こころの文庫(つねじいさんのエッ!日記)

家族を愛してやまぬ平凡な「おじいちゃん」が味わう日々の幸せライフを綴ってみました。

お前もか?

2017年03月31日 01時50分31秒 | Weblog
息子は元気だと聞いて
まず一安心。
去年は三重で
今年は名古屋に転勤している。

居酒屋の店長という
ブラック色の強い仕事だから
いつも彼の健康を心配している。
わたしも20代半ばから
調理師として
レストラン、郊外型喫茶店、駅ビル内喫茶店、ホテル宴会部門……と
渡り歩いている。
勤務時間は決まっているようで全く決まっていない職種ばかり。
クリスマスや忘年会シーズンには
二週間近く
店に泊まり込んだりしたものである。

最終的に
働くようになった弁当仕出し製造会社では、
夕方6時から翌朝6時までの深夜勤務専従だった。
注文が多ければ、
残業は否応なかった。
よくまあ体が続いたものだと今さらながら思う。
その父親と同じ業種に進んだ息子である。

引退したいまも
夜型生活は続いている。
原稿を書いたりなどは
深夜でないとまず書けないほど。

その勤務の過酷さは身をもって知っているだけに、
(無理するなよ。
自分の体を守れるのは自分しか
いないんだからな)
と息子に助言してやりたくて堪らない。
しかし
息子が自分で選んだ道、
どうあろうとも後悔はしまい。
わたしが歩んだ道も
後悔はみじんもないのだから。

父親はただ黙って見守るだけで
いいのかも知れない。
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いきて・その一歩

2017年03月30日 08時32分06秒 | Weblog
自分がどう生きてきたのか?
そんなことを考えてしまった。
なんにせよ70近くまで生き抜いてこられた私。
それは自分でも驚きなのだ。
世間から外れた
かわいげのない子供が
どう成長するチャンスを手にできたのだろうか?
時々
そんな昔の話を掘り起こしてみたいと、
いま思っている。


無類の人見知りな子供だった。
誰かに声をかけられると
もじもじするばかり
赤面して
うんともすんとも言えないひどさ。
いつしか誰にも見向きされなくなった。
親すら、
「ヒキョーもんやでの、お前は」
とことあるごとに言ったものだった。

ひとりが好きだった。
楽しみといえば、
当時家にあった「家の光」という
農協が発行する雑誌を読むことだった。
「おかしな子や。また大人の雑誌開いて、
ほんまに読んどるんかいな?」
父と母がそう言ってるのを耳にしても、
本人は夢中だった。
確かにひらがなぐらいしか知らなかったが、
なぜか読めていた。
(たぶん想像力が豊かだったのだろう)

そのうち
両親の見方は、
本に没頭する息子に、
(あれ、えろなるかも知れんのう)
と期待に変わった。
野原をかけまわるほうが好きで、
勉強嫌いだった
一つ違いの兄と
浅はかにも比較をしてのけたのだ。

それはそれで
私には好都合だった。
それまでと違って、
親に疎んじられる機会は少なくなった。
ひとり本に読みふけっていても
「子供らしくない」と言われなくなった。
「もっと読め」
とまで言い出す始末だった。
母の知り合いである近所のおばさんが、
そんなえらい(笑)お子さんのために
手近にある本を見繕って
「どんどん読んで、えろうなるんやで」
と持ってきてくれた。
驚くよりも
天にも昇る心地だった。
無視されることが多かったのに、
認めてもらえたのが実にうれしかった。

自分の居場所が見つかったのだ。

たぶん
あれはわたしが初めて味わう
転機というものだったに違いない。


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もう!まあ!よし!

2017年03月29日 07時41分16秒 | Weblog
28日。
「名古屋の〇〇に会いに行ってくるね」
妻がいきなり言い出した。
(おいおい、それはないよ。
ぼくだって息子の顔をみたいよ~!)
と思っても
どうしようもない。
先に決まっている予定がある。
妻もそれを見越して
名古屋行きを決めたに違いない。
(それはないよ~!)

