昼過ぎに 糸魚川行きが 保留になったと 連絡が 入りました。行きたい気持ちも ありましたが 不安も あったので ほっとしています。 朝方は、9時から 10時まで 山村の風景を 撮りたいので 説明を してくれる様に頼まれて いたので、北谷へと 向かいました。あまり早く行っても どうかと 思ったので 時間を調節して 六呂師の公民館にも寄って、五所が原の歴史を書く資料が無いか 訪ねてみました。 地図のむ様なものや 文献なども 市役所の方で 一括管理しているとの事で 公民館で 気軽に閲覧する様な事は 出来ないとの事でした。壁に 地図が 一枚と 明治時代の 戸数を書いた紙が 貼ってあったので 取り外して コピーをするのも大変なので 写真に撮らせて もらいました。 北谷の子供の村小学校の所まで 行くと 上から バスが 下りて来て 撮影は 終わったので 勝山のゆめおーれに行くとの事でした。今まだ 9時を少し回っただけなのに そんなに早く帰られたのでは 福井から 何をしに来たのか 全くの無駄足になって 終いました。雨は 降っていましたが 雨が降っても そこで 生活をしている人もいるのだし、写真にする 風景は いくらでも あると 思うのですが 少し がっかりしました。 これなら 今日から 糸魚川へ いけたのにと 思ったのですが 福井に帰ってみると 現場の 都合で 写真撮影は しばらく 延期になったとの 事でした。 ニコンクラブの皆さんのお陰で 糸魚川へ 今日出発出来なかった事が かえって 良かった事に なった事を 思いますと、腹を立てている場合でなく かえって感謝しなければと 思いました。 ニコンさん 有難うございました。
今朝は 雨模様で 福井を出る時には、風も有りました。 あまり 人のいないうちに 12の櫓を 全部回りました。 ついでに スタンプラリーの紙を持つて 回れば よかったのかもと 回った後で気が付きました。 櫓、作りもん、最後に燃やす竹を組んで作った 御神体?〔前に賽銭箱が置いてある〕も 撮って 歩きました。 しょぼしょぼ雨が 続いていたので 写真だけ撮って 3時には 帰る事にしました。 昨年、一昨年に比べて 人出は 少なかった 様に 思います。櫓の人たちが せっかくこれだけの物を 準備したのだから もう一日ぐらい。使ってもらったほうが いいのにと 言ってしました。作る ご苦労を 思うと 2日で 片付けて仕舞うのは 惜しい気もします。 夜9時からは 九頭龍河原で 12のドンド焼きが 盛大に行われ いよいよ 奥越に 春が来ると いった感じです。 3月といっても 明後日からの事ですが 次男が 勤めている 会社の写真を 撮る仕事を する事になりました。 写真を撮るのは 好きですので 簡単に引き受けたのですが 内容を 聞いてみると ちょっと びっくりです。 場所は 新潟の糸魚川で NTTのヒカリ通信用の ケーブルを張ってある 電柱の写真です。 それは 道路にめんした所ばかりでは無く 雪の多い山の中だったりも するそうです。寒さ対策、雨雪対策、会社が借りている アパートに宿泊して 自炊をするか 買って食べるか 何人かで 部屋を 使うとの事です。2,3日で 終わるものと 思っていましたが、へたをすれば 1か月は かかりそうだと 言う事です。電柱5000本。ただ 写真を撮るだけで無く 生活スタイルまで 変わって終うのは 少し 不安です。それだけに 面白いとも 思っていますが、東山いこいの森の準備に向けて、支障にならない様にしなければと その事が 一番気になっています。 この ブログも 新潟へ行っている間は 書けなくなってしまいます。 フォトチャンネルに 差義長の写真追加しています。
