東山いこいの森の仙人

福井県勝山市にあるキャンプ場「勝山市東山いこいの森」の日々の暮らしを発信します。

雪かきボランティア

2011年04月30日 17時51分34秒 | 日記
    朝早く、自転車一人旅の好青年は、さっそうと 山を降りて行きました。
雨に合わなければいいのにと 祈っています。       雪かきが間に合わず、バンガローの入り口の雪かきをして頂き、なんとかタープテントも 立てられる様になりました。
去年の秋、6か月だった次男クンも 1歳になって 逞しくなってきました。
今日は、気温は そんなに低く無いのですが 雨風がひどくて、少し寒く感じます。
5歳の 長男クンに わら靴を履いて雪の上を歩いたり ソリも楽しんで もらいましたが、わら靴は中がゴワゴワしていて
履き辛かった様で あまり 興味を 示しませんでした。
お母さんは 四国の生まれで あまり雪を見たことが無いと言っておられましたが、上手にスコップを使っておられました。
4泊される東京からのご家族は 今日も一日恐竜博物館にいたとの事でした。
恐竜好きな人に言わせると、勝山の恐竜博物館は 最高だと言っています。
東山いこいの森で キャンプ気分も 味わえるしいいと 思います。
 大府の 宮田さんのグループが 今年も 来て下さいました。
宮田さんは、お体の調子が 少し良く無いとかで 来られませんでしたが お土産まで頂いてありがとうございました。
夕方 お電話をさせていただいて、小原が解禁になった事をお伝えすると、釣り仲間を連れて行かせてもらいますと 言って頂きました。楽しみにお待ちしています。
仲間の人たちの中の山菜採りの名人の人は 川の淵に流れて自生しているワサビを採って来られて、
今夜の酒の肴にと 洗っておられます。
雨も上がって夕日が少し顔を出しました。
明日よい天気になってくれるといいですね。
忘れかけていましたが、私の同級生の お兄さんが 福井の親戚に 遊びに来られたついでに、昨年のCDのお礼にと、東京のひよこを 持って来て下さいました。CDは、北海道にいる 私の同級生にも送ってくれたそうです。
今日は、いろんな人から お土産を頂いた日でした。夕日の僕からも頂きました。

