こころの文庫(つねじいさんのエッ!日記)

家族を愛してやまぬ平凡な「おじいちゃん」が味わう日々の幸せライフを綴ってみました。

つかの間の団らん

2020年07月31日 02時37分38秒 | つぶやき
父……いや祖父の葬儀に駆け付けた子供ら。
静岡から仕事の合間をやりくりした長男。
仕事が忙しいい彼と5年もあっていなかった。
36になるが、すっかり貫禄がついている。
とはいえコロナ直撃で
将来の目が絶たれるかも知れないらしい。
居酒屋チェーンのエリア長まで登ったところでコロナである。
全国の店舗を半分も閉店したほど危機的状況にあるようだ。
「仕事がある間は打ち込むさ。先行き光が見えないけど」
名古屋静岡と勤務が長く、
言葉のイントネーションはあちらのものになっている。
長男を囲んで談笑がやまない兄弟姉妹と母親。
その輪の中に入れず、
一人酒を楽しむふりをしながら、
実は聞き耳を立てていた。
話が弾んで、
昔の団らんを復活させている。
昔も今も話に割って入れない父親は、
盗み機器下子供らの近況に、
内心一喜一憂する。
そして自然と顔が綻び、
ニンマリ顔になってしまった。
巣立った子供らとふれあう貴重な瞬間を、
昔と同じく外野席でニンマリと、
父親の幸せを満喫するのである。(やれやれ)

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2020年07月30日 07時29分16秒 | つぶやき
父の納棺日。
清拭と末期の水の儀式に参加した。
そして死に装束を整えて納棺へ。
棺に落ち着いた父の顔を見つめていると、
不意に涙が……。
寡黙で生真面目過ぎた父。
人見知りの激しい私と滅多に話したことはない。
言葉で話さなくてもわかり合えたと思う。
無口の分、父の思いやりがモノを言った。

二十代の私が失恋と失職が重なり打ちのめされた時だった。
長い時間近辺を彷徨した末に、
どこも頼るところもなく、
足はやはり実家に向いた。
真夜中近くに実家の前に辿り着いた。
玄関には明かりがついたまま。
吸い込まれるように明かりへ急いだ。
「ガラリ」と玄関が。
そこには父が立っていた。
日頃から近づきがたい存在の父の登場に立ち尽くした。
「風呂湧いとる」
それだけ言うと、父はくるりと踵を返した。
誰もいなくなった廊下を渡り風呂場へ。
当時はマキで沸かしていた風呂。、
気持ちいい湯加減だった。
父は私が帰う時間を見計らって沸かしてくれていたのだ。
風呂に浸かると、煩わしいことが解けて流れた。
「食え」
風呂から上がった私の前にに父は丼鉢を置いていった。
そして父は奥の間に消えた。
即席ラーメンだった。
作りたてのラーメンに生卵がトッピングされていた。
殆ど料理をする姿を見たことがない父の作ったラーメン。
湯気の立つ暑いラーメンは実にうまかった。
万事心得た父の思いやりが隠し味だった。
父が漏らした二つの言葉。
ぶっきら棒そのものだが、
わたしにはちゃんと伝わった。
ずるずるすすっているうちに涙が生まれた。

私と父の会話は、
「あ」「い」「う」「え」「お」で事足りていた。
ケッタイな父と息子の日常が、
その夜だけ変わったのを思い出す。
誰にも分ってもらえないだろう。
私と父のサイレント絆を。(笑)

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夏の1ぺーじ

2020年07月29日 02時38分53秒 | つぶやき
連休中に
娘たちの家族や彼氏と、
焼肉や花火を楽しんだが、
その写真が手に入った。
眺めていると、
みんなのはしゃぎっぷりを思い出し、
幸せな気分に浸る。
そして思い出す。
亡くなった父が、
子供のころの私とどう関わったのかを。
一番の思い出は、
夏休み終盤、
私の宿題を父が応援してくれたことだ。
といってもドリルとか読書感想文などではない。
工作に絵、そう習字なんかも。
ある年には、
提出した宿題の絵や工作が父のものだったりした。

