南三陸 海 山 川!

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「十三浜甚句」 Jazzピアノが織りなす宮城県民謡

2011-06-28 00:02:45 | 南三陸 海山川



実は3週間前私のもとに一通のメールが届きました。
封を開けてみると、丁寧な文章から始まりました。

「私は今まで日本の民謡と接する機会にも多く恵まれてきました。
そしてこの大震災後、自分にできることは何だろうと考えた時に、
被災地にゆかりのある民謡を私なりにピアノでハーモニーをつけることを是非ともしなくてはいけない、と強く感じました。」

東京を拠点に御活躍されている......Jazzピアニスト中村力哉様からのメールでした。


中村様は誰にも聴いてもらえるようにと、YouTubeにアップしました。
まずはJzzピアニスト中村力哉様の民謡アレンジ”十三浜甚句”をjご視聴ください。

  

  


十三浜甚句の歌詞です。

ソリャ 一つ歌うちゃ ハァ遠慮もするが
歌い始まりゃ オヤサ 幕ひかぬ

ソリャ なんと吹く風 ハァ昨日今日で二日
明日の入り船 オヤサ 気にかかる

ソリャ そばにも寄られぬ ハァバラ株さえも
さわりたいよな オヤサ 花が咲く

ソリャ 一つ歌います ハァ 十三浜甚句
地なし節なし オヤサ ところ節




  Photo_2
                                                     南三陸  北上町十三浜小室

[甚句とは]
  その地域に根差した人々の生き様と言い伝えと、
      
とにかく、震災で何んにも無くなった私たちの今...心一つさえあれば何んとかなるサ
 " ソリャ 一つ歌います
         ハァ 十三浜甚句 地なし節なし オヤサ ところ節"

土着に育み幾多の困難にめげず、築いた先人の歴史を仰ぎつつ、
”生きる道しるべ”として十三浜甚句に喜びを感じています。

これもJazzピアニスト中村力哉様の心からの配慮に感謝申し上げます。
そうそう肝心なこと^^
中村様の”十三浜甚句”制作にあたり写真を提供させていただきました。



























.
十三浜と戸倉(南三陸)

南三陸町戸倉と石巻市北上町十三浜とは隣同志、

昔この付近に戸倉村と十三浜村という二つの村がありました。この二つの村が村境をめぐって争っていたとき、
浜辺に巨大なクジラが打ち上げられました。両方の村ともこのクジラの所有権を争いましたが、
決着がつかず、翌日に持ち越すことになりました。ところがその晩、
岬のあたりから轟音が聞こえ驚いた村人は駆けつけてみると、岬の大岩が2つに割れていました。
両村の村人達は、「これぞ神の裁き」と思い、神の決めたこの場所を村境にし、争いも解決したそうです。


神様が裁いた岩、左側が戸倉(南三陸町) 右側が十三浜(北上町)。



Photo

                                                          南三陸 名勝 神割崎



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はじめて投稿させて頂きました。nyanです。 (nyanchan)
2011-06-28 23:23:17
はじめて投稿させて頂きました。nyanです。
私が15年前社会人になって初めて働いた所が南三陸町(当時は志津川町)の公立志津川病院でした。
初めて親元から離れて暮らし、働いた場所ということもあり、南三陸町には特別な思い入れがあります。町の皆さんにもとても親切にして頂きました。転勤で移動になったため、あまり長い間住んだわけではありませんが私にとっては第二の故郷です。
震災の翌日、テレビの画面で見た光景はとても信じがたいものでした。とてもつらくて、ショックで…。お世話になった皆さんはどうしているだろうと思うと毎日胸が潰れる思いでいました。
先日、一緒に働いていた方から「仮設に入った」と連絡を頂き、南三陸町に行ってきました。
私は仕事で行き詰ったり、何か嫌な事があると、度々南三陸町を訪れては初心を思い出し、「明日からもがんばるぞ!」と気力と活力を充電していました。そんな大切な場所があんなことになってしまうなんて…。先日は今までで一番重苦しい気持ちで南三陸町に向かいました。いつも通る道を懐かしみながら通り、心の中では「夢であってほしい」と願いながら町への道を進んでいくと、変わり果てた海や景色が見えました。目に入った瞬間、涙があふれて止まりませんでした。もう二度とあの美しい志津川、私の住んでいた大好きな町が見られないんだと思うと、とても苦しくて苦しくてたまりませんでした。
翌日から、パソコンで志津川の景色を探し始め、自分の住んでいた家の周辺や、歩いて見た風景を探していたところ、『南三陸 海 山 川!』に出会えたのでした。もう二度と見られないと思っていた風景を見られた時は、何にも代えがたいほど嬉しかったです。しかも私が住んでいた家から見えていた景色と同じ写真もありました。「ああ、またこの景色に会えた!」と思うと嬉しくて、嬉しくて、心が救われました。
しかし、なぜこんなに私が見ていた風景と同じなんだろう…?と思っていたら、なんと私が住んでいた家の隣の隣のお家の方がブログの主だったとは!!二重の驚きでした。同時に、この美しい志津川を写真に残していて下さった事、ブログで公開して下さっていた事に心から感謝しました。
私が住んでいた家は『常盤旅館』さんの隣のシャッターのある家です。当時は会社が借家として借りていて、一軒家に同じ会社の人と3人で暮らしていました。
これも何かのご縁だったのかな!?と勝手に思いつつ、またいつか志津川を訪れた際には写真を見せて頂きながら、志津川のお話でも聞かせて頂けたらいいなあと夢見ています。
私の地元も被災地となり、実家も被災し、第二の故郷も変わり果て、へこんでいましたが、このブログからたくさんの元気を頂きました。本当にありがとうございました。
余震が続き、まだ落ち着かない毎日ですが、お体に気をつけてください。
これからもブログの更新を楽しみにしています。
一日も早く復興し、前とは同じにはならないけれど、また美しい志津川に戻ることを心から願っています。

我が家のパソコンから投稿していながら、パソコンでのメールの見方や送り方を恥ずかしながら知らないので携帯のアドレスを書き込みました。

返信する
こんにちは! (りき哉)
2011-06-28 15:45:31
こんにちは!

なんとも不思議な、偶然なのか(しかしきっと必然だったのだと思いますが)ご縁の妙をつくづく思う出会いでしたね。
とても大きな何かが、その言葉の通り「巡り合わせ」て繋がったのだと感じています。

hiderinnさんとの、メールを通してのとても温かな言葉の交換(交感)は、私の宝物になりました。

最初に頂いたお返事の中の、「未曾有の津波災害の痛手は土着に育んだところから復興すると確信します」との、このささやかな試みを力強く応援してくだる言葉に、反対に私たちの方が勇気を頂いてしまいました。

その土地に育まれ受け継がれてきた「氏神」としての唄。
鎮魂と復興を祈る私たち皆一人一人の想いに、この音楽が少しでも寄り添うことができたなら幸いです。

私個人の紹介までしていただきまして恐縮です。
どうもありがとうございました。

十三浜と戸倉には、そういう神話があったのですね。

消えてしまったこの美しい風景が、一日も早く戻ってきますように。

これから暑い夏を迎えようとしています。
くれぐれもお身体を大切になさってください。
これからもブログの更新を楽しみにしています♪
私もそちらに伺える機会が早く得られるよう、願っています。
(そしたら、ジャズと写真とカメラと自転車の話で盛り上がりましょう^^)
返信する

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