とうとう大晦日になりました。
今年一年も東山いこいの森の仙人のブログにお付き合いいただき
ありがとうございました。
ブログを始めて4588日となりました。
今朝4時半。
雪が降っていますが3センチぐらいしか積もっていません。
谷トンネルはホワイトアウト状態です。
11時。積雪133センチ。マイナス4.7度。
鯖の熟れ鮨について。
ルーツは何処に有るのか、私の勝手な考え。
ここ数年北谷の鯖の熟れ鮨、として知られる様になって来ましたが
北谷地区全体に冬の保存食としての風習があったわけでは無い。
文章にして記録されると昔からあった様に思われてしまう。
所説あるのかもしれないが、我が源野家に伝わる言い伝えによれば
我が家は江戸の昔から、村々を巡って行商をする人たちの宿にもなっいた。
その中に富山の売薬さんたちもいた。
薬箱が4.5個あったから何人もの人が泊まったと思われる。
その人たちによって江戸時代に伝えられたものと
祖母たちは言っていた。
今は富山の鯖の熟れ寿しとは変化していると思われる。
祖母や母はいなくなったので、今は妹に作ってもらっている。
背開きをした粗塩の塩サバが市販されているので
それを買って来て、塩抜きわして一晩さらしてさ水気を切り
酢飯を作って熱を取ってから麹、細く切ったショウガと混ぜて
サバの腹にご飯を詰める。
樽の中にサバを並べて詰めてく何段にもきれいに並べて詰める。
桶の中に入る蓋をしてその上に重しを置く、昔の石臼があれば
3.4個のせる。
何日かして水が上がって来たか取り除く(水を取らないとカビが生える)
何回か水抜きをして40日ぐらいで出来上がり。
御所が原ではサバを桶に詰める時サバの次にご飯を敷いて
その上に次のサバを重ねて行ったと思う。
今は腹の中に入ったご飯だけだが
子供の頃はサバのまわりに付いたご飯も美味しかった。
桶から上げたまま輪切りにして食してもいいが
囲炉裏で焚き木の赤く燃えて炭火の様になっのを
囲炉裏のつぼからセンパで囲炉裏のツボの横に寄せて
その上ワタシを置いて炙って少し焦げ目がつくのを食するのが
美味しい。
囲炉裏の暖かさとサバのアブラが滴り落ちて燃える
匂いで余計においしく感じられる。
現代のキッチンテーブルで食べるものでは
本来の味はいえない。
山民人の楽しみは、今思えば贅沢だったと思う。
スキーで源野家に泊まていた人たちは囲炉裏の周りでこの様な
祖母たちのもてなしを楽しみにされていた。
年末年始、滋賀県の高校の先生の中には学校の休みの間
ずっと我が家に泊まっておられる人もいた。