先日の博多ちくぜん行きで用意した
青春切符18を使って
いそいそと妻は出掛けていった。

仕方がない。
スパーっと気持ちを切り替えて、
こちらも家を後にした。

本日は
加西風土記の里ウォーク2016の大トリだ。
小谷城跡と「北条の宿」散策コース。
スタート地点の北条駅前に集まったのは
150名あまり。
平日なのにかなり多い。
実は一年に10回行われる
このウオーキングの締めくくりだからに違いない。
10回参加すれば完歩賞が当たるぞ。
つまり
わたしもその栄誉(?)を狙っていたのだ。
(息子よ、また近いうちに会おうな)

6キロコースと短いが
城山の上り下りがかなり急。
息を切らしながらの城山踏破(?)となった。

家に戻ると
ガラーンとしたまま。
今日は妻は名古屋泊まりである。
大学生の娘が帰宅するまでの
ひとりぼっち。
息子の顔を頭に思い浮かべた。
3年近く会っていない。
仕事で盆正月も帰らないのだ。
近頃は
わが田舎でも、
子供たちが帰らず、
年より夫婦だけになる家が多くなった。
これも時代
致し方ないということなのだろうか。

とりあえず
娘の夕食を用意しておいてやろう。
またわたしの平平凡凡なる時間が始まった。
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は~やく

2017年03月28日 01時57分29秒 | Weblog
昨年の今頃には
もう断捨離だとばかり
身の回りの整理を始めていたのに、
またぞろモノを増やし始めている。
人間の業というものなのだろう。

まちライブラリーを始めたのも
断捨離にとっかかったわが身に
反発を覚えたからにほかならない。
まだまだ何かをやる気力はあるぞ!って。

すこし枯れかかった
2本の植木を
とにかく植え付けた。
水をたっぷりやって安堵を覚えた。
これで
ひとまず枯れる運命から救ってやれる。

どちらの木も
実をなし花をつけて
観る者の心を満たしてくれるまでには
かなりの時間を要するだろう。
果たして
私自身がその日に立ち会えるとは
はなはだ自信が持てない。
それでも
花木を植生しようという
自分が愉快だ。

まだ春の恩恵を受けられずにいる
うら寂しい限りの庭の
片隅に
紫の花がつぼみを見せている。
ムスカリだ。
毎年庭を覆いつくす。
今年もはや春へ
導こうとしてくれている。

いまの世の中、希望や夢はしぼむ一方だが、
庭の草花たちには
その論理は通用しないようだ。

春よ!は~やく来い~!
子供に戻りかける自分を笑ってしまう。(大笑)
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泣かせた娘

2017年03月27日 01時15分33秒 | Weblog
なんと幸運!
最高に幸せ気分を味わえた1日だった。

今日は
娘が参加する明石フィルハーモニーの
定期公演。
朝9時に家を出発。
会場は1時半だが、
家でじっと時間を待つ気になれなかった。
会場は自由席。
入って1年の娘。
初の第1ヴァイオリン抜擢だと聞いたからだった。
いい席を確保だと主張する友人に
誘いだされる格好だった。

友人と連れ立って明石まで
途中寄り道をしたものの、
12時半には到着した。
会場に急ぐと
なんともう列ができ始めていた。
迷うことなく並んだ。
その結果
好きな席に座れることに

元来控えめな性格のわたし
いつも通りに
二階の後部席に座ろうとすると
「いい席が取れる権利があるのに、
前の席ぬきはなかろう」
と引っ張られて1階前列2列目、
中央から左にずれたところ。
指揮者台が邪魔にならない位置に陣取った。
私には初めての席取だった。

ところが
オーケストラがスタートすると
目を見張った。
私の視線の真ん前に娘の姿があった!
これまでの後方からの鑑賞では
演奏する姿など見分けられなかったのに。

エルガー「威風堂々」は
第2ヴァイオリンだが
目の前に
アンサンブルの仲間になった娘の演奏姿が。
しかも音響は最高の位置。
娘の演奏に釘付けになった。

そしてベートーベンの
「ピアノ協奏曲第5番」
ゲストのピアノソロがあったが、
ちゃんと娘の演奏姿が目に入った!
これも第2ヴァイオリンだが、
ほかの演奏家に負けない演奏姿に大感激。

そしてシベリウス「交響曲第2番」
いた!第1ヴァイオリン席に着く娘。
天にも昇る心地で聞き入った娘の演奏。
一歩一歩前に進むわが娘の成長に
後半は
いつしか涙が!
涙もろいだらしない男だが、
今回は父親として許して貰えるだろう。

「あんたのおかげや。ありがとうな」
帰りの車内で
何度も何度も友人に
感謝の言葉を言い続けた。
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負けられない

