こころの文庫(つねじいさんのエッ!日記)

家族を愛してやまぬ平凡な「おじいちゃん」が味わう日々の幸せライフを綴ってみました。

詩・ひとりよがり

2015年04月30日 15時07分29秒 | 文芸
ひとりよがり

いつでも
いつまでも

わたしの
こころを
届ける

あなたに
出あった
あの日から
かわらぬ
思い

君の
こころが
よそ見をしてる
いまも

変わらぬ
思い

通じる
その日まで
こころを
届けよう
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先生をたずねて……!

2015年04月30日 12時41分49秒 | 文芸
日曜日だった。二年生になった私は思いたって、一年生でお世話になった先生に会いに出かけた。内気でオズオズしっぱなしの子どもを丁寧に優しく教えて下さった先生に。
 その大好きな先生が他の学校に転勤されて、寂しかった。先生の家が、隣の村の小学校の前にあることを母から聞いて、もうじっとしていられない。誰にも言わず家を出たのだ。
 先生は歓待してくださった。美味しいお菓子をいただきながら、全く変わらない先生の笑顔を前に幸福そのものを味わった。
 ところが、私の家は大騒動である。ちいさい子どもがいなくなったのだから当然の騒ぎだった。先生が連絡をして家まで送り届けてくださったので一件落着となった。
 いまだに、どうしてあんな真似をしたのかよくわからない。ただあれ以来、オズオズする子どもはいなくなった気がする。
 考えてみれば、あの日が私の初冒険だったのだろう。
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絵手紙

2015年04月30日 03時05分30秒 | 絵手紙
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老人であることを

2015年04月30日 00時02分06秒 | 文芸
老人であることを 

今年から老人会の世話役だ。歳の順番だが、もうれっきとした老人なのを自覚させられる。
ややまもすれば(はあー)とため息が出る。
 年会費を集めに回ると、今年から老人会に入会となった男性が戸惑いを隠せないでいる。
「まだ早いやろ。気が重いわ」
 よく分かる。わたしも老人会にお呼びがかかった時、同じ思いに囚われたものである。
 とは言え、加齢は止めようがない。潔くそれを認めないと、実年齢と意識のギャップにもてあそばれる羽目に陥る。
 ここは自分が高齢者の仲間入りをしたことを素直に認めるしかない。何も老け込めとは言っていない。その年齢に応じた無理のない生き方に目覚めるべきなのだ。
 前向きに日々を充実させて、興味の幅を広げ、仲間との絆をしっかりと結ぶ。その姿勢が高齢者に新たな生きがいを与えてくれる。
 まずは老人会の世話役を滞りなくこなそう。次へのやる気を生み出すために必要な事だ。
(神戸発言2015年4月掲載)
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絵手紙

2015年04月29日 01時17分47秒 | 絵手紙
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バラが咲いた

2015年04月29日 00時09分07秒 | 文芸
マイク真木の詩『バラが咲いた』に出会うまで、バラはあまり興味のない花だった。「真っ赤なバラが……♪」の歌詞を耳にした私の頭の中に、真っ赤なバラの花が咲いた。
 大輪の赤いバラの見事な花を咲かせたいと、買って来た鉢植え。庭の一隅をバラの園にしようと鉢から植え替えた。ところが、バラにとげがあるのをすっかり忘れていた。(痛い!)と感じた時はもう手遅れ。親指に刺さったとげを抜くと、赤い血が滲み出た。真っ赤なバラの花を象徴しているかのような色だった。
 期待を持って植え込んだバラが花をつけた時、私は二重に失望した。大輪ではなくちいさい花でツルバラ。花も真っ赤ではなくピンク色に白い班。期待が外れてガッカリである。
 すぐに赤いバラを買って来た。植え込み済みの木の前に植えた。今度の木はトゲなし。しかも赤いバラだと念入りに確かめた。
 小さな庭に今咲くバラは、マイク真木のあの『赤いバラ』を彷彿とさせてくれる。
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詩・ただの父親

