こころの文庫(つねじいさんのエッ!日記)

家族を愛してやまぬ平凡な「おじいちゃん」が味わう日々の幸せライフを綴ってみました。

朝コン?

2016年09月30日 00時31分10秒 | 文芸
弁当製造工場は深夜の仕事だ。
明け方まだ薄暗い時間に仕事は終わる。

「ほな、行きましょか」

 同僚の誘いで向かうのは工場近くにあるコンビニ。
そこで熱い缶コーヒーを奢りあう。
腹が減っていれば、パンか軽食を買う。
なんでもありで重宝にしていた。

「ありがとうございます」「サンキュー。朝早くから大変やね」「バイトですから」「あんまし無理せんときや」「はい。ありがとうございます」

 ひと晩中、弁当作りに集中で、人との会話に飢えている。
コンビニ店員との受け答えで、ようやく人心地が付く。
その癒しがあるから、早朝のコンビニ通いはやめられなかった。

 同じように人恋しいのか、あるいは空腹に耐えられないのか、職場の同僚たちで店は朝早くから大いに賑わった。

 朝の早すぎる時間で家に帰っても、家族は寝入っている。
結局ひとりでモサモサ飲み食いをやるだけだ。
それくらいなら、コンビニで身も心もあったまるまで過ごすほうがいい。

 コンビニは、そんな孤独な深夜勤務のわたしたちのたまり場となっていた。

 ひさしぶりに寄ってみたコンビニ。
えらくスィーツがそろっていたり、心なしかスマートに変身していた。

 記憶に刻まれた、あの熱い缶コーヒーを買って飲んだ。
懐かしい味だった。


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お稽古

2016年09月29日 01時01分21秒 | 文芸
若いころ、日本舞踊と表千家のお茶を習いに通った。
きっかけは好きになった女の子が通っていたからである。

 動機は不純だったが、いつの間にかその稽古に夢中になっていた。
水が合っていたのか、日本の伝統の奥深さに魅了されてしまった。

 恋は破れたが、稽古事はやめられなかった。

彼女の稽古時間とかち合わないように、師匠の下に通った。

 資格も取れず、名取にもなれなかったが、充実した日々だった。
伝統ある型を習得するために、師匠とマンツーマンの稽古。
所作や技は見て盗み取る(?)のに懸命だった。

初釜では、艶やかな着物の乙女らに交じっての黒一点で緊張しっぱなし。
舞踊発表会では『奴さん』『隅田川』を踊り、受けた拍手。

この体験は、その後の人生にかなりプラスになったと思う。
若いときはチャンスさえあれば何でもやっておけばいい。
 年を取ったときに、自分の人生に悔いはなかったと思えるからである。
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稲刈り

2016年09月28日 00時57分55秒 | 文芸
家の周辺が静かになった。日曜日前後は、コンバインがうるさくて、イオンに避難していた。
稲刈りは昔よりかなり早くなった。

刈り取られた田圃はすっきりしている。
最近は稲藁は細切れにされてしまう。そのまますき込むか火をつけて焼く。実に合理的になってしまった。

ふと子供のころを思い出す。
稲刈りは手間暇をかけた一大イベントだった。家族や親せきが集っての手刈りに稲木かけ。にぎやかに一日も二日もかかったものだ。
稲木に竹を渡して
刈り取った稲束を交互にしめて、太陽にかざし乾燥させる。

それを脱穀機にかける。
籾が外された後の藁。
当時の農家には貴重な資材になったものだ。


総出で藁束を集め、積み重ねていく。
モンゴルのパオそっくりに積み上げて、
藁を屋根上に組んでかぶせる。
ツボキ作りである。
藁束をぶつけあったり、その上を転げまわったり、
子供には遊びの宝庫だった。


乾燥した藁は農業資材や肥料となった。
縄やムシロ、正月のしめ縄とか、藁は重宝に使われたものである。

無邪気に藁と格闘しては、大人に叱られるが、
すぐに忘れて、また藁で遊んだ懐かしい記憶。
その兄は20年前に亡くなって、もういない。一人っ子になってしまった。

兄と稲刈りが終わり藁束で埋まった田圃を駆け回ったあの日、あの時間……?
知らず目頭を熱くしていた。(しんみり)

