東山いこいの森の仙人

福井県勝山市にあるキャンプ場「勝山市東山いこいの森」の日々の暮らしを発信します。

医大バトミントン部代表ありがとうございます。

2011年10月31日 17時35分23秒 | 日記
8年前にあなたに お会いしたかった。
それは無理な話ですが、代表の言われる通り、ビタミンB12の欠乏により 重度の貧血に到りました。
自分では 徐々になって行くので 自覚症状は 無かったのですが 健康診断の集団検診で見つかり、県の保健所の方から 会社に電話で、直ぐに病院へ行く様にと指示が有りました。







赤血球は 通常400万ぐらいあるそうですが、私の場合150万でした。
それでは 立ってもいられないはずだと 言われましたが、自分の体はそういうものだと 思っていたので あまり気にしていませんでした。
4ケ月に一回ぐらいビタミンB12打たないといけないと 言われていたのですが つい病院へ行くのが 億劫になって 行っていませんでした。
結局県立病院に120日入院していました。
その時ニューヨークの9.11を病院のベットで 見ていたことを覚えています。
それからあとは 遅くても 6ケ月に1回は 病院へビタミンB12の注射に行っています。
7月の終わりごろにも かかりつけの医院へ行ってビタミンB12注射をしてもらう時に体がしんどいと 言うと 
レントゲンを採って肺炎になっているから、直ぐ県立の救急外来へ行く様に、家に帰ると病院へ行かなくなるおそれが有るので、このまま行く様に言われ、ベットの手配まで して頂きました。
しかし 9月も 東山が大変な時なので ベットに寝ているわけにはいかないので、なんとかして下さいと 県立の
呼吸器科の先生にお願いをして、薬をもらって一週間経って今より 悪くなっていたら 必ず入院と約束をして、東山へ帰って来ていました。
そのことがあって、バトミントン部の宿泊を 1週間遅らせてもらったりして、ご迷惑をおかけしました。
肺炎の原因も、胃の全摘で食べた物が逆流して肺に誤飲して行くからなのですが、以前にも それを除去するため。背中から 肺へ穴を開け 48時間ポンプで 吸いだしてもらったりもしました。
いろいろ 有りますが、医学が発達したお陰で、こうして生きておれることを 有り難く感謝に思っています。
医大のバトミントン部の皆様は これから立派な お医者さんになって行かれることと思います。
でもあんまり勉強ばかりで 体をこわさない様 東山へリフレッシュしに来て下さい。
そして 東山いこいの森で マムシを食べたり、今だと 天然のナメコやハタケシメジ、ニカゴなど山の恵みを頂き、星空を見ながら五右衛門風呂に入る。
スローライフな仙人の暮しが一番いいのかも知れません。






山口県の「街森研究所」の所長さんからもクズの茎の写真のハガキを頂きました。
ありがとうございました。白山紀行のブログも拝見させて頂きました。
いろんな人との 出会いを頂けるのが 素晴らしいと 思います。
クズは 至るとこへ茎をのばし地面に根をはってどんどん広がって行きます。
草刈りをすれば 機械に巻きついて悪さをしますが、クズの様な生命力は すごいと 感心しています。
子供たちには、手を丸めた上に葉っぱを置いて、反対の手のひらで叩くと、ポンと 大きな音がすることなど、
体験してもらっています。
自然のものでいろいろ工夫して 遊ぶことを 子供たちに教えるのも 楽しいことです。



