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22日の南方仮設団地での「民のうたコンサート」開演一時間30分前のことでした。
私とデザート・ムーンさんと会場近くのラーメン屋さんでの事、、...相席了解の昼食でした。
相席の方と顔を見合わせ....5年ぶりの巡り会いにびっくりでした。
震災時の話は自然に出てくる...南三陸の住むもののあいさつ代わりです。
彼の話を聞けば ”運、悲運の分かれ目は、.ほんの一瞬”のこと。
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自宅裏山の高台は津波避難場所でした、未曽有の津波は彼を3キロほど先の島まで押し流したのです。
荒れ狂う瓦礫に縋りながらの意識朦朧のなか一隻の小舟を見つけ乗り移りその夜は雪降りつむとなりました。

翌日偶然にも...沖合で一晩津波避難していた小型船に発見されました。
低体温状態で生死を彷徨った彼は、戸倉水戸辺浜のの人々の手厚い介護で命が蘇ったと、
しっかりとした口調で私たちに語りかけてくれました...コンサート開演40分前のことでした。
彼の家は下の写真,海岸に向かう中央の道路左手の黄色いボール(浮き球)が重なっている付近です。
一枚目と二枚目の写真は彼の自宅向かいの道路沿いで、
防潮水門の向こう側....”海と空の青さを”意識しながら撮った数年前だと思います、
とにかく彼の津波経験の思いと、写真を撮った私の思いとは相反するものですが、
水戸辺の浜に活気が戻る思いは同じです。
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南三陸 戸倉 水戸辺