連休初日

2011年04月29日 18時51分18秒 | 日記
 市役所が 登山道入り口までの 道路を除雪してくれないので 谷の山をあいする会が 除雪機を頼んで 駐車場まで 3日かかって開けました。
今朝、6時に どこまで 開いているのか確かめに行って来ました。
途中 道路に雪が残っている所にさしかかると、タイヤが スリップして なかなか前に進みません。
それでも、スバルの4駆だからと 30メートル程 進みましたが カーブの登り坂になると ハンドルをとられて どうにもならなくなり、 おそるおそる バックに切り替えて 雪の壁に ぶつからない様 冷や汗をかきながら 下りました。落ち着いたところで 車を止めて 外に出ますと、出たとたん 滑って転ぎそうになりました。
圧雪のカチンカチンの氷で 何にも知らずに 運転していた自分を 恥ずかしく思いました。 
道路は とても歩け無いので 道路の横の雪の壁を乗り越えて、自然に積もっている 雪の上に出ましたが、ここも道路ほどでは 有りませんが 凍っていて へたをすると 転びそうでした。 
なんとか 駐車場にたどり着く事が出来ました。駐車場は 一面の雪の原 未だ60センチあまり カチカチの雪で 覆われていました。後3で どれだけとけてくれるかが 問題です。
本来なら 登山者のために 勝山市が 除雪すべきです。
もし 今日の様に 凍結した 雪の上を 登山していて 滑落事故が おきた場合、駐車場まで 救急車が入れば助かったかも知れないが、 そこまで車が入らなかった為 スノーボートで救助に 手間取っていて 間に合わなかったと なれば 誰が 責任を取るのかと 思います。
 一応市役所の観光課は、国道157号線から 東山いこひいの森へ入る 道路の所に 登山道の駐車場までの 除雪は 出来ていませんと 看板を 出してありますが、 実際車は どんどん登って来ます。
今朝、おちよの神さんの所で 逢った滋賀県ナンバーの車の人には、今日は 道も山も 滑りやすいから アイゼンと ストックを 持って行った方がいいよと 言うと 車から ストックを 出して 持っていって くれました。
下界では 桜も散ってしまった事でしょうが、東山は 未だ咲いていません。
今朝も、マイナスの 世界です。
      今日は、手伝いの人たちには、雪の消えた所の杉葉集めを してもらいました。大きな枝もあって なかなか 大変です。           
私は、胴長を履いて 水芭蕉の池に入って 杉葉や 葦の根を抜きました。
少しでも 水芭蕉が きれいに咲いてくれる様にと 田の草取りの要領で やったので 泥をかき交ぜ酸素も入って良くなるのではと 思います。
 夕方、愛知県から 158号線白鳥、油坂、大野の通って 汗をかきかき 自転車で登って来た 青年がいました。
テント泊を 言われましたが、未だテントサイトは 雪が一杯ですので、よく高校の山岳部が バーベキュー施設の中に テントを張っているので、そうして もらいました。
車なら 水芭蕉温泉センターまで お風呂に入りに行ってと 言えるのですが、自転車では 大変なので シャワーを使ってもらいました。汗で濡れた トレーナーを洗濯して 紐で吊るして干していたので それでは 乾かないので 管理棟の中で 乾かして あげるよと 言っても 遠慮して いいですと 言っていました。
自転車での一人旅、あまり人に頼らず 自然のままにの スタイルで 学び得るものも 沢山ある事と 思います。
この青年に逢って、駐車場とか 除雪とかどこに 責任が あるかなどと 口から あわを飛ばして言っている 自分が 恥ずかしくなりました。

一番乗りは研ぎ師の夫婦

2011年04月28日 19時30分46秒 | 日記
 毎年2回、春と秋 包丁研ぎ師のご夫婦が 登って来てくれます。
そういえば我が家へは未だ スキー客が来ない以前から 行商の富山の薬売りの人が 大きな重ね桑折を黒い大きな風呂敷に包んで担いで やって来ていました。 あたか屋、高田屋、他にも泊っていきました。ですから 家には 薬箱や B4ぐらいの大きさの紙の袋の端を紐で吊るして 柱に掛けてあるのとか 有りました。 それに 服や反物を 風呂敷に入れて 行商に来るおばさんも 家に泊って、五所ケ原や東山の家々を回っていました。
 そういうつながりでスキー客も 自然と泊まる様になっていったのだと 思います。
祖母は ちょっと工夫した料理が上手でした。煮炊きは、ご飯も 味噌汁も煮しめ、天ぷらも囲炉裏で やっていました。昆布巻きを結ぶのは、店で売っているのは 干瓢などで結んでありますが 山の中では 乾瓢などなかなか手に入らず、たいがい、稲わらを 扱いた穂の方で 結んであって それは食べるこわけには いきませんでしたが それを 祖母は どこで習ってきたのか 梅干しのしるを塗って昆布をくっ付けていました。
母は、調理師の免許は持っていますが それはまねをしてみても どうしても 出来ないと 言っています。話が 変なところへ 飛んでしまいましたが、包丁研ぎ師は 西宮の人ですが 家わ出ると 以前は10日ぐらい 戻らなかったそうですが、最近は お客も減って3日ぐらいで 家に戻ると 言っていました。
紺屋の白袴の様に、包丁とは 縁のない東山に泊るのは 偉いと 感心します。
私だったら、自分が研いだ包丁を使って作った 料理を味わって ゆっくり旅館に 泊ってみたいと 思ってしまいます。
しかし それではプロには なれないと いう事なんでしょうね。
 昨晩の 妹の夫の母のお通夜に行って 兄弟6人 みんな男というのも びっくりしました。
おかあさんは 大変だったろうなと 思いました。
6人そろって並ぶと 兄弟って いいなーと 思いました。
 追伸。テントサイトは 写真の様にまだ雪の中です。