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柿食えば

2016年09月27日 00時20分05秒 | 文芸
家の裏手にある柿の木。もう三十年以上も、秋には鈴なりの実をプレゼントしてくれる。

 その正体は渋柿。それでカラスも突っつかないでいてくれるのだろう。


 しかし、渋柿と侮るなかれ。合わせると絶妙な味に変わる。昔、母がよく風呂の残り湯につけ渋抜きをしていたのを思い出す。サツマイモを蒸かしたのに勝るとも劣らない『おやつ』だった。なにせ腹いっぱい食べられた。


 我が家では、焼酎を買ってきて、柿のヘタをつけてくぐらせた後、ビニール袋に入れておく。四、五日で嘘みたいに甘くなる。


 合わせ柿は一度味わえば、甘柿など及びもつかなくなること請け合いだ。『やめられない、止まらない~♪』状態で食べるはめに。


 家族は甘柿なら何とか食べるが、合わせ柿は敬遠する。合わせ方が浅くて渋みが残ったのを食べたに違いない。どんな理由にしろ好都合だとほくそ笑んでいる。うまい柿をひとりで満喫できる秋が、またやって来る。
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つつがなく1日

2016年09月26日 02時57分42秒 | 文芸
朝から草刈り。村の共同作業だ。




集まった顔ぶれを見て、いつも感じてしまう。




(ああ、またみんな年を食ったなあ)




そして、気になるのが、欠席者の目立つこと。




外せない用事か、はたまた……?









実はルールがある。




不参加だと5000円のペナルティー。




参加すれば、村に収める共益費の1部になる。




奉仕作業であるべきものが強制化されている。









それに不思議なのが、




不参加者は事前に一部の草刈りをやって




それに代えている。




それではルールも何もないと思われるのだが、




村の姿勢は、いい加減である。




と言いながらも、それに異議を唱える勇気はない。




村の意思は、




出戻り組の意見などが通る間隙はない。









というわけで、




事前作業を申し出る勇気もないので、




私用は調節して今日も参加した。









大池の土手の草刈りからスタート。




これも、数年前から順番が変えられた。




昔は村の各所から草刈りを初めて、最終的に到達した池の土手の作業にかかっていた。




その変更理由が、土手の草刈りに




時間差で参加不参加が生じてしまうということ。作業全体を考えれば、それで至極当然と思うのは通らないらしい。




平等不平等の判断は、いやはや難しい。









11時過ぎまで草刈りは続いた。




家に帰ると、学校が休みの娘が待ち構えていた。




「なんか食べたい。おなかが減った」




なら、自分で作れと思っても口には出さない。




「なにがええ?」「なんでも」




これが曲者だ。娘の何でもは、供されたメニューを見て突如と変わる。




「いらない」それで娘がいま食べたいものと食い違っていることを悟らされる。




結局、「オムライスがいい」の言質を取った。さっそくオムライス作りだ。




コックをしていた時は、オムライスは基本中の基本。フライパンを使ってケチャップライスを卵で巻き上げる。




ところだが、今日は一工夫だ。




トロトロ半熟卵が好物の娘。




溶き卵を別のフライパン(小さめ)で、軽くスクランブル。トロトロ状態に仕上げる。




少し浅めのケチャップ所に仕上げたベーコンライスを皿に盛ったのに、そろっとトッピング(?)。ハイ完成だ。









娘が満足そうにたべる姿を横目に、わたしは納豆かけごはん。昼時はこってりよりさらーっと食べるのが、最近のわたし。




やはり若さは間違いなく徐々になくなっているようだ。(笑い)









図書館で新聞を閲覧して見つけた記事。




あの雨中ウォーキングだ。私が受けた取材の答えがごく短く乗っていたのでコピーした。





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親のつとめ

2016年09月25日 01時17分25秒 | 文芸
朝7時、家を出た。

加古川まで車を走らせ(運転は妻)

