自然となかよしおじさんの “ごった煮記”

風を聴き 水に触れ 土を匂う

欠けた桜守の思考

2017-04-19 | 随想

ソメイヨシノは樹齢が長くても100年程度といわれています。サクラのなかでもソメイヨシノは代表的な種で,春を彩る花として人々にこころより愛されています。

田舎で山に入ると,ヤマザクラの木にあちこちで出合うことができます。山を遠くから見ると,春,ヤマザクラがぽっ,ぽっと木々の間で淡いピンクの花を付けているのがわかります。芽吹いたばかりの他の木に交じって咲くこの花には,ソメイヨシノに負けぬ風情が感じられます。

ヤマザクラは野生の樹木なので,いたってたくましい生き方をしています。木々との激しい戦いを,人手なしにやっていかなくてはなりません。そしてやって来た結果として,今,種を維持し続けているのです。病気にも害虫にも強い! この点,ソメイヨシノは完全に負けています。人が手を入れなければ衰弱の一途を辿るでしょう。そこから桜守の発想が生まれます。

堤防にサクラ回廊をつくるとかで,ソメイヨシノが並木風に植えられたところは限りなくあります。それを見ていると,ふと気になるところがありました。世話が行き届かないのでしょう,幹が枯れてしまって,枯れた部分だけが歯抜け状態になっているところがあるのです。

とても気になるので,一度,その場所を見てみました。下写真のところでは,完全になくなっています。あとを補植する気配は感じられません。驚いたことに,幹やら枝やらがごっそり伐られていました。堤防の外側は水田・用水路があり,その方はすべてがばっさりと伐られていたのです。これでは迷惑な木同然です。わたしには無残な姿に思われました。


サクラは若木なら枝を伐っても大丈夫だといわれていますが,老木になると伐ってはダメというのが常識です。そこから病原菌が侵入して腐り始めるのは目に見えています。たとえ伐っても防腐処理をしなくてはなりません。ことわざ「サクラ切るバカ,ウメ切らぬバカ」はここから出ています。


問題の場所からほんのすこし離れたところに,これとよく似た場所がありました。ところが,様相はまるで違っているのです。おもしろいほど異なっているので,写真でご紹介しましょう。


サクラが枯れた箇所にはすべて補植がなされていました。それも何回かに亘って行われている様子が窺われました。その証拠に,植えられた木の樹齢が異なっています。若木の場合は根元に新しい真砂土が入れられているので,それとわかります。この木はたぶん昨年植えられたものでしょう。


さらに,サクラの枝は伸びるがままにされています。先に書いた例と同じように,水田・用水路がありますが,枝が上にのしかかってこようとちっとも気にしないといったふうなのです。

さて,サクラを守り育てる姿勢を両者比べていかがでしょうか。軍配は当たり前ながら後者に上がるはず。後者には,枯れたところに補植することで,100年寿命をうまく受けとめて愛でるサクラが途切れないように慮る思想があります。まさに桜守の発想です。

思想というと小難しい感じですが,そうした理念が欠けていると植えっぱなし,枯れっぱなしでそのまま,なんてことになります。前者の例では,サクラは邪魔者のようにさえ見えます。愚かな実態です。

身近な樹木と接し,世話をするには,見通しをもたなくてはなりません。次代に自然環境を引き継ごうとする意志表明がなく,楽をしているだけでは自然は応えてくれません。

 


接写,モンシロチョウ

2017-04-19 | 昆虫

夕刻,畑のダイコンの葉にモンシロチョウがいるのを発見。ねぐらにする様子です。さっそく,コンデジで画像記録を開始。

 
体温がすっかり低下したらしく,わたしの動きにはまったく反応しません。「よし,これなら超接写をしよう」と思い,やってみること。

個眼と,毛で覆われた頭部辺りがじつによくわかります。

 

 
毛や突起状のヒレがなんとも印象的です。これらがからだを守っていることに感動。これなら水滴の一粒も通さないでしょう。

 

 
斜め前方からとらえました。

 

 
眼だけが露出しているって感じです。あとは毛ばかり。

 

 
真正面から見ると……。この複眼で全方位の様子を,彼なりのとらえ方で感じているのです。ではいったいどんなふうに見えているのかなあ。

 

 
超接写をとおして,見慣れたモンシロチョウの,意外な姿が伝わってくるのではないでしょうか。