あれは小学4年生の時だった。
新聞とふのりを使い
「冒険だん吉」の無人島(鉛筆立てだった)を作り始めた父。
もう夢中で、私の出る幕はなかった。
ヤシの木やダン吉とほかのキャラクターも配した対策だった。
絵具で塗るのも結局は父の独壇場。
完成したときに見せた父のどや顔は、
まるで少年そのものだった。
その作品は金賞に選ばれたのである。
みんなに褒められて面映ゆかったのを思い出す。
絵やポスターなども、
私が描いたものに手なおしが必ず入った。
手なおしされた絵は大体ベストスリーに選ばれた。
不思議だが、
父の作品で褒められていくうちに、
私の絵はドンドンうまくなった。
写生大会で賞の常連になったのだ。
賞状を見せた父の顔は崩れっ放しだった。
よほどうれしかったのだろう。
ひとつ上の兄はアウトドアータイプの子供で、
絵など見向きもしなかったから、
父は自分の得意分野を共有する我が子を得たことが、
幸せだったのだろうな。

いまその父は、
閉じた目を開くことはない。
(おおけに……)
心の中で父にお礼を言った。
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父死す

2020年07月28日 03時46分11秒 | つぶやき
父が97歳の大往生を迎えた。
脳梗塞の再発を繰り返も、
二年近く頑張りを見せた父。
やっと役割を終えたかのように、
安らかないい顔で逝った。
コロナの影響で、
家族葬、それも人数制限の選択肢しかなかった。
隣保の住人が寄り合って、
葬儀を執り行っていた時代を生きた父は、
生前、
自分も隣保の皆が寄り合っての葬儀で
見送られたいといっていたが、
その切望は時代の変容とコロナの災禍で、
なにひとつ叶いそうにない。

戦争を生き抜いた父、
小柄過ぎて徴兵検査に合格できなかったとか聞いた。
飛行部隊の整備兵として戦地に出たが、
「チビチビ」と苛められたらしい。
その逆境を歯を食いしばって耐え抜いたのだ。
私の立ち合いで医師が告げた臨終の宣告。
ベッドに横たわる父の顔にはまだ生気があった。
触れるとまだあたたかった。
小柄な体がひどく縮んでいた。
この父の偉大さを知るものは私一人だ。
父母、そして一人っきりの兄と、
私が愛した
わたしの家族はみんないなくなってしまった。
寂しい。(素直に悲しめない年になってしまった私が憎い)

あの日、
父の形相はかわり、
私は恐怖に震えた。
兄弟げんかで、加減をまだ知らない子供の私が、
兄の頭をそろばんで殴ってしまった時、
すかさず父の手が私を張り飛ばした。
「痛いやろ!それ以上痛いんが兄ちゃんや。
世界中でたった二人きりの兄弟やで、お前らは。
その大事な兄ちゃんを痛めつけてどないすんや」
すごい剣幕にびっくり、
泣きじゃくった私を兄は抱きしめて、
やはり泣きじゃくった。

久しぶりに思い出した。
私と兄と父のきずなの原点を。

父の容体急変の連絡を受けたとき、
9月展示会のチラシと
まちライブラリーの通信紙をプリントしていた。
図書館の展示会では二年前に、
手先の器用だった父が作った和凧を展示した。
「おまえだけや、わしの作ったもん理解してくれるんわのう」
95歳の父の目はうるんでいた。
あれが最後の親孝行になってしまったなあ。
絵を描いたり工作が父の楽しみだった。
その父に似てしまった私の存在は、
父に些かでも喜びを与えられただろうか。(自信はない)

小さくて逞しかった、
私が内心目標とした父の、
成仏を願おう。
合掌!サラバ親父!(あの世でまた親子になろうな)
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爪切り

2020年07月27日 02時22分44秒 | つぶやき
巻き爪になるよ」
私の足をチラ見した長女。
爪が変になったのはわかっている。
親指の爪など、
一般の爪切りで切るのが
無理になった。
それに年のせいで
爪切り自体が簡単にいかない。
「父さんの足、汚いからほっと来なさい」
妻がチャチャをいれると、
「私が切ってもいいよ」
さらっと言ってのけた長女。
介護施設の介護福祉士という仕事柄、
対処し慣れた事例なのだろう。
「とうさん、よかったじゃない。
爪を切ってくれるらしいよ」
妻が暗に仕向けたことだが、
当の私は躊躇した。
二十代から料理人をやってきた。
厨房では白い長靴をはくことが多い。
ムレて水虫にやられて……
酷い長年にわたる駆使でひどい状態だ。
人様に触らせるのは気の毒としか思えない。
「いいよ。何とか自分でやるから」
「ほんまに?大丈夫」
その場はそれで収まったが、
翌日、なんと分厚くなった爪専用の爪切りを買ってきた娘。
「父さん、足出しなさい」
後は娘の独壇場。
衛星用の手袋をはき、手早く爪を始末してくれた。
「汚い爪やのに、親やからゆうて近頃の娘、やってくれへんで」
言葉とは裏腹に妻の顔には安堵と喜びがあった。
父親の爪を切る娘。
それを取り囲む家族の笑顔。
これを幸せと言わずになんという。(ウン)
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久々の大き目団らん

