「時代が違うから」
当然のように言い放つ娘。
連れてきた運命の相手を紹介する場だった。
昔気質の父親です、そう簡単に認められないのは仕方ありません。ネットのゲームを通じた出会いなのも、私の理解を超えていた。
「お父さんの考えは、もう古いの」
言い返せないのは、相手が目に入れても痛くない末娘だからだ。
「お父さん」
妻がひょいと袖をひき、話を引き継いだ。
「あなたたちの思いは分かったけど、もう少し時間をくれない」
妻に諭されて娘は頷いた。
「いい人そうよ、彼。本人たちがいいなら
妻に説得されても納得はいかない。高齢者の仲間入り以来、頭が固くなっているのは自分でも理解している。それでも結婚となれば話は違う。慎重になって然るべきだろう。
「あなたの娘は、もう立派な大人なんだから。いつまでもお父さんっ子じゃないの」
「ああ」
返事は反射的に返す。ただ納得には程遠い。
妻の言う通り、末娘は「お父さん子」といっていい。赤ちゃんの頃から、娘の子育ては父親主導だった。。
当時は共稼ぎ。そしてすれ違い夫婦だった。深夜専属で働くわたしは、普通の時間帯に勤務の妻と交代して子育てを引き受けた。
夜勤明けで眠いのを我慢、娘のために踏ん張った日々。授乳やオシメ替えもも苦にはならなかった。愛すべき娘を育てる喜びを感じさえした。家の中ばかりでは退屈だろうと、近辺の公演を渡り歩いて遊ばせた。
どこにいても娘から目を離すことはなかった。川遊びや虫好きに付きあい、自然の中を遊び回る。娘の笑顔を絶やさぬために夢中だった。母親より私になついた時期さえある。父親冥利に酔い、幸福感に浸った。
中学の頃まではお父さん子でいてくれた娘も、父親離れの時期を迎えた。
そして、ついに「時代が違う」と突き放されるまでになった。
娘の結婚を素直に喜べないのは、そんな増え合いの自家がったからに他ならない。わたしに変わり、妻が奔走して娘の結婚は形を成していった。
いつまでも難しい顔の父親に、娘は言葉すらかけなくなった。寂しさや虚しさは募ったが(勝手にしろ!)と開き直った 。
「形式ばった結婚式はしたくないし、新婚旅行もやめる。お金は新婚生活に使いたいから」
結婚前の挨拶に来た娘と相手は、そう主張した。(新婚旅行も祝いの席も、ケジメの意味を持つ。盛大に祝って貰うから結婚の意味の重さが分かるのだ。そう信じるようになったわたしも、結婚式と新婚旅行は無駄だと思い、パスする気だったのを思い出す。あれは若かったせいだろうか。だとすれば、娘らの言い分も当然といえば当然だ。
しかし、忠告すべきことはするべきだ。
「これはケジメだ。親兄弟や祝福を望むみんなに祝われる場を設けないとアカン。二人の旅立ちのためにも」
「それはお父さんの言う通りやわ。私らもケジメなんか古い考えやて思ってた。でも祝って貰ったというケジメを経たから、半世紀近く夫婦でいられたと思うの。だからあなたらにもそうしてほしい。そうよね、お父さん」
匙を投げられたわたしは、慌てて頷いた。
結局隠れ家的なステーキ屋を借り切った「結婚お披露目会」を妻が計画、実現した。
もやもやとした複雑な思いを抱えて、その日を迎えたのは、わたしも娘も同じだった。
「おめでとう!お二人さん、長くお幸せに」
近親が集う中で祝われた娘は、なんと涙目に。喜びでクシャクシャの、涙が溢れる笑顔!
そして私もボロボロ涙を流していた。
「幸せになれよ。おめでとう!」
涙の祝福に、娘はお父さん子に戻っていた。