意でも、まったく知らなずにいた伝説の美女、根日女を芝居にするのは並大抵なことではない。図書館で文献資料を漁った。
 播磨風土記に、その記述はあった。根日女の熱く気高い恋愛ストーリーを拾い出した。大和朝廷の大王となるヲケとオケ兄弟皇子と交わした、純情一途な愛が蘇る古代ロマン!
「わがふるさとに、こんな愛と感動の美女伝説があったんやな。もう感激ですわ」
「そやろ。そのロマンに満たされた夢世界を市内外の人たちに知って貰いたいんや。こんな純粋で崇高な愛の物語を、ふるさとの先祖が演じたことを。若い人に、愛とは何だろうかと考えるきっかけになれば、もう最高です」
 熱く語るSさん。ふるさとへの愛を、痛いほど感じた。これはやるしかない!
 オーディションに集まった市民から選抜した三十名による芝居作りは始まった。いや芝居作りというより、ふるさと回帰だった。
 集めた文献資料を基に根日女を語りあうのが第一歩だった。ふるさとへの思い、播磨風土記に記された歴史の重みを、参加者同士が確認しあった。満を持してのスタートだった。
 ふるさとへの思いを高める練習の日々。そして裏方も、市民の力を結集させた。装置や小道具、衣装や音響照明と知恵を出し合った。
 ついに迎えた公演。千人を超える観客を前に、市民の手で実現した歴史ロマンの再現は、想定以上の感動を呼び、会場はどよめいた。
「もう感動したわ!ふるさとにあった素晴らしい歴史絵巻が舞台で再現されたんや。ふるさとを顧みなかった自分が悔しいわ。これからもふるさと起こし、力を貸して貰います!」
 Sさんの顔は、くしゃくしゃだった。
「私こそ、忘れかけてたふるさとを取り戻せたんや。出戻り冥利っちゅういうんかな。ありがとうをいわせて貰います」
 そうだった。遠くにいると、ふるさとへの思いは日々の暮らしに埋没、記憶から徐々に消えてしまう。それを取り戻した満足感に、思い切り浸った。
 出戻り劣等感は、ようやく消えた。ふるさとを見直す試みに加わり成功させたからだった。ふるさとを一挙に自分の手につかめたのである。豊かな自然、人情…すべてが、輝いて見えた。ここで生きていく自信がふつふつと湧き上がってくる。この調子で仕事を手にするのだ!
(もっと僕が住んでいるとこ知らなあかんな)
 生まれ育ったふるさとのことを、あまりにも知らなさ過ぎた。それが普通だったのだ。ふるさとを愛するなんて、これっぽっちも思わなかったのが嘘みたいである。だからこそ、いま無性に知りたくなった。
(いまからでも遅くあらへん。ふるさとを観な祖いてみるんや。ふるさとを端から端まで知ったる。そいで思い切り触れてみるんや!)
 Sさんに誘われて、青年鍵所が催す『ふると丸ごと散歩!』がうたい文句の市民ウォーキングに参加して市内各地を巡り始めた。次々に新たなふるさとを発見することになった。誇れるわがふるさとは、こんな身近にあったんだ!発見の度に胸が弾んだ。
 わが家は辺鄙な山裾にある。夜中に家の周囲を猪や鹿が徘徊する超田舎なのだ。しかし、豊かな自然と人情はいまだ健在している。そこへ戻ってきて、住んでいる自分の幸運に感謝してもし足りない。
「ほなら、あっちゃを散歩してくるわ」
 きょうも、ふるさとへ飛び込んでいく。
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大掃除

2018年12月23日 01時34分35秒 | Weblog
妻が休みなので、
台所の大掃除に駆り出された。
大晦日の第一段階である。
フードの換気扇から、
油にまみれた調理だなまで、
これまでにない大取り組みとなった。
実はこれ、
末娘が地元の役所に採用内定で、
家にいてくれるという
淡い?希望のなせる業である。
上の息子二人にふるさと回帰の意思は全くないし、
長女は隣町で結婚して落ち着いてしまった。
いまや二人目をおなかに奮闘中である。
結局末娘に託すしかないのである。
ちなみに、末娘も最初のころは、
大阪あたりで就職して独り暮らしを、
夢見ていたらしい。
それを翻意させていただいた、
大学ゼミの先生に感謝である。
先はどうなるかわからなくても、
一応の流れが生まれて、
わが家の改善は末娘仕様とならざるを得ない。
暗い、汚い、使いにくいと娘に指摘された台所が、
最初のターゲットとなった次第なのだ。
次は……お手柔らかに願いたいと思うが、
娘の思惑やいかに!(笑)
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サポーターアピール

2018年12月22日 00時47分07秒 | Weblog
深夜。雨がかなり強い降りだ。
おかげで少しあったかい。
きのう東京から戻った娘が、
風邪らしく熱を出して寝ている。
暖かさがプラスになればいいが。

支援サポーターの近況投稿
新聞に掲載されたものを、
社協が回覧に回しているのを知らされて、
恐縮しきり。
支援サポーターのイメージアップに
すこしでも役立てば
投稿した意義があるというものだが。
理解ある仲間が増えていくのは楽しみだ。
援けあいの良き昔を想いだしながら。
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