東山いこいの森の仙人

福井県勝山市にあるキャンプ場「勝山市東山いこいの森」の日々の暮らしを発信します。

春の淡雪といいたいところですが、、、、

2012年03月31日 12時59分20秒 | 日記
  朝は 一面霧の世界でした。




























101時頃から 本格的に 雪になって 来ました。







とても 春の淡雪と言って 眺めていられる 自容態では 有りません。
大自然の摂理の下には ただただひれ伏すばかりです。









1時現在の積雪5センチ、まだまだ 降り止みそうにありません。
明日 登って来れるか ちょっと心配になって来ました。
これでは、木根橋のミチノクフクジュソウもフキノトウも 雪の下に゜なってしまつた事でしょう。
勝山まで 降りれば 雪は 降って無いと 思います。
やはり ここは 下界とは違う 異次元の世界なのかも 知れません。
5月の連休にも 雪は 残っています。
雪て゜冷やした ビールは 一味違うと 人は 言っています。
今日は 4時頃 山を降りようと 思っています。

雪解けが進みました。

2012年03月30日 16時36分30秒 | 日記
 今日は、雪解けが進みました。
管理棟の部屋の温度も9℃になりました。とても温かく感じます。
 谷のブナ林もブナの木の根っこの所の雪が解けて地肌が丸く見えて来ました。越前兜も岩肌が黒く見える様になりました。







除雪車も 水槽の前まで 入って頂くことが出来ました。
















 



受付や事務処理の資料作りも大分進みました。
4月1日からの 受付開始に向けての準備も急がないといけないと 思っています。
 1日は 雪の予報になっていますが そんなに 降らない様に願っています。












いよいよ ソフトバンクも アンテナ工事に入る申請などをされるとの事です。
許可が下りて 工事に入って早ければ8月ごろには 出来上がるそうです。

水質検査

2012年03月29日 17時59分30秒 | 日記





















今日も、良い天気になったので、水質検査の方に 水源も見て頂きました。
例年ですと、雪が硬く締まっていて 何処を歩いても 落ちないのですが、4.5日前に 50センチ積もった分のが かさは 低くなりましたが、ちょうど長靴いっぱい分ぐらい、沈んで 歩きにくい 状態でした。

















10時から12時ぐらいで、水の 採集と検査項目別に 容器に移し替えたりの作業も終わり 無事 帰って行かれました。
除雪の方も今日も 来て頂き、大分進んで行きました。
水道を確保するには、未だ2週間ほど かかりそうです。
その間 食器などの洗い物を しやすい様に池の水の出口の雪をどけて、川底の砂を上げて 深くしてみました。
明日からは 洗いものが少し楽に出来ると 思います。
























いよいよ仙人の生活へ

2012年03月28日 17時21分28秒 | 日記
 今日から、東山で泊ます。
神谷で名水を20リッター詰めて来ました。





大切な飲料水です。
神谷では 雨でしたが 東山は雪が舞っています。
夕方ようやく雪が止みました。





















小さいストーブを焚いていますが 管理棟の現在の気温は8℃です。
ラジオもテレビも新聞も無く、鳥の鳴き声も聞こえない 静かなところです。
キャンプの受付は 4月1日、8時半から 勝山市市役所で始めます。
















その後、東山に戻って それからあとは、東山で受付を行います。
1日は 雪模様になっていますので 沢山積ると 登るのに時間がかかるかも 分りません。















五月のゴールデンウイークには、3日にほほえみ太鼓、4日に餅つきを予定しています。
詳しい事が分かり次第また お知らせします。

東山へ

2012年03月27日 20時19分09秒 | 日記
 市の担当課から電話があって 東山へ行きました。





















新雪が50センチほど積もって2メートルを越える 別世界でした
























除雪機は、11時頃に管理棟に到着して 管理棟の前の雪も除雪して 頂く事が出来ました。
着いた時には 2メートル余り雪がある所に長靴で踏み固めて 道をつけて
管理棟の中へ荷物を運んだのですが、帰る頃には 玄関先まで 除雪して 頂いたのでこれからは 
楽に出入りが出来る様になりました。













剣スコップでやっても 硬くてなかなか 刃がたたない凍りついた雪でも ショベルカーの威力は 凄いです。
登って来る時には 雪で隠れていたミチノクフクジュソウも土手の日当たりの良い所は 夕方には顔を出していました。












勝山で 同級生の家に寄って 同窓会に来てくれる様お願いをして来ました。
彼は 息子さんが後を継いで機を織っています。
詳しい事は分かりませんが、個人での 機織など ほとんど淘汰されてしまった中、今も続けていられるのは、
それだけの特殊な技術を持っているからだと 思います。
織った布を巻き取ってあるロールは、相当重いものだと思いますが、彼は 腰が痛いと 言っていました
一種の職業病だと 思います。
余り 無理しないで やってもらいたいものですが、私たちの年代は そういう融通が利かないところが
欠点なのかも知れません。
昭和町三丁目の子供会は、今年の夏も東山へキャンプに来てくれると 言っていただきました。
受付は 4月1日から ですので その時正式にお受けさせて いただきます。

冬に逆戻り?

