こころの文庫(つねじいさんのエッ!日記)

家族を愛してやまぬ平凡な「おじいちゃん」が味わう日々の幸せライフを綴ってみました。

お姉ちゃん妻?

2019年06月13日 00時40分34秒 | Weblog
「仲のいいご兄妹ですね」
 そんな勘違いを
しょっちゅうされた結婚当初。
十三歳若い妻と外出しては
間違われてばかり。
いちいち弁解するのも面倒だし、
悪戯心もあって、
兄妹で通そうと決めたものだ。
 妻は一人っ子。
二人きりの兄弟だった兄が、
若くして急逝、
その後は
一人っ子状態だった私。
そのせいか
甘えん坊の似た者同士。
それでも年齢が上の私は、
年を食った分だけ
頼られる立場だった。
妹に甘えられる兄という設定が
自然に出来上がったのである。
「しっかりしたお姉さんやね。
頼りがいあるやろ」
 最近、
会う人あう人が、
こぞってそう言う。
 無理もない。
五十代半ばから、
夫婦の立場は逆転。
四人の子供の母親を経た妻は、
逞しく変貌したが、
一方の私は甘えん坊のままで
成長はとまってしまった。
当然の逆転である。
「頼りない弟も、
それなりに可愛いわね」
 妻の皮肉は、
ますます調子づいている。 
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ホ、ホ、ホタルやんか

2019年06月12日 00時20分44秒 | Weblog
闇に目を凝らしていると、
ポッとともった蛍の光。
ゆっくりした動きで
宙をツーッと飛んだ。
はかなげな光から
目が離せない。
 ここ数年、
見られなくなった蛍。
圃場整備や農薬散布の影響で
姿を消したと諦めていたが、
先日、
庭の雑草を抜いていると、
草の根本に
蛍の卵を見つけて、
胸がきゅんとした。
 我が家の庭は、
ここ数年、
こぼれだねの草木が目立ち始めた。
生い茂る草木に、
自然の復活を感じたのは
正解だった。
カエルや蛇などの生き物が
顔をのぞかせ、
ついに蛍まで、
私の目の前で
舞ってくれている。
 昔には普通に庭で見られた
蛍が乱舞する光景は
望むべくもないが、
一匹の蛍が復活したのは
嬉しい限りだ。
 昭和に生まれ
平成を生きて、
世の中の進歩と利便性を
目の当たりにしてきた。
半面、
自然の衰退も味わされた。
 古希を迎えたいま、
自然の復活の一歩として、
蛍の光の瞬きを目撃、
幸せを覚える。
 