奥越に 春を告げるに相応しい 上天気に恵まれ 勝山差義長が 始まりました。 さすがに伝統行事だけ あって 各町内 立派に飾りつけ、太鼓や囃子も とても楽しそうにしておられ 見物させてもらっている 私たちも 楽しい気分になります。 市の職員さん方は 部長さん方も 自ら 誘導灯を持って 駐車場の 案内、誘導をして おられました。 昼から、谷へも 行って来ました。雪は だいぶ 溶けていました。 おばさんたちは 集会場の掃除とか お面様の時の後片付けを していました。 ミツさんは ブローチを作るのが 難しいと 言って おられましたが ぼちぼち 気長にやって 頂ける様 これからも お願いをして 行こうと 思っています。
谷の住人で 番戸平ミツさん。89歳が 作られた 水引細工の トンボのブローチが 大変見事で 先日の 谷のお面様祭りの後、 お寺のお御堂で 囲炉裏を囲んで 鯖のなれ寿司や栃餅、山菜料理など みんなで 頂いた時、ミツさんが 自分で デザインした トンボのブローチを 皆さんに 配って おられました。その時 市長が大変気にいられ それ以来ずっと スーツに付けておられます。 そこで今度は、市長が デザインされた 恐竜を ブローチ化 出来ないものだろうか、番戸平ミツさんに お願いしてと 言われるので 今日も 勝山へ行って来ました。 ルートは、朝霧が 出ていたので 朝倉遺跡へ行って、美山から 峠を越えて 永平寺へ出て、それから勝山へ行きました。 ガスがかかって 墨絵の世界でしたが、写真にしてみると、イメージどおりには 出来上がって いませんでした。 勝山では 先ず、さくら荘に行って ミツさんが おられるか 聞きますと、そこに 務めておられる ミツさんの 娘さんが 出て来られ、ディケアセンターは 勝山の町の方にあり お母さんは そちらに行って おられるとの事で 地図を書いてもらって 訪ねて 行きました。 とても 明るく広くて 立派な施設でした。 大きなコタツの所で 話をさせてもらいましたが、市長さんが 喜んでおられる事を お伝えすると ミツさんも 大変 喜んでくださいました。 むつかしそうだけど 何とか やってみましょうとの事でした。 町は 差義長の準備で 道路の両脇の家や電柱から 吊るされた、赤、青、白の三色に染めた、短冊が はためいて お祭り気分を 盛り上げています。 中食は 家から持ってきた 弁当を 雁ケ原スキー場の駐車場に行って 食べる事にしました。 ここも ガスがかかっていて スキー客は 5,6名しか いませんでした。 息子さんと お孫さんが リフトで登って 滑って降りてくるのを 待っている おじいちゃん、おばあちゃんと いろいろ話を しました。 東山いこいの森の事も お話すると 春には 是非行ってみたいと 言っていただき ました。 又 春にお会い出来るのが 楽しみです。 スイッチを切ってあつた 携帯に 市長から 着信が入っていたので 急いで、市役所に 向かいました。ミツさんにお渡しした事をお伝えすると、もう一案出来たので、持って行って欲しいとの事でした。 ミツさんが 水引の材料で作るのですが ご祝儀の袋に使ってあったものを集めておいたり、鶴や亀などに 細工してあって いら無くなったものを ほどいて それも 集めておいて 作っているとの事でしたので、どこか 大量に 扱っている所は ないのか 市の人に探して 頂きましたが 大野にあつた 水引細工の 会社も 辞めてしまったとの事でした。 勝山の手芸の店を 紹介して 頂き、そこへ行って92センチ 1本20円で とりあえず5本買って、もう一度、ミツさんのところへ 行って来ました。 夕方福井に帰って来ると、ミツさんから 電話が あって恐竜は 難しくて 出来ないから 市長さんに お断りを して欲しいとの事でした。 あまり 難しく考えないで ミツさんのやり方で 一度ゆっくり作ってみてと 明日、お願いに行って来ようと 思っています。 追伸、さくらんぼディケアセンターの前が 中学3年間の担任の先生のお家でしたので 久し振りに お会いして 来ました。 お元気に して おられましたので 同級生の人は 安心してください。
