東山いこいの森の仙人

福井県勝山市にあるキャンプ場「勝山市東山いこいの森」の日々の暮らしを発信します。

畳18枚確保しました。

2013年02月28日 18時38分16秒 | 日記
勝山市の地場産業センターからの払い下げで 
畳みが頂ける事になっていました。
希望は10枚でしたが、もう一団体も10枚希望していて、
何枚頂けるのか分からなかったのですが、
もう一つの団体がいらなくなったという事で
18枚いただけると、市から連絡がありました。
これで、バンガロー3棟を畳敷きにする事が出来ます。
少しでも、東山いこいの森へキャンプに来て
頂いた人に喜んでいただける様に出来る事が
ありがたいと 思っています。
 今日は、福井西別院の近くで若いお母さんたちの勉強会が
あって、8時半から11時半まで 駐車係りをしていました。







天気が良くて、外にいても、大変気持ちいい日でした。
夕日もきれいで 明日も午前中は 良い天気との事です。








白山麓の焼畑農耕。橘礼吉著。

2013年02月27日 19時00分43秒 | 日記
白山麓の焼畑農耕の本を勝山の小林先生にお借りして、今拝読させて頂いています。
テレビをつけていたら、NHKの新日本風土記で、福井版をやつていたので
暫らく見ていました。
今庄の木の芽峠で20代続く家を家族と離れて、
一人で守っている人が出ていました。
大変だと思いますが、魅力ある生き方だとおもいます。
何時撮影したのか分かりませんが
白山が白く映っていました。右側に青く見えるのは別子山でしょうか、
白い白山の下に薄い青色に見えているのが、
我が加越国境、東山いこいの森のある所です。
昨日、大府のM様から白山の写真でコメントを戴きありがとうございます。
実際に木の芽峠に行って、白山の写真を撮ってみたいものです。











大野上庄のサトイモや、松岡の黒龍。
























越前カニでは、開高さんの懐かしい写真なども出ていて
なかなかいい番組でした。
 焼畑農耕のご本は 専門的で難しいですが、少しずつ丁寧に
読ませていただこうと思っています。
四国ビエについては、以前にも書かせて頂きましたが、
天保14年(1833)に越前藩士高田保浄が「続白山紀行」に御所ガ原で
「此辺より水田にみなれさる穀あり、土人のいう、又兵衛草とて種を取、
団子に製し、食事とする由、保浄云、又稗成るへし、此草
自然生も有之、但たけ長からず、図下に出す」橘先生は
この記録が貴重なのは、又兵衛草・又稗の挿絵がのせられていて
農作物の描写図が掲載されていれば実物と照合でき、資料性は高くなる
と書かれて有りました。
此の時の土人は、文化14年生まれの源野治郎さんででは
無かったかと想像すれば、また 楽しみが膨らんできます。
 白峰村の穂ガチウスの資料も出ていましたが
この形状の臼は、我が家でも使っていました。
材料は栃の木で大きさは外径で1メーター近くあったと思います。
穀類の穂ガチの他に、餅を付いたり、味噌も 
囲炉裏で大豆を煮て、この臼でかって沢山作りました。
この写真の絵の様に蓮華うすになっていました。
この細工技法は「仏さんの台」を真似たもので仏像の
蓮華座の蓮弁と反弁の形式と同じもので
日常参詣する寺院との信仰の厚さをもうかがえるものと
思うと、先祖たちの文化の程度を 今まで知らなかった事を
申し訳なく思い、もっと早くに この御所ガ原物語に
取り掛かっておくべきだったとおもいます。












おさごえからの白山展望。

2013年02月26日 19時00分32秒 | 日記
写真の師匠のお宅へ行く途中、おさごえ民家園の所で、
雪の白山、別山がきれいに見えたので、駐車場に車を停めて、
初めて、「おさごえ民家園」の方へ歩いて行きました。
中に入って見学するつもりは無かったので、
外側の道路を歩いて、白山がよく見える場所を探して
みましたが、白山は見えるのですが、車道から
見えていた別山が よく見えませんでした。
なだらかな白山。







きりっと締まった別山。
白山と別山が真っ白く連なっている姿はこの季節ならではの
素晴らしい景色です。
おさごえの民家園は、福井軒下の
萱葺き民家を集めたものです。





























今度は、中に入って見学させていただこうと思っています。
用事が終わっての帰り道で、西の空に薄っすらと
太陽柱のなりかけが見えました。
家に帰ってじっくり撮ろうと思っていたら、
雲が濃くなってチャンスを逃して終いました。
 