2012年03月26日 17時21分44秒 | 日記
 昨日の晩 勝山の帰り道永平寺辺りまでは 雪が降っていました。
今朝は 福井でも車に1センチほど積もっていました。
さすがに 昨日は 発表で エネルギーを使い果たした感じでした。
日曜日に三方五胡からの帰り、鯖江のまなべの館で高橋正行氏の写真展を観て来ました。
ユネスコ世界写真展グランプリ受賞の作品は 驚きでした。その他の写真も迫力あるものばかりで
した。
大変勉強になりました。
 今 恐竜博物館では、長崎のサイの化石の期間限定特別展示を行っています。
昨日は 日曜日でしたので、小雪の降る中でも 全国いろんな所から来られていました。














外国の方も団体で 来られていて、外国の人といっても、白人や黒人の人たちばかりでなく、
インド系、東南アジア系、など本当に国際色豊かになって来ています。
それだけ、恐竜には 魅力があるのでしょう。
東山にも ジェイクさんを 白川郷、五箇山に行った帰りに 連れて来てくれた ご家族がおられました。
今でも、フォトチャンネルで 写真をチェックして くれている人たちが おられます。


平成23年度わがまち魅力醸成事業報告会

2012年03月25日 22時02分27秒 | 日記
勝山のスコヤカで 発表会がありましたので行って来ました。
少し時間があったので 恐竜博物館へ寄ってみました。
 福井に帰って来たら時間が遅くなって申し訳ありません。
報告の原稿をここに 発表させて いただきます。
 新規チャレンジ部門、御所ケ原会。
私は、新規チャレンジ部門の部、御所ケ原会の 源野 正弘でございます。
どうぞ宜しくお願いします。
 谷トンネルの近くに御所ケ原という 集落がありました。
今は 簡単に五つの所の原と書いて 五所ケ原と言いますが、今でも法務局の地籍では 御「おん」所ケ原と書かなければ 通用しません。
遠く 都の御所にも通ずる 大変に あらたかな 地名だと 思っています。
集落の家や田畑のある所は、東はオイノミズ谷川、西は奥の河内川に挟まれた扇状丘陵地で 南に向かって開かれていますので 日当たりが とても良い所です。
人が暮らすには適した場所ですので 早くから住み着いたところと 思われます。
三八の豪雪。学校の統廃合。経済的な理由から 村を離れて、昭和の40年後半には 御所ケ原に定住する人はいなくなって終いました。
明治の後半には、人口の増加から 村としての安定生活を確保する為北海道開拓へと 移住を余儀なくされた家族も相当数おられると お聞きします。
村を守るために移住をされた一世の方々はもちろん、又その子孫の方々にとっては 魂の故郷として 無くてはならない御所ケ原であった事を思いますと、この現状 真に申し訳なく 忸怩たる思いでもあります。
北海道へ渡った人たちだけでなく、村を離れて行った 人たちにとっても 心の故郷、素晴らしい故郷であったとの思いが おありの事と思います。
この度、新規チャレンジ部門に参加させていただき、祖先たちの歴史や暮らし、文化を尋ね、子孫たちへ託す願いは なへんにあつたのかを調べ、子孫や勝山に暮らす人たちに 伝え残して行きたいと 決意をさせて頂きました。
今の時代、経済至上主義や、原発などへ抑制をも含め あらためて 先人たちに学ぶべきところ 沢山あるのではとの 思いにいたります。
 勝山ルネッサンスを目指し 御所ケ原の歴史探訪をまとめてみたく 第一年度は、資料集めをさせて頂きました。
御所ケ原に人が移り住んだのは、何時頃からかと 思いますと、「日本記略」によれば 辞統天皇の6年、西暦692年に朝鮮から亡命して来た人たちにらよって 敦賀湾の東部から今庄あたりで 養蚕がなされ 「繭」を朝廷に 献上してと 記されています。
その頃には 白山山麓にも 朝鮮からの 亡命者が入り込み 養蚕が行われ、この蚕を  「おシラ様」と崇め
て、白山の神様を「おシラ様」と崇めて、白山の神様を「おシラ様」とみなして 崇拝し、現在全国に白山神社のある地方では 養蚕業が 盛んに行われていたと 言われています。
 御所ケ原には、この亡命者の養蚕と、木地師の集団が住みついたのではと 思われます。
 北谷には、六呂師という 地名も残っていますが 御所ケ原にも 昔から 木地山と 言われているところがあります。
 それから 時代が過ぎて 源義経が 暫らく隠れ住んでいた所を 判官堂と言われていて 取立山のかえりの石川県側にあります。
義経一向の世話をしたサルバナ姫という人がいたそうです。
落行く 武将と 村の娘とのロマンスは 小説にでもなるのではと 思います。
北谷には、小原や中野俣など 平家の落人が隠れ住んだ所と言われています。
御所ケ原では  見晴らしが良すぎて 隠れる所は無かったので、昔から 平家も源氏も仲良く幸せに暮らしていたのではと 思います。
余談ですが、私は源野ですから 源氏の子孫だと 思いますし、妻の実家は「平」ですから平氏の子孫だと 思われます。
 さらに時代が 過ぎて 歴史上に北谷七山家族が出てきて 平泉寺滅亡、勝山の地名の由来などは 皆様ご承知のところですが それよりも百年も前に 牛首「白峰」、谷一円を領有していた、加賀の守護職の弟 幸千代丸が
御所ケ原に 陣を構え、朝倉方をけん制し続け さらに、1504年から1520年にかけては、加賀の一向一揆が越前の一向一揆を助けるために、勝山まで 出没したと 書かれています。
それだけの兵力を養うだけの 食料、住居、衣類などの確保が 御所ケ原において 出来ていたという事は 凄い事だと思います。
 まだまだ 発表したい事がありますが、時間の都合上此処までと させて頂きます。
 次に、今後の課題と しましては、今までの資料を基に 寒系する地域への 現地調査、古老の持っておられる知識を聞き出し まとめて行こうと 考がえています。
来期も継続のご許可が いただければ、皆様からのご意見、ご指導をも頂き、充実したものへと 発展させて いきたいと 考がえています。
ご清聴誠にありがとうございました。


