美唄の河奥さん帰って行かれる。

2011年10月30日 15時09分48秒 | 日記
 おなごりおしや 今日も元東山の河奥家の兄弟宗が美唄の河奥さんに逢いに登って来られました。
今日話を聞いて分かった事は、美唄の河奥さんが佐渡の友人の所へ遊びに行っていて、大阪にいる妹さんご夫婦の所へ電話をして、一度河奥家のルーツを調べようと、小松駅で待ち合わせをして、白峰の民宿の河奥に泊れば 同じ苗字だから何かが 分るだろうと 泊ったそうですが、民宿の人は 別に興味を示さず。味気ないものになってしまい。
せっかく来たのだから 谷トンネルを抜けて 福井県側に出て 東山を見て帰ろうということになり、東山いこいの森に登って来て、登山口まで 行って帰りに 管理棟の前に車を停めて景色を眺めていたら、そこへ 管理人の私が出て行って、声をかけました。札幌ナンバーの車が 登って来たのは初めてですし、女の人の顔が 東山の人の顔に似ていると直感したものですから 何か東山と 御縁のある人たちですかと問いかけたのが、始まりでした。
もし私が声をかけなければ、このあたりから先祖が北海道に渡って行ったのだ。ということを確認して帰るだけだったそうです。
それからこれで北海道から来られるのは 3回目になります。
大阪にいる妹さんご夫婦は お兄さんの体の事を心配されて 無理をしない様にと 言われているので 今回は 内緒にしておいてほしいとの事で 私も 大阪には お知らせしていません。
本当は 両方とも 逢いたいのではと 思いますが、今回は お兄さんの言うことを聞くことにしました。
帰りは 谷のお寺の前の総墓にお参りをして、白峰を抜け、佐渡の友人の所に寄ってから帰ると いっておられました。
普通の体の人間でも、なかなか大変なことなのに よくやられると 感心します。またそういう人だからこそ障害を乗り越えて生きておられるのだと思います。
私も見習って生きて行かなければと 思います。
会った人への一言の声かけは 大切なことだと 思います。
先ほど昼過ぎ3台の岐阜ナンバーの車が 登って来てワイワイガヤガヤ、食事をする所を探していました。
雨も降っていて 屋根つきの所で無いといけないしと 思っていましたが、 
管理棟には 来ないで その辺うろうろされていますので、
休憩するのなら 受付をして下さいと 少し強い口調で言いました。
すると、素直にハイ分かりましたと 来てくれ 受付をして下さいました。
受付したり、お金をとるのかと キレる人も多い中 素直に応じてくてました。
お話を聞くと、お父さんが89歳お母さんがこの11月で88歳になるので 家族で祝たびをしているとの事でした。総勢16人4世代の人々の集まりでした。
幹事役の息子さんは私よりも少し若い方でしたが 同世代、山が好きで今度は一人でテントを持って来たいといわれました。
今から 白山スーパー林道を通って 白川郷に行ってから 帰るとの事、大変素晴らしい 88歳のお祝いだと思いました。
お父さんもお母さんも お元気でひ孫たちも行儀が良くて いい家族だなーと 感心しました。
芦屋市から来られた家族は、野上グループの野上さんと 郵便番号が2番違うだけの 近所の方でした。そういえば 野上グループは 今年は一回しか来られませんでした。皆さんお元気なんでしょうね。
枚方の3家族のグループも 去年代表の家族が来られて よかったからと 友達家族を連れて来て下さいました。
残念ながら 記憶になかったのですが、写真を撮ってもらわずに 帰って終われたそうでした。それでお礼の手紙や写真も送れずじまいになってしまっていて 申し訳ありませんでした。いろいろな人との出会いが 喜びであり 明日への 活力となることに感謝。

美唄からの客人

2011年10月29日 16時35分11秒 | 日記
美唄からの客人のお祖母さんが東山から 明治19年に北海道に渡ったその孫に当たる人です。
25年前にオートバイ事故で首の骨を損傷、それ以来半身不随で 大変な努力をして 自分で車を運転出来るまでになられたとか、
足の裏も感覚が無いので アクセルやブレーキを踏んでいるのを感じることは 出来ないそうです。
エンジンの音で どのくらいのスピードがてでいるのかを判断するとの事でした。
全神経を耳にもって行く感じだそうですが、すごいと思います。

