家族を愛してやまぬ平凡な「おじいちゃん」が味わう日々の幸せライフを綴ってみました。
続いて向かった
「乳の井戸」
山を背に
田んぼの脇に
ポツンとある
昔住民が重宝にしていた
共同井戸だ。
この井戸
毎日
ある時間になると
石垣の間から
白い水が湧き出すとか。
まるで乳のような水
しばらくすると
す~っと
澄んだ水になるそうな。
この水
「乳の水」と言われ
近在に知れ渡った。
母乳の出が悪い母親が
こぞって足を運び
すぐ近くにある
八幡神社に詣で
この水を持ち帰ったのだ。
「この水」で炊いたご飯を
食べた母親の母乳が
多く出るようになったらしい。
それで
「乳の井戸」と
名付けられたのだ。
井戸を覆うように立つ
やぐらの屋根に
瓦で焼かれた鳩が二羽
乗っている。
昔々、
応神天皇は
鳩が運んだ
この井戸の水を
母乳代わりに
飲んで育ったという
伝説が残っている。
屋根の上の二羽の鳩に
その伝説をしのべるぞ。
27日。
きょうは、
久しぶりにウォーキングだ。
「播磨国風土記1300年の里
加西ふるさとハイキング」に出発しよう!
目的地は
陽松寺と小谷石仏という
赤松一族の盛衰が
垣間見られる小谷の地。
コースは初心者向きの
4キロ。
まあ、軽い軽い。
9時半。
すぱーく加西(立派な屋内型ゲートボール場)の
駐車場に集結した30名あまりのメンバーが
いざスタートだ!
引率は
加西市歴史街道ボランティアのおふたり。
昔美女の頼れるコンビだ。
最初に着いたのは
小谷大歳神社。
「む~らの鎮守のおまつりだ~♪」
のひとつ。
拝殿の主要柱10本は
境内に威容を誇っていた
樹齢数百年のヒノキだ。
幹回り約5メートル
高さ約30メートルのご神木が
昭和32年の夏
落雷の直撃を受けてしまった。
やむなく〉切り倒して
柱や板となったものである。
ちなみに
石の鳥居は
阪神大震災で歪み
建て替えられたそうな。
均整がとれた体なのに、
ぬーぼーっとした大男。
優しすぎるマスクが、
たまらなく好きだった。
順調に大関まで出世したのに、
結局
優勝に恵まれなかった大器、
豊山である。
いじめられっ子である私には
ヒーローだった。
当時最強の横綱大鵬が
人気を誇っていたが、
私はなぜか豊山に魅かれた。
ここ一番というときに
迷いと弱気を見せる大関に、
すごく親近感を感じた。
(強いだけが男じゃない!)
テレビ画面に大写しになる、
ちょっと気弱な表情に、
心からエールを送り続けた。
がっぷり四つに
組みあったときの豊山は
万全だった。
それが後ろ投げという決まり手が
目立ち始めると、
内心
地団太を踏んだものだ。
あの体なら
誰とまともに当たっても
負けやしないのにと
何回思っただろう。
大事な取り組みで
期待に応えられない、
プレッシャーに弱い
大関の烙印を
押されても、
豊山は
私に生きる勇気を与えてくれる
ヒーローであり続けた。
あの出会いに
感謝したい。
とにかく
運動は大の苦手。
小学生のころ、
体育の時間に
棒のぼりが出来ず
サナギ状態で、
友達に
ゲラゲラ笑われて以来、
もう駄目。
体育になると
緊張して
体が動かなくなった。
大人になっても
同じ。
スポーツと無縁の生活だ。
そんな私が
最近始めた運動。
ウォーキングである。
歩くだけなら、
私でも出来るかもと
始めた。
それが、
いまや病みつきに
なってしまった。
ウォーキンググッズも揃えて
本格的だ。
近辺でウォーキングイベントがあると、
時間がある限り
飛んでいく。
すべて完歩だ。
最近は一般コースに
満足できず、
なんと健脚コースの
十五キロから二十キロへ。
しかもだいたい五番手までで
ゴールするほどだから、
我ながら感心する。
(俺ってやれるやん)と。
「若いころ、
なんか運動やられてたんやね」
ウォーキング仲間に称賛(?)されて、
もう有頂天。
これなら他のスポーツだって!
……いや、
高齢者仲間に褒められて
調子に乗れるほど、
スポーツ界(?)は甘くないよな。
24日。
10時。
初孫の宮参りだ。
高砂市宝殿にある生石神社へ。
この神社の名前、
読めますか?
