東山いこいの森の仙人

福井県勝山市にあるキャンプ場「勝山市東山いこいの森」の日々の暮らしを発信します。

足羽山から朝倉氏遺跡へ

2013年01月31日 12時49分43秒 | 日記
 足羽山西墓地公園登り口から、登って行くと、除雪がしてなくて、少し心配でしたが、とにかく登る事にしました。
慰霊塔の所まで行くとそれから 先は除雪がしてあって、一安心。
福井市自然史博物館の天魔が池は氷が張っていました。











町並みの景色は、競輪場の方角だけが靄がなく写真を撮る事が出来ました。
足羽山を降りて、木田橋を渡って 足羽川右岸を朝倉氏遺跡に向かって走行。
途中、北陸自動車道を潜る少しカーブになった下り坂で、道路から田んぼ側に落ちている車がありました。
道路に雪は有りませんが、気温は0度以下なので、スピードの出しすぎ、急ハンドル、急ブレーキを使わなくてもいいよう、安全運転第一です。
 越美北線が鉄橋を渡る手前の踏み切りが閉まっていたので、車を安全な場所に停めて、写真を撮る事にしました。今まで何回もこの踏み切りを通るのに 列車に出会ったのは、初めてです。






 唐門には、もう陽が射していて、モミジの小枝の氷、溶け出してしました。





















帰り道では、ノスリの様な鳥が木にとまっていたので、車を停めて、ドアガラスをおろして、カメラを構えると、
飛び出したので急いでシャッターを切りましたが、うまく撮れませんでした。
まだまだ未熟です。
 郵便局へ寄って、明治40年代に御所ガ原から、北海道天塩に渡って行った子孫の人の所に、爺さんや婆さんが話していた、故郷御所ガ原の事や今でも伝え残っている仕来り、言葉、などの事の手記を書いていただこうと、35年前に福井新聞に掲載された、「先人は海を越えた」の5日分の記事などつけて、送りました。
 私より5歳年上で、学校へ行く時など いろいろ面倒をみてもらっていた、隣の姉さんが京都の八幡市にいるので、そこへも手紙を出して お願いをしました。
 御所ガ原総動員作戦開始です。

朝日新聞2012年読者の新聞写真

2013年01月30日 17時41分54秒 | 日記
今朝は、朝日新聞福井版と、全国版に名前を載せていただくことが出来ました。
 福井版は、「読者の新聞写真」代表作決まる。
という事で、三人の中に入れていただきました。作品名は、「変わる秋空つかまえた」で東山いこいの森での
虹と幻日の写真です。
全国版のは2012年読者の新聞写真代表作7点。と全日写連奨励賞として5団体、1個人。です。
◎岩手県本部は震災からの復興を願って取り組んだ「東日本大震災復興写真コンテスト・立ち上がれ岩手」を催すなど、会員以外にも広く呼びかけ、若い層のや女性など写真ファンの広がりと交流に努めた。
◎東京本部 東京都写真展、カラーフェア写真コンテスト、春の隅田川撮影会、馬事公苑撮影会(春、秋)、秋の代々木公園撮影会などを積極的に開催し、会員数の増加につなげた。
◎愛知県本部 中部本部の中核として、県下各地の撮影会、コンテスト、初心者向け写真教室などのイベントを活発に行っている。また、天体写真むや動物写真、季節の風物詩などの写真を積極的に支局へ提供し、社会面、地域面などに多数が掲載されている。
◎源野正弘さん 源野正弘さんは、季節感あふれる自然の風景や野生動物の質の高い写真むを頻繁に福井総局に投稿。複数の写真むがミニグラフむのような形で掲載されることも多く、福井県版への貢献度は非常に高い。
◎鳥取本部 「カメラ女子」を対象にしたテーブルフォトの撮影会を開催。廃校となった小学校の木造校舎を利用してユニークなイベントを企画した。参加者の評価も高く、将来につながる業績を残した。
◎長崎・佐賀ブロック 西日本主催「2012長崎・雲仙撮影会」を担当し、地元自治体と協力してイベントの成功と連盟の知名度アップに貢献。年間の活動を通じ、新規会員の獲得に努め、紙面への投稿にも積極的に取り組んでいる。という 日写連を代表するそうそうたる各本部の中に一個人として入れて頂き、大変光栄に思います。
写真を撮る原点は、好奇心と行動力にあります。と田沼審査委員長も書いておられますが、技術的には、まだまだひよこですが、怖いもの知らずの好奇心と行動力はあると思っています。
ただ 福井総局の方々が、名も無い私の写真を取り上げてくださつたからこそのこの度で あります。
勝山市東山いこいの森は、大自然に囲まれた素晴らしい所です。
この自然を大切に守り、県内外から 来て下さる皆さんに、自然を満喫していただき、心安らかになっていただければと 願っています。
キャンプ場内を点検して周りふと見上げると カモシカの親子がこちらを見下ろしていました。
カメラを取って来るから 待っていてね。と お願いをして、15分程して 戻って来ると、本当にそのまま待っていてくれました。
まさか私の言葉が通じた訳では無いでしょうが、それだけ、野生の動物も人間を警戒していない自然な所と いう事が出来ます。








