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東山いこいの森の仙人

福井県勝山市にあるキャンプ場「勝山市東山いこいの森」の日々の暮らしを発信します。

小春日和に誘われて。

2019年11月02日 15時10分31秒 | 日記

 

 

 

 

日の出前6時の方が気温は低い。

 

 

 

 

 

7時半谷のみつさんの家の前のイチョウは未だ色づいていない。

昨日平泉寺でギンナン拾いをしていた男性がクマに襲われた。

これで勝山市てせの被害者は5人目となる。

谷の村にも柿も栗も生っているが実は食べられても人間への被害は無い。

時間とか住み分けを考慮すればいいのではと思う。

勿論東山いこいの森でのクマの被害は1件も起きていない。

 

 

 

 

 

 

 

 

小春日和に誘われて、テントキャンプは楽しそう。

電話でオートキャンプが出来るか、電源はあるかと言われたが

残念ながらそういう設備は無いので断られて終ったが

昔ながらのキャンプを楽しむ人たちに来て頂ければ

それでいい。東山いこいの森としてはその方がいい。

 

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首里城と永平寺宮大工。

2019年11月01日 18時22分58秒 | 日記

 

今日の福井新聞に県内宮大工もショック。92年復元の中心。

1992年の完成まで、10人を超す精鋭が3年以上現地に滞在。

現地の宮大工と汗を流した。

「当時としては木造建築最大級の復元工事。地元愛の強い沖縄の県民性もあり、もの凄い重圧だった」と書いてあった。

永平寺町の藤田社寺建設さんは永平寺の大工村出身かは分かりませんが、

 

 

玄(くろう)源左衛門の木像。聖宝閣。

玄源左衛門という人物は、永平寺大工の祖と言われている。

源左衛門は道元禅師を慕って宋から来朝し、永平寺にやって来た。

右手には玄翁(げんのう)を持ち、左手にはノミをもっている。

禅師を慕っておくれまいと走っている姿ではないかと言われている。

永平寺の門前に腰を落ち着け、本格的な仏堂建築の技能を伝えたと言われている。

門前に大工村という、宮大工の匠の集落があった。

私の友人にもこの大工村の生まれの人がいた。

彼は大工にはならず、福商時代には甲子園へ3年間出場した。

この永平寺の写真集のあとがきには昭和32年に後の74世佐藤泰舜禅師から

「八木さん、永平寺大観と呼ぶことにしましょう、この写真の撮影には、芸術写真を

作ろうと思わないで下さい。総て場面を真正面から、とらえて下さい。

貴方の主観を゜表に出さないで下さい。」と言われた。と書いてあります。

 

 

永平寺も何度も火災などにも逢い、現在の建物の内もっとも古いのは山門で寛延2年(1749)にすぎず、

もっとも大きい原因は、天正2年(1574)に一向一揆の為焼き討ちにらあったからだと言われています。

そのあとも、大工村の人たちの手で再現され、その後の災害などにおいても

大工村の人たちの努力のお蔭て゛再建されている事を思えば、

地元愛の強い沖縄の人であっても永平寺の宮大工の人たちと協力すれば、

再建出来と思います。

 

街にクマが出て、風評被害で、キャンセル相次ぐ。

71年前、八木源二郎さんに撮って頂いた写真です。

母は24歳の頃だと思います。

上げ原山。

 

 

 

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