2015年04月28日 10時58分08秒 | 文芸
ただの父親

獅子は
わが子を
千尋の谷に
落とすと言う

それは
父親の
崇高な愛が
生む
覚悟と決断

厳格に
強靭に

羨ましいなあ

とても
真似の出来ぬ
父親がいる

いま
遠くにいる
我が子を
想うしか
術を知らぬ

無力さ
反吐が出る

ため息だけが
許される

父であることの
辛さ
虚しさ…

それでも
間違いなく
わたしは
父親でありつづける


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大黒柱より大黒さま

2015年04月28日 09時45分48秒 | 文芸
大黒柱より大黒さま

 結婚したとき、妻は短大を卒業して半年たつかたたぬかで、何も知らない純情娘だった。当然家庭は、13年分余計に人生を送って来た小生の独壇場。
 家計だって、大黒柱たる小生の思うがままで、わが世の春を謳歌したものだ。それでもただひたすら夫を信じ、頼りきっていた妻の可愛さといったらなかった。
 だが栄枯盛衰は世のつねとでもいうべきか、いまや立場は大逆転!子供が3人。女房は自分の分身を増やして、孤立化を余儀なくされた小生の天下を、完全に乗っ取ってしまったのである。
「お前、結婚したとき、生涯亭主を立てるといったろうが……!」
 と少しでもグチれば、
「何いってんのよ。甲斐性なしの亭主立てて、一家心中しろっての?冗談いわないでよ!」
 これが…あの可愛かった女房がいう言葉か……!
 しかし、よく考えてみれば、あいつのいう通り。商売に失敗してただいま失業中。そんな不甲斐ない亭主を立てろっていったって、やはり無理な相談だよな。でも、オレにも男のメンツってもんが……。
 とはいえども、いまの生活もまんざらじゃない。主導権を相手に渡しておければ、とにもかくにもわが身はラク、ラク。
「バイトの時間に遅れるわよ」
「は~い」
「これきょうのお小遣いね」
「は~い」
 こうなると、もう主導権を奪い返す気などどこへやら。男のメンツも、戦う(?)気力も萎える一方である。
(ポスト1996年9月10日掲載)
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etegami

2015年04月28日 02時32分58秒 | 絵手紙
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外野席からのエール

2015年04月28日 00時51分54秒 | 文芸
外野席からのエール

 昨年初めてPTAの役員に。のらりくらりと携わって来たが、どうも気になってしかたのないことがあった。子どもを対象にした行事のあり方である。
 ドッジボール、バレーボール、綱引き……どれもこれも体育会(?)系ばかりが目立つ。文化系といえば、音楽や人形劇の鑑賞会。ということはつまり子ども自身が実際に参加して頑張って楽しむ場は体育会系しかない。
 健全な体に健全な心が宿るなんて言われているが、時には健全な心づくりを優先してもいいのではなかろうか。
 かくいう私は子どもの頃から全く運動が苦手で、運動会や球技大会などになると、もう嫌で嫌で堪らなかったタイプ。そんな運動落ちこぼれも、写生大会や学芸会などになると、もう得意の範疇で楽しくてイキイキ出来た。文化系の場があったから、今日の私があるといっても過言ではない。その場が皆無なら、私の子供時代は暗黒の中を彷徨う悲惨な状態を脱することは不可能だったろう。
 子どもの可能性は無限なのに、体育会系の行事に偏りがちの現状では、ある才能に目覚める可能性を持った子どもたちの芽を摘み取ってしまうことになるのではなかろうか。
 もっと幅広く柔軟に行事の企画を練って実施してやってればよかったなあと、いま悔やんでいる。わたしの役員任期もタイムリミットを迎える。後悔先に立たずというヤツである。
(次期役員さんにわたしみたいな、世間的にへそ曲がりの変人と見られるタイプの方がいれば、迷うことなく外野席から最大級のエールを送ってみよう)
 ちょっぴりそんなことを考えてみるが、さてさて、そんな御仁、現れてくれますかな?
(平成7年3月1日・兵庫PTAまど掲載)
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