本当に残された、大切な宝もの この自然をみんなで守って行けるといいですね。

駅前の勝木書店へ

2013年01月29日 18時21分19秒 | 日記
 駅前の勝木書店へ福井県史を買うつもりで、駅裏の駐車場に車を停めて、ナップサックを持って歩いて行きました。
道路には雪も無く、久し振り普通の靴を履いて行く事が出来ました。
 しかし目当てにしていた 県史は、求めていた物とは、内容が違っていたので、買いませんでした。
せっかく勝木書店に来たのですから、何か本を買わなければと「福井県謎解き散歩」という本を買いました。
ハガキサイズの単行本ですが、題名通り謎解きが コンパクトに明解に示されていて軽快に読み進んで行くことが出来ます。
福井駅西の再開発のため建物の解体が進んでいます。
これらが 完成すれば、福井県の玄関もスッキリすることでしよう。
福武線の電車が越前鉄道とつながれば 「福井県の謎解き散歩」にも 新しい章を設けて改版しなければならないでしょう。









年の市の記念品。

2013年01月28日 16時15分45秒 | 日記













 越前鉄道で、終点勝山駅に降りて、改札を出ると、勝山 年の市へ ようこそ書いた、五画の絵馬のような










飾り物を頂きました。
ヤマトクルミのカラにきれいに塗装がしてあって、ドリルで穴を開けて糸を通しビーズ玉や鈴まで付いていて
大変凝った物です。
裏に勝山市電車利用促進会議と刷ってありましたが、新しくなった駅舎も刷ってあって 素晴らしいものです。
もう一組は、勝山市北部中学生が「わがまち魅力醸成事業」の補助を受けて地域の活性化を願って作成したという、交通安全のお守りの様な物を生徒さんたちが、寒い雪の中に立って、お願いします。と言っていたので
100円では、申しわけ無い気がしましたが、買わせて頂きました。
一生懸命にやっている姿は、とても純粋で素晴らしいと 思いました。
写真も撮らせてもらいましたが、プライバシーの問題もありますので、何処にも公表せず、本人たちにさし上げようと思っています。
 今朝は、昨日とは一変して、福井の街中でも積雪20センチになり、早朝より除雪車も走りまわっていました。
何時も、朝6時過ぎに玄関前の駐車のスペースを確保する為に雪かきに行かせて頂いている、先生のお宅の所も丁度除雪車が来ていて、玄関の階段の所に何時もなら 圧積された硬くて重たい雪の固まりを積まれてしまって大変なのですが、スコップで道路と階段の境いを分かる様に出来た事で、きれいに除去してくれました。
勝山に比べて、福井の除雪は あまり上手とはいえないのですが、今朝のオペレーターの人は 大変上手でした。ありがとうございました。








       




勝山年の市。

2013年01月27日 18時56分19秒 | 日記
 今朝の福井市内雪は少なかったのですが、道路が凍結していて、バスがなかなか来ないので、息子に福井駅まで送ってもらって、8時6分福井発の越前鉄道で、勝山にむかいました。
吹雪になるのを期待していたのですが、段々天気が良くなって来て、冬の厳しさを表現する写真は撮れなくなりましたが、40年振りに乗る勝山行き。切符を買う場所も間違えてしまいました。
公共交通を利用していなくてゴメンナサイ。