しかし先日の電話では、来年になったら もう行けなくなるかも知れないので 今年中にお祖母さんの生まれた所を見ておきたいと いって来られました。
バンガローやコテージに宿泊するのでは無く、車の中に一式入れてあってそこで寝るのが 樂なのだそうです。
又従兄弟たちも沢山おられるので、連絡しましょうかと 言うと 連絡すれば気を使うから しないで欲しい。
とにかく、あなたと 話がしたかったと 言われます。
昨日と、今朝と 私が御所が原で育った子供時代の事を話させて頂きました。
そうすると、いろいろ お祖母さんがやっていたことが ようやく理解出来たと喜んで おられました。
北海道の家にお祖母さんが ホウの木を植えてあって 秋になると 大きな落ち葉が沢山落ちて困ったと 言われたので、
ホウの葉は 田植え時期の忙しい時に ほう葉飯と云って、ホウの葉にご飯を入れてその上にきな粉をまぶし、包んで田んぼに持って行って。
小昼や昼飯の時間にそれを 土手に座って、みんなでたべたもの、又、蕗やウドワラビなど田植えの時期に山で採れる山菜の煮しめも同じ様にホウの葉に包んで持って行って、食べたことなど 話させて頂きました。
食べた後のホウの葉は 洗ったり片付けたりしなくて田んぼの肥料にしていた事。
先人の知恵、エコであった事などの話で盛り上がりました。
北海道と 東山ではどちらが暮らしやすいかなどの話もしましたが、北海道に渡ってすぐの暮らしは並大抵の事でなく、
一鍬、一鍬汗水流して、開墾していく苦労は、震災などより厳しかったのではと 思います。
今日は、天気も良いので 又従兄弟たちに 挨拶だけして来ると言って 出かけられました。
又従兄弟の人たちは みんないい人なので 快く受け入れて 頂いているものと思います。





新潟の滝澤さんから 久し振りにコメントを頂きありがとうございました。
私の母もディケァセンターで お世話になっています。
大変なお仕事だと 思いますが どうぞ宜しくお願いします。
東山で撮った写真で間に合うのでしたら どうぞお使い下さい。
要介護の人たちの心が少しでも癒され喜んでいただけるのなら 私も嬉しいです。















ドウダンの散髪

2011年10月28日 17時19分23秒 | 日記
 今日も天気がいいので ドウダンツツジの散髪をしました。






























イワナのつかみどり用に池の中に網を入れて 飼っていたイワナの逃げ出したのが 泳いでいます。のどかな小春日和の一日です。



外は ぽかぽか温かいのですが 管理棟のむ中は 10℃しかなく 時々外に出て 日向ぼっこしています。
夕方、北海道から 河奥さんが やって来られました。
フェリーで敦賀まで来て、敦賀から 越前海岸を通って 河野で北前舟の右近家を見学して 登って来られました。
お祖母さんの生まれ故郷の東山が 懐かしく 忘れられないのだと思います。
北海道に移民して行った人たちの事を思うと、この東山、五所が原を守っていくのが 残されたものの使命であると思います。
西南に沈む夕日は 昔もこの様にきれいであった事でしょう。




朝6時気温零度。

2011年10月27日 17時08分21秒 | 日記
 今朝福井の家を4時過ぎに出る時、気温は7℃でした。勝山に入ると4℃。北谷の北六呂師の温度計は2℃。
東山いこいの森まで 登って来るとついに、0℃でした。しかし風が無く、だんだんと 空が橙色になって来ると、谷々からはつ夜露が霧になって蒸発し始めそれを見ていると、気持ちも温かくなって来て、0℃と言っても 厳しい寒さを感じることは 有りませんでした。
昨日は、3週間ぶりに庭掃除をさせていただきに 行って来ました。
ウメモドキがきれいに咲いていました。