今日は、朝から 勝山へ 出かけていて 今〔10時〕帰って来ました。時間も遅くなったので いろいろ あった事は 明日にも 書く事にします。午前中に 小原に 冬の間 長期滞在を しているという人がいるという事だったので 訪ねて 行きました。 雪の量は 谷に比べて 少ない感じでした。 子供の頃には もっと沢山の家があったのですが ここも 出て行かれた人が多く 空きやになった家も 管理をする人がいなくなって 雪で倒壊したものも あります。 何年か前から 福井工業大学の建築科の教授や学生さんによって 古民家の再生が 行われ 住める様になった 民家に 長期滞在の体験を する人が 宿泊を するようになった様です そのいきさつなど いろいろ 聞かせて 頂こうと 思って 訪ねたのですが、洗濯機は 回っているし、煙突から 煙は 出ているのですが、お留守なのか 人は 出てこられず、お会いする事は 出来ませんでした。 仕方がないので、東山の国道の駐車場に行くと 今日も 4,5台 取立へ登る人たちの車が 停まっていました。 今日は 気温も高く、雪が凍みていないので カンジキを はいていないのと 歩けない状態だと 思いました。 五所が原展望台からの 取立、こつぶりの写真を撮って、谷トンネルまで 足を伸ばしました。県境の雪も 一時よりは ずいぶん消えましたが、まだ3メートル近く有りました。
昨日、東山の国道で 出会った方から コメントを 頂き 有難うございました。 お名前も お聞きせずに 分かれてしまい、申し訳有りませんでした。 それなのに ちゃんと ブログを 見ていただいて コメントも 入れて下さり、感激しています。 以前に 東山を 冬にも 利用出来る キャンプ場にしてみては、との 話も ありました。私としては、山の好きな人たちと、囲炉裏を囲んで 山菜料理に 舌鼓をうちながら 語り合う 宿泊施設が 出来ればいいなーと 思っています。 今 北谷では 小原集落には 長期滞在型の 古民家を 改造した 施設や 木根橋集落でも 宿泊できる民家が あるそうです。 詳しい事は 分かっていませんので 一度 教えていただこうと 思っています。 56の豪雪で 倒壊しなければ、私が 生まれ育った 江戸時代に 建てられた家で 皆さんに 充分満足していただける おもてなしが できたのですが 残念です。県境まで 植林してしまった 杉を 整理して 雑木を 増やしたりしていけば、紅葉も 昔の様に楽しめますし、クマや イノシシ、カモシカなども 村里へ 降りて行って 人に危害を 加える事も 無くなるだろうしいいのではと 思っています。 朝日新聞大阪本社から 読者の写真 福井県の年間賞の 賞金として 図書券が 送られて来ました。新聞は 読みますが本は 写真関係の本ぐらいしか 最近読んで いませんでしたが せっかくですから 本を買って 読ませて頂きます。有難うございました。 五所が原 積雪19時現在241センチ。15時に1センチの降雪がありました。
確定申告をしに 勝山へ 行来ました。着いたのが、11時でしたが すでに 午前の部の受付は 終了で 午後の部の予約券を 頂きました。25番で 2時半過ぎに来てくださいとの事でした。 3時間半も 時間が あるので とりあえず 東山いこいの森を 見に行く事にしました。 駐車場には 10台ほどすでに停まっていました。石川県の車も 数台あるので 取立山の 人気の高さが 伺えます。 雪もしまつて いて 朝早くにだったら 山頂まで ごぼらずに 楽々歩いて 登る事が出来ますし、 夏の 道でない所でも 自由に 歩く事が出来、木に葉っぱが付いていない分 視界も広く見渡せて、そんなに寒くもなく 山登りには 最高の時ではと 思います。 山から 降りて来られた人とも 話をしましたが 皆さんとても 喜んでおられ こちらも 嬉しくなりました。 