 年の市の会場では、北谷のサバのなれスシの皆さん。北谷のイワナの皆さん。商工会議所青年部の皆さん。
おかんの店。市役所の林業振興課の皆さん。同級生。などなど沢山の人にお会いする事が出来ました。
本町の老舗のお菓子やさんで、着物を着て店の前で丁稚羊羹を売っていた女の子は、初めて写真を撮らせて頂いた時は幼稚園児でおばあさんと一緒だったのですが、近頃おばあさんを見かけませんがとお聞きすると、亡くなられたとのことでした。
まだそんなお年ではないと思っていただけに、ショックでした。
年の市や左義長の時、店先で写真を1枚撮らせていただいているだけのお付き合いでしかありませんが、
おばあさんは、この子の幸せを何時も願っておられた事と思うと、私自身は何の手助けもしてあげる資格も力も有りませんが、影ながら 応援させて頂きたいと思っています。
 評判が良くて、行列が出来て直ぐに売り切れてしまうイチゴ大福。1ケースゲット出来たのを 
家に持って帰り、母、妻、次男、私の4人で頂きました。
 商工会議所青年部の元部長からも、友人で鯖江の商工会議所の人が、東山いこいの森へキャンプに来られて、
私が、その方に出した年賀状が手書きであったので、ご自分はもちろん、社員の人にも、手書きで書くように言ったとの事。
私のたった1枚のハガキを そういうふうに 受け止めてくださる人おられる事は、感動で感謝です。
写真は、写真自体の技術は、一番大切な事ですが、人、自然に対しても 思いが伝わる事を写し出されるようにならなければとも 思います。























波浪警報。大雪注意報。

2013年01月26日 16時18分18秒 | 日記
波浪警報。大雪注意報。気温も低いので、出かけるのはおっくうでしたが、11に腰を上げ三国へと向かいました。
九頭竜川を渡って、三国の竹田川の間の福井平野の田んぼ道は、さえぎる物か゛無く強烈な西風が吹いて、視界も悪く、途中で引き返そうかとも思いましたが、波浪警報でないと撮れない写真を撮りたくて注意しながら慎重に進みました。
あんのじょう松島水族館横の岩場は風が強く、三脚毎倒れそうで迫力満点でした。






























雄島、東尋坊と周り、鉾島を越えて、波の華の撮影ポイントまで行ってまみましたが、気温も低く風もキツイのに、残念ながら波の華はまったく出来ていませんでした。
帰り道、鷹巣の港、お地蔵さんと赤いポストの写真など撮って戻って来ました。走行距離60キロ。













 福井では12センチ、雪道ネットの御所ガ原はついに2メートルを越えました。
山雪なので、福井ではまだ屋根雪下ろしの心配をしなくていいので助かっています。
明日は、勝山年の市です。
朝早く車で行って 手伝おうと思っていましたが、写真の師匠が電車で行こうと言っておられるので、
ここ何年も越前鉄道に乗った事が無いので、越前鉄道にも協力することにします。