沢山の落ち葉を拾い集めると、苔の緑が生き生きとよみがえって庭がしっとりと 落ち着きを取り戻します。
東山いこいの森の様に落ちて来た大きな杉の枝を集めるのは 重労働ですが いくら広いといっても、
家の庭には、境界線もあって はっきりと 区分けが出来ているので どこまでやったか目に見えて 分かるので 
いいです。
今日も ヘリコプターが 生コンのバケツや資材を忙しそうに運んでいました。
静かな山だけに 音が響いて やかましく感じますが、青い空に舞う大きなトンボの様で 見ている分には








結構楽しいものです。
週末は 気温も 上がりそうなので 来られる方は 楽しみにしていて下さい。

親鸞上人御一代記全五巻

2011年10月26日 20時19分56秒 | 日記
 親鸞上人御一代記全五巻を写真に撮っていました。
その他にも、一緒に保管してある書物を写真に撮りました。
きれいな本は木版印刷だと思いますが、そのほかに、手書きのものが沢山ありました。
今までは、見ても字がきれいでなく読みにくいし あまり価値が無いものと 思っていましたが、
一字、一字筆で写し書きをしたものだと 思うとその苦労に 頭の下がる思いです。
聞き書きというのもありますが、昔の人は記憶力も抜群で凄いと思います。
私には それだけの集中力は有りませんし、信仰心もありません。
親鸞上人御一代記を見て、五木寛之氏の親鸞を読めば良く理解し易いのではと 思いました。
冬の間も結構忙しくなりそうです。















今日もあの時の様に寒い日でした。

2011年10月25日 16時25分00秒 | 日記
 ミゾレは降りませんでしたが、それに近い寒い日でした。
東山いこいの森にとって 今日は、忘れてはならない 一日です。
昨晩は 五木寛之氏の親鸞の下を読んでいました。
そういえば家に絵入りの御本があったと 思うので帰って見てみようと 思います。
沢山のお経の本の中に入っていたので 私には読解出来ないと 思います。
私より6代前のお爺さんの本です。
御所ケ原物語を作る資料にする為にも いろいろ勉強しなければと 思っています。












平成18年10月24日の事。

2011年10月24日 17時35分29秒 | 日記










平成18年10月24日。一年に一度、勝部先生お会いして何所かで一泊することが10年程続いたのですが、平成18年は 真ん中ぐらいの年だったと思います。
白峰の山和荘に 泊って、先生はお酒を少し飲まれ、五所が原の我が家へ初めて来られた時のこととか、海軍航空隊で台南におられた時のことなど、お話をして下さいました。
昭和30年、未だ北陸トンネルが出来る前の事で 福井駅で仮眠をとって朝一番の京福電車で勝山まで来て、後はバスが谷まで来ればいいが、北六呂師までだったり、時には杉山口までだったりで そこから スキーやリュックを背負って雪道を五所ケ原の我が家まで 歩いて来た事などをよく話されました。
次の日は ミゾレが降っていましたが、岩間温泉まで行って来ました。
白峰に戻り、谷トンネルを越えて、東山いこいの森へと 登って来ましたが、上のトイレの所で 通行止めのバリケードがしてありました。








私は、どけて登ろうとしましたが、先生は やめておこうといわれるので、登らずに帰りました。






この時 東山いこいの森の管理をする者がいなくなったという事で、それなら私がやると決意しました。
それまでは 谷の村で管理人や掃除、草刈りなどやっていたのですが、次の年からは 谷の村では出来ないという事になって、
それなら 東山いこいの森は どうなってしまうのか心配になりました。
私は、親先祖が守って来たこの谷、五所ケ原、東山を他人に任すわけにはいかないと 強く思い、勤めていた会社は 未だ定年1年前でしたが、やめさせてもらって 19年4月から 管理人をしています。
勝部先生や山和荘の社長、奥さんに助けられ、勝山では、母の同級生の田中繁康先生が私が管理人になってやっている事を喜んで下さり時々車を運転して見に来て下さっていました。今年も2回来られました。
6月に来られた時は お元気だったのに 今は 入院をされもう食べられなくなっておられます。
6月に 撮った写真を病院へ持っていったところ、御兄弟の方たちが欲しいといわれておられますので今度福井に帰った時に焼き増しをして来ます。
東山いこいの森が出来た当時、田中先生も 北谷の事として係わっておられ、村の若い集に山菜などを採って来てもらい大きな鍋でキャンプに来られた人たちにふるまったと おっしゃっておられました。
そのころは、4月1日。東山いこいの森のキャンプの予約で市役所の前に行列が出来たとも言っておられました。
もうそのような 賑わいは 有りませんが、平成18年に誓った事を守るのが 使命と 思っています。
今年はまだ ミゾレも降っていません。