左義長の写真焼き付け

2013年02月25日 18時12分37秒 | 日記
 午前中は、左義長の写真の焼きつけ、
昼からは、久し振りに写真の師匠に会って
ご指導を受けました。
何時も言われている事ですが、
余分なものを入れない、かといって
ただのアップでは、それこそ 大目玉をくらって 
終います。無になる事、無を意識しない事。
これこそ、仙人の境地。
まだまだ未熟です。
師匠をお送りしての帰り道、ウチダキーセンターさんへ寄って
合鍵を作っていただきました。
息子さんが、プリント学習社の生徒さんだった時代は
大きな鍵専門店でしたが、30年も年月が経つと
新しいやり方のキーセンターが出来て
昔からの鍵屋さんは、流行らなくなったとの事。
息子さんは、福井では珍しく、沖縄の海が好きで琉球大学へ行ったのですが、
鍵屋の後は継がないと言っておられ、お父さんは、少し寂しそうでした。
鍵自体も、暗礁番号など必要な電子ロックになったりと進化していますが
昔ながらの職人の技が消えて行くのも寂しいものです。



















左義長2日目。

2013年02月24日 17時07分54秒 | 日記
 予想していたよりも、暖かく車もスムーズに走って、
7時半に勝山に着いて終いました。
北谷のテントの所には、廣田さんが、一人で雪かきをして居たので
手伝う事にしました。
なみえ焼そば、東日本復興支援、ボーイスカウトの
テントの雪かきもついでにやりました。
なみえの人たちに、本町通りのお菓子屋さんからイチゴ大福を
買って来て差し入れをしている内に、9時をまわってしまったので
一本義の酒蔵祭りの方に向かいました。






















昨年は2本しか、売ってもらえなかったので
早くに行って並んでいました。
雪が激しく降っていて、カメラを出す事も出来ず、
ひたすら並んで、10時半にようやく、「槽口」搾りたて無濾過生原酒。
酒蔵祭りの酒蔵でしか販売しない酒をゲットする事が出来ました。
なみえの人に2本上げると、もう一本お土産に欲しいと
言われるので、ボーイスカウトの世話役の方が昨年は
買えなかったと 言っておられたので、上げようと思っていたのですか゛
今年は、並んで買う事が出来たと言われたので、
其の分も なみえの人たちに上げました。
お礼にと、なみえ焼そばを3個下さったので、
これを、ボーイスカウトの子供たちがテントで販売を頑張って
居たので、上げました。
上長渕の久保理容店で 美味しいおでんとご飯を戴きました。
上の子が、保育園に通っているのですが、
私が、おでんを食べるのを見ていて、
「左の手が遊んでいます。ちゃんとお皿を持って食べなさい。」
と言われて終いました。
私は、お皿を持って食べるのは、いけない事だと
思っているのですが、保育園では、溢すのを防ぐために
その様に指導しているのでしょうか。
 7月の23.24日当たりにも東山でのキャンプの計画が
あると、教育委員会の先生から 言って頂きました。
イワナの塩焼きの呼び込みをしたら 焼くのが
間に合わなくなって終いました。
北谷の人は みなおとなしくて 大きな声で呼び込みをしませんが、
こちらの気持ちを伝えるには、先ず 声に出さなければ始まりません。
朝早くからで 疲れたので、ドンド焼きは 諦めて帰って来ました。
今年の左義長は 私にとって 写真以上の収穫がありました。
























勝山左義長今年もなみえ焼きそば、陸前高田の飲むヨーグルト他。

2013年02月23日 22時03分38秒 | 日記
 








勝山に7時30分に着きました。
雪が激しく降っていました。
北谷のテントのコーナーで雪かきやイワナの塩焼きの準備など手伝い、
近くのテントを見ると、昨年と同じく、浪江のやきそば、