先人への想い

2013年01月25日 14時02分26秒 | 日記
 昨日勝山市の図書館へ白峰村史を返却に行って、先日も図書館の中で読んでいた「白山麓・出作りの研究」
牛首村の行方をもう一度読み返していました。
勝山と白峰の係わりは泰澄大師以前からのものであるのに、勝山史誌にはあまり詳しく記載されていません。
私の勉強不足のところも大いにあって、何処かで調べれば素晴らしい資料があるのではと 期待しています。
 「白山全上記」には 谷村辺りよりして牛首辺諸山中出作り小屋と称するものあって、或は山上或は谷間に草茅を結ひ、夏秋の間ここに住して、畑を作り薪を採て世をわたるもの啻に千百にあらず。
冬春の際は深雪を避けて諸方の大在に出づ。福井に於て牛首乞食と称する者是なるべし。
その後、「白山全上記」に啓発され、天保4年〔1833〕福井藩士高田保浄が著した「続白山紀行」には、右に五升ケ原村なり、隠田5百石斗此所に有て、昔は1束之稲に米5升あり、上田成しか共今は庚地と成し由、此辺より水田見なれさる穀物あり、土人のいう、又兵衛草とて種を取、団子にして製し、食事とする〔中略〕、
左の方山上に牛首出村此所40俵斗作得ありし地なりしを、谷村より牛首村江50両之質入ニ致候由、此節谷より過分の金子を以取戻さんと致候得共、牛首ニ而得心させるにより、公事に成しとそ。とある
 五所ケ原の家名が織田、加藤、、山口など白峰村にみられるものがほとんどであり、また彼らが白峰の林西寺、行勧寺の門徒であつたことから牛首村民が出作りし定住した集落であつたといえる。
ただ兵庫県から移住したと伝えられる、源野をはじめ、久保田、竹内、小林等は白峰村に見られない家名であり、また彼らが谷道場の門徒である事から牛首、谷両村民が入会に出作りして成立した集落であつたかも知れない。
現在は 「故郷納税」が流行っているそうであるが、出作りは収穫物を母村に持ち帰るのが原則であったのか
それに抗議して勝山藩は厳しく山年貢を取り立てた。それ以降「その地を取立山」と称するようになったといわれています。
このことからすれば、牛首村民が御所ガ原付近に出作りに出たのは、江戸前期に遡って成立していた集落であるかも知れない。
ただ、五所ケ原は「御所ケ原」とも書く様に、木地師との関係も知られ、中世に遡って成立していた集落であったかも知れない。
  仙人の私見としては、水の便も良く、南に開けた穏やかな段丘地は、耕地としての条件もよく、そうとう昔から人が住み着いていたのではと思います。
御所ガ原を中心に、東には東山、西には西山があり、それは、都を思わせるロマンも感じさせられます。
我が源野氏の先祖は、祖母は、兵庫から来たとよく言っていました。
私は、坂井市の上兵庫か下兵庫の辺りからだろうと ばかり思っていましたが、この本をみて、兵庫県から来た事が分かりました。
 何時代に来たのか興味が湧いて来ました。
 御所ガ原弁といえるかどうかは分かりませんが、牛首を母村とする子孫の言葉、又谷の言葉、カッチマ弁や福井弁とも違います。
テレビなどの芸人さんが使う関西弁にはついて行けませんが、関西から東山に来られる家族連れの人たちが
家族同しでしている会話には、親しみを感じる事もあります。
祖母は17代と言っていましたので、私は19代目ですが、谷の村も御所ガ原も5月のフェーン現象の南風゛で何度も火災に遭い昔の資料は残っていません。
 先人たちたが守って来た、厳しい自然の中で生き抜いて来た原点を探訪し、今生きている御所ガ原で生まれた人たち、北海道に渡った先人たちが大切に持っていった故郷の魂は、子孫たちに強く受け継がれていると聞きます。
この人たちにも協力してもらって、歴史的史実としての価値観とは違った、御所ガ原探訪記を作りたいと思っています。




         










          















       








勝山詣で。

2013年01月24日 21時49分14秒 | 日記
 勝山地場産センターが今まで使用していた備品を希望の団体に分け与えるという事で、東山いこいの森へは。畳が10枚いただけるようなので、林業振興課の職員さんと、確認に行かせて頂きました。
畳は、他にも、勝山ニューホテルさんも希望しておられるとの事で、何枚いただけるか分かりませんが、とにかく何枚でも、いただけるだありがたく、また、バンガローに敷きたいと思っています。
12号、15号、16号、17号、の各棟には昨年敷きましたので、11号、14号棟に入れさせて頂きます。
昼飯は、沢のおおもり食堂でタマゴとじのカツ丼を食べました。













ヨーロッパ軒のソースカツ丼も美味しいですが、勝山の大衆食堂のカツ丼も素朴なオバチャンの味で美味しいですよ。
東山いこいの森の本年の年賀状の版画を額に入れて飾ってもらいました。
平泉寺郵便局へ行って、年賀状4等の切手交換6枚して頂きました。
朝日新聞社から電話があって、現金を振り込むから口座番号を教えて欲しいと言われてから、1週間以上経ったので、振り込まれているのか、確かめてもらいましたが、まだ振り込まれていないとの事でした。
















御所ガ原の参考になる資料

2013年01月23日 14時19分59秒 | 日記
 家にある本の整理をしています。
御所ガ原とは 関係の無い本「海音寺潮五郎」の武将列伝、悪人列伝、西郷隆盛、などは、昭和50~52年にかけて 県立病院に入院している時に読んだものです。