なんとかと秋の空

2011年10月23日 17時42分10秒 | 日記
今朝も今の季節にしては、温かい感じでした。
雨は 降りそうでしたが 道路は乾いていました。
9時半ごろになって 雨あしが少し強くなって来ました。
それでも 登山の車は 結構登って来ていました。
雨は 1時間程であがり また気温が高くなって来た感じでした。
バーベキューの予約のグループは 薪ストーブを持って来られましたが
使わ無くても 充分温かかったようでした。
ボーイスカウトの人たちが帰って行かれる時も 雨は 降っていませんでした。
今日は いい一日で終わるのかなと 思っていたら、



















バーベキューの人たちが 大滝まで 行って来ると 出かけられてから しばらくして 
キャンプ場は 霧に包まれててしまいました。
大滝から帰って来られた時には 霧の中の小雨状態でした。
その後今も雨が降り続いています。
勝山のボーイスカウトの皆さん。鯖江の病院の皆さん ありがとうございました。
3日続きの晴天は無いと 言われますが、21日に登って来て本当に良かったと思いました。

めっぽう暖かな一日

2011年10月22日 17時21分59秒 | 日記
 午前中は雨が降ったり止んだりの愚図ついた天気でした。
昨日、取立山へ登って来て 正解でした。
今日は南風が吹いて 大きなホウの葉が風に飛ばされて カサコソ、サラサラ音をたてています。
未だこの前の時の様に杉葉が落ちて来ないので 助かっています。
台風でお流れになった ボーイスカウトが今日来てくれました。
天気予報では 雨になっていたので 今度もだめかなと 思っていましたが 
3時に来られた時は 道路も乾いていて ラッキーでした。小さい子たちが 多いので 指導者の方は 大変だろうと思いますが、飯盒炊飯と、カレー作り。
ジャガイモの皮むき、ニンジン、タマネギなど 包丁を使って 楽しそうにしていましたが、
楽しんで やれることが一番いいことだと 思います。
 未だ、冬眠に入っていない 4匹目のマムシ。今度は赤マムシです。
早速皮をはいで、串に刺し焼きました。
今度は、子も入っていなかったので 肝は生で飲み込み、内臓も串に巻いて焼いて食べました。
もちろん 味は いいのですが 私にとっては 大切な薬です。
マムシに助けられての 私です。
明日、昼のバーベキューを申し込まれた病院の先生方が 下見に来られました。
今日なら 温かくて 良かったのですが、明日は どうなるか 分りません、今、風も吹いて
雨も強くなって来ました。
バーベキュー施設は 雨が降っても 出来ますし、薪ストーブも持って来られるとの事ですので 
大丈夫だと 思います。
今降っている雨も 明日には 上がるかも 分りません。
お任せの心です。

取り立て山こつぶり大滝コース

2011年10月21日 15時57分05秒 | 日記
 朝6時半登山口に車を停めて取立直登コースから登りました。



今日は、ゆっくり、ゆっくり登ろうと 決めていたのですが短気な気性のせいで 写真を撮りながら頂上まで
1時間5分で着いてしまいました。


雪の無い白山も7時半では 太陽も何時も登る時間よりも 遅いので きれいに見えました。



初め横に少し雲がかかっていましたがこつぶりに着いた時は無くなっていました。
紅葉は 今が一番見ごろだと 思います。
登山道を一人で歩いていると、風に舞って落ち葉が散る音がサラサラと心地良い 音をたて少し汗ばんだ体を吹き抜ける風がさわやかです。一人で歩いているのが もったいない感じです。
手取ダム、白峰スキー場もよく見えました。



