2011年4月⒛日午前9時55分の撮影です、あれから4年も前のこととなりました。
月日の経つのは早いものですネ、この頃は南三陸を離れ家族と一緒に大崎市鳴子温泉施設で避難生活を送っていました。当時は仮設住宅建設もままならず生活全般が不透明で不安な状況続きでした。
そんな中...震災前のお客さんから「バイクがパンクで困ってる、そんな人が大勢いるから早く来い」とのこと
この依頼には”ハッ!と我に返り” 居ても立っても居られない思いに駆られ、この頃は鳴子の施設から二時間ほどかけてのバイク修理の出張が続きました。下の写真はその出張修理へ向かう途中、南三陸大森の高台
町営住宅あった場所です。
津波の波を被りながらも見事に咲いた桜に感激したことが鮮烈に記憶に残っていますし当時町内で咲いた
サクラ(桜)はこの木だけと思っています。
この桜の木は震災の塩害にも屈せず毎年見事なサクラを咲かせてくれます。
そして満開のサクラには全ての日本人が感動と歓喜で酔いしれます。
咲き誇るサクラの生命力は私たちに、生きる力強さと散る勇気を与えてくれます。
南三陸 志津川大森(2014年4月撮影)