皿尾城の空の下

久伊豆大雷神社。勧請八百年を超える忍領乾の守護神。現在の宮司で二十三代目。郷土史や日常生活を綴っています。

強請と書いて

2017-11-03 23:02:42 | 心は言葉に包まれて

昨日の世良田東照宮の参拝にて、グループの方から大変面白い語源を教えていただきました。
「強請」と書いてゆすりと読みます。
 徳川家康は死後朝廷より神号「東照大権現」を賜り、日光東照社に祀られ神様となりました。後に「東照宮」と改称する宣下を受け朝廷より奉幣使が派遣され、以降毎年家康の命日には「日光例幣使」が派遣されるようになります。例幣使とは神様に祈りをささげる幣帛を奉納する勅使のことです。明治維新前まで200年以上欠かさず続けられたようです。
 例幣使一行は「金幣」を納めた葵の金紋つきの長持を中心に例幣使が乗った輿、そして御付きのものを乗せた駕籠が続きます。五十人前後の例幣使一行は、四月一日に京を発ち、中山道を通って、倉賀野宿から日光例幣使道に入ります。その後太田宿を経由し、日光までたどり着きます。帰路は日光街道から江戸に出て、東海道で京に戻るといいます。
 これは幕府の威光を示すものであり、朝廷にとっては権威を失墜させるものでしかありませんでした。
その例幣使の一行と言えば、横暴をはたらき、特に日光例幣使街道に入ると、乗っている駕籠をわざと揺すり、金品等を要求するようになり、そのさまが
ゆすり=強請の語源となったとされます。
 権威をかざして、金を巻き上げる。時代は流れても同じようなことが繰り返されているのでしょうか。
江森さん、貴重なお話をありがとうございました!
コメント
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