勝山恐竜博物館の銀のタマゴが光っています。
越前兜、大日、小大日も確認出来ました。
富士写ケ岳は 東山いこいの森からの眺めの方が富士山の様に見えます。









大滝の溶岩の板状節理も分かりました。
大滝から 駐車場への登山道の側壁は溶岩層と火山灰層の呉層露頭があるのも確認出来ました。



炭焼き釜の後など ゆっくり歩いて 子供たちに説明してあげたい気分でした。
小林先生は 今日は大滝から上の川までの植物調査に行かれました。
2.3年後には、素晴らしいマップが出来るものと思います。楽しみです。

河合さん、宮田さん コメントありがとうございました。河合さんは うちの息子と 同年代だと思います。
うちの息子にも 見習ってもらいたいと 思いました。

昨日の写真

2011年10月20日 18時09分03秒 | 日記
昨日、南条、今庄で撮った 写真を載せます。南条の杜山花蓮公園へ初めて 行って来ました。





























田んぼの花蓮は 枯れてしまっていましたが 田いもの葉っぱも 紅葉していてきれいだったので 撮りました。
南条の柿は 沢山なっていましたが 葉っぱが多くて写真には ならないので 撮りませんでした。
ある家の庭木のザクロが みごとな実を付けていたので 思わず撮りました。









杜山温泉には 入りませんでしたが 立派な施設が有りました。



福井は たいがいの市町村に温泉があるのではと 思います。
入り比べてみるのも 面白そうに思いました。
今庄では 孫谷の柿はほとんど風で 落ちてしまったということだったので、二ツ屋の方に回ってみました。
ここには 沢山の柿がなっていました。






今庄の町中も少し撮って、帰りました。
勝山のジオパークの講演会を聞きに行かなくてはいけないので草々に帰って来ました。
今日(20日)大変いい天気でした。
夏からこっち 取立山へ登っていないので 今日行けば白山もきれいに見えて 良かっただろうなーと 思いました。
ちょっと 体力に自信が無いので どうしようか迷っています。

今庄まで行って来ました。

2011年10月19日 14時58分56秒 | 日記
86歳の写真の師匠と 今庄まで撮影に行って来ました。




途中南条の杣山花ハス公園へ寄って、もう枯れてしまったハスの葉っぱなどの写真も撮りましたが 
作品にしようと 思うとなかなか難しいものがあります。























足を伸ばして 今庄の孫谷へ ここは吊るし柿で有名な所ですが 
村の中の柿の木には あまり実がついていません。
通りかがりの村の人に聞くと 風でほとんど落ちてしまったとの事でした。
南条では 沢山柿がなっていたのに 少し離れているだけで こうも違うことにびっくりしました。
ここでは杉の木よりも柿の木の方が大切にされる 土地柄と聞いているだけに、今年の吊るし柿つくりは たいへんだろうなと 思いました。
熊もイノシシも出た様子は 無いのに 風で落ちて終うとは、、、、。
今庄でも 孫だにより 別の谷筋、北陸本線の通っている方へ入ると、こちらは 沢山の柿が 成っていました。
東山の山の中だけにいては何も 分からない事が 写真の師匠と 撮影に出かけたことで 自然の厳しさを知ることが 出来ました。
これからは、行ける時には いろんな所へ まわって見なくてはと 思いました。
写真は ハードディスクを東山に置いてあるので 今日は取り込む事が出来ません。
この後 勝山に帰って ジオパークの講演会を聞かせて頂こうと 思っています。
今日の写真は 昨日東山で撮ったものです。