2020年07月26日 05時32分18秒 | つぶやき
きのうは楽しい宴だった。
何年ぶりだったかな。
我が家に賑やかな団らんが
繰り広げられたのは。

息子らが巣立つ前は、
家族6人、夕食光景は、
いつも談笑の渦が見られた。
巣立った後に長女が結婚、、
半減した家族に
団らんはほぼなくなっていた。

それが復活した。
長女の家族4人に、
次女は彼氏を伴っての、
バーベキュー団らんである。
五輪のための連休が、
我が家の団欒の再現を生んでくれた。

朝から買い出しも、
肉の本場志方まで足を伸ばした。
我が家には珍しく
上質の肉(タンやトンテキ、セセリを含む)を購入。
野菜は自家栽培の夏野菜がどっさり。
肉のおいしさといったら、
新しい家族たちとのふれあいが加味されたそれは、
部分入れ歯の私も、堪能できた。
孫がキャッキャッはしゃいだ花火に、
次女の彼氏と孫らが遊ぶ光景は……はもう最高!
生きていればこその、
幸せな時間だった。
コロナ、身近な人の自死に遭遇など、
ネガティブになる一方だった私が、
久々の満面笑みを、
惜しみなく家族たちへ注いだ一日となった。

玄関先で繰り広げた家族の団らんを
ともに喜んでくれた朝顔もパチリです。
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泳げない

2020年07月25日 02時02分14秒 | つぶやき
連休は大忙しである。
孫の連泊に、
娘たちの相手が来訪しての
家族焼肉を家の庭でやる予定。
天気がどうなるか分からないが、
雨なら玄関先か
倉庫の入り口を開放してやるしかない。
長女の夫とはもうなじみだが、
妹の相手は初お目見えとなる。
あと息子二人いるが、
こちらはとんといい話がない。
仕事で付き合う時間もないようだ。
朗報は諦めがちである。(なるようになるしかないもんなあ。苦笑)

きのうから家に来ている孫二人。
まだ3歳ちょっとと1歳になる。
暑くなっているので、
二人のためにビニールプールを用意した。
喜びはしゃぐ姿に、じいじの目はますます細くなる。

しかし今どきの子供はなにかも恵まれている。
家でプールに入れるなんて、昔は考えっれなかった。
セレブのようにプール付き自宅ではないが、
子供を喜ばせるには十分な
ビニールプールが用意できるのだ。

私が子供のころ、
夏に泳ぐといえば、
村の大池で毎日泳いでいた。
いや、私以外の子供たちは楽しかったに違いない。
子供会単位で行動するから、
OBの中学生も混じっていた。
といって誰かがコーチするわけではない。
溜池は深くてまず足が立つエリアはほとんどない。
否が応でも泳がなくてはならない。
しかし私は当時も(いまもだった)
カナヅチというか立ち泳ぎすら絶対無理。
そんな私もいやいや村のみんなと泳ぐわけだ。
泳がずジーッと浸かっていると、
ヒルに吸い付かれる羽目になる。
黒い小型のナマコみたいなやつが、
ちゅうちゅう血を吸う。
引っ張りはがすと赤い血が!
それが怖くて嫌で無理に泳ごうとして、
覿面おぼれた。
死に物狂いで水を掻くが、、無情にも沈むだけだった。
死んだと思った瞬間、
泳ぎが達者な、一つ違いの兄に救われた。
以来、大池の泳ぎを
仮病や何らかの理由をつけて
参加しないようになってしまった。

プールがあったら、私だって泳げるように……
いやいや、絶対に泳げなかったろうなあ。
調運動音痴だったから。(笑)