西田梅の里

2012年03月24日 19時31分12秒 | 日記
 朝から雨が降っていましたが、師匠を迎えに行き、三方五胡の西田梅の里へと写真を撮りに出かけました。
梅干用の白梅の花は7部咲きぐらいでした。平年なら 散り始めの頃ではないかと 思いますが
今年は 嶺南の方は 寒かったのか遅い様に 思われます。
梅園と山との境には、鹿やイノシシ除けの電気柵が張られていますが、鹿の糞がいっぱいと 落ちていました。
檻も仕掛けられていましたが、獲物は 入っていませんでした。
自然保護も大切ですが、被害をこうむる農家の人にとっては 大変な事だと 思います。
足を伸ばして、小川漁港まで 行って見ましたが、雨で 日が射さず光と影の写真は 撮る事が出来ませんでした。
走行距離220キロ、少々疲れました。









































雨降りで一服。

2012年03月23日 14時48分48秒 | 日記
 今日は、写真の師匠と 撮影に出かけようと 思っていましたが、師匠が明日、三方の梅の里へ行こうと 言われるので 待機して一服する事にしました。
運動公園の麺ぼうつるつるが越前おろしそばを半額で 提供しているとの事で 母もディケァが休みの日なので
妻と三人で行って来ました。
 半額のキャンペーンの時は なんだか申しわけ無い気がして 行き辛いのですが 勇気を出して?行って来ました。
12時近くになると 行列が出来てしまうので、開店直ぐの11時15分ぐらいに行きました。
めんぼうつるつる 福井市内にも 大きな店がいくつかある様ですが、店によって 少しづつ対応が違っていま。
私は、運動公園の明治店がお勧めです。
初めにお茶とエダマメを出してくれるのは 一緒ですが、おろしソバは、二皿と、薬味のネギも別の皿に入れてあり、大根おろしの入ったダシも別の入れ物に入っていて、客の好みで かけて食べるかまたは、ザルソバの様に
おろしダシを、つけ椀にいれて食べられる様に つけ椀もお盆の中に入れて来てあります。
ソバ湯も 湯のみ茶碗に入れて あります。
他のそば屋さんと比べても通常価格の600円でこれだけのサービスはなかなか有りません。
店によっては、はじめから器に入った ソバにおろしダシ薬味のネギもかけて 出て来るところもあります。
時間にすれば 5分も違いは 無いと思いますが、気持ち良く頂く事が出来ます。
もちろんソバ自体大変美味しいです。
これだけでは 申し訳無いし かと言って 沢山食べられるものでもないので、
ソバあべかわを注文しました。
親指と人差し指を丸めたぐらいの大きさで、平べったいソバダンゴが5個、黒蜜がかかっていて、味のついたキナコは別の入れ物に入ったのが出て来て お好みで かけて食べられる様になっています。
これも 初めから キナコをかけてしまってあるものよりも、キナコの量など 調整が出来て いいと思います。
 いろいろ調整するなんて面倒と 言われる方もおられるかも知れませんが、
ちょっとした工夫って 大切なのではと 思いました。
 東山でも 参考にさせていただきたいと 思っています。
 谷好きの北九州さん ありがとうございます。
5月の最終日曜日には 谷でほう葉の会があります。
どうぞ ご家族で お出で下さい。