あの頃は、40歳まで生きられるとは思っていなかったので、感慨無量のものがあります。
御所ガ原には 直接関係なくても、思想的には 参考になるのではと思っています。
 昭和47年初めての手術の時には、井上靖、「狐狸庵先生の」「沈黙」や「ドクトルマンボウ先生」の本を
読んでいました。
病気のお陰で本を読む時間はたっぷり有りました。
ただ、病室がしらじらと明けてくる気配を 感じる時が 一番嬉しく思いました。
朝になるのが 待ち遠しい日々でした。
今は、少しでも夜が明けるのが 遅いのをいいのにと思うことがあります。
ちなみに、寝る時刻は定かではありませんが、起床時刻は 毎朝4時です。
これは、東山いこいの森でも 同じです。





 












ビタミンB12の注射

2013年01月22日 17時20分14秒 | 日記
 掛かり付けの病院へビタミンB12の注射に行って来ました。
血液検査もして頂きたかったので、朝食は食べずに行きました。
血圧は、107の56でした。
しもやけ対策の薬ももらって帰って来ました。
これで3カ月間大丈夫でしょう。
家の周りは雪が無くなって北陸の冬とは思えない陽気です。














母が あさかぜリハビリセンターでお勉強した、恵比寿さんのぬりえです。
あさかぜに行く事を楽しみにしていてくれる事が感謝です。
スタッフの方々によくして頂いているお陰です。
ありがとうございます。














白峰村史を写真に

2013年01月21日 18時50分43秒 | 日記
 白峰村史の必要な箇所を先日、家のプリンターでプリントすると、光が入って黒くなるところや分厚い本なので、ピンボケの箇所が出来たりするので、カメラに撮って、修正を加えて、保存しようとやってみました。
枚数むが多くなって、一日のアップロード枚数を越えてしまったので、
撮り方の説明の写真を今日アップロード出来ませんでした。
三脚にカメラをセットして、玄関先で撮りました。
これも、本の厚みが半端ではないので、ピントが合いずらかったり、斜めになってしまったりしましたが、
コピーしたよりは、うまく出来たと 思います。
精密に撮影出来る装置を作ってやれば、もっと正確に出来そうです。
図書館にきれいにコピーが出来る装置があればいいのにと 思いました。
資料を読み返し、利用するには、少しでも 綺麗な文字の方がありがたいのですが、、、、、。
ブログで紹介しても、読めないのではと思います。
 何とか、まとめて、御所ガ原物語にしたいものです。



















































昨日の続き+今日の出来事。

2013年01月20日 18時21分38秒 | 日記
 昨日は、午後3時に 安岡兼雄君の会社の事務所に行って、何箇所かで友達をひろって、勝山の端にある 「なごや」に向かいました。
 今回の世話役の加藤英さんが遅れて来ると言う事なので、先に来ていた8人で飲み始めました。
飲むといっても、とりあえずビール党は3人、あとの5人はノンアルコールで乾杯をして、
世間話を始めました。
いろいろ決め事をしないといけないのですが、どちらかというと、こうして 気心の知れた者が集まって
世間話をするのが 一番楽しい感じです。












暫らくして、世話役が往復はがきの返事、汽車の時間、ホテルの事など、さすが、中学のむ先生だっただけあって、丁寧に調べて、プリントして来てくれたので、助かりました。
JRで京都まで行くか、マイクロバスで乗り込むか、どちらも 面白そうなので お任せという事になりました。
関西に住んでいる人たちが、全員参加してくれそうなので、良かったのではと 思います。
この調子なら、次は、東京でやれば関東組みが参加し易いのではとも 思いますが、
故郷へ帰省して来るきっかけに同窓会を利用してもらえるようにもして いかなければと 思っています。
  今日は、朝から越前海岸へ水仙の写真を撮りに行きたかったのですが、妻の姉から電話があって サバの鮨をあげたから、取りに来て。と いう事で、医科大の近くまで もらいに行く事にしました。
 義伯父は、何事にも 研究熱心で、サバの大きさ、使った塩の量、その年の出来具合など、データーを記録してあって、雪深い、北谷の谷で作っても、松岡で作っても同じ味に出来る。
まだ、ワシの方が巧く出来ると言っています。
谷のお面様にお寺で食するのは、その場の雰囲気もあって、一番美味しく感じます。
福井に持って帰って、食すると、優劣つけがたい気がします。
 甥が、越前町の水仙祭りに連れて行ってあげると 言うので、
家まで車で戻って、家に寄ってもらって、義姉、甥、妻、の4人で行きました。