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年金暮らしエッセ

2019年06月11日 00時45分54秒 | Weblog
「どないしたん?もう出かけるん?」
「買い物や。モールへ行って来るわ」
「あ?そうか、今日は火曜日だっけ」
「卵デーや!」
そう、今日は近くの大型スーパーで卵の安売りがある。一パック税込み105円、魅力的な価格だ。昔は卵の安売りを集客の目玉に据える店が多かったが、消費税八%になると現金なもので、特売の目玉だった卵は姿を消した。昔も今も安価な卵は庶民の味方だったのが通用しなくなった。それでも、この大型スーパーは、しっかりと安売りを続けている。
地域を代表するショッピングモールの中核を担う大型スーパー。数年前まで二十四時間営業だったのが、原発事故の影響で、朝七時から夜十一時までに変更された。それでも近隣からの客足はさほど減らない。
 七時を待って大型スーパーは開店する。自動ドアが開くと、脇目もふらず卵売り場へ急ぐ。同じ目的の客と抜きつ抜かれつである。
 ラックに山と積まれた卵を一パック、すかさず確保すると、レジに急ぐ。早朝レジの稼働は二台のみ。最初は卵目当ての客ばかりで、スムーズに通過できるが、八時前後になると、レジは嘘みたいに混みだす。急ぐ必要がある。
 十パックは買う計画である。おひとり様一パック制限をクリアするため、レジを通過した足でまた売り場に取って返す。
 五,六パック積み込んだカートをレジ近くに止めて置き、往復の手間暇をケチる不届きな客がいる。馬鹿正直者には無縁の所業だ。ひとり来店が明白にも関わらず、レジ突破を図る輩も目立つ。
「おひとり様一パックにさせて頂いてます。お連れ様はいらっしゃいますか?」
「ほい。あっこに待たしとる。あれ?おれへん。仕様ないやっちゃ、そこにおれ言うとんのに。年寄りやさかい許したって。どっかで休んどるんや」
 レジ係も毎回のことだから心得ている。確認の言葉をかけておけば、仕事して充分なのだろう。とはいえ、嘘も方便と要領よくレジを切り抜ける輩の真似はとうてい出来ない。根が生真面目、いや小心者の私である。
「おはようさん」
 レジに並ぶと背後から挨拶が。定年まで勤めていた工場の同僚で五つ年長の彼、しょっちゅうこのスーパーで顔が合う。アパートに一人住まいだから、買い物は自分でやるしかないらしい。それも贅沢できない年金生活、安売り卵の購入は必須である。
「あんたも卵かいな?」
「そうや。安うて万能で、美味いと来てる。卵さまさまやわ」
 小柄な体が一層しょぼくれて見える。
「一パックあったら、一週間は持つさかい」
「なに言うとんや。一パックじゃ足らへん。うち三人家族やけど、きょうは十パック買う」
「そないようけ買うて腐ったら勿体ないが」
「アホ言うない、腐らすような下手すっかい。卵があったら、おかずがのうても、どないかなるやろが」
「……賞味期限切れたら……?」
「そんなもんべっちょないわ。加熱したらなんぼでもいけるで」
 卵は重宝だ。卵かけごはんを食うときは、ちょっと賞味期限を気にするが、卵は本来焼いたり茹でたりして食べる。期限が切れたら加熱するを徹底すれば安心だ。
 一概に卵焼きと言えども、かなりバラエティに富む。厚焼き、出し巻き、オムレツ、炒り卵、ハムエッグ……。まあ飽きることはない。そうそう、最近卵を使ったスィーツをよく作る。中でもプリンは自慢の一品だ。
「このプリン売ってるもんより美味いやんか」
 皮肉屋の妻が褒めそやすぐらいだから、自家製プリンは本当に美味い。冷蔵庫に作り置きしておけば、甘いものに目がない、わが家のオンナどもが消費してくれる。勿論旦那だって、酒やたばこと縁切りして以来、寂しくなった口を補ってくれるのは甘いものだ。   
プリンつくりで卵以外の材料は牛乳、生クリーム、砂糖、バニラエッセンス。生クリームは少々高いが、値引品を手に入れて賄う。生クリームを入れるか入れないかで、プリンの風味にすごい格差が生まれる。よく混ぜて裏漉し、容器に詰めて蒸すだけだ。
百円ショップで一人分に頃合いの容器を見つけて、三十個も大人買いして妻に叱られたが、容器に納まったプリンの上品さに、すぐ妻の機嫌は直った。見た目もいいが、とにかく使い勝手がいい容器である。
 七パック目になる頃、レジは混雑を呈する。卵だけではなく他の商品をガッポリ買い込む客の後ろへ並ぶはめになると、時間は止まる。
「あんた、それだけかいな?」
「はあ、そうです」
 カートに商品山盛りの客が振り返って、声をかけてくれたらシメタものだ。人情に縋る。
「先にレジしなはれ」
「ええんやろか。おおけに。すんません」
 人の好意は素直に受け取る。断れば相手の好意を台無しにしてしまう。頭をちょっと下げて礼をいえば事足りる。世の中は結構いい人が多いと感謝の気持ちを忘れないことだ。
 十パックの卵を助手席に積み上げて、ホーッと息を吐く。大仕事は終わった。思い通りの数量を手にできて満足この上ない。
 帰宅して意気揚々と玄関を開ける。
「お帰り。どないやったん?」
 待ち構えていた妻が成果を問い質す。
「ほれ見てみい。十パックや、十パックやで」
「さすが!えらいえらい」
 口とは裏腹に呆れているのは明白である。(安売り卵十パック買うて自慢かいな。ほんま恥ずかしいないのん)が本音。定年で現役引退してからこっち、お馴染みの反応だ。
「ほなら、いまから買いものに行って来るわ」
 妻の出番だ。卵以外の買い出しは、妻の役目である。
「あんたに買い物任せといたら、お金がなんぼあっても足りひんわ」
 一度買い物を引き受けた時、買って来たものを検品した妻は深いため息をついた。男と女の埋めようがない経済観念の差を思い知らされた一件である。
 結局、卵とか砂糖の特売品タイムセールだけにお呼びがかかるようになった。気の短い妻は並ぶのが嫌なのだ。まして安売り卵目的では自尊心が傷つくと思うのかも知れない。「お昼やで。行くの行かへんの?」
「慌てんでええ。売り切れたら雪が降り寄る」
 最近はいたって呑気に特売日を迎える。
 数年前から安売り卵の購入条件が変わった。千円以上の買い物でおひとり様一パック限定。これではそう簡単に卵を買いに行けない。隔週で一パック買うのが精いっぱいである。
 それにしても、安売り卵を手に入れるため、あの手この手を駆使したのが懐かしい。刺激がなくなり、ボケるのも早くなりそうだ。
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墓参で