今日も お通夜。

2011年04月27日 16時10分28秒 | 日記
 続かなくてもいいのに これで 3月から 5件めです。
 今日は、妹の嫁ぎ先の お母さんで 79歳少し早すぎます。
今雨が激しく降って来ました。これで 雪も 少しは 解ける事でしょう。登山道の除雪には、昨日のショベルカーと 今日は又 ロータリー車も 持って上がって来てくれました。
オペレーターは 一人ですので なかなか 大変とは 思いますが 有り難いです。
管理棟の 日よけも 出来上がりました。風が強くて 梯子が 倒れてしまったりしましたが 無事出来ました。
バンガローの 薄べりの 下にクッションと 断熱などを兼ねて 織物屋さんで 不良品で撥ねられたのを もらって来て
敷きました。 ただの平織りではなく 車のシート用の 素材ですから 厚みと 梱包用に詰めるプチプチの様な エアーだまりもあって とても いいと 思います。 ご期待 下さい。 
5月3日。コテージは 満杯になりました。 バンガローは あと少し空いています。

ゴールデンウイーク東山は長靴が必需品。

2011年04月26日 17時24分25秒 | 日記
 ソリとか スノーシューも 準備しました。雪の上で転んでも 濡れない様に スキーウェイヤーの様なものを持って来るのも いいと 思います。
 今日から 登山口の駐車場まで 除雪に入りましたが、大型ロータリーでは はがたたず 大型ショベルカーに切り替えて 
 仕切り直しです。
 5月1日ぐらいには 登山口まで 道は 開けられると 思います。
 また 開けてもらわないと 登山者の車で いこいの森の駐車場が 一杯になってしまい、肝心の キャンプの人の 停める場所が無くなってしまいます。
 今日は、雨の降る中 管理棟の後ろ 未だ雪が残っていますが、屋根を付けて、バーベキュー施設に入れてあった 道具類を
 移動する事が出来ました。 
 午後からは 一人で管理棟の 日よけ造りに 取りかかりました。柱や 桟を持って釘を打つと 手首の袖から 雨が 流れ込んで来たりで 結構大変です。 しかし こういう作業は 慣れていない分 自分で あけれや これやと 考えながら やれるので その楽しみが有ります。
 今、外では 小鳥が ピョー、ピョーと 鳴いていますが 姿は 全く分りません。鳴き声だけで なんという鳥なのか 
分かれば、これも 楽しみが 広がるのではと そのうち 勉強しようと 思っています。

お知らせ。

2011年04月25日 19時29分57秒 | 日記
 坂井市(丸岡)古城マラソン、ゲストランナー(大南敬美さん、博美さん)時6月5日(日曜日)締切5月2日(月曜日)まで。
ホームページからも申込用紙が 取り出せます。締切日。5月2日です。
6月4日東山いこいの森でキャンプをして 次の日マラソンに出場は いいプランだと思います。
小中学生も参加できます。どうぞご家族でチャレンジしてみて下さい。
 5月29日(日曜日)は、谷集落で ほう葉会が有ります。天気が良ければ お宮さんの境内で銀杏やケヤキの新緑に囲まれて
ご飯にきな粉をまぶせてほうの葉に包んだおにぎりの様なものです。昔は 田植えの時の小昼(こびる)として 田んぼの畦で食べたものです。ほうの葉の香りが ご飯にしみて 美味しいものです。
田植えの時は 忙しいので ゆっくりご飯を食べている間もなかったのでしょう。朝早くから 弁当を作る手間を省く為にも
ほう葉にご飯や おかずを包んで、田んぼへ持って行き、畦に座って食べて、ほうの葉は そのまま 田んぼの中に入れて 肥料にしてしまう、昔の人の生活の知恵です。発泡スチロールなどの容器を使うより ずっと環境にやさしいやり方だと 思います。
私のブログのホォトチャンネルでも ほうの葉を持った細川さんと、松井さんの写真が よく見られています。
これも、5月28日に 東山でキャンプをして 次の日 ほう葉の会に参加して下さい。
村の人たちは 東山いこいの森から 来た人を 大歓迎してくれます。
煮しめは ウド、ワラビ、コゴミ、わさびの葉、コシアブラなど旬の山菜の おんパレードです。
他では、ちょっと 味わえませんよ。
  ☆ 大津山岳会の 皆様からは 心あたたまるコメントを沢山頂き ありがとうございます。
    勝部先生との 思いでは尽きる事が 有りません。
    これからの人生においても いろいろ困難にあたった時など 先生との事を 思い出せば
    解決して行ける事と 思っています。
    もっともっと 教えて頂きたい事が 沢山ありました。
    滋賀の都の 皆様から 勝部先生のお教えを いろいろ お教え頂きたく思っています。
    どうぞ 宜しくお願いします。 
    

