自宅2階に上がると、
書籍本が並ぶ部屋が三つ。
巣立った子供らの部屋だったのを、
登録している「まちライブラリー」のために開放している。
開設当初から比べると、
社会で印刷の書籍雑誌の淘汰が進んでいる。
電子書籍の勢いは止められない。
それでも、活字本の魅力を発信続けたい。
そんな気負いも、
ひっそりしたライブラリールームの中に入れば、
自然体になれる。
わたしに本は人生の伴侶でもあるからだ。(ウン)
当時をなぞった原稿を再読してみると、
もはや伝説に近くなっている現実に、
否応なく向き合うことになる。。
ああ~!本の運命や、いかに!(苦笑)
「あの日あの時より」
本と二人三脚で歩んできたといっても過言ではない人生。今も本は手放せない宝物である。その始まりはすぐ思い浮かぶ。
「大人の本を読んで面白い?」「うん」
母を呆れさせた子供は、親が購読していた雑誌を離さなかった。物心ついた時に、手近にあった雑誌に興味を持ったのが始まりだった。当時の田舎で子供の本を買う家は皆無に近かった。もちろん、大人もわざわざ本を買ったりしないが、農家に配達してくれる「家の光」という雑誌は特別だった。
就学前なのに、大人の雑誌に夢中な子供。実は人見知りが激しくて遊ぶ友達などいなかったせいかもしれない。漢字どころかひらがなもよく分かっていなかったのに、雑誌を開くと不思議にのめり込んだ。感で読んでいたに違いない。それでも「家の光」は着実に活字好きにさせてくれた。
小学校に入っても、内向的な性格はさらに酷くなった。家族の前でも緊張して声が出せなくなるほどの重傷で、同級生や先生と増え合った思い出は皆無に近い。休み時間などは机にうっ伏したまま過ごすことが多かった。
トイレに立った時だった。廊下の途中で引き戸が開いたままになっている部屋があった。これまで空いているときに通りかかったことはなかった。プレートに『図書室』とあった。
「?」
ちらっと除いた先にあったのはズラリと並んだ本だった。思わず覗き込んでいた。並んだ書架に詰まった本に驚いた。家の光じゃない背表紙の着いた本ばかりだった。ふらふらと図書室へ吸い込まれていた。入ったすぐのところの書架の本の背表紙が『十五少年漂流記』思わず手を伸ばしていた。少年と漂流の文字がすごく身近に感じられた。
何人かの子供たちが読んでいる机の橋に座ってページを開いた。すぐにお話の魅力のとりこになっていた。
以来図書室は私の居場所になった。「Sはどこにいるんや?」と先生に聞かれた友達が反射的に「図書室」と答えるほど本の虫になった。図書室は、本は私を無視したり邪魔者扱いしなかった。それどころか新しい世界へ次々と案内してくれた。
中学高校と進んでも心地よい居場所は図書室だった。たぶん日本文学と世界文学の代表的なものは読破しきったと思う。その影響かあまりよくない成績の中で国語はずば抜けていた。相乗効果で本が一層好きになった。
社会に出て就職したのは書店。少しでも本に囲まれた職場を望んだからだった。ただし給料の半分近くを書籍購入に費やすほどで、仕事かどうだったのか今でもわからない。五年務めた後、別の仕事に代わって、なんとか普通の収入を得るようになった。といっても本の購入はやめられなかった。
定年退職してできた自由な時間。ふと気付いたのは物置で無造作に積まれた本の山。引っ張り出したのは三島由紀夫の天人五衰だった。豊饒の海四部作の最後の巻で、作者の絶筆となった作品、自決事件の日、書店は本の発注にてんてこ舞いした。売れるとわかる本を確保するのは大変な仕事だった。なんとか平積みできる冊数が納品されたとき、迷わず買い求めた一冊だった。思い入れもあり時間を忘れて読みふけった。そして気づいた。こんなすごい本を所蔵している自分に。名立たる大作家の本の山積みが目の前にあった。もう一度読み直してみよう!そしてみんなに読んでもらおう、昭和の名著をと思いを巡らせた。
市が進めていたまちライブラリー事業に参加を決め、山に囲まれたど田舎の自宅に、書店勤めの折に買い溜めた本千五百冊余りを所蔵の施設ミニ図書館を開設した。子供が巣立った子供部屋に手作りの書架を並べ、本を並べた。昭和の輝きを放つ本が生き返った瞬間だった。
週に数人訪れてくれるど田舎のまちライブラリーは四年目に突入した。その間読み直した本はの魅力は一つとして褪せていなかった。
本の魅力を母校である小学校の図書室への寄贈も始めたし、絵本や紙芝居を地域の子供たちに楽しんでもらうためにイベントも企画している。
最近、本と私の密接な絆に思いをはせることが多くなった。人生の締めくくりが近づいた証拠なのかも知れないが、素直に感慨を深めている。
独りぼっちの子供を救ってくれた本。青年期から想念に至るまでに味わった挫折と絶望を救ってくれた本。妻との出会いも、そして四人の子供を育て上げ巣立たせるのにも力を貸してくれた本。老いをかみしめる今を、寂しさむなしさを癒してくれる本。いくら思い直してみても、私は本と人三脚で人生を突っ走ってきたのである。
五木寛之の青春の門を読みだした。青春回帰の時間、また本と丁々発止と行こう。
6月の「畑ライブラリー」プログラムの修正版もご覧ください。
書籍本が並ぶ部屋が三つ。