管理棟に着くと さすがに未だ 3メートルを越える 雪が積もっています。それでも、 バンガロー、コテージ、バーベキュー施設、炊事棟、トイレも みんな 頑張って建っていてくれ 安心しました。水芭蕉の池には 氷も張って おらず 小さい芽が もう出ていました。 クリスマスツリーのもみの木は 折れずに 元気でしたし、クルミの木のクマのクマ棚は さすがに 4メートルの雪には 耐え切れず、棚は きれいになくなっていました。クマや 猪の 足跡は 有りませんが、ウサギの 足跡は 結構付いて いました。 東山の自然も 着々と 皆さんに 来てもらえる準備怠り無くと いった感じでした。 2時半に 会場に行ったのですが、面接が始まったのが3時を回っていて、郵便局に 納税に行ったときには 4時にシステムを停止するとの事で 出来ませんでした。市長秘書室へ お面様祭りのときの写真を お持ちすると、市長も今 おられると いうことで しばらく お話しを する事が出来、 農商工連帯推進室の方の所へ行って 話を 聞いて来る様にと 紹介して 頂き 早速 行ってきました。 いろいろ 話をさせていただき これから ご支援、ご指導して いたたけるのではと 希望が 湧いて来ました。その為には もちろん 私も いままで 以上に 努力していかなければと 決意を 新たにしました。
昼から、写真展会場の受付の当番に 行って来ました。NHKの福井版のニュースでも とり上げられたので 展示してある 仲間で無い 人たちも 沢山観に来られて いました。 さすが NHKの効果は 抜群だと感じました。 お陰で 受付も 結構忙しく 行ったかいが ありました。12時過ぎから6時半頃まで いましたので 写真を 撮りに 行く事は 出来ませんでした。作品の一部を 撮って 今日の 写真と します。 ついでに 組写真のプリントを 注文したり、師匠に 3月の日写連の勉強会に 提出する写真を 選んで 頂いたりで 一日が終わりました。明日は 勝山へ 確定申告に 行って来ようと 思っています。勝山は 市役所の中も 差義長の派手なハッピを 着ている人が 沢山いて 土日の差義長 一色と いった 感じです。 差義長が 済めば 勝山に春が やって来ると いわれて います。プロの写真家も 来られますし、お酒の好きな人は 一本義の酒蔵見学や 試飲、特製酒まんじゅうの販売なども 人気です。9時過ぎから 行われる。ドンド焼きも 迫力が あります。どうぞ 観に来て下さい。 五所が原の積雪19時現在。250センチまでに減りました。
3月の5日、あわらの芦泉荘で 昭和38年3月に 北谷中学校を 卒業した者の同窓会を 行う事になっています。 幹事の方から いろいろ病気などで 来れなくなった人がいると言ってきたので どんな様子か 一度尋ねて行こうと 言う事になり 私は、安岡兼さんに福井から 乗せていってもらい 勝山で 斉藤永雄君と 合流して 北六呂師の 同級生の家に行きました。 勝山の医院で 胃カメラ検査を したところ 十二支腸に 癌が出来ているのが見つかり、 3月15日に 手術を する事になり 明日は 大腸のバリュウム検査が あるという事で 食事制限に入っているとの事でした。 見た感じ 痩せ細ろえている訳でもなく、熱があるとか 痛がっている訳でもないので 今直ぐ 緊急に手術を しなければならない 状態では 無いので とりあえず ほっとしました。 ご夫婦で 京都で 中学、小学の先生をしていて 定年退職で 生まれ故郷に帰って来て、家も 直し、農業をしながらのんびりと暮すつもりだったのだろうと 思いますが 時々会った時に 話を聞くと 野菜ひとつを つくるのにも とても 研究熱心に している様子でした。もう少し 気を抜いて気楽にやればとも 思いますが もし 私が彼の立場なら やはりそうして いたかもと 思うところも あります。