なんと「おおしこ神社」と読むらしい。
巨大な石塊、
石の宝殿がご神体で
かなり有名な
由緒ある神社らしい。
娘夫婦と婿さんのお母さん
お父さんは亡くなられている
わが夫婦、
総勢5人と赤ちゃんで
参道を登った。
厳かな中、
婿さんの母親に抱かれた赤ちゃんは
紫の祝着で包まれている
生後33日目
むずだることなく
スヤスヤ寝入っている。
お参りが終わって
外へ出ると、
風邪が冷たい
また寒くなる気配が濃厚だ。
三寒四温というやつだ。
まだ春は遠い。
振り返ると
岩山に築かれた生石神社が
きょうの良き日を
祝ってくれている
孫娘の
未来への一歩が、
いま始まったのだ。
スーパーのパートを
六十五で
二度目の定年退職後、
時間を持て余した。
(これやったら
死んだほうがましや。
まてよ、
死んだ気になって
何かに打ち込んだら
何か出来るぞ!)と
気が付き一念発起。
チャレンジを始めた。
これまで
仕事の合間に
やっていた公募。
ガイド誌を買い、
文芸・絵手紙など
少し自信のある分野を
ピックアップ。
締め切り日と睨めっこで
書き上げポストへ。
そう簡単に成果は上がらない。
ただ、
自分の作品を
ポストに放り込むときの
高揚感は、
これまでに
味わったことがないもので、
止められなくなった。
落選続きでも、
公募に応募を続けた。
諦めたら
人生を定年退職するも
同然だったから。
半年後、
一本の電話が。
「最優秀賞に選ばれました」
まさに天にも昇る心地。
表彰式の招待で
未知の恵那市へ。
楽しい旅を獲得した。
昨年は
全国公募の大賞や
佳作入選など
入賞が十数点。
何とも信じられぬ成果だった。
今年も
老後の公募挑戦を
謳歌している
初孫は娘。
この三月が初節句。
そこで押し入れの奥に
しまい込んでいた
お雛様を引っ張り出した。
ガラスケースに
お内裏様とお雛様が
コンパクトに
セットされたものだ。
娘に贈ろうと思う。
新しいものは
高額で手が出ないから、
娘には
我慢してもらうしかない。
とはいえ、
再び目にしたお雛様には、
懐かしい思い出が
いっぱい詰まっている。
新婚生活は
狭いアパート住まい。
妻の父親が、
「初孫に
お粗末な
お雛様を贈れんわい」
というのを説得して、
分相応のものを
買って頂いた。
それを春に飾って
二人の娘と楽しんだ。
妻の手作りのちらし寿司を
よばれながら、
「ひなまつり」の歌を
合唱した。
のちに
「うれしいひなまつり」が
正しい歌の名前だと
娘が教えてくれて、
家族で笑いあったのが
懐かしい。
娘らが
高校に入ると、
もう出番はなくなり、
五年近く
ホコリをかぶっていた。
「我が家のお雛様」は、
孫娘の
幸せな記憶に残るように、
もうひと頑張り
してくれるだろう
ウサギのフクとモルモットのワウは、
ただいま
我が家で癒しのオーラを全開中!
昨年までは、
雑種の愛犬トトが担っていたが、
老衰で亡くなった。
その可愛いトトを
死の直前まで見守ったせいで、
家族の悲しみはいかばかりか。
(もうペットは飼えない!)
その決意をいとも簡単に破ったのが、
高校生の末娘。
4人兄弟の年が離れた末っ子とあって、
とにかく甘やかされて育った。
我が儘なこと我が儘なこと。
その彼女がせがんだ。
「あの子が欲しい。飼いたい!」
ペットショップで目を輝かせて
見詰めていたのは、
モルモットの檻!
(まさか、イタチを飼うのか?)
