「どないしたん?もう出かけるん?」
「買い物や。モールへ行って来るわ」
「あ?そうか、今日は火曜日だっけ」
「卵デーや!」
そう、今日は近くの大型スーパーで卵の安売りがある。一パック税込み105円、魅力的な価格だ。昔は卵の安売りを集客の目玉に据える店が多かったが、消費税八%になると現金なもので、特売の目玉だった卵は姿を消した。昔も今も安価な卵は庶民の味方だったのが通用しなくなった。それでも、この大型スーパーは、しっかりと安売りを続けている。
地域を代表するショッピングモールの中核を担う大型スーパー。数年前まで二十四時間営業だったのが、原発事故の影響で、朝七時から夜十一時までに変更された。それでも近隣からの客足はさほど減らない。
七時を待って大型スーパーは開店する。自動ドアが開くと、脇目もふらず卵売り場へ急ぐ。同じ目的の客と抜きつ抜かれつである。
ラックに山と積まれた卵を一パック、すかさず確保すると、レジに急ぐ。早朝レジの稼働は二台のみ。最初は卵目当ての客ばかりで、スムーズに通過できるが、八時前後になると、レジは嘘みたいに混みだす。急ぐ必要がある。
十パックは買う計画である。おひとり様一パック制限をクリアするため、レジを通過した足でまた売り場に取って返す。
五,六パック積み込んだカートをレジ近くに止めて置き、往復の手間暇をケチる不届きな客がいる。馬鹿正直者には無縁の所業だ。ひとり来店が明白にも関わらず、レジ突破を図る輩も目立つ。
「おひとり様一パックにさせて頂いてます。お連れ様はいらっしゃいますか?」
「ほい。あっこに待たしとる。あれ?おれへん。仕様ないやっちゃ、そこにおれ言うとんのに。年寄りやさかい許したって。どっかで休んどるんや」
レジ係も毎回のことだから心得ている。確認の言葉をかけておけば、仕事して充分なのだろう。とはいえ、嘘も方便と要領よくレジを切り抜ける輩の真似はとうてい出来ない。根が生真面目、いや小心者の私である。
「おはようさん」
レジに並ぶと背後から挨拶が。定年まで勤めていた工場の同僚で五つ年長の彼、しょっちゅうこのスーパーで顔が合う。アパートに一人住まいだから、買い物は自分でやるしかないらしい。それも贅沢できない年金生活、安売り卵の購入は必須である。
「あんたも卵かいな?」
「そうや。安うて万能で、美味いと来てる。卵さまさまやわ」
小柄な体が一層しょぼくれて見える。
「一パックあったら、一週間は持つさかい」
「なに言うとんや。一パックじゃ足らへん。うち三人家族やけど、きょうは十パック買う」
「そないようけ買うて腐ったら勿体ないが」
「アホ言うない、腐らすような下手すっかい。卵があったら、おかずがのうても、どないかなるやろが」
「……賞味期限切れたら……?」
「そんなもんべっちょないわ。加熱したらなんぼでもいけるで」
卵は重宝だ。卵かけごはんを食うときは、ちょっと賞味期限を気にするが、卵は本来焼いたり茹でたりして食べる。期限が切れたら加熱するを徹底すれば安心だ。
一概に卵焼きと言えども、かなりバラエティに富む。厚焼き、出し巻き、オムレツ、炒り卵、ハムエッグ……。まあ飽きることはない。そうそう、最近卵を使ったスィーツをよく作る。中でもプリンは自慢の一品だ。
「このプリン売ってるもんより美味いやんか」
皮肉屋の妻が褒めそやすぐらいだから、自家製プリンは本当に美味い。冷蔵庫に作り置きしておけば、甘いものに目がない、わが家のオンナどもが消費してくれる。勿論旦那だって、酒やたばこと縁切りして以来、寂しくなった口を補ってくれるのは甘いものだ。
プリンつくりで卵以外の材料は牛乳、生クリーム、砂糖、バニラエッセンス。生クリームは少々高いが、値引品を手に入れて賄う。生クリームを入れるか入れないかで、プリンの風味にすごい格差が生まれる。よく混ぜて裏漉し、容器に詰めて蒸すだけだ。
百円ショップで一人分に頃合いの容器を見つけて、三十個も大人買いして妻に叱られたが、容器に納まったプリンの上品さに、すぐ妻の機嫌は直った。見た目もいいが、とにかく使い勝手がいい容器である。
七パック目になる頃、レジは混雑を呈する。卵だけではなく他の商品をガッポリ買い込む客の後ろへ並ぶはめになると、時間は止まる。
「あんた、それだけかいな?」
「はあ、そうです」
カートに商品山盛りの客が振り返って、声をかけてくれたらシメタものだ。人情に縋る。
「先にレジしなはれ」
「ええんやろか。おおけに。すんません」
人の好意は素直に受け取る。断れば相手の好意を台無しにしてしまう。頭をちょっと下げて礼をいえば事足りる。世の中は結構いい人が多いと感謝の気持ちを忘れないことだ。
十パックの卵を助手席に積み上げて、ホーッと息を吐く。大仕事は終わった。思い通りの数量を手にできて満足この上ない。
帰宅して意気揚々と玄関を開ける。
「お帰り。どないやったん?」
待ち構えていた妻が成果を問い質す。
「ほれ見てみい。十パックや、十パックやで」
「さすが!えらいえらい」
口とは裏腹に呆れているのは明白である。(安売り卵十パック買うて自慢かいな。ほんま恥ずかしいないのん)が本音。定年で現役引退してからこっち、お馴染みの反応だ。
「ほなら、いまから買いものに行って来るわ」
妻の出番だ。卵以外の買い出しは、妻の役目である。
「あんたに買い物任せといたら、お金がなんぼあっても足りひんわ」
一度買い物を引き受けた時、買って来たものを検品した妻は深いため息をついた。男と女の埋めようがない経済観念の差を思い知らされた一件である。
結局、卵とか砂糖の特売品タイムセールだけにお呼びがかかるようになった。気の短い妻は並ぶのが嫌なのだ。まして安売り卵目的では自尊心が傷つくと思うのかも知れない。「お昼やで。行くの行かへんの?」
「慌てんでええ。売り切れたら雪が降り寄る」
最近はいたって呑気に特売日を迎える。
数年前から安売り卵の購入条件が変わった。千円以上の買い物でおひとり様一パック限定。これではそう簡単に卵を買いに行けない。隔週で一パック買うのが精いっぱいである。
それにしても、安売り卵を手に入れるため、あの手この手を駆使したのが懐かしい。刺激がなくなり、ボケるのも早くなりそうだ。