2017年03月26日 05時19分35秒 | Weblog
(!?)
びっくりした。

まちライブラリーで再開した恩師
談笑しているうちに
なにげなく聞いてしまった。
「先生、いまなんぼになられたんですか?」
「この7月で卒寿やな」
卒寿とは90ということ。
いまのいままで80半ばと思い込んでいた恩師の年齢。
そう思い込ませるほどの若さと言っていいのかもしれない。
「それを記念して7月にデンマークへ一人旅行が決まったよ」
もうあっけにとられるばかり。
恩師は毎年ヨーロッパに出かけられているが、
卒寿記念にデンマーク旅行とは!
「先生血管年齢とか骨年齢なんかは、どないなんですか?
いささか場違いな質問になってしまったが、
気になっている。
実はわたし2年前に
「血管年齢80やな」
とドクターに宣告されたのだ。
以来薬の世話になって、
やっと70にさがっのだ。
「まだまだ若いよ。医者がびっくりしてたよ」
サラーっと言ってのけられる先生。
この年の取り方の差はなぜなんだー?(自嘲)

「またなんかあったら連絡してよ。君の活躍を期待してるから」
お別れの言葉だが、
この様子では、
私のほうが先に老いぼれてしまいかねない。
しかし、
恩師の矍鑠たる姿を前にしては、
生徒たるもの
発奮せざるを得ない。

先生。
また近くお会いしましょう。
それまでには先生に負けぬ
若さ(?)を取り戻しておきますぞ。
てなことを心に念じたが
とても自信はない。(ああ~情けないよー!)

それにしても
恩師との交流は
今も昔も
わが人生に新鮮な刺激を与えてくれるようだ。
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再開のとき

2017年03月25日 04時32分44秒 | Weblog
朝4時に目が覚めました。
今日は特別な日です。
まちライブラリーの記念展に
恩師が足を運んでくださるのです。
演劇を最初に教えてくださったO先生です。
もう80半ばの高齢ですが、
何かがあると必ず電話連絡をいただきます。

友人も知人もあまりいない私が
こんなに長く先生と交流を続けてこられたのは
間違いなく先生の人徳なのです。
優しい思いやりに
社会的な信念の強さはいまも健在です。

歓迎するのに
頭をひねりました。
万全の用意をしているはずなのに、
やはりすぐ目が覚めます。

お互いが高齢の時を刻むいま、
一つ一つの再開が一一期一会です。
悔いなく先生との
出会いの時間を充実させたいのです。
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みちびかれて(後半)

2017年03月24日 01時44分00秒 | 文芸
「遠慮しないで、もっと大きな声を出したらいいよ。声が出なきゃ、舞台でセリフを言ってもお客さんに届かないからね」


 何度も何度も繰り返した。そう簡単に大声は出せるものでないのだと気付いた。意気込みが一挙にしぼむ初日だった。


 次の稽古日もOさんと二人きりの発声練習だった。


「疲れたら、甘いもんが一番だ」


 区切りのいいところで休憩した。Oさんはいつも饅頭や最中を用意している。無類の甘いもの好きだという。お茶を入れ甘いものを頬張ると、なぜか幸せな気分になれた。


「お芝居なんてのは、お客さんだけが楽しむものじゃないんだな。芝居する僕らが楽しんでいないと、お客さんだって絶対楽しくない」


 Oさんの持論が、なんとなく理解できた。


「ひとつ口上を読んでみようか」


 Oさんが持ち出したのは『外郎売』だった。


「拙者親方と申すは、お立会いのうちにご存知のお方もございましょうが……!」


「初めてなのに、うまいうまい」


 手放しでほめられると気恥ずかしかったが、一方で嬉しくてたまらなかった。調子に乗り読み続けると、自然に声は大きく弾み始めた。


「……外郎は、いらっしゃりませぬか!」


 パチパチとOさんは拍手した。最高に気分がよかった。達成感とは、こんな感じなのだろうか。ふとそんな思いが頭をかすめた。


 次の公演が決まった。戯曲は『寒鴨』『息子』の短編が二本。決まると、けいこ場が日増しににぎやかになった。初めて見る顔が次々と増えた。あの舞台でアンネを演じていた女性も現れた。可憐でしっかりしたアンネを思い出し、無遠慮に見つめてしまった。


「この間の公演を見て入団する気になったんだって。新しい仲間のSくんだ」


 O代表に紹介されて、晴れがましさを覚えた。最初こそ畑違いのところだと後悔したものの、もうその迷いは微塵もなかった。


「楽しいとこですね、ここは。ものすごい人見知りなんですが、頑張っています」


 にわか仕立ての標準語はぎごちなくなる。


「一緒やんか。俺も人見知りすんねん。仕事場で同僚と話しすんのも苦しいてどもならんかったんや。周りに煙たがられてばかりやで。それを、ここはすんなり受け入れてくれたわ」


