11月16日、朝からのみぞれは初雪となり、辺りを冬景色に変えました。
畑に立つ丸坊主の木は柿の木です。
昨日移植してもらった。
基盤整備が終わるとこの畑を耕作するのは自分ではなくなるからです。
切ってしまっても良かったのだが、この柿の木にはたくさんの思い出が詰まっている。
昭和33年の春の画像。母の胸に抱かれているのは私です。
左端に写っている柿の木がこの柿の木。この木のそばの茅葺き屋根の家で生まれて17歳まで住んでいた。
左下にしゃがんで芍薬の花を持っているのが大正15年、寅年の1月11日生まれの父、寅一です。
11月1日から危篤状態、最後まで眠ったままで16日午前9時50分、息を引き取りました。
最後の夜に大きな声で寝言を言ったのがお別れの挨拶だったように思います。
終始笑ったような寝顔で見ていてもつらくない半月の付き添いでした。
91歳まで生きた理由は孫全員の成人を見届けるため。
15日間頑張った理由は、花の出荷もウルイの掘り取りも、パイプハウスの解体も全部終わるまで葬式を出さなくても良いようにと。
ありがとう、ありがとう と何度も泣きました。