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朝顔

2020年07月24日 01時51分34秒 | つぶやき
玄関わきのアルミ柵に
巻きついた朝顔が顔を覗かせていました。
好きな花です。
さわやかな色合に目を奪われます。
目の前に咲き誇る花は
紫がかった青とピンク。
しばし眺めていると、
小学生のころを思い出しました。
夏休み前の写生で
朝顔は絶好の題材になりました。
「お前、うまいのう」
そう褒めてくれたのは、
産休を取った担任にかわる代用教員H先生。
若い男性教員で
ニコニコと優しい笑顔だったのを思い出します。
担任はベテランの女性教諭。
それまで褒められたことのない私は、
H先生に褒められて
顔が真っ赤になって焦ったのが懐かしいなあ。
褒められるのって、
子供には最高の糧になるものです。
何ひとつ目だない存在の子供が、
絵のコンクールで金賞を取るまでに。
戻った担任のT先生は、
これまでと同じに、
褒められることはなくなりました。
でも、得意になった絵は、
写生大会入賞の常連になっていたのです。
勉強もできず目立たない子供も、
褒められることで、
少し成長できたのだと思います。
H先生の笑顔と誉め言葉、
人生最上の一期一会といえるかも。(うん!)
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暑い!

2020年07月23日 05時02分48秒 | つぶやき
 酷暑続きの昨今、近くのショッピングモール通いが欠かせなくなった。片道四十五分ほどかかるが、苦にならない。辿り着けば避暑地が待っていると思えばらんらん気分。
 全館クーラーで涼しく、休憩所もフードエリアもあり便利この上ない。時にはスーパーの売り場を覗いて回れば気晴らしにもなる。
 もちろん話し相手に不自由しない。高齢者仲間がウロウロしている。暑い家にいるより、安全な居場所が約束されるモールは高齢者の強い味方なのだ。熱中症で孤独死のニュースを耳にするが、モールにそれはあり得ない。
 それに妻や娘は、「モールへ行ってくるわ」と伝えると、笑顔で送り出してくれる。少額だが小遣いをくれたりもする。
 そんな居場所をコロナはあっけなく奪った。春先だったので、まだ影響は少なかったが、夏を迎え暑さは増す一方の今、自粛解除になんとか救われた格好だ。ソーシャルディスタンスを守り、快適な避暑地としてのモールを取り戻せたはずだが、モール仲間と前のようなお喋りはなかなか難しいのである。
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家族の調理人

2020年07月22日 01時30分52秒 | つぶやき
昨日の疲れと暑さにかまけて、
怠け心を優先した日になりました。
三時過ぎに日が陰ったのを見計らって、
畑の草刈り。
すぐ暑くなり、次回回しです。
茄子とウリを収穫して急いで帰宅。
夕食は妻が買ってくるウナギ、
土用の日は
妻が勤めるスーパーはてんてこ舞い。
従業員も予約して購入するのです。
いつもなら台所で夕食づくりをするところなのに、
今日ばかりは手持無沙汰です。

総菜の作り置きをすることにしました。
収穫したばかりの茄子料理です。
揚げびたしにミンチのはさみ揚げ……
考えていると、
昔々を思い出しました。
生まれ育った村は超田舎。
農繁期は小学校も休校になり、
子供も農作業に駆り出されました。
田植え、稲刈り……いやはや。
どちらかといえば家にいたい派の子供だった私に、
「ごはん炊いといて」と母。
実は低学年のころから
ご飯を炊く手伝いをしていました。
当時は土間に設えたかまどに
鉄釜や鍋をかけて、
ご飯もおかずもグツグツ煮炊きの時代。
自分一人でご飯を炊けるようになった私は
重宝がられました。
稲刈りなどで
なかなか家に戻れない親に代わっての料理作り。
ご飯を炊くと、
自然とおかずを作っていました。
カボチャと茄子の炊き合わせという
単純な料理が主でしたが、
「このカボチャええ味やないか」
なんて父と母におだてられて
いい気分になっていたものでした。

今思えば、
あの子供のころに、
将来調理師になる道を
運命づけられていたようです。
引退していますが、
調理師は私の天職だったといえます。

人間の運命って
案外単純なものかもしれませんね。(苦笑)

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