震災4年目もあと...二か月となりました。
信じられないほどの時の速さに....嘆きだけが残ります。(注:希望は確りと抱いています)
きょうの写真は震災数か月後 ”中国料理ときわ” 玄関前から撮りました。
正面のコンクリート(長方形)のたたきがカウンターでその中央の”止まり木”が私の指定席でした。
震災前夜も”マスター博昭さん”とカウンター越し、まあ..ビール飲みながら、とりとめのない..いつもの会話。
自分としては一日の締めくくり...ホッとする日常の ”ときわ”でもありました。
旅館業”常盤”の娘さんと結婚して志津川に入り、それ以来...30年ほどの博昭さんとの付き合いになります。
東京の一流中国料理店等で修業し,磨きかかったその腕を志津川(南三陸町)に持ち込みました。
当時、志津川には中華料理を理解できる方が少なく...
とにかく彼の努力が功を奏しました....定期的に”中華料理を食べる会”の開催、時には”若手落語家の公演”とか
また目の前の八幡川に遡上する”サケ”を題材に”サケシュウマイ”の創作、
...これにはマスコミ(新聞・TV・雑誌)の取材攻勢でした。
博昭さんは震災前まで南三陸の飲食店組合の組合長を務め...今では全国的に有名になった”キラキラ丼・春告げ丼”等を
生み出した先駆者です。...私もカウンターでビール飲みながら少しは....意見も出したのかなぁ(^^)
津波で流された博昭さんです。
私として思うこと...いっぱいあります。
自分としては、今住んでる仮設を出て、落ち着きをとり戻したときに、確りと、じっくりと思いを改めようと思っています。
(私の自宅は写真右端の軽トラックの見えるところです)