市役所の職員さんたちの東日本復興支援の陸前高田を中心とする
物産の販売。
其の隣は、勝山ボーイスカウトのテント。
など、東山いこいの森キャンプに来られる
何時も、お世話になっている方たがやっておられて、
恩返しの真似事のつもりで、売り上げに協力
させて頂きました。
陸前高田の飲むヨーグルト1本600円を8本。
なみえのやきそば4個、2000円。
北谷のイワナ4匹、2000円。
ボーイスカウトの餅1パック、500円。
これらは、家に持って帰っても、食べきれないので、
それぞれ、お世話になっている人へお土産に持っていきます。
買ってて、喜んで頂き。
お土産でまた喜んでいただける。
何か えらい 得をした 気分になれます。
未だ少し、お土産が足りなかったので、明日も買わせて頂きます。
法事が終わって、2時からは、各櫓を回って写真を撮った
記録に、スタンプラリーの用紙を100円で購入しまわりました。
カメラマンが沢山いて、いいポジションが空くまで 待っている時間が無いので
櫓と、ご神体、飾りもんを撮る事にしました。
飾りもんの無い地区もあり、ちょつと寂しい感じがします。
飾りもんを見ると、その地区の意気込みが伝わって来る気がしてとても楽しみです。
 本町通りだけでなく、なみえやきそば、東日本復興支援、
ボーイスカウト、北谷の鯖の熟れ鮨、イワナの塩焼き通りにも足を運んで下さいね。
お待ちしていますよ。
今朝9時半に、三国の安島の人たちが5人来られて
、鯖の熟れ鮨を10箱買って行かれました。
三国からは、遠いのにと、思ってしまいますが
越前鉄道のフリー切符を使って、福井口で乗り換えてくれば
安全、安心コースです。
5月の三国祭りには、勝山からも 是非 越前鉄道を使って
遊びに行って 下さいね。




勝山左義長へ

2013年02月23日 05時37分22秒 | 日記
 今朝は、山沿いに雪が積もり、御所ガ原では265センチ、勝山のスーパーかじ惣の所では33センチになっています。
心配していた 福井市内には、雪はなく、気温も1.1度と 暖かく凍結していなくて安心して、勝山へ
向かう事が出来ます。
 左義長のお囃子が始まるのは、午後2時からだそうですが、6時半には 家を出ます。
昨日、午3時ごろ 勝山南保育園へ 谷のお面様の雪だるま作りの手伝いに来て頂いた、園児さんたちの写真を
お届けに行くと、元町3丁目は櫓の準備にかかっていました。





雪の降る中でしたが、勝山は沢山人がいて、他の町内の櫓も着々と進んで行っている様で
いいなーと 思いました。

















今日は、午前中は櫓の準備の写真も撮らせていただこうと 思っています。
夜まで勝山にいます。
















勝山左義長を前に。

2013年02月22日 11時14分13秒 | 日記
 春呼ぶ左義長と言われていますが、今朝は雪が5センチほど積もりました。
雨系の雪ですので 昼には消えるのではと思います。
原稿の整理を午前中に済ませて、昼から勝山へ行って来ようと思っています。
今年も、東日本大震災復興支援事業の一つとして、小学生たちを恐竜博物館や自然体験に来て頂く
計画があるとの事で、東山いこいの森でも、一泊して頂く予定との事でした。
8月3.4日金曜日の晩の宿泊になります。
天気が良ければ、キャンプファイヤーなどもいていただこうと予定しています。
夏休みに来れる方は、東日本、勝山の子供たちとの交流もいろいろ出来て、思い出に残る
体験となります。
どうぞご計画に入れておいていただければと 思います。
 明日の差義長天気が良くなるといいのですが、
弟の嫁さんの3回忌の法事を勝山後ろ町の善立寺で昼からします。
葬式が入ったので11時からのが12時半からになりました。
お寺の前に櫓もたちますので車も入れないので
母はあさかぜリハビリセンターさんにお願いすることにしています。
















 

御所ガ原物語の原稿の清書

2013年02月21日 18時54分38秒 | 日記





 勝山の人たちにも お願いをして 御所ガ原での思い出を書いていただいている
原稿が集まって来ましたので、
パソコンで清書しています。
今日は、源野 忠行さんの原稿を清書しました。
長い文章ですので、朝から
今までかかって終いました。写真を撮りに行く間も
無かったので、急いで外に出て写しました。
雪が降っていますが、そんなに積もっていません。
 今まである村の歴史書の様な立派なものにはなりませんが
原稿を書いていただくことで、書かれた人たちが
故郷を再認識して いただけたのではと 思います。
今書いていただいたので、色々思い出されて、第二段、三段と書いて いただける
気がします。
書かれた人たちに思い出の文集として、お渡しすれば、
慶ばれるのではと思っています。