 アンネの父親を演じたTだった。ガラス加工工場で働いている。芝居をやっているのがウソみたいに、方言丸出しである。


「こんな暗い性格治りますか?」


 Tはガハハハと笑った。


「O先生に任せたらべっちょないわな。俺を見たら分かるやろが」


「はい」


「Sくん。そないしゃっちょこばらんでええんやから。一つの舞台を作り上げる大事な仲間ばかりや。気―遣うたら仲間外れになるで」


 Oさんは、やはり穏やかな笑顔で話した。


 美容院勤め、郵便局員、商店員……多彩な顔ぶれだった。その誰もが、生き生きしていた。たぶん緊張しているのはわたしぐらいなものだった。(なにくそ!)と思うが、こればかりはままならない。


 けいこが始まると仲間たちの顔つきは一変した。なんとかくっついていかなければと焦り、自分を鼓舞した。


 戯曲による芝居づくりの前に、念入りに基本げいこを繰り返した。なかでも発声練習はかなり力が入っていた。


「舞台で声が出ないと芝居もなんもないわけや。ここにいるみんなには、誰もが舞台で思い切り叫べるようになって貰わないと」


 Oさんの指導は優しい外面と違って、かなりきついものだった。


「おあややははおやにおあやまりなさい、おあややははおやにおあやまりなさい……!」「ア・エ・イ・ウ・エ・オ・ア・オ!」


「拙者親方と申すはお立会いのうちに……!」


 口下手も内気も関係ない。とにかく前へ声を飛ばす繰り返しだった。


 三か月後の『寒鴨』『息子』の公演舞台に、私は二つの役に抜擢されて登った。生まれ始めて多くの観客の前に立った、何とも言えないプレッシャーと興奮。両足ががくがくと震えた。


「とっつぁん。まだいるかい?」


 人前で発する第一声だった。『息子』で重要な役まわりである捕り手になりきってライトを浴びた。(生きててよかった!)共演する仲間たちも同じように顔を輝かせていた。


 四十五年続けたお芝居を引退して十数年経つ。日常の暮らしの中で大声を出す機会は殆どなくなった。ストレスはたまる一方である。


 しかし私にはそれを克服する強力な武器がある。腹の底から大声を出せばすべて解消だ。


「……この外郎のご評判ご存知ないとは、申されまいまいつぶり!」


 浴室に響く大声。(生きててよかった)そう知らしめてくれた大声が、実に心地よい。
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みちびかれて

