昭和35年5月24日、記憶ではAM5:00ちょっと前 わたしの家の前、八幡川の画像です。 【チリ地震津波】
私が最初に気づいたのは朝の四時頃、寝ている時、ザワザワと音がしたので、窓を開けてみると、八幡川から水が溢れてきていた。ランドセルを背負い、家族で避難し、まもなくサイレンが鳴りました。
八幡橋の上まで来た時、川底が見えてきた。誰ともなく 「大津波が来るゾ!」その叫びが今でも心に残っています。汐見橋の方向に何重にも重なった波が 壁の様に押し寄せてきたのを確認しながら、私は一目散に高台に逃げた。そして小学校の高台にたどり着いたと同時に、グランドにも水が押し寄せて来て危機一髪だったんです。
その時、母と妹がみんなと離れてしまい、どうしようと言う心配と、津波の恐ろしさで、小さいながら気が動転したのを覚えています。高台から、自分の家が見える。平和に暮らしていたのに!津波がだんだん押し寄せてきて、水に浸かっていくのを見ながら、子供ながらに 寂しいとか 虚しいとか 悲しいとか....当時の写真を見るのが今でも嫌です、涙が出てきます
......津波の犠牲者は41名でした。
日本の国は世界で一番幸せな国だと思います。過去には戦争という悲しい歴史がありましたが、 JOYFULさんのような、心優しい人が、たくさんいると幸せがずーっと続きます。
います。
45年前・・・戦後15年の時に大津波が来たのですね。
きっと、戦争も終わり、少しおちついた頃にこの津波
が志津川町を襲い、きっと当時を過ごした人が元の生活
に戻るのは、とてもとても大変なことだったのだろうと
思います。
今の日本はなんだかんだ言っても、すごく幸せな国だと
私は思います。
昔の人々が精一杯過ごした過去があり、そのおかげで
今、とても幸せに過ごせている自分がいる。
そう思うと、感謝感謝の気持ちでいっぱいです。
ご先祖様、ありがとう。
自然の恐ろしさをこの写真だけでも感じることができ
ます。東京でも周期的に起きる大地震が、そのうち
必ずやってくる(現状いつ起こってもおかしくない)
ようなので近い将来田舎にかえろうかなぁ・・・。
それに東京は楽しい街だとはおもうのですが、永住
するようなところではないと、住んだことがある人は
思うかもしれません。特に田舎生まれの人は。
hiderinnさんはとっても自然豊かな幸せな環境ですね。