巣立った子供らの部屋だったのを、
登録している「まちライブラリー」のために開放している。
開設当初から比べると、
社会で印刷の書籍雑誌の淘汰が進んでいる。
電子書籍の勢いは止められない。
それでも、活字本の魅力を発信続けたい。
そんな気負いも、
ひっそりしたライブラリールームの中に入れば、
自然体になれる。
わたしに本は人生の伴侶でもあるからだ。(ウン)
当時をなぞった原稿を再読してみると、
もはや伝説に近くなっている現実に、
否応なく向き合うことになる。。
ああ~!本の運命や、いかに!(苦笑)
「あの日あの時より」
本と二人三脚で歩んできたといっても過言ではない人生。今も本は手放せない宝物である。その始まりはすぐ思い浮かぶ。
「大人の本を読んで面白い?」「うん」
母を呆れさせた子供は、親が購読していた雑誌を離さなかった。物心ついた時に、手近にあった雑誌に興味を持ったのが始まりだった。当時の田舎で子供の本を買う家は皆無に近かった。もちろん、大人もわざわざ本を買ったりしないが、農家に配達してくれる「家の光」という雑誌は特別だった。
就学前なのに、大人の雑誌に夢中な子供。実は人見知りが激しくて遊ぶ友達などいなかったせいかもしれない。漢字どころかひらがなもよく分かっていなかったのに、雑誌を開くと不思議にのめり込んだ。感で読んでいたに違いない。それでも「家の光」は着実に活字好きにさせてくれた。
小学校に入っても、内向的な性格はさらに酷くなった。家族の前でも緊張して声が出せなくなるほどの重傷で、同級生や先生と増え合った思い出は皆無に近い。休み時間などは机にうっ伏したまま過ごすことが多かった。
トイレに立った時だった。廊下の途中で引き戸が開いたままになっている部屋があった。これまで空いているときに通りかかったことはなかった。プレートに『図書室』とあった。
「?」
ちらっと除いた先にあったのはズラリと並んだ本だった。思わず覗き込んでいた。並んだ書架に詰まった本に驚いた。家の光じゃない背表紙の着いた本ばかりだった。ふらふらと図書室へ吸い込まれていた。入ったすぐのところの書架の本の背表紙が『十五少年漂流記』思わず手を伸ばしていた。少年と漂流の文字がすごく身近に感じられた。
何人かの子供たちが読んでいる机の橋に座ってページを開いた。すぐにお話の魅力のとりこになっていた。
以来図書室は私の居場所になった。「Sはどこにいるんや?」と先生に聞かれた友達が反射的に「図書室」と答えるほど本の虫になった。図書室は、本は私を無視したり邪魔者扱いしなかった。それどころか新しい世界へ次々と案内してくれた。
中学高校と進んでも心地よい居場所は図書室だった。たぶん日本文学と世界文学の代表的なものは読破しきったと思う。その影響かあまりよくない成績の中で国語はずば抜けていた。相乗効果で本が一層好きになった。
社会に出て就職したのは書店。少しでも本に囲まれた職場を望んだからだった。ただし給料の半分近くを書籍購入に費やすほどで、仕事かどうだったのか今でもわからない。五年務めた後、別の仕事に代わって、なんとか普通の収入を得るようになった。といっても本の購入はやめられなかった。
定年退職してできた自由な時間。ふと気付いたのは物置で無造作に積まれた本の山。引っ張り出したのは三島由紀夫の天人五衰だった。豊饒の海四部作の最後の巻で、作者の絶筆となった作品、自決事件の日、書店は本の発注にてんてこ舞いした。売れるとわかる本を確保するのは大変な仕事だった。なんとか平積みできる冊数が納品されたとき、迷わず買い求めた一冊だった。思い入れもあり時間を忘れて読みふけった。そして気づいた。こんなすごい本を所蔵している自分に。名立たる大作家の本の山積みが目の前にあった。もう一度読み直してみよう!そしてみんなに読んでもらおう、昭和の名著をと思いを巡らせた。
市が進めていたまちライブラリー事業に参加を決め、山に囲まれたど田舎の自宅に、書店勤めの折に買い溜めた本千五百冊余りを所蔵の施設ミニ図書館を開設した。子供が巣立った子供部屋に手作りの書架を並べ、本を並べた。昭和の輝きを放つ本が生き返った瞬間だった。
週に数人訪れてくれるど田舎のまちライブラリーは四年目に突入した。その間読み直した本はの魅力は一つとして褪せていなかった。
本の魅力を母校である小学校の図書室への寄贈も始めたし、絵本や紙芝居を地域の子供たちに楽しんでもらうためにイベントも企画している。
最近、本と私の密接な絆に思いをはせることが多くなった。人生の締めくくりが近づいた証拠なのかも知れないが、素直に感慨を深めている。
独りぼっちの子供を救ってくれた本。青年期から想念に至るまでに味わった挫折と絶望を救ってくれた本。妻との出会いも、そして四人の子供を育て上げ巣立たせるのにも力を貸してくれた本。老いをかみしめる今を、寂しさむなしさを癒してくれる本。いくら思い直してみても、私は本と人三脚で人生を突っ走ってきたのである。
五木寛之の青春の門を読みだした。青春回帰の時間、また本と丁々発止と行こう。
6月の「畑ライブラリー」プログラムの修正版もご覧ください。
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