勝山市平成23年度わがまち魅力醸成事業公開審査会と新規チャレンジ事業の部の発表。

2011年04月24日 18時30分47秒 | 日記
       長いタイトルになってしまいましたが、行って来ました。一般事業の部では 20団体の発表があって 審査の結果5ランクあって 20点以上25点は 100%以内。17.5点以上20点未満は 90%以内。15点以上17.5点未満は90%15点以上17.5点未満は80%以内。15てん未満は0%に分けられます。       
私が発表させていただいたのは、22点で 満額頂きました。もうひとつの新規チャレンジ事業は発表だけで 公開審査は 有りませんでした。
8時半から1時半までの 長い時間でした。幸い私が 発表した谷のお面さん祭りの分は 22点で満額頂ける事になりました。
新規チャレンジ事業の 御所ケ原物語は 4月3日に 勝部先生にお逢いしに 行かせて頂いた時、
御所は京の御所に通ずるとか にいない山は 弁慶がモッコをしょっていて 一休みした時に 出来た山だとか 義経が しばらく隠れていた山を 判官堂と いう事など 先生の方から話して下さいました。
これ等も先生のお導きのおかげと思って、発表の中に入れさせて頂きました。今年一年 頑張って みようと 思います。



北谷でまた新種の恐竜か

2011年04月23日 17時40分11秒 | 日記
 今日の福井新聞に 新しい記事が出ていました。 興味ある人は楽しみに見に来て下さい。
 杉山の発掘現場へも 見学に行かれると いいと 思います。
もちろん 恐竜博物館の近くでの 発掘体験で 新種を 見つけるチャンスが あるかも知れません。           
 そして 東山いこいの森には まだまだ沢山雪があるので 長靴を持って来て下さい。
プラスチックスのソリは 何個か 準備して 置きますから 楽しく 遊んで 下さいね。
 トイレの掃除もきれいにしましたよ。        

勝部先生とのお別れ

2011年04月22日 21時35分32秒 | 日記
 朝7時に 家を出て 滋賀県草津のシティーホールへ向かいました。
武生インターから乗るのを 行き過ぎて今庄インターから乗りました。
それでも 式場へは 10時前に入る事が出来ました。    
受付で 先ず驚いたのは、ご本人のご遺志で ご香典は 受け取れません。ここに お名前と ご住所をお書きください。と言われました。書き終わると 記念の品を 下さいました。    
お通夜の時は どうされたのか 分かりませんが 葬儀に来られた人は 300人余り おられましたので 凄いと 思いました。      
先生が いろいろお話ししてくださっていた様で 大津山岳会の会長さんが 直ぐに私を見つけて下さり、東山いこいの森の資料が 届いた事を言って下さり 他にも お若い時に 勝部先生に連れられて 御所ケ原の私の家にスキーに来られた方々を ご紹介 下さいました。そして 先生の思い出の地へ また行かせてもらいます。と 言って下さいました。
その他にも ちようど 隣の席に座られた方のご主人が 勝部先生と 同い年の方で 何回も私の家に来られた事など お話し 下さいました。
大津三井寺に 所縁の方だそうで 先生が 校長先生を退職されて 三井寺の寺務所に おられた時に 子供たちを連れて行って ご案内頂いた事など お話しさせて頂きました。
 帰り道は 湖西を通って 帰って来ました。先生には よくマキノスキー場など 連れて連れて行って頂きましたし、滋賀県にいる時、昭和47年の3月に 加越国境へ 先生と 二人だけで ツアーに来た時 湖西を通って帰った事を思い出し 懐かしくなりました。 
その年の 9月に 25才で 胃がんで 胃の全摘手術をした事など 思い出し、あの時の3月に 戻れたらと 思ったりもしました。           
 私も先生の様に 身辺をきれいにして 旅立ちたいものと 思いました。
 神子にも 寄って来ましたが 残念ながら 今度は 少し遅すぎました。       

