眼下にみえる橋なんですが、そのうちに取り壊しするそうです。
今では工事車両が行き来するだけの「港(みなと)橋」... 震災の憂き目をみた橋です。
電動自転車ってフットワークが軽く、南三陸の町を散策するのに”うってつけ”の乗り物です。
ともあれ下の写真は”港橋”の中ほどから「新・汐見橋」を見上げた様子です。
取り壊されるまえに...少しだけ思い出を辿ろうと、港橋に 佇んでみました。
3枚目(下)の写真は震災前の港橋です...↑電動自転車が止まってる所とほぼ同じ所からのアングル写真、
写真奥に見えるのが「汐見橋」で南三陸志津川の街の賑わいを支えた、かけがえの無い橋でした。
震災前の7月最終土曜日となると恒例の”志津川湾夏まつり”が開催され、行政区ごとの”山車”は華やかさの競い合いでした。
お祭りの”メーンイベント”は松原公園をスタートで”港橋”を通る約1000mのコースを山車パレードとトコヤッサイ(踊り)コンテストが
町中を盛り上げてくれました。
当然私たち八幡町行政区も毎年夏祭りに参加し厳しい練習の成果の発表の場でもありました。
八幡町「打ち囃子」と「獅子舞」は約100年ほど続く伝統芸能でのす。
この通りは松原公園まえのスタート付近です、下の写真は私が山車の上から撮影したものです。
獅子舞の”あやし”を演技する子供の草履が脱げたようです。その子供の様子を正面から撮ったのが7枚目、次の写真です。
上の写真と下の写真は同時に撮影した珍しい写真となりました。
松原公園前の沿道には多くの町民が集い、楽しんでる様子がうかがえます。
震災前、八幡町行政区の「山車・出陣」記念写真です。もう集うことのない最期の貴重写真です。。
せせらぎ会館は流され八幡町行政区の住民は”てんでんバラバラ””になり消息が分からない事ばかりです。
もちろん八幡町の街並みも行政区も”消滅しました。
そのうち取り壊される”港(みなと)橋”に佇み、正面の松原公園の沿道のあの賑わいを思い描き...二度と戻らないと ”つぶやいた橋上”
南三陸志津川(港橋から松原公園を左手に正面の建物は高野会館)1.2.10枚目の写真は 2018・7/15撮影