2019年06月10日 00時34分46秒 | Weblog
「伯父さんの生まれ変わりや、よう似とる。伯父さんは、そら真面目で孝行息子やったぞ」
 何かにつけ、伯父と私を重ね合わせた祖父。
 太平洋戦争中にビルマで戦死した伯父の名前から一字貰ったわたし。伯父を知ったのは、仏壇の上に掲げられた軍服姿の遺影と、村の共同墓地入り口に居並ぶ戦死者の墓碑からだった。二十九歳、陸軍上等兵、ビルマ戦線にて戦死と刻まれた墓碑は、盆の墓参りが来るたびに、胸の内で読み続けている。
「伯父さんはのう、そら親思いで、優しかったのう。よう勉強もできたし、仕事かて、誰にも負けん頑張り屋やったわ。うん、うん」
 祖父の脳裏に刻まれた息子の姿は、世界一輝いていたのだ。
 働き者の祖父は、農作業や山仕事に必ず孫を手伝わせた。兄とわたしは、手取り足取りで百姓仕事を教え込まれた。
「伯父さんは泣き言ひとつ言わなんだぞ」
 まだ子供の兄とわたしが仕事を怠けると、祖父は伯父を持ち出しての小言だ。野外で遊ぶのが好きな兄と違い、家の中で読書や絵をかいたりする方だったわたしは、やはり百姓仕事がうまくできずに失敗した。野山で弁当を開いたとき、祖父はわたしが大好きな卵焼きを余分にくれた。空を見上げると、穏やかな口調で語った祖父の姿が、記憶に鮮やかだ。
「お前は、いつか伯父さんみたいになりよる。失敗したかて諦めたらあかん。あいつもそうやって大きくなりよったんや。……逝ってしまいよったが、ちゃんとお前に引き継いでくれとる。ほんまに、伯父さんと瓜二つや」
 祖父は亡くなるまで、わたしにかなり厳しかった。半面わが子を見守る優しさが、見守る祖父の笑顔に込もっていたのを思い出す。
 祖父の戒名が刻まれた位牌を前にすると、矍鑠然とした祖父の姿を思い出す。いま手を合わせ、ようやく心の底を打ち明けられる。
(伯父さんを超えたで。いまやったら、俺に文句言うことないやろ。なあ褒めてくれよ)
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父親冥利?

2019年06月09日 01時25分20秒 | Weblog
「父親のあとを継ぐ息子で。いいよな」
 思わず呟いてしまった。ニュース画面の伝統木工品を作る親子の作業風景に、ついジェラシーを覚えたのである。
「継がせられる程御大層な仕事やってた?」
 妻の皮肉。口惜しいが反論できない
思い返せば、本屋の店員、コック、喫茶店でバーテンにマネージャーを経て独立、喫茶店オーナーになったが十年で閉店。あとは木工会社、2×4工法の大工見習。
その後、調理の世界に戻り弁当製造工場で定年を迎えた。最後はスーパーのパートと変化に富むが、とても自慢できたものじゃない
 こんなザマで「親のあとを継げ」とは、口あんぐりな反応を受けて当然なのだ。
「でもさあ。うちの子供ら、ちゃんと親と同じ道を歩んでるよ。幸せに思わなきゃ」
 そうだった。息子は居酒屋の店長、父親の調理師とは異なるが、同じ外食産業の一員なのは間違いない。そう解釈を成り立たせた。
「何やかや言っても、子供って親の生きざま見せつけられて育ってるんだからね」
 悟りきった口調の妻。そりゃそうだよな。長女は介護福祉士、次女は保育士で、保育士をしながらボランティアにもいそしんだ母親のあとを、しっかりと継いでいるのだから
妻のどや顔も不思議ではない。
「大局的に考えれば、父親の仕事をなぞってくれてるんだ。やっぱり俺の息子なんだな」
 自分を納得させても、複雑な心境のままだ
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おかあちゃん、そして