とゲンナリしたが、
目に入れても痛くない、
50代で授かった末娘のおねだりには、
所詮勝てやしない。
「トトの代わりだから、
ウサギもいいでしよう」と、
おねだりの追加。
成程、
二匹の大きさを合わせれば、
トトと同じになる。
結局、
末娘の部屋に、
ケージの檻が二つ。
フクとワウは
我が家の一員に納まった。
一緒に暮らすと、
イタチの仲間と不細工な顔のウサギも
結構可愛いではないか。
トトのように、
ないたり体を摺り寄せたり、
ペロッと顔を舐めたりはしてくれないが、
妙に愛くるしいのだ。
よほどのことがないと
近づく気配も見せない我が儘さは、
末娘と同じ。
いつのまにか、
トトを失った心の空洞に
フクとワウが住み着いていた。
「フクちゃん、
おなか空いてましぇんか?」
「ワウちゃん、
ご機嫌はいかがでしゅか?」
末娘が学校なのを見計らっては、
部屋に入り浸る。
猫撫で声で、
フクとワウの相手に。
もうトトの身代わりを
通り越してしまった。
「お父さん。
フクとワウの檻、
掃除してやらないと、
可愛そうだよ」
「おう。分かったよ」
買う時の約束、
「二匹の世話は私がやるから、
絶対に」
がいつのまにか反故になっていた。
末娘にも、
フクとワウにも、
メロメロ状態の私には、
どうでもいいことなのだ
20日深夜。
帰宅。
往復10時間余りの電車行。
ちょっと疲れ気味で
すぐ布団の中。
今回出向いたのは
吉良の仁吉で有名な
西尾市吉良だ。
西尾市に入ると、
すぐに雨が
吉良の冷たい雨
わが人生劇場の始まり……
なんちゃって
気取ってみました。
しかし
三河台地の
ひろびろとした光景に
見とれた。
山に囲まれた狭い盆地住まいの
田舎者には
肝を抜く絶景といえるかも。
表彰式の
開会時間の
数時間前に当地へ入ったのは
いつものこと。
せっかくのことだから
旅情に浸りたいとの思いが強い。
でも
あいにくの雨。
諦めて
吉良吉田駅のベンチで時間待ち。
切なく肌寒い数時間。
出迎えの車にホッと
したものだ。
表彰式は
いつも通り。
トップとびりの違いはあっても
晴れがましさは同じ。
うやうやしく
賞状とメダルをいただきました。
尾崎士郎記念館を観覧。
すごい作家なんだと
感慨を新たにしました。
改めて
人生劇場を
じっくりと読むことにしよう。
名古屋まで車中。
審査委員長の大学教授と隣り合わせて
談論風発?
まあ精力的な先生の迫力。
80歳とは思えない。
こちらも
まだまだ年をとっていられないと
思わせてもらった。
先生。
まだまだご活躍
祈念しながら
お別れです。
やっぱり
出向いてよかった。
刺激と活力のもとを
がっつりと
頂きました。
そのせいで、
いままで熟睡と
あいなった次第でした。
昨年末、
下田歌子賞最優秀賞を頂いて、
少し野望に燃えてきた。
アゴアシもちの表彰式を
一度体験したからだ。
最高でしたね。
そこでスタートさせた、
『公募ガイド・アンビシャス大作戦』
(これは成果が出はじめた9月に
自分を鼓舞するために命名した)。
野望を持たなきゃ、
何にも始まらないのだ!
公募ガイドの情報欄に
根こそぎ目を通し、
少しでも
可能性を感じたデーターをピックアップ。
書いて描いて書きまくった。
その成果は
自分で思った以上のものが。
2月の気配り大賞(川柳)佳作から始まり、
人吉球磨祭り手紙で優秀賞、
年賀状思い出大賞大賞、
みどりの文(絵手紙部門)入選、
平和の言の葉佳作、
松前夫婦の手紙入選と、
我ながらもうビックリ。
他に
地方公募の小説やエッセー入選と、
まさに飛ぶ鳥落とす……
いや、
数打ちゃ当たるってことでしょうか。
ただ、
あのアゴアシつきの表彰式招待は
いまだ届かずなのが
悔しいし焦れったい。
この12月で67歳、
もう人生のゴールはグーッと近づいた。
残された時間は少ない。
なんとしても、
あのアゴアシつきをゲットしなければ、
死んでも死にきれないのだ。
てなわけで、
届いた12月号を開くのももどかしく、
まず赤マジックでチエック!
賞金商品、
応募先、
応募枚数、
もちろん締め切りは要チエック!
重点的にチャレンジするものを
一覧に書き出す。
国の省庁や自治体の公募は
絶対はずせない。
枚数が少ない公募でも、
賞金やあれやこれやは民間の比較じゃない。
赤の二重丸をつける。
「まだまだ締め切りじゃない」
なんて思っているうちに、
締め切りが過ぎていたってことが
しょっちゅうだから、
念には念を入れるのだ。
締め切りの消印日直前にしか
集中できないB型人間の自制は
強制あるのみと自覚する。
そんな時に電話が。
「家族の……コンクールで優秀賞に…!」
(やったー!)