朝は氷の世界でした。

2011年04月21日 18時52分34秒 | 日記
朝車のフロントは、昨晩の水滴が 氷になっていました。 屋上に登って スピーカーを 取り付ける時も 滑ってもう少しで 転ぶところでした。 だんだん温かくなって来て、気持ちも 緩んで来ている様です。23日に消防署の検査、避難訓練などがある。という事で
 コテージの荷物を出して、方付けました。そこに置いてあった 東山いこいの森の看板を 国道157号線から 見える所に取り付けました。これは一人では 出来ないので 4人の人に手伝ってもらって何とか 付ける事が出来ました。 
バンガローの前の除雪も 全部では 有りませんが やっていただきました。しかし ゴールデンウイークのキャンプは 長靴は 必需品です。これから 1時間ほどして 東山を降ります。
 明日は、滋賀県の 勝部先生の 葬儀に お参りさせて頂きます。
 電話で申し込みをされても 出られませんので 土曜日に 電話を お願いします。
 今日も、夕方は 太陽柱になりかけの 夕日でした。
 一日、一日雪解けを 願っています。

勝部先生

2011年04月20日 16時52分06秒 | 日記
 先ほど、妻ら福井の家に勝部先生のお嬢さんから 先生がお亡くなりになられたと連絡があったと 掛って来ました。
 昨日ハガキを書いて今日投函して もらったところなのにもう 読んでいただけません。
東山で撮った虹の写真を 半分インデックスして 希望と書き添え、大津山岳会に 東山いこいの森の資料を送る様にと
 いって 頂いた事への お礼とこれから気候も温かくなって来ますから ごゆっくりなさって下さい。と書いて送らせて
 頂いたのに 残念です。
 4月15日発の ハガキには 勝山の酒一本義を お送りした事への お礼も書いてありました。
 先日お見舞いに行く時 お持ちしようかと思ったのですがもう酒は送らないでくれと言われていたのでお持ちしませんでした。しかしお会いした様子から せめて口を湿らせて楽しんで頂けるのではと滋賀県から帰って来て直ぐに送らせていただきました。 おハガキを拝見し クチビルをシメラセル程度と 書いておられ ひと安心していたところでした。
 大津山岳会に案内をと 書かれてありましたが 昭和31年の未だ大きな欅の木が屋敷内に生えていた頃の写真や 春山ツアーの思いでの写真も添えて 送らせて頂きました。
 最後の最後まで 私の様な者を 心配して 下さり おハガキを頂いた事に感謝申しあげます。
 胃がんで 胃の全摘出手術を受けその後も なかなか良くならず 滋賀県を離れ福井に戻って来ましたが、
 あの時も ご迷惑、ご心配の掛け通しでした。
 今、東山いこいの森も 大変な時ですが、こうして今日あるのは勝部先生のお陰である事を思いますと、何が何でも
 最後の お別れには 行かせて頂きます。