ご飯を食べ方を教えてあげると言って、食堂に入って、ご飯と味噌汁を注文して、セイコカニを買って、調理場に渡して、中身を綺麗に出してもらって自分でカニどんぶりにして 食べる事が出来ました。










他にも魚を買って、サシミにしてもらったり、焼いてもらう事なども出来ます。
テント販売のカニ味噌汁なども魅力ですが、食堂での食事もいいものだと思いました。










帰り道の海岸には、何処かの写真クラブでしょうか、立派なカメラを持った人たちが 大勢写真を撮っていました。
海岸べりは、雨も降らず撮影には よかったかも知れません。
水仙はまだツボミが多く、左右集落で売っているのを買って来ました。

福井県史から

2013年01月19日 14時01分07秒 | 日記
早朝、城東へ玄関の雪かきに行って来ました。積雪は3センチ程度でしたが、
気温が低く玄関の敷石が凍り付いてつるので滑らないように気をつけていただきたいものです。
 御所ガ原物語の資料として、勝山図書館から借りて来た白峰村史をチェックしてコピーをとらなければ
ならないのですが、インターネットから、大野郡史を見ていて、ついでに福井県史ものぞいてみようと
1と2を開いて見ていました。
大野郡史は、戦前の文体のままのもので 意見は大体分かるのですが難しいです。
福井県史は横書きになっていて、とても分かりやすくなっていて ありがたいです。
 御所ガ原の文字は今のところ 何処にも見当たりませんが、
ほかの ところがいろいろ勉強できて よかったと 思っています。
 今日は、夕方から 勝山で 3月に行われる、北谷中学校37年度卒業の同窓会の打ち合わせが
あるので 行ってきます。


       




 




          













          











            












            















        








                              













                   












               














                    












                   













             

勝山・20日、スポーツ大会 雪不足で初の中止

2013年01月18日 16時43分19秒 | 日記
今日の福井新聞に こんな見出しがついていました。




御所ガ原の観測点での積雪は190センチになっています。
ゆめおーれ勝山では広場も駐車場にも一昨日帰って来る時には 何にもありませんでしたが、
今日は、2・30センチは積もったことと 思いますが、大雪注意報が出ていて、雪不足で雪中スポーツ大会が出来ないなんて、摩訶不思議です。
摩訶不思議といえばもう一つ。
一昨日、私が勝山へ行っている間に 家に電話があって、
また明日します。ということで 昨日かかって来ました。
 朝日新聞の大阪本社の写真部からで、あなたの写真が奨励賞に選ばれたので、賞金をお送りしますので、貯金通帳の口座番号を教えて下さい。というものでした。
私は、何の疑いもなく、口座番号をお知らせしたのですが、今までは、熊の写真で福井での年間賞を頂いた時も図書券でした。
どんな、写真が選ばれたのでしようか、思い当たるものはないのですが。と聞いてみたのですが、係りの人は、
内容は分かりません。との事でした。
天下の朝日新聞ですから間違いは無いと思いますが、雪国の勝山で雪中スポーツ大会が出来ない異状現象を思うと
少し心配です。
まさか、おれおれ詐欺のしニューバージョンかな、、、と此処まで書いていたら正に今4時35分に電話が鳴って
今度は、朝日新聞の大阪本社の写真部の◎◎さんと名乗られて、新聞に掲載された写真で秋の空の移り変わりの2枚同時に掲載されたのが、福井県の年間賞に決まりましたと、連絡がありました。
東山いこいの森の「虹」と「幻日」の写真の事だと思います。
天下の朝日新聞を 少しでも 疑って ゴメンナサイ。
東山いこいの森の 豊かな 自然のお陰です。感謝。感謝。

昨日の後半、

2013年01月17日 16時10分59秒 | 日記
クロカンのスキーを履いて国道まで 降りました。日陰は前日に降った新雪がスノーパウダー状になっていて 
快適な滑りが出来ました。





    






                    

















      







      






       




      







   





     
恐竜博物館は休刊日だったので、恐竜博士の写真を撮って、勝山市図書館へいって、
白峰村史を読んでいました。
勝山の図書館は あまり人がいないので とても静かでいい所です。夢中で読んでいると5時近くになつて終いました。
必要な箇所をコピーしていただこうと思ったら、貸し出しが出来ると言われたので、持って帰って来ました。
最初からじっくり読みなおしています。
それで 今日は一日終わって終いました。
雪が降らなくて ありがたいです。