答えを出すのに三日かかった。杏子にもう迷いはなかった。
「あたしたちの赤ちゃんの専属保母になることに決めた。それがあたしの結論」
「そうか。そう決めたんやな、そう」
志島は正直な男である。安堵感と喜びがみるみる顔に溢れでた。(あたしは間違わなかった!)杏子は確信した。志島と赤ちゃん、親子三人の生活に、自分の幸せがそこにあると。
「きょうちゃん、幸せになりや」
「え?」
「事情はよう分からんけど、きょうちゃんの顔見てたら、心配するだけ、こっちが損みる気がするもん」
たぶん、キミは後輩が選んだものの正体に気づいているのだろう。杏子は面はゆい思いを、頬笑みに隠した。
「嘘までつくんやから、大事や。そら絶対幸せにならな帳尻あわへんで」
「ありがとう」
言わずもがな、お礼が口をついて出た。してやったりと、キミは相好を崩した。
杏子は連絡帳から目を外した。保育ルームはいつもの賑やかしさに包まれている。
「コウちゃん、なにしようかな」
副担任の吉江由紀が耕太相手に苦戦している。いつものことだった。保育ルームには六名の自閉症児がいる。繊細な感覚を発揮する子供らの保育は、ひたすら神経戦でもある。
「由紀ちゃん、耕太も園庭に移動しようか」
「ああ、そうですね。コウちゃん、行くぞ」
今日は雲ひとつない秋晴れだった。野外保育にはもってこいの条件が揃っている。耕太も半年近い通園を経て、周囲への拒絶姿勢もかなり薄めている。もっと耕太と近づこう。杏子は連絡帳を閉じて、保育ルームをを出た。
園庭に、自閉症クラスの子どもたちが十二名、保母と遊んでいる。彼らひとりひとりは、杏子が受け持つ大切な子どもたちだった。
五年前、保育の現場に復帰の杏子だった。わが子専属の保母をやり終えると、中途で終えざるを得なかった保母復帰を実行した。それも、より大変な障害児保育の現場を選んだ。虚言で安易な身の引き方をしてしまった、あの日の罪悪感がそうさせた。それに短大時代に履修した教育研修先で、丁寧な指導を受けた園長の影響もあった。卒業時の就職先は選ぶゆとりのない状況下で、わらをもつかむ思いで得たのである。現実に落胆を覚えた職場だった。その二の舞を演じたくはなかった。
「やりたいことをやれる時期が来たんや。やりがいのあるもんをやったりや」
杏子が仕事の希望を伝えると、志島は意を得たりとばかりに賛成した。後顧の憂いなく仕事に打ち込める状況を手に入れたのだった。
「志島先生。耕太くんが先生を探していますよ。はよ来てやってくださいよ」
由紀の呼びかけに杏子は覚醒した。悔いのない保育の現実は、手の届く目の前にあった。