2017年03月23日 02時56分02秒 | Weblog
最近とんと喋らなくなった。日常の暮らしに支障はないが、時々無性に大声を出したくなる。それで風呂につかりながら、思い切り声を出す。記憶している文章を大きな声で朗読すると、不思議にすっきりする。
「また大声出してからに。バカみたい」
 風呂上がりを待ち構える妻の皮肉は毎度だ。
「そないいうけど、そら気分ようなるんや」
「熱い風呂ん中で大声出してたら、血圧上がって、えらいことになりよるで」
「そんなんべっちょないわ」
 言い返すが、実は湯にのぼせてクラーっと来た経験がある。風呂場で倒れる危険性は無きにしも非ずだ。それでも大声を出すのはやめられない。
 こう見えても、若いころアマチュア演劇をやっていた。誰もが(え?うそ!)という。口下手で人見知りするわたしを知っていれば当然のことだ。実はその性格を何とかしたいと思ったのが、あの日だった。
 当時、加古川駅前にあるG書店に勤めていた。私の性格でお客さんを相手にするのは困難を極めた。ストレスをため込む日々だった。
「このポスター、店頭に貼らせて貰えませんか?」
 店番をしていると、声がかかった。若い女性だった。どぎまぎしながら応対すると、
「来月、公会堂でお芝居するんです」
「へー、お芝居なんですか。いいですよ」
 二色刷りのポスターだった。改めて相手を見直すと、ごく普通の女性に見えた。
(この人がお芝居をしているんか……?)
 信じられなかった。お芝居は特別な人たちがするものだととの思い込みがあった。
「もしよかったら観に来られませんか?」
「え?僕、お芝居って観たことあらへんし。『アンネの日記』って、難しいんやろ」
「そんなことありません。楽しいですよ」
 結局チケットを買ってしまった。日曜日の夜なら仕事は休みだ。それに何かをするアテもない。友達も恋人もいなかった。
 映画館すらひとりで行けない田舎者のわたしが、公会堂を探し当てて足を運べたのは奇跡に近かった。
「あ、あの、これチケットで……は、入っても、大丈夫やろか」
 情けないが受付でさえ気後れしてしまう。
 舞台はわたしを魅了した。まるで夢の世界だった。赤毛や金髪の人物が自由奔放に右往左往し、泣き笑い怒り悲しむ。そして照明は鮮やかにそんな世界を浮き上がらす。一時間ちょっとのお芝居が、やけに短く感じられた。終わらないでくれと念じたが、実らなかった。
 ロビーに出ると、また驚いた。金髪や赤毛の人たちが、観客と抱き合ったり笑いさざめいている。
「よかったやん。全然違うわ、仕事やってる時より素敵やで」
「それが芝居やん。そやさかい一度舞台を踏んだらやめられへんのや」
 飛び交う会話は、方言が混じるごく普通のものだった。
「普段はおとなしいのに、なんであないに喋られるん?」
「見直したやろ。あれがわいの正体やがな」
 不思議にその会話は、はっきりと耳に入った。ぞくぞくするものを感じた。
 アパートに帰り着くと、改めてパンフレットを開いた。お粗末な作りだったが、私には輝いて見えた。あらすじを読むと舞台に展開された場面が鮮やかによみがえる。体が興奮を覚えて小刻みに震えた。
 パンフレットの最後に目が留まった。
「お芝居を一緒に作りませんか。仲間を待っています。連絡は……」
 これだと思った。(お芝居はおとなしい人間にもできるんや)舞台の上でセリフを口にする自分の姿を想像した。もう衝動は止まらない。はがきで入団を申し込んだ。
「きみがSくんか。よく来てくれたね。歓迎するよ」
 迎えてくれたのは地味な雰囲気の男性だった。アマチュア劇団の代表者Oさんだった。後日に小学校の先生だと知った。
 劇団のけいこ場は、見つけるのにひと苦労だった。閑静な住宅地の外れに位置する集会場の中にあった。あちこち聞きまわって、なんとかたどり着いた。あんなに懸命になったのは、初めての経験だった。
 けいこ場だという集会室はガラーンとしていた。
「あの……ほかのみなさんは?」
「みんな仕事で忙しいからね。次の公演が決まらないと、なかなか集まらないんだよ」
 Оさんは別にそれでいいという風だった。穏やかに笑顔を絶やさないOさんに、身構えていたものがスーッと消え去った。
「ア・エ・イ・ウ・エ・オ・ア・オ」
「ア・エ・イ・ウ・エ・オ・ア・オ」
 それが最初の発声練習だった。
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想定外

2017年03月22日 00時37分34秒 | Weblog
20日の夜遅く
家に帰り着きました。

行きも帰りも
青春18切符で
在来線普通車利用でした。
片道11時間余り。
のんびりゆっくりの旅程でしたが、
さすがに疲れました。
実は18日19日の連夜
博多駅の博多口駅前広場で
長い夜を過ごした影響もあるのですが。
21日の昼過ぎまで
寝てしまいました。

しかし
博多駅のすごさには驚きました。
中国韓国の旅行者さんが
次々とカメラを向けられているので
わたしも少し撮影してしまいました。(ハハハ、田舎もんですね、わたしも)

19日の表彰式と朗読は
たぶん成功の部類だったと思います。
非常に驚かされたのが
終了後、
平和記念館を見学していたとき、
北海道から
高校生の娘さんが入賞されたとかで
ご家族一緒に来られていた
お母さんが
私に入賞者作品掲載本に
サインをお願いしますと申し出られたことです。
生まれてこの方
人さまからサインを頼まれたことは皆無の私。
前代未聞の出来事に言葉を失ってしまいました。
「娘が、齋藤さんの朗読に感激して
ぜひサインをもらってくれと言うんです」
お母さんのこの言葉はうれしかったですね。
「齋藤さんがお書きになった思いも
娘はとても共感を覚えたようです。
本当に素敵なエッセーをありがとうございました」
結局
苦手で金釘文字ながら、なんとかサインしました。
お母さんに何度も感謝されて
こちらこそ恐縮して
穴があったら入りたかったですね。

新幹線もホテルもなしの超緊縮旅行でしたが
この感動を感激をいただいた
遠く北の地から来られた
お母さんと娘さんのおかげで
ウハウハ気分で終日いられました。

生きていてよかったー!ってのは
こういうことを言うんでしょうね。(ハハハハハ)
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