睦月神事〔延年〕

2013年02月20日 16時51分51秒 | 日記
睦月神事を調べてみると、福井市大森の賀茂神社で4年に
一度2月14日に奉納されていると出ていました。
天下泰平、国家安穏、五穀豊穣などを願って行われる800年の伝統のある神事で
越前猿楽の本貫の地らしく延年の面影を遺しており、
大行列や田楽を模した稚児舞、農耕を模した太夫の田遊び、
儀礼など、中世芸能の生きた姿を見る事が出来ると書かれて有りました 。
 谷のお面様祭りも、年寄りは〔インネン〕の祭りとも言います。
因縁とは、平泉寺の因縁かとの思いもありましたが、
そうではなく、延年からきた言葉で、本来なら、
お面様にお参りする前に、今は 夏に行われている、はやし込み行列や
、獅子舞、三番叟が雪の中踏み固められた舞台で行われていました。
 旧暦1月15日を前後に今庄杣木俣 白山神社で お面様おこないがあり、
勝山市滝波では2月11日にお面様三面を厨子にお迎えして手厚く祀り
その笑顔を笑顔を五穀豊穣のよすがとし、
池田町では2月15日に水海の鵜甘神社で「からすとび」
「のっと」等の田楽と「高砂」「田村」
等の猿楽能の古態を伝える能舞の九舞が演じられるほか、
稲荷では須波阿湏疑神社で大正7年2月6日の「おとうの日」に
翁神事と能舞を残すが、現在は能面祭りとしてお祀りしている。
月ヶ瀬では薬師堂小白山で「翁の神事」
がされていたが今は2月3日に 特定の家で古面が祀られる。
志津原でも2月17日に白山神社の「春祭り」として御三面を中心に古面が祀られる。
とあります。
 福井県には沢山のお面様祭りがある事が今回 分かりました。
五穀豊穣を祈る祭りは、自然条件の厳しい、
山の民にとっては 大切な行事だった事でしょう。












稲作以前。

2013年02月19日 17時53分02秒 | 日記
 今年の 谷のお面様祭りの 夜の部、谷のオバの料理には、昨日も書きましたが、ムカゴ(山芋のつるに生る実)のゴマ味噌であえた物、栃餅、草餅、ウド、ゼンマイ、ワラビ、蕗などの山菜、と山内美代子さんの家に残っていた、
マタベー(又兵衛草)又稗。の実を粉に挽いて砂糖を混ぜて、熱湯をかけペースト状にした物を 皆さんに試食していただきました。
 私か、子供の頃には、祖母たちが、マタベに他の雑穀などもそれぞれ石臼で粉に挽いた物をゴキに入れて、熱湯をかけてかき混ぜて、食べていました、祖母たちは、砂糖を入れていなかったので、子供の私には、味が無くて美味しいとは思えず余り食べませんでした。
 一昨年亡くなった祖叔母が福井から 御所ガ原に帰って来ると 祖母とよく食べていました。
祖母たちにとっては、子供の頃のおやつ代わりの 懐かしい味だったのだと 思います。
 白峰でカマシと呼んで、越前側では、マタベー、マタベ、和名は四国稗、他にチョウセンビエ、カラッパピエ、コウボウビエ、と呼ぶところもあるとのことです。
いろいろ調べていることを 勝山元学校の先生で、植物に詳しい 小林則夫先生が、興味があるなら 本を貸してあげるとおっしゃっていただき、昨日帰りに お寄りして、「稲作以前」と「雑穀の自然史」「打波川流域の出作り制度とあゆみ」の3冊を お借りして来ました。
昨日から 「稲作以前」を読んでいます。
稲作以前の農耕文化として、照葉樹林焼畑農耕文化があったと書かれています。
村の鎮守の秋祭りでも、稲の豊作ばかりでなく、常に「五穀の豊穣」が祈願され
きたのも、雑穀や豆類・イモ類か稲と並ぶ重要な作物だとする価値観が、久しく農民の間に存在していたためにほかにらない。
我国の田の神信仰の中には、稲作以前の焼畑農耕民のもつ山の神の信仰にまで、その源をたどりうる可能性が見出されるとも書かれていました。
 お面様自体は、七山家一向宗徒が平泉寺僧兵との宗教戦争で戦利品として持ち帰った物とも伝えられています。
最初は14面だったとも7面だったとも言われています。
焼き討ちをして滅ぼした僧兵たちの霊を慰め、自分たちの罪を懺悔し、平和に生きる事を誓い、五穀豊穣などをも
願う、少し 身勝手な祭り事といえるかも知れませんが、
 昼は延年の神事を終え、夜はお寺で老若男女一同に集まり、稲作以前からの食物をみんなで 戴く事は、
 名も無き一山村の罪深き民として、大変有りがたき事です。
毎年こうしてね皆さんに お出で頂き 楽しんでいただけることを願うばかりです。








お面さまへ

2013年02月18日 19時28分12秒 | 日記
 


 1昨日(17日)谷に着いた時の気温はマイナス8度で 水道も完全に凍りついて 水が出なくなっていました。
新雪が15センチほど積もり、朝日にキラキラ輝いていました。




