今年も5月3日おりひめ太鼓が東山に鳴り響きます。

2011年04月19日 18時22分23秒 | 日記
         今朝、5月3日に勝山差義長のおりひめ太鼓が 来てくれる事を確認しました。昨年は子供たちにも太鼓を叩いてもらいました。     
神戸の野上グループの方には 今年も おり姫に逢いたいとリクエストがありました。もちろん 皆さん美人揃いですが 太鼓や三味線の腕前も一流ですので 本当に楽しみです。                 これで 東山にも 春が訪れるのです。
それに向けて 今日もミゾレ降る中、市の方に除雪をして 頂きました。まだまだ完全とは行きません。
努力あるのみです。東日本の事を思えば、何でもない事ですが お迎えをする立場としては 少しでも楽しんで頂ける様頑張らなければと 思っています。                    今は誰も来ない東山、水芭蕉だけが 生き生きと 咲いています。                    

勝山市エコミュージアム協議会新規チャレンジ事業のヒアリングに行って来ました。

2011年04月18日 21時41分12秒 | 日記
 大変遅くなって 申し訳ありません。勝山市にエコミュージアム協議会というのが あって わがまち魅力醸成ということで 事業計画をたてて ヒアリングで 認められると 助成金が もらえる事になっていて その ヒアリングに 行って来ました。
私の 計画した事業は、この 東山の 隣に 五所が原という集落が 有りました。私は そこの生まれですが 東山同様 そこには 今は 誰も住んでいません。 過去の歴史は ある特定の家に残った古文書を元に 作られる事が 多くありますが それだけが 正しいとは 限らないのではと 私は 思っています。 親先祖から 語り伝えられたものの中にも 真実は 沢山あるのではと 思っています。五所が原も 正式には 御所ケ原と書くのが 正しいのです。 これは法務局での 遺産相続の時 地名を 五所ケ原と書いたところ それは 間違いだから 書きなおしなさいと 言われました。祖母たち 昔の人の話では ここは 京の都に通ずる所なんだとよく言っていました。白峰から 移住して来た 子孫も おられますが もともとの 御所ケ原の人の 言葉は いわゆる カッチャマ弁でも無くまた 本村の谷弁とも 違います。 そういうところも 掘り起こし、今よりも まだまだ雪深い この地で どんな 暮し、文化が あったのかも 古老に聞いたり 白峰との係わりからも ひも解いていってみたいと 思っています。そして ゆくゆくは そういう 文化のモデル生活体験の出来る家を建て、 それこそスローライフな 生活を 都会の人たちにも 味わってもらいたいと 考えています。今日の写真は 管理棟の前の椿の 雪囲いを外したのを撮りました。       

今日も取立山は 登山日和。

2011年04月17日 18時43分49秒 | 日記
            今朝は、氷点下3度まで下がって、昨日溶けて水になっている路上は、凍ってツルンツルンに なにっていました。
 その分 朝早くから 登山の人が 車で登って来ました。確か国道からの 登り口の所には、工事用進入禁止のバリケードを 
置いてあるのですが そんなものは 一向にお構いなく 車は 登って来ます。
今日は、除雪の機械も 動いていなくて トラブルは 有りませんでしたが 未だ登山道は 開通していませんし、トイレも使える状態では 無いので 登って来て欲しく 有りません。 
30台ほど 登って来ましたが 誰ひとり キャンプ場の駐車場に 停めてもいいかと 聞く人は いませんでした。 
 私は、午前中 コテージの 畳敷きを していたので 電話が鳴っても 出る事が出来ませんでした。   
電話を かけられた方には 大変申し訳なく 思っています。
これからも 外仕事に出ている時は なかなか 出られませんので 申し訳ありませんが 何回か かけてみて下さい。
よろしく お願い します。
手伝いに 来てくれる人も 日曜日は 忙しいと言われ 普通の日は 仕事と 言われるので その分 自分で しなければと
やっています。 
 お詫びに 夕焼けになるまで 外に出て 3回写真を 撮って 画像ホルダーを 作りなおししました。
きれいな 夕焼けを ご覧になって どうか おゆるし下さい。