ほうの葉もいい香りがしますが、白い大きなほうの花も大変良い香りがします。



























東山いこいの森への除雪始まる。

2012年03月22日 18時02分30秒 | 日記






 昨日から東山いこいの森への除雪を 市役所の係りの方が 始めて下さいました。
昨日は 登っている間が無かったので、今日行って来ました。



昨年よりは積雪が少ないものの、まだ2メートル以上残っています。
 4月1日からは東山での 生活が始まります。
まだまだ 水道施設のバルブの上には 雪が沢山あって掘り出せません。
震災地の事を思えば、こんな事で 文句を言えば バチが当たってしまいます。
 今年の7月の末から8月の初めにかけて、被災地の子供たちを勝山に招待する企画があるそうです。
東山へキャンプに来られた 子供たちとも 交流の場がもうけられる様になると いいなと 思っています。
テレビで見るよりも、実際に会って話し合いが出来れば、新しい発見も出来ると 思います。




































昨日のSDカードもありましたので 写真を ご覧になって下さい。
7軒朝市も始まったとの事です。
季節限定の名物 いもきんつばの のぼりも 上がっていました。
春に向けて、いろんなものが動き出した 感じです。

今日も勝山へ

2012年03月21日 20時14分31秒 | 日記
  書類のまとめをしていて 出足が遅れて終いました。
勝山むに着いた時12時になってしまっていたので、昼ごはんにと、大衆食堂に行くと、定休日でした。
その次の店も定休日で そういえば今日は水曜日だった事を すっかり忘れていました。
よく探せば 開いている店もあったのでしょうが、探すのもおっくうだし、1時までの時間大野へ行く事にしました。
昨日新聞に出ていた、ニューヨークの三ツ星レストランに三年半勤めていたパティシエのお店に行って来ました。
場所がいまいち分からなかったので、7軒朝市の所にある案内場の所で 教えてもらって 行くことが出来ました。
コーヒーは二種類ありますが、老眼鏡を持って行かなかったので内容は読めませんでしたが、
美味しいコーヒーでした。一回一回、新しくたてて おられるので なおさら 美味しいのだと思います。
お土産用に 手作りのお菓子の詰め合わせを 作って頂きました。
大野で最近話題になっているという醤油屋さんがカツ丼用に作った醤油を使ったカツ丼を 食べて勝山に帰ろうかと 思っていましたが、それも なかなか見つからなくて、探しながら車を走らせているうちに 勝山に着いて
終いました。
市役所で用事を済ませ、家に帰って来て、ブログ用に今日の写真を画像フォルダに入れようとすると、カードが入っていないと、指示が出ました。
そういえば、市役所でバタバタしていて、職員さんのパソコンにSDカードを 入れたままに してあるのだと
思います。
カフェイ ソレイユの写真も今日は お見せできません。
 今日も勝山への行き帰り九頭竜川には サクラマス釣りの県外の方が沢山来て おられましたよ。
雪解け水で水かさが増えた分、釣りには いいのかも知れません。
昨日の新聞にサクラマス サミットが 森田公民館で開かれた事が出ていました。
箕面のYさん コメントありがとうございました。今年の釣りの成果は 如何ですか。、