夫婦は 私のところとは 違ってとても仲が いい様なので 安心しました。 手術までは 未だ時間があるので 気晴らしに 一晩泊まりで 温泉に入った方が リラックスできて いいのではと 思いました。 奥さんも 行って来られたらと 言って おられましたし 出来たら そうしてもらいたいと 思っています。 杉山鉱泉の方も 入院手術を した後なので 行けないと 言っていましたが そういう時だからこそ 昔の仲間の中で くつろいでもらいたいと 思っています。 安岡兼さんや 斉藤永雄君、私などは、おせっかい やきなだけて なのかも知れませんが、仲間を 放っておけなく、こうして まわって 歩いて、お互い顔を見て 話を するだけでもと 思っています。 小学5,6年の頃、夏休みの終わりごろだったと 思いますが、 伊勢湾台風が あって 愛知県の方は 大変だと ニュースで 聞いて、クラスで 相談をして その頃、蕗とかゼンマイを 採って、クラスで バトミントンとか グローブなどを買う お金にしょうと 貯めていたものを 災害援助に 寄付を した事が あります。 自分たちでは 困っている人のために役に立って 欲しいと 思って やった事ですが それが 変な 方向に流れてしまい、小学生のクラスが 寄付をしたのに 学校全体では しないのかと 言われたと 言って 中学校の先生から 叱られた事が有りました。〔その頃北谷は、北谷小中学校と言って同じ敷地内にあって、生徒会活動なども 小中合同で行われていました。〕人に 援助の出来るほど 余裕のある身分でも 有りませんでしたが とにかく 放っておけないというのが 私たちの考えでしたし 今もそれは 間違った事をしたとは 思っていません。担任の先生の 考え方も 影響していたと 思いますし、 もともと 7山家族と 言われる 一向衆の先祖の血が その様に させて いるのではと 思っています。 私は、北谷に 7山家族の様に 自分の事より みんなの幸せを 先に考える 独立村〔昔は百姓の持ちたる国と言われていたそうです。〕が 出来ればと 思っています。 19
時現在 五所が原積雪255センチ。
時現在 五所が原積雪255センチ。
今朝、何時ものとうり お仏壇に お参りをして パソコンで雪道ネットと ブログのチェックをして 食卓につくと 妻から 今日は 結婚記念日だと いわれました。 昭和54頃だと 思います。 その日は 福井市内に 雪は 積もって いませんでした。 以前に 私が勤めていた滋賀県の会社の人や 学校の先生、妻の勤めていた 京都の 病院の方々にも 来ていただきましたが 雪が無くて 良かったと 思いました。 私は、胃の全摘手術をした後も 再手術や入退院を 繰り返して いましたので 結婚を するつもりは 有りませんでした。 親戚の人たちが 勝手に決めてしまったので 妻の実家の両親への 挨拶も プロポーズも していません。 こともあろうに、源野家の 嫁にと 平家から 連れて 来たものですから ちょっと大変です。 恋物語では 敵どうしの 男女が恋に落ちて、両方から 反対されても なお愛し合い 結果 悲劇に 終わる話は よく ありますが、 歴史的にも 源平では いろいろ問題が 多すぎます。 おまけに 血液型も 私がAで、妻はBと くれば 性格の不一致を 絵を描いた様なものです。 子供は 男の子を 二人授かりました。 その子供たちは、二人とも 間をとって、AB型です。 しかし 私から見ると 限りなくBに近い A型 ではないかと 思われます。あまりにも 従順な妻よりも ソクラテスの妻の様な 妻で あるがゆえに いろいろ刺激になって 生きて 来れたのではと 感謝に 受け止めなければと 思っています。 定年離婚を 宣言されなかっただけ 有り難いと 思っています。 今日も 朝食の時、何処かへ 行くの?と 聞くので 三国のサンセットビーチの 温泉にでも 行こうかと 言うと いいねと 言っていたのに しばらくすると お父さん 一人で 行ってきねーに 変わって いました。 