伸び盛りの吾亦紅の新芽に止まって脱皮を済ませた虫がいた。
白い脱殻に掴まった瑞々しい幼虫である。
容姿から察するにウマオイだろうと、かってに決めた。
セミやトンボの羽化を観察すと、足の先の繊細な突起物が脱皮の妨げにならずするりと抜けることに驚いた。
ウマオイの長く細いひげ、複雑な関節で組み立てられた後ろ足が、ファスナーも使わずに脱ぎ捨てられることが不思議だ。
この虫たちに比較したら、蛇の脱皮は楽だろうと思った。
伸び盛りの吾亦紅の新芽に止まって脱皮を済ませた虫がいた。
白い脱殻に掴まった瑞々しい幼虫である。
容姿から察するにウマオイだろうと、かってに決めた。
セミやトンボの羽化を観察すと、足の先の繊細な突起物が脱皮の妨げにならずするりと抜けることに驚いた。
ウマオイの長く細いひげ、複雑な関節で組み立てられた後ろ足が、ファスナーも使わずに脱ぎ捨てられることが不思議だ。
この虫たちに比較したら、蛇の脱皮は楽だろうと思った。
水辺の花
青梅に塩を付けてかじることを思えば、多少青みが残る杏でも美味しく食べられた。
やっぱりこの時期果物の王は桑の実(くわずみ)である。 実りの適期に当たれば、たわわに実った黒い瑞々しい、甘さと仄かな酸味が調和した自然の贈り物を独り占めできた。 桑の実を手のひらに盛り上げて一気に頬張る時 気分は王侯である。 南国の果物をいろいろ食べたけれど「くわずみ」を越える果物にはまだあえない。
県の森公園
旧制松本高等学校は大正8年全国9番目の高等学校として松本市に誕生した。
戦後の学制改革で信州大学文理学部に移行し市内北部旭町キャンバスに移転し、跡地は県の森として親しまれている。
私も子供の頃、高下駄をはいてマントを翻し学帽をかぶった学生さんを見た覚えがある。
優秀な学生が全国から集まり意気盛んな健児たちが松本に新風を吹き込んだらしい。
「我等の青春ここにありき」の碑文がまぶしい。
睡蓮が咲いてバンビが走りまわるが
ブドウ園の中に迷い込んだ小鹿をみつけた園主が、小鹿をなんとか外に追い返そうとするのだけれど、錯乱状態の小鹿は出入り口を無視して必死に駆け回る。
園主が慣れないことに疲れ果てて座り込むと、小鹿も行儀よく座ってこちらを窺っていたらしい。
母鹿の心配そうな鳴き声がすると小鹿は迷うことなくぶどう園の出口に向かい、一目散に林の中に駆け込んでいった。
鹿は今や害獣である、小鹿を逃がしたことを非難する人がいる、やがて実りの秋を待たず、10倍の鹿が園に入り込み葡萄を食い荒らすに違いないというのが理由である。
そのことに反論はできないし、私も小さな害虫は見つけ次第ひねりつぶしている。
しかし小鹿を母鹿のもとに見送った園主に喝采を送りたい。
地震津波原発暴走と悪夢は続く バンビ跳躍する我が故郷はうるわし
沙羅の花が 梅収穫期を知らせる。
朝涼しいうちに青梅の収穫に出かけた。
2月の寒風の中で、梅の枝はうまく整枝されているから脚立を使わずに、大地に足を踏ん張って収穫できる。
豊作で粒は小ぶりだけれどしっかりしている。
20キロほどを30分掛けて取り込んだ。
わたしの仕事は家に持ち帰って、水洗いし水に漬けるところまでである。
梅酒を作ったり、焼酎漬け、紫蘇で色付けした赤梅等、たべると美味しいけれど、手間がかかるからどこの家庭でも最近は敬遠気味らしい。
そうそう梅の芯抜きも男の手伝う仕事である。
東日本大震災復興支援「宮澤賢治の世界をうたう」を旧制松本高校の講堂で聞いた。
昨日の震度5強の翌日である、このめぐりあわせも偶然ではないかもしれない。
この古い木造の講堂はびくともしなかった。
「今日も余震があるかもしれません、でも昨日ぐらいの揺れなら心配いりません、皆さんどうか安心して下さい」
と主催者の田中先生が冒頭に云った。
想い入れ深い詩と童話の朗読に魅了された。
「永訣の朝」は聞くたびに新しい悲しみがわいてくる。
けふのうちに
とほくにいってしまふわたしのいもうとよ
みぞれがふっておもてはへんにあかるいのだ
(あめゆじゆとてちてけんじゃ)
うすあかくいっそう陰惨な雲から
みぞれはびちょびちょふってくる
(あめゆじゆとてちてけんじゃ)