元東山いこいの森まで郵便配達のお姉さんおめでとうございます。

2012年03月20日 16時08分16秒 | 日記
 今朝の新聞に、空き店舗にカフェ お店開いて 女性2人きょうから「可能性楽しみ」として3年前まで、東山まで 郵便配達をしておられたお姉さんが 登場していました。
元スチュゥワーデスをしておられた事は 聞いていましたが、ニューヨークの三ツ星レストランでパティシエとして
働いていた事は 知りませんでした。
そういえば、時々美味しい手作りのケーキを 持って来ていただいた事がありましたが、もっと よく吟味して
味あわせていただいておけば良かったのにと 反省しました。
三国でも 店を開かれた時は、行く事が出来ませんでしたが 今度は 大野で近いので 機会があったら
是非行かせていただきたいと思っています。
 宇宙飛行士の毛利衛さんも春江にある県の児童科学館の名誉館長をしておられ 時々来られて色々
講演をされます。今回は 高校生に宇宙や地球環境について興味、関心を持ってもらおうと努力しておられます。
実際に宇宙に行かれた人の目から見た地球環境の話など 聞けるのは 尊い事だと思います。
 恐竜博物館の研究部門を県立大機関に改編という記事も出ていましたが、
冬の特別展の化石もアメリカの大学の教授が関与されておられたと 思います。
毎日沢山の恐竜大好きの子供たちが全国から 恐竜博物館にやって来ます。
是非、福井県立大学に入学して恐竜の研究をしていただけたらと 思います。
何年か前に もらったお礼の手紙の中に 大きくなったら 福井でお嫁さんをもらって福井に住むと 書いて来た
小学生がいましたが、夢は 実現していく方向にと向かっていると 思います。
恐竜博物館で見た、感動、感激を将来の日本の為に役立つ 研究者となって 頂きたく思います。
みんな待ってまーすよ。

地層

2012年03月19日 21時17分26秒 | 日記
 





九頭竜川 勝山から大野に渡る橋の手前の右岸を3,4キロ登った所 川が蛇行して大洪水の時大きく湾曲して
絶壁状に 経ケ岳が噴火した時の溶岩流と、火山灰の土石流の層がよく分かる所に ジオパークのスペシャリストの方に案内して 頂きました。







































































大洪水の時は水かさが25メートルぐらいの高さまで上がっていた事が 壁の抉れの傷跡から よく分かります。
自然の猛威の凄さに 今さらながら 驚かされます。
それこそ、想定外の災害に遭いながら、今がある事を 思うと、東日本の震災も 乗り越えていかなければと 思います。
大自然の摂理の中に生かされている ちっぽけな人間、自然を制覇しようなどとおごらず、謙虚になって 生きて
行かなければと思いました。
ジオパークを子供たちに実際に見学してもらって この自然の凄さを 是非 肌で感じてもらいたいと 思います。

勝山市長後援会新春の集い

2012年03月18日 20時32分11秒 | 日記
 





勝山市長後援会の新春の集いに 参加させて頂きました。






冒頭、東日本大震災への 黙祷から始まりました。
勝山市はいち早く消防隊員を、その後も市の職員を中心に医療や介護などの専門職をボランティアとして
交代させながら陸前高田へ次々と 送り込んでいました。








































年の市や、左義長にも被災地からの物産店や福島浪江町の浪江焼きソバの出店などもありました。
今朝のテレビで西川福井県知事が 福井は住みよい県ナンバーⅠと 言っていましたが、
勝山市は、世界の住みよい都市の第9位に選ばれているそうで、一勝山市民としては、誇りに思わなければと
思っています。
市長の挨拶の中で、市民からの要望を 予算がないからと言ってとり上げない職員は、予算という刀で切ってしまっている 仕事が出来ない、能力の無い人で そういう職員は いらないとも言われました。
かと言って自分の利益のために何でも 要求する事は論外ですが、少しでも勝山市のためになる
提案には、耳をかしていただけると思うと、多いに希望が 湧いて来ました。
故郷を愛する、地域の再生、復興を願う気持ちは、私にも 充分あります。
 勝山の銘々の由来には、祖先の七山家族の活躍があった事は 歴史の中に証明されています。
平泉寺より100年も前から、御所ケ原に陣を置き、朝倉勢を攪乱、けん制しに しばしば勝山まで攻めて行った
祖先であった事を思うと、平成ルネッサンスも御所ケ原、東山から発進して
新しい価値観の町作りをして行くべき だと考えます。
そのヒントは、先人たちの暮らし、文化を検証しなおす、正に平成ルネッサンスを興す事だと思います。