いつもの事なので またかと 思いましたが、今日ぐらい、あわせて もらってもいいのにとも思いました。 愚痴ばっかりに なって申し訳 有りません。 早く、東山に 戻って 仙人の暮らしを しなければ 息が持ちません。 昨日は、ブディカ・ウィーラシンハさんの 写真展を 駅前のKOOCANへ観に行って 来ました来日して 1年間、福井を歩いて撮影した写真を 展示して おられました。 スリランカ出身のフォトジャーナリストとして ご活躍されて いる方です。外国の人だから 視点が違うのではなく ブディカさんの 人柄が 作品に 表現されて いるのだと 思いました。 奥さんは 日本人で 毎日新聞の記者の方で ブディカさんは 朝日新聞で活躍されて おられます。 源平以上に 育った環境も違うのに どうされて うまくやつておられるのか 今度教えてもらおうと 思っています。 17時現在。五所が原積雪260センチです。明日は 取立山頂から 白山も きれいに見える 事でしょう。
この度、2010年読者の新聞写真。の年間選考であなたのニュース写真が 福井県代表作に選ばれました。と朝日新聞東京本社から 知らせと メダルを 頂きました。今日のブログのクマちゃんの写真は その時の写真では ありません。この写真よりも 5日ほど以前に 昨年初めて 撮った写真です。 朝日新聞の 福井総局へ 電話をしても そこまで〔東山いこいの森〕取りに 行けないと 言われるので 直接データーを持って行った ものです。その後しばらくして、野向の病院の施設にクマが 入り込んだと いう事で 騒ぎになり テレビの全国版に 報道される様になり その時、東京のテレビ朝日から クマの写真を 送って欲しいと 電話があったのですが 私は 送り方が 分からないので 朝日新聞の 福井総局にお願いをして 送ってもらってくださいと 連絡しました。 それがテレビのニュース番組で 流れ、TBSからも 写真が欲しいと 電話が あったのでそれも 朝日新聞の福井総局から もらってくださいと 連絡しました。東山では テレビ朝日も TBSも 写らないので どうなったのかは 確認できて いませんが、間にあつたのではと 思います。 野向のクマは 射殺されて終いましたし、大変悪者扱い されて 終いましたが、北谷では 沢山クマも出ましたし、写真の様にクマ棚の出来た、クルミや 栗の木も沢山出来ました。 しかし 人間に被害は 一件もありませんでした。 たぶんずいぶんと 昔から、クマたちは 人間がいるところには ある程度 距離をおく 習慣が 出来上がっていて 出会いがしらで びっくり する様な事も無く、人間も クマを見ても 騒ぎ出したり、逃げ出したりと 慌てふためく事なく 当たり前と思い、平常心で いられるから クマも 襲って来ないのだと 思います。 杉の植林ばかりが目立つ山でなく もっと自然に 木の実や 紅葉の楽しめる 山にしていかなければ と 思います。 泰澄大師が 開かれた 白山山系は この 絵物語を 読ませていただくと。 そのお徳で 守られているのでは と おもいます。春を呼ぶ勝山左義長は 26日、27日です。 五所が原の積雪は 266センチです。取立春山スキーや 登山も いいですね。
