震災3年目となりました。
巨大な地震が引き起こした未曾有の大津波。
人間の英知が結集した現実を、
いとも簡単に消滅させる自然の営みに......
あの時、店で仕事してた自分、特養”慈恵園”勤務の妻 たまたま休みだった、
高齢の父母がいたから咄嗟(とっさ)の行動ができたし素早く高台に逃げた私たちでした。
とにかく”運もあったし” ”自分たちの逃げる判断も正しかった”と思っています。
まあ...あの時は着の身着のまま何もかも失いましたが ”生きていてよかったとみんなで抱き合いました”
”抱き合い嬉しい表現って”映像の向こう側のことと思っていました。
でも表現の裏側では悲しいことが沢山でした。
今夜は私の親友の(私の自宅からふたつ隣り)
”中華料理ときわ”のマスター”博昭さんと奥さんの玲子さん”のことを偲びながら....心を寄せたい晩にします。
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