新快速で明石に向かった。




9時16分にJR明石駅コンコースで、

催されるオープニングセレモニーが目的だ。

2016ひょうごまちなみガーデンショーin明石が明石公園を会場に行われる。そのセレモニーである。




弦楽4重奏で始まる。

そこで第2バイオリンを担当するのが末娘。

つまり、親ばかちゃんりんで、駆け付けたのである。




エーデルワイスで始まり、コブクロの蕾、SMAPの世界でひとつだけの花と演奏が続いた。




喧噪な駅ナカでの演奏。

娘の物おじしない演奏姿に驚かされた。

父とそっくりの性格で、超人見知りだったのに、すごい変わりようだ。

これが、B型父とAB型娘の違いなのか。

娘は、新たな出会いで素直に変貌できたのだ。

父のように愚かな頑なさは、柔軟へ。そして変わった。

喜びであるが、一抹の寂しさは禁じ得ない。

娘はそのまま、たこフィルの練習に向かった。




妻と私に次のプログラムがある。神戸まで快速に乗った。

娘が通う学校の教育懇談会への出席のためだった。

いつもなら妻ひとりで出向くのが、わたしにお呼びがかかった。




懇親会があって、ビュッフエ形式の食事がある。

つまりわたしの役割は料理の運び人というわけだ。

妻は教授や講師先生らとの懇談である。

娘のためと思えば、なんら苦痛ではない。しかも御馳走をご相伴できるのだ。何も言うことはない。




加西に帰ったのは夕方7時過ぎ。

疲れたが、漫然とした日々に、いい刺激剤となった1日だった。

あと2年。

娘のために父親の役割が続く。

これで最後だ。おろそかにはできない。娘の記憶に父親が残るためのあがきを精一杯続けるだけだ。
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墓参

2016年09月24日 01時39分08秒 | 文芸
秋彼岸。


朝7時に墓参りをした。


母が眠る先祖代々の墓地だ。


墓参りに時期などあまり頭にない亭主をカバーして、


妻が万端用意して誘うから行かざるを得ない。


山の勾配地にひな壇のごとく墓石が並ぶ村の共同墓地だ。


最上部にある墓まで上がるのは大変だ。


若いころは気にならなかった急な坂道は、


赤土がむき出しで滑りやすい。


昨日の雨でズリズリだ。


なんとか墓にたどり着いた。


妻がかいがいしく(?)墓石の掃除をしている間に、

線香に火をつける。


花を供えて水をかける。


線香もたてて、


神妙に手を合わせる。


ちょっと母を思い出す。


墓参りがなければ、

思い出すのもめったにしないだろうなあ。


を輪に書いたような人生を送ってきている。


いまさら優等生になれっこない。


悪戦苦闘してあの坂道を下った。


下に降りきったところに、


わたしが手に入れた墓の敷地がある。


草ぼうぼうだ。


また刈りに来るかと、とりとめもなく考えた。


しかし、せっかく手に入れた敷地だが、


果たして墓石を立てる日がくるだろうか。

敷地の両隣の墓は、お参りする人がいない。


荒れ放題になっている。


仮に墓を造成しても、


同じ運命になる確率は、かなり高い。


さて、どうするかな。


厄介なことは先送りにしてしまう性格。


しかし、


これでいいのだろうかと、


しょっちゅう思っている。


みなさんは、墓をどうしてらっしゃるのかな?


必要、不必要、今どきはどちらが多いのだろう。

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雨のなか

2016年09月23日 00時24分14秒 | 文芸
二か月ぶりのウォーキングに参加。 七、八月と酷暑の間は予定がなく、またお腹ポッコリ体形に戻ってしまった。やはり、目的とお仲間がいないと、継続できない怠け者だ。
 さあ、今日は歩くぞ!と勢い込んで集合場所の北条町駅(北条鉄道始発駅)へ!ところが、あいにくの雨模様。
 八十人近い参加者は、雨合羽や傘姿。キャンセルして引き返す人もないのは、やはり二か月ぶりのウォーキングだからかな。コースは『謎多き加西の古井戸散策コース』だ。
 まずは『乳の井戸』。夜中に真っ白い乳のような水が湧き出し、朝には透明に戻るという摩訶不思議な井戸。母乳が出にくい母親が、ここの水でご飯を炊き食べると、母乳がたっぷり出るといわれている。
 また雨が本降りに。こりゃたまらない。それでも一行は進む。
 次は修布の井戸。播磨風土記で、水を汲みに来た女性が吸い込まれたとある。それで「スウ」が「スフ」になったらしい。井戸がある里も修布里と呼ばれているのだ。
 最後はホムチベの井戸。ここまでくると、もうグッショリ。播磨風土記に『品遅部(ホムチベ)村』の記述がある。その名がいまに伝わっているのだ。
 次に予定されていた長圓寺は、雨のためスルー。ひたすらゴールに向かった。
 北条町駅に着くと、ホーッと力が抜けた。やはり、ウォーキングは晴天の下がいい。
都合三時間あまり。十一・五キロの踏破だ。
「どないでした?」
 地方紙の記者が取材に。四回精勤の参加で、観光課のスタッフが指名してくれたらしい。光栄なことだ。
「どないもこないも「○雨じゃ濡れて参ろう」にはなりませんわ。それに今回の井戸巡り、すこし地味すぎましたね」
 と言いたい放題。若い記者は鉛筆を走らせていたが、ボツになるかどうか、明日の朝刊が楽しみだ。となれば、また図書館まで出向いてこなければならない。二万五千歩歩いた翌日の一万六千歩(家とイオンの往復)は、ちょっときついかな。
 しかし雨の最悪条件下ではあったが、久しぶりのアウトドアー・ウォーキング、快感であった。次回は十月十五日の『後藤又兵衛ゆかりの地散策コース』だ。あの豪傑が生まれたのが、わが故郷なのである。実はわたしも最近知ったばかりである。いや~楽しみだ。
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ねくら~マン