私は、東山いこいの森では 仙人と呼ばれ 自分でも その気になって 威張っていますが 娑婆に下りて来ると いろいろな人や 世間との 関わりの中で 二つに 一つを 選らばなければ ならない 場面に 出くわします。 2月13日 お面様祭りも 終わって お寺で 囲炉裏の火の始末を 数人で している時、区長の携帯に 福井に帰った 妻から 電話が かかって 来ました。私の 携帯は ソフトバンクなので 圏外になっていて かからないので 妻が 区長の携帯にかけたのですが、 父の実家から 電話があって 和歌山にいる 父の姉が 亡くなり 今晩 お通夜で 明日 葬式との事、 たぶん 前日あたりから 何回も 電話を したことだと 思いますが、北谷に 泊まり込みで いたため 通じ無かったのだと 思います。 しかし もうお通夜には 間に合わないし、葬式にしても 今から 直ぐに 車で帰って 列車に乗れば 何とか間に 合うかも 知れませんが、 こちらも 明日は 月曜日で いろいろ片付けを する 人数が 必要なのに 人間が いません。 父の実家の従兄は 和歌山に行っているので、妻に 従兄弟に訳を 話して 香典や お供え物も お願いする様に いいました。 父が 亡くなった時には 和歌山の従兄弟は 来てくれていたのに お返しが 出来ないくて 父にも 申し訳なく 親不幸な 自分だなーと 思いました。 2009年8月12日、 父が 亡くなったのも 突然の事で、お盆に向けて、東山いこいの森も 忙しい時で 13日の昼から 帰って15日に 葬式を 済ませ、16日の 昼には 東山へ 戻って来ました。 喪主で ある身なら もう少し ちゃんとしてと 親戚からも 言われましたが、父だったら 私の我がままを 分かってくれるだろうと 東山に 戻りました。 私がいなかった たった3日間の間に 事故があったりして 大変だった事を 思いますと、身内の事は 後回し、東山や 谷の事を 優先にしなければと その時 思いました。 14日、後片付けを 終えて、父の実家のある 大野の木落に 向かいました。国道158号線の中休から 蕨生に入り、木落の家には 従兄弟の息子が ちょうど 休みでいたので 訳を話して 香典などを 置いて来ました、佐開の集落の橋を 越えると もう一人の 父の姉のいる 五条方ですが そこ迄は 行かずに 帰って来ました。 蕨生は 荒島岳の麓で 福井で 一番先に スキー場の出来た所です。 小学校5年生の時、友達のスキーを借りて、優勝し 賞品に スキーを もらったと いうのが 父の自慢でした。 五所が原に 婿養子に 来てから 村の人は スキーなど 関心が無く カンジキで 踏んだ道を スキーを履いて歩くなと 村の者から よく怒られたとも 言っていました。 父が スキーで ガイドをし 祖母や母が 調理師の免許を取って 民宿を始めた おかげで スキー客も 次第に増え、村全体が 潤った事も 懐かしく 思い出しました。 荒島岳は 雲に隠れて 見えませんでしたが、家に帰ってから 仏壇で 父に報告を しておきました。 19時現在 五所が原の積雪は 273センチです。
昨日までに 書き足りなかった事を 書きます。宴も 最後のほうになって 村で一番年寄りの 番戸平 ミツさんが 手作りで 作ったきれいな ブローチを 壮年に配って下さり、市長さんにも 是非付けて頂きたいと 言われ 市長さんのところへも 持って来られました。 そこで 記念に市長さんと 写真を 撮って頂きましょうと言うと 番戸平の おばあちゃんは 大変感激され 一生の思い出になると 喜んで 横に並ばれ ブローチを付けられた市長さんと 手にブローチを持った、番戸平のおばあさんの写真を 撮らせて 頂きました。 少し緊張して おられましたが、こんなに 喜んで頂けると 1枚の写真 あだやおろそかに 撮るものでは無いと 思いました。もっと 1枚、1枚、魂がこもったものが 伝わって来る、写真を 撮らなければと 思いました。 一昨年、私より 一つ年下の 長男を 亡くされているだけに、余計に 元気で 長生きして 頂きたいと思います。福井新聞にも いろいろご自分の 思われる事を 文にまとめて 投書されたりしても おられます。それは 今、生きていられる事への 感謝だ とも言って おられました。 もちろん 自分の身の回りの事は 自分で なさつて おられます。 14日月曜日は、雪は 5センチ程しか 新しくは 積もっておらず 片付けも スムーズに出来 助かりました。