2019年06月08日 01時04分34秒 | Weblog
可愛げのない子供だった。人見知りが激しく、家族にすら他人行儀に構えてしまう変な性格だから、そう見られてしまった。

 小学校に入っても全く変わらず、友達はできず、いつもひとりぼっち、朝起きると、学校へ行くのがいやでいやで堪らなかった。「おなか痛い」「頭が痛い」しょっちゅう仮病を使って休んだ。「ずる休みしょったら、ええ大人になれんぞ」と最初こそ宥めすかした両親も、何度も繰り返される息子の仮病に、何も言わなくなった。当時は日本全体が貧しく、暮らしに追いまくられて、子供にいちいち構っている余裕はなかったのだ。

 その日も朝早く田圃仕事に出かける父と母。布団にもぐっていると、母の声がかかった。

「おむすび握っといたから、腹減ったら食うときや。なんもせんでええさかい、ちゃんと食べるんやで」

 いつも思いやりが込められた母の声。それでも甘えることのできない子供に、母性愛がなす優しさは届かない。布団をかぶったまま、人の気配がなくなるのを、ひたすら待った。

「ほんまに、お前は母ちゃんの子じゃけ、しゃーないわのう。母ちゃんそっくりなん、嬉しいけんど、お前が困りよるなあ」

 その日、母はかなりお喋りだった。『母ちゃんの子じゃけ』の言葉を聞いて、布団の中で固まった。耳に意識が自然と集中した。

「母ちゃんの悪いとこ、似てくれんでよかったわ。そいでも、母ちゃん悪い思うとるんじゃ。もっとえらい母ちゃんやったらよかったんに、ごめんな、勘弁したってや。そいでも、お前はやっぱり母ちゃんの子じゃけ、他人様に負けへんわ。大きゅうなったら、分かるやろけど、母ちゃん負けん気だけは強いねんで」

 饒舌な母を見たのは、この時が最初で最後である。元来無口で人付き合いに不器用な女性なのだ。間違いなく、私の母親だった。

 九十三歳で亡くなった母。病院のベッドでゼーゼーと断末魔を迎えようとする姿を見守りながら、二人きりで一夜過ごした。母は私が息子だと分かっていた。カァーっと見開いた目を逸らせなかった。睨めっこをしていると、いきなり母の声が脳裏に木霊した。『母さんの子じゃけ』懐かしい響きが蘇る。

 あの日がスタート台だった。成長の浮き沈みを『母さんの子じゃけ』で乗り切ってきた。性格は一向に変わらなかったが、母から受け継いでいるのだと、胸を張る日々を送った。結局、母の負けん気と逞しさが、今の私を導いた。人生を無難に乗り越えられたのは、母のおかげだと信じている。

「おれ、母さんの子じゃけ。心配せんでええ」

 死を目前にする母に訴えかけた。すると、母が頷いた。幻想だったのかもしれないが、その刹那、悲しみがドーッと襲った。

「アホ!母さんの子じゃろ。人前で涙見せたらあかん。他人さんに弱音見せたらあかんで」

 勝気な母の小言が、耳に飛び込む……!

 深夜寿命が尽きた母の手を、さすり続けた。


追伸
いよいよらくがき大会が迫ってきました。
私が担当するイベントです。
みなさんも時間があれば、
ちょっと覗いてみてください。
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おじいちゃん?