2016年09月22日 01時41分32秒 | 文芸
きょうから娘の学校が始まる。
学校が終わるとアルバイトと予定が詰まっている。
妻も帰宅は10時ころ。

またひとりきりの時間が、私には始まる。

ふとあの頃が懐かしくなる。

喫茶店を経営していたあの日、あの時を。

赤ちゃんは、店の棚で寝かして、仕事をした。
子連れ狼だ。

長女から次男まで3人を、そうやって育てた。
だから、いつも家族は一緒だった。

3人目の赤ちゃんが状況を変えた。

彼は生まれた早々ひどいアトピー症状に。
額はあばた状態で、血がにじむほどひどくなった。

喫茶店はいつもお客さんのたばこにさらされている。
ピークの時間は店内が真っ白い煙に包まれた。
アトピーの赤ちゃんにいいはずがない。

そこで出した夫婦の結論。
たばこの吸えない喫茶店、『禁煙喫茶店』だった。
メニューのテコ入れをしたうえで、断行した。

結果は閑古鳥がなく状態に。

テレビや新聞がニュースにしてくれたが、反響は最初の半年だけ。よそうされた通りの結果を迎えた。

まだ嫌煙権が市民権を得ていない時代。
禁煙喫茶店は早すぎた。

あの瞬間に、
わたしのひとりぼっち人生がスタートしたのだ。

新しく選んだ仕事は弁当仕出し製造会社の調理場。
夕方5時過ぎから明け方5時前後までの深夜勤務。
もともと夜型人間だから苦にはならなかったが、
家族とのすれちがい生活はつらかった。
10年以上、懸命に働いた。
そして定年。
やっと家族と普通の関係に戻れると思ったが、甘かった。
子供たちは巣立ちゆく直前。
父親が入り込む隙間はなかった。

人の一生はひとりぼっちで始まり、ひとりぼっちで終える。

最近、よくそんなことを考える。
ネガティブな傾向の人間は、いやはや大変この上ない。(苦笑)
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コスプレのごとし

2016年09月21日 00時51分04秒 | 文芸
若いころ、アマチュア演劇に出会い、
なんと四十年近く夢中で続けた。
 舞台で演じた役柄は五十を超す。
子どもから老人まで、
ロボットや野獣やペットなど、
手当たり次第に扮して舞台に上がった。
 役柄を想像して、メークと衣装を選ぶ。
小道具の手作りも面白かった。
五十代で劇団を引退すると、
その後寂しくてたまらない。
最近、断捨離を実行して
物置のガラクタを整理にかかった。
「あ?」
ガラクタの下敷きになっていた段ボールには、
衣装とマジックインクで書きなぐってある。
ドキドキした。
開けると、
オズの魔法使いで使った衣装と小道具が
丁寧にしまわれてある。
ブリキのキコリ役、
乗りに乗って扮装に凝った。
「おとうさん、何よ、それ!」
 娘の驚きの声。
現実に戻り慌てた。
ブリキのキコリの衣装を着こみ
感慨にふけっていたのだ。
少女ドロシーと旅するキコリが
舞台でオズにかけられた魔法は、
まだ解けていないようだ。
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