 雪だるまに被せたゴザボシに積もった雪を払って、勝山南保育園、松文保育園の園児たちがテッシュペーパーに描いてくれたお面の貼り付けや、お宮さんの飾りつけなど 午前中は アットいう間に過ぎていきました。
アマチュアのカメラマンの人たちも早くから来て 写真を撮っていました。
村の人たちは、みんな優しいので、仕事の手を止めて カメラマンの注文に応じていました。
最近は、田舎の人たちが少なくなって 写真を撮らせてもらえません。













 会計の人が風邪で欠席したので、急遽 受付のお役がまわって来て、
身動きが取れなくなって終い、延年の祭事にも参加することが出来ませんでした。
6時からの お寺での、オバの料理、栃餅、又稗、ウド、カッチリイモ、ニカゴのゴマあえ 、鯖の熟れ鮨などなど
150人の人たちが大きな 囲炉裏を真ん中にして 戴く事が出来ました。
ハワイ出身の勝山市の職員さんのチェロが お寺で演奏されました。
場違いの様な感じもしましたが、150人が静かに聞き入っていて、なかなかいい雰囲気でした。










市長さんは、今年は、市内の小中学校に、東山で自然体験をしてもらうと 言っていただきました。
あと 1カ月少しで準備に入りますが、今年は期待できそうです。



































谷のお面様祭り本番

2013年02月17日 05時56分03秒 | 日記
谷のお面様祭り 今日が 本番です。
保育園、市役所の若手の皆さん、その他ボランティアの皆さんのお陰で 沢山の雪だるまも出来上がりました。
本当に ありがとうございました。
 今朝は 今年一番の冷え込みです。
御所ガ原では マイナス8.6度 福井でもマイナス3度になっています。
車の運転には お互いに充分注意しましょう。
今日の夜、お寺で行われる、谷の伝統料理、サバの熟れ鮨や栃餅、オバの味の山菜料理などが振舞われます。
其の中で、カマシを少し味わって もらおうと 言っていました。
カマシとは、白峰地方の呼び名で、白峰からの出作りの多い東山、上原、奥の河内、御所ガ原では そういう人もおおいのですが、谷や御所ガ原でも、越前集は、マタベー、あるいはマタベといいます。

四国稗(シコクビエ)はイネ科オヒシバ属の一年草だそうです。
原産地はアフリカ東部。
イネよりも先に中国からもたらされたもので、イネの栽培が困難な山間地で栽培されて食用されていたもので
標高700メータ前後に点在する 出作り地帯ではアワ、ヒエと同じく 栽培されていました。
「白山麓・出作りの研究」の本によりますと、牛首村から越前側への出作りの民が多い事について、この山地が白山麓の山地に比べて土地が肥え、南向きで日照時間が長く、斜面が緩やかでヒエ アワなどの栽培や養蚕に適していたからと書いて有ります。天保4年(1833)「続白山紀行」に、御所ガ原付近の様子として、御所ガ原村谷の出村なり、(略)此の辺りより水田に見なれざる穀あり、百姓の言う。又兵衛とい草とて種をとり、団子に製し食事とする由、保浄云う、又稗なるべし、此の草自然生えもこれ有り、但したけ長からず。とあります。稗は畑よりも田で育てるほうが収量も多く、又兵衛草「又稗」はカモアシのことで、主に炒粉(おちらし)や団子にして食べたとの事です。
カモアシ、白峰ではカマシといいますが、実の形が鴨の足に似ているところから 付いた名前の様です。
越前側の又兵衛は、 又稗、ヒエの仲間という意味ではと 私はおもいます。
今日は、市長をはじめ、平泉寺の平泉先生から どんな 感想をいただけるか 楽しみです。
北海道に渡った人たちも この種を持って行ったのでしょうか。












昼から市役所青年団職員の方々が応援。

2013年02月16日 17時41分15秒 | 日記
 今日は、谷に泊まるつもりでしたが、体調が良くないので、帰って来ました。
午前中は、村の人たち6人で 何とか70個の雪だるまを作ることが出来ました。
私も頑張って 手伝ったのですが、右足の付け根のリンパ線が痛くなって歩き辛くなって終いました。




昼食を戴いてからは、勝山市役所の若手職員の人が20人余り応援に駆けつけて下さり、雪の降る中、2時間ほどで130個のや雪だるまを 作って下さいました。












































本当にありがとうございました。
お寺に入っていただきオバチャンたちが作った 暖かいゼンザイを食べていただきました。






















本当に助かりました。
谷の気温は昼間でもマイナス2度でした。
新雪も朝から20センチほど積もりましたが、明日は良い天気との事楽しみです。
リンパの痛みの原因が分かりませんが、何とか 治って欲しいものです。