2019年06月07日 02時27分30秒 | Weblog
すっかり忘れていた胸躍る瞬間!
観客のちびっこは
紙芝居をじーっと見つめる。
ひ孫である。
紙芝居に自然と力がこもった。
 大型スーパーのイベント広場を借りて
土日四回公演。
協力願ったボランティアメンバーは
高齢者が中心。
昔取った杵柄はあるものの、
よくもまあ
やってのけた紙芝居公演である。
 演劇をやっていたのは三十年前、
杵柄もへったくれもあったものじゃない。
素人も同じだから、
案外怖いもの知らずでやれたのだ。
紙芝居の練習は勿論、
出演者やスタッフの参加交渉に
会場のイベント担当者との折衝など、
ぶっつけ勝負が続き、
息は抜けなかった。
 ちびっこ相手に程ほどは失礼だ。
舞台プランに
ひとりコツコツと取り組み、
昔話の主役を
絵姿に何枚も仕上げた。
おおきなカブは新聞を丸めて完成!
本番は万全の用意で迎えた
 ラストは絵本『おおきなかぶ』で
会場のちびっこたちを巻き込み、
「うんとこしょ、どっこいしょ」と
沸きに沸いた。
成功である。
「おじいちゃん、
面白かったって言ってるよ」
 片付けにかかった私に
声をかけたのは娘。
くっついている孫の真剣な目に驚いた。
笑顔で応じたが、
孫の表情は固まったままだった。
「今日のおじいちゃんは
シラナイお爺ちゃんだから」
娘が教えたと後で聞き、
納得した。
「公演ではちびっこみんなのおじいちゃん。
明日はきみだけのおじいちゃんになるからな」
 帰る娘と孫の背中へ、
思いを届けた。
 紙老後の生きがいに紙芝居。
予感を覚えた。
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アセアセ

2019年06月06日 00時39分48秒 | Weblog
6月の落書き大会に続き、
7月は文芸祭と続きます。
70台になって、
かなり焦っている
あとどれくらい、
頭がしっかり働いていてくれるか
考えれば考える程、
目の前真っ暗って感じになります。
ともかく、7月は文芸債。
よろしくお願いします。
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雨あめフレふれ

2019年06月05日 01時33分31秒 | Weblog
「慈雨」は、私の中では死語だった。
 初めて米作りに励んだ年は空梅雨で、夏になっても雨は降らなかった。前年に町暮らしからUターンしたばかりで、高齢の父から手ほどきを受けて、田植えまでは順調だった。
(米作りって簡単じゃないか)
 変な自信を持ったころから、リズムは狂い始めた。除草や肥料、農薬などの散布などは、思い通りに進んだが、自然はへそ曲がりだった。雨が降らない。田植えからしばらくはため池の水で賄われたが、徐々に取水制限となり、どうしようもない事態を迎えてしまった。
 カンカン照りが続き、田んぼはひび割れた。毎日稲の生育を見回るが、枯れる寸前に思えた。その惨状にため息をつくばかりだった。
 もう駄目だと覚悟を決めたとき、台風が日本に上陸した。雨台風だった。豪雨でかなり被害が出た。しかし田んぼの稲が生き返るのを目の当たりにして、思わず目が潤んだ。
「慈雨」は、自然の恵みだったと感謝した。
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娘の料理人

2019年06月04日 01時30分13秒 | Weblog
 この春から働き出した新米保育士である、生真面目な性格の娘、慣れない仕事を懸命に取り組み、疲れとストレスを溜め込んだのだろう、めっきり食欲を失くしてしまった。
「大丈夫かな?」「あなたの子供でしょ、信じなさい」おろおろする私は妻に一喝された。「父親のできることをしてやればいいの」
 引退した仕事は調理師。毎日の食事作りしか、私にできることはない。ネットで若い女性が好むレシピを引っ張り出し、娘のための料理を作った。食欲のわかない娘が食事を残しても、懲りないで次のレシピに取り組んだ。
「お父さんの玉子焼き、おいしい」
 ある日、ポツンとつぶやく娘の顔を見直した。久しぶりに見る笑顔に、ウルウルした。
「今日の夕食、何がいい?」
 出勤前の娘に問いかけるのが日課となった。
「なんでもいいよ」とお決まりの返事。
 その声に張りと快活さが